たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

築かれる「意味なし」関係性

2015-07-19 04:06:01 | Weblog
 人生が明らかに変化していくことの訪れを届けられる瞬間、俺にはなんとなくそうだとわかる。それはこれまでの履歴に依存することかもしれないし、もともとそういう能力を持っているのかもしれない。

 人生が変わるっていうのは、ほとんどの場合、価値観の変化だ。無意味なものに価値を見出したり、まったく気に留めていなかったものに気を留めるようになる。
 変化してしまえば、今まで不要だったことが突然大切になったり、今まで大切だったことがどうでもよくなったりする。まぁ、自分にとって必要か不必要か、なんてやってみなけりゃわからない。っていうか、そもそも、needとwantの違いにこそ、生命と非生命のアノマリーがあるのだから。

 だから、無意味そうに見えても、とにかく扱ってみて、やってみちゃうことが大事で、これはどういった場合も同じだ。無意味にみえる地味な計算のなかに意味のある重要なヒントが隠れていたり、切手集めばかりを繰り返す価値観のなかに有意義な心得が隠れていたりする。
 だから、他人を試すようなマネばかりしていないで、自分の権威や実力を誇示していないで、環境に対して本当の意味で謙虚に接することで、森羅万象、万物のすべてから学習しようとする態度を養ったほうがいい。あなたが最もバカにしていることにこそ、あなたにとって最も欲しい価値観が眠っている。そして、それがわかったとき、人生が変わっていくのだ。

 っで、どうして私だけ試さなくても良いわけ?
 試さなくても、お前が何て言うか、わかるから。
 そう?それなら、私がいる必要はないよね。
 ああ、もちろん。そんなことは疾うの昔から分かりきっていることだ。俺にはお前が必要ない。
 そこまではっきり言うことなくない?
 必要はない。ただ、俺が一緒にいたいってだけだ。

 自分にとって、必要か不要かで人生を決定していったら、自らをただ単純な物理現象として反応させていくだけであり、人生が変わっていくことをリアルタイムで感じる、このような気持ちに出会うこともないのだろう。

 意味のないことでも、価値が無いと思っていることでも、自分が手に入れたい、傍にいたい、置いておきたい、と思ったときに、まっすぐにそれを行動することができることこそ、人生をちゃんと楽しむ秘訣があるのかもしれないね。

いろは 【ゴスペラーズ】