たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

音楽、大好き!

2006-12-18 01:03:12 | Weblog
 今日、バンドに出された宿題であるEXILEの「Together」って曲の楽譜を書く予定が、今の時間になってもまったくの手付かずで、結局、なんて言い訳すれば良いかを考えることになってしまった。
 別に暇が無かったわけじゃないんだけど、俺、超わがままなミュージシャンであるから気が向いたときしか、編曲したり、作曲したりってことができない。だけどその分、気が向いたときは、ものすごい集中力で6時間くらいピアノの前に座れるし、好評な楽譜が書ける。
 だから、無理して書かない事にしました。ってのを言い訳にしよっと。
 
 こんな感じでサークルが忙しく、最近、「音楽」ってのは、なんなのか?を考える時間が多い。

 きっと、音楽のはじめは、農作業とか漁業とかで、かけ声をかけることから始まったんだと思う(違ったらごめん)。そこに、人に何かを伝えるとか、ましてや愛を伝えようなんてそんなことはなく、ただ仕事を効率よく楽しくするための、かけ声でしかない。
 それがいつのまにか、みんなで同じことを叫ぶ事は楽しい事だと気付き、全員で同じメロディーラインをつけて叫ぶになる。つまり、作業なしのかけ声。
 だけど、なかには、音の微妙な違いがわかる耳のイイ奴が現れて、音をはずす奴を指摘する。その指摘に耐えかねた奴が、石とかをたたき出したり、身体をくねらせたり、して、楽器やダンスが生まれた。(マジで違ったらごめん)
 いつしか、その行為が音楽と呼ばれ、音楽ができる奴がモテはじめる。モテた奴は、それに答えようと、「愛してるぜぃ」と歌った。(何回も言うけど違ったらごめん)
 なんかしらないけど、昔から日本人は、愛の歌が大好きですよね。源氏物語かなんかでも相聞歌ばっかだし、今J-POPに溢れる曲も恋愛系ばっか。

 まあ、そんな感じで現在のCDから聞こえる音楽になったんだと思う(あくまで俺の想像)。

 音楽は芸術である、と言われたりする。
 芸術は沈黙である、誰かは言った。確かに、ものすごい上手い音楽的技術を聞いたり見たりとき、人は驚愕し黙る。だけど、みんなで歌って踊って、みんなで楽しむのも音楽。
 芸術作品とは、近寄り難いものが、多い気がする。美術館とか、まあ俺は結構最近は行きたいけど、普通は、あっじゃー今日は美術館でも行くか、ってならないと思う。だけど、カラオケは、結構普通に行くべ?
 うーん、音楽は芸術的要素を確かにふんだんにもってるけど、芸術にしとくにはもったいない気がする。(ちなみに、美術だって、勝手に絵を描いて楽しんだりするよね)

 音楽はエンターテインメントである、と言われたりする。
 だけど、だけでもないような…。小学校で1番最初にやった授業って音楽だった。人と人との距離を縮め、みんなですると自然に笑顔がでるのが音楽。絶対音感も音痴も、ブレイクダンサーも歩けない人も、ピアニストもリコーダーしか弾けなくても、やる人みんなが楽しくて、それでOKな音楽の楽しみ方もある。

 でも、音楽は商品であったりする。だから、自分達だけが楽しんでるからって良くなくて、その音楽グループを支えてる人の収入源を奪わないために、人に受け入れられる音楽を作らなきゃな場合もある。そして、商業目的であるにもかかわらず、感動しちゃったりする。それをあえてこばむ人もいるけど、俺はその巧みな売り方で感動さすことができることに、感動しても良いんじゃないかと思うけど。

 っで、音楽って何?

 いろんな、要素をもってるからこそ、音楽はやめられない。だけど、数学や物理なんかと違って、理屈が無い。そりゃ、音楽理論やコード理論はあるけど、アルノルト・シェーンベルク(だっけ?)なんか不協和音を音楽にしちゃうんだから、音楽理論なんてもんは理論じゃない。だから、音楽そのものは、くだらないというか、正統なものではないというか。
 俺ら、音楽をやってるバカは、所詮そんなもののために必死になって、音をとり、歌を練習したり、ギターでタコを作り、音楽性の違いや声質でメンバーと喧嘩までする。
 
 だけど、音楽は、理科や数学なんかよりずっと、人に生きる元気を与え、笑顔を与え、幸せにする、しかもその音楽が下手くそでも、ってことを、忘れてはいけない。理数ってのは、人の生活を豊かにして幸せにするけど、音楽には負けるよなーって思う。音楽大嫌いな人もいると思うけど、俺は音楽がなけりゃ、今こんなにちゃんとして生きてられないと思うから、そう思うんだよね。

 んなわけで、ハッピーフィートが見たいなーって。(←結論それかよ!(笑))