みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

高瀬露と賢治の詩(〔聖女のさまして近づけるもの〕)

2017-04-10 10:00:00 | 賢治作品について
 さて、賢治がいわゆる『雨ニモマケズ手帳』に〔雨ニモマケズ〕を書き記した日は昭和6年11月3日             であったようだが、このブログのトップに掲げたように賢治はこの日から約10日前の10月24日