写楽爺の独り言

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福島ドライブ旅行-5(最終回) 【二本松 安達ケ原】

2012年09月07日 | 旅行など
二日目ホテルをチェックアウトして磐越道猪苗代磐梯高原ICより郡山JCで東北道へ二本松へ向かいます。
二本松ICを降りて孫の父親の眠る墓地へ、墓参を済ませて鬼婆伝説の地「安達ケ原」へと向かいました。

 『黒塚』    【「観世寺」パンフレット「奥州安達ケ原黒塚縁起概説」より抜粋】
鬼婆の名は「岩手」京都の屋敷の乳母であった、育てていた姫の病気を治したい一心から「妊婦の生肝を飲ませれば治る」と言う易者の言葉を信じて旅立ちたどり着いたのが安達ケ原でした。
ある晩愁の夕暮れ時若夫婦が訪れ一夜の宿をこうてきました、その夜身ごもっていた若妻が産気づき夫は薬を求めて外出します。
「岩手」は待ちに待った生肝を取るにはこの時と若妻の腹を出刃包丁で裂き生肝をとりだしますが、若妻は苦しい息の下から「私は小さい時に京都で別れた母を探して歩いているのです」と語ります、「岩手」は若妻が持っていたお守り袋を見てその若妻がいとしい自分の娘であり事を知り気が狂って鬼と化しその後旅人の活血を吸い肉を食らい「安達が原の鬼婆」と言われる様になりました。

数年後紀州熊野の僧「東光坊」が訪れ部屋の秘密を知り逃げ出しますが、鬼婆に追いかけられ「これまで」と如意輪観音像に祈願するや尊像は舞いあがり一大光明を放ち白真弓で鬼婆を射殺したと言う。
鬼婆を埋めた塚を『黒塚』と言う。 


 (1)「観世寺」とは少し離れた阿武隈川の河原にあり、大木一本の根元に「黒塚」の石碑があります


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 (4) 余談:黒塚の説明板を見ていた妻が説明板の屋根に頭をぶつけてしまいました
       うまい具合に帽子が板の切れ目に引っ掛かり心配するより一同大笑いでした 




 真弓山『観世寺』
以前に当Blogでも紹介した事がある『観世寺』です。
奈良時代に阿闍梨祐慶東光坊によって開基されたと言われています。

ここに鬼婆が住んだと言われる岩屋や宝物館には腹を裂いた出刃包丁・人肉を煮た鍋と言われる物などがありました。
「鬼婆伝説」は他県にも残されていますが、「安達ケ原鬼婆伝説」は歌舞伎・浄瑠璃などでの出し物となっていて特に知られています。

 (5) 「観世寺」門


 (6) 白真弓如意輪観音堂  下側に少し見える池が出刃包丁の血を洗ったと言われる「血の池」


 (7) 観音堂の裏手に鬼婆が住んだと言われる岩屋があります


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    福島旅行記も今日が最終回です、長期間ありがとうございました。
    旅行記を続けていて7月頃に撮った花は未整理のままとなってしまいました、
    来週中に整理してBlogアップもしたいと思っています。