《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
「ライスカレー事件」では今度はおかしいと思ったことの三つ目である。それはいわゆる「ライスカレー事件」についてだ。このことに関しては、高橋慶吾の次のような二通りの証言が残っているから、それらを先に見てみる。まず「賢治先生」では、
或る時、先生が二階で御勉強中訪ねてきてお掃除をしたり、臺所をあちこち探してライスカレーを料理したのです。恰度そこに肥料設計の依賴に數人の百姓たちが來て、料理や家事のことをしてゐるその女の人をみてびつくりしたのでしたが、先生は如何したらよいか困つてしまはれ、そのライスカレーをその百姓たちに御馳走し、御自分は「食べる資格がない」と言つて頑として食べられず、そのまゝ二階に上つてしまはれたのです、その女の人は「私が折角心魂をこめてつくつた料理を食べないなんて……」とひどく腹をたて、まるで亂調子にオルガンをぶかぶか彈くので先生は益々困つてしまひ、「夜なればよいが、晝はお百姓さん達がみんな外で働いてゐる時ですし、そう言ふ事はしない事にしてゐますから止して下さい。」と言つて仲々やめなかつたのでした。
<『イーハトーヴォ創刊号』(昭14)所収>と「事件」のことを述べている。また、座談会「宮澤賢治先生を語る會」(関登久也著『続宮澤賢治素描』(昭23)所収)では、
K…何時だつたか、西の村の人達が二三人來た時、先生は二階にゐたし、女の人は臺所で何かこそこそ働いてゐた、そしたら間もなくライスカレーをこしらへて二階に運んだ。その時先生は村の人達に具合惡がつて、この人は某村の小學校の先生ですと、紹介してゐた、餘つぽど困つて了つたのだらう。
Cあの時のライスカレーは先生は食べなかつたな。
Kところが女の人は先生にぜひ召上がれといふし、先生は、私はたべる資格はありませんから、私にかまはずあなた方がたべて下さい、と決して御自身たべないものだから女の人は隨分失望した樣子だつた。そして女は遂に怒つて下へ降りてオルガンをブーブー鳴らした。そしたら先生はこの邊の人は晝間は働いてゐるのだからオルガンは止めてくれと云つたが、止めなかつた。
<『続宮澤賢治素描』(眞日本社)、209p~>Cあの時のライスカレーは先生は食べなかつたな。
Kところが女の人は先生にぜひ召上がれといふし、先生は、私はたべる資格はありませんから、私にかまはずあなた方がたべて下さい、と決して御自身たべないものだから女の人は隨分失望した樣子だつた。そして女は遂に怒つて下へ降りてオルガンをブーブー鳴らした。そしたら先生はこの邊の人は晝間は働いてゐるのだからオルガンは止めてくれと云つたが、止めなかつた。
と「事件」を語っている(Kが慶吾である)。
さて、この二通りの慶吾の証言を比較してみると両者の間には結構違いがある。しかも、これらの証言からはオルガンは一階に置いてあったことになるが、実は慶吾以外は皆(宮澤清六、松田甚次郎、高橋正亮、梅野健造、伊藤輿蔵<*1>)当時オルガンは二階にあったと言ってるから、こちらの方の蓋然性がかなり高い。そしてそれが二階にあったとなればこの慶吾の一連の証言は根底が崩れる。しかも「こそこそ」という表現も用いているからそこからは彼の悪意も感じられるので、この件に関する慶吾の証言内容の信憑性は薄い。したがって、このような事件があったとしても、これらの証言から「修飾語」を取り去ったものがせいぜい考察の対象となり得る程度のものだろう。
このことを踏まえた上で慶吾のこれらの証言に基づけば、当日は少なくとも2人の来客があり、しかも賢治の分も用意したということになるから、最低でも3人分のライスカレーを露は作っていたことになる。ところが、下根子桜の別宅にはそれ用の食器等が十分にはなかったはず(「食器も茶碗二つとはし一ぜんあるだけです」と、当時賢治と一緒に暮らしていた千葉恭は言っている)だから、それらも露は準備せねばなかっただろう。その上、この別宅の炊事場は外にあったので、当時3人分以上のライスカレーを露がそこで作るということは大変なことであり、露のかいがいしさが窺える。
ではこれで準備ができたので、『宮沢賢治と三人の女性』において「ライスカレー事件」に関して述べている次の部分を引用する。
二階で談笑していると、彼女は、手料理のカレーライスを運びはじめた。
彼はしんじつ困惑してしまつたのだ。
彼女を「新しくきた嫁御」と、ひとびとが受取れば受取れるのであつた。彼はたまらなくなつて、
「この方は、××村の小学校の先生です。」と、みんなに紹介した。
ひとびとはぎこちなく息をのんで、カレーライスに目を落したり、彼と彼女とを見たりした。ひとびとが食べはじめた。――だが彼自身は、それを食べようともしなかつた。彼女が是非おあがり下さいと、たつてすすめた。――すると彼は、
「私には、かまわないで下さい。私には、食べる資格はありません。」
と答えた。
悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頰をひきつらし、目にまたたきも與えなかつた。彼女は次第にふるえ出し、眞赤な顏が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていつた。
降りていつたと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。…(筆者略)…その樂音は彼女の乱れ碎けた心をのせて、荒れ狂う獸のようにこの家いつぱいに溢れ、野の風とともに四方の田畠に流れつづけた。顏いろをかえ、ぎゆつと鋭い目付をして、彼は階下に降りて行つた。ひとびとは、お互いにさぐるように顏を見合わせた。
「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。」
彼はオルガンの音に消されないように、声を高くして言つた。――が彼女は、止めようともしなかつた。
<『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)、90p~>彼はしんじつ困惑してしまつたのだ。
彼女を「新しくきた嫁御」と、ひとびとが受取れば受取れるのであつた。彼はたまらなくなつて、
「この方は、××村の小学校の先生です。」と、みんなに紹介した。
ひとびとはぎこちなく息をのんで、カレーライスに目を落したり、彼と彼女とを見たりした。ひとびとが食べはじめた。――だが彼自身は、それを食べようともしなかつた。彼女が是非おあがり下さいと、たつてすすめた。――すると彼は、
「私には、かまわないで下さい。私には、食べる資格はありません。」
と答えた。
悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頰をひきつらし、目にまたたきも與えなかつた。彼女は次第にふるえ出し、眞赤な顏が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていつた。
降りていつたと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。…(筆者略)…その樂音は彼女の乱れ碎けた心をのせて、荒れ狂う獸のようにこの家いつぱいに溢れ、野の風とともに四方の田畠に流れつづけた。顏いろをかえ、ぎゆつと鋭い目付をして、彼は階下に降りて行つた。ひとびとは、お互いにさぐるように顏を見合わせた。
「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。」
彼はオルガンの音に消されないように、声を高くして言つた。――が彼女は、止めようともしなかつた。
さて、著者の森はこの時にそこに居合わせたということを同書のどこにも述べていないから、この記述の元になったのは既に公になっていた先の慶吾の証言あたりだろう。しかしながら、慶吾は「悲哀と失望と傷心とが……眞赤な顏が蒼白になると」というようなことは語っていない。となれば、この引用文の中で露はかなり悪し様に描かれてもいるから、そこには森の虚構や創作が含まれていそうだ。
そしてそう感ずるのは私独りだけでなく、佐藤通雅氏も、
このカレー事件の描写は、あたかもその場にいあわせ、二階のみならず階下へまで目をくばっているような臨場感がある。しかしいうまでもなく、両方に臨場することは不可能だ。…(筆者略)…見聞や想像を駆使してつくりあげた創作であることは、すぐにもわかる。
<『宮澤賢治東北砕石工場技師論』(佐藤通雅著、洋々社)、83p>と断じている。どうやら、前掲の森の引用文の中には自身の手による虚構あるいは創作もあったということになりそうだ。
よって巷間あれこれ伝えられている「ライスカレー事件」だが、「悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頰をひきつらし、目にまたたきも與えなかつた。彼女は次第にふるえ出し、眞赤な顏が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていつた」と、あたかも森がその現場にいたかの如きこのような「ライスカレー事件」の中身はかなり危ういものであり、怪しげな代物だと言われても仕方なかろう。
つまるところ、「下敷」にされたという『宮沢賢治と三人の女性』における露に関する記述には、一方的に露を悪し様に描いてる点や露の扱い方が不公平な点を含む、「あやかし」が少なくないことはこれでもう明らかになったと言えるだろう。
<*1:註> 伊藤與藏は『賢治聞書』において、
二階は畳敷きの部屋になっていて先生が仕事をなさるところでした。オルガン等も二階にありました。その二階の床の間は、書棚のようにつくられて本がぎっしりと並べてありました。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明著、時潮社)、44p>続きへ。
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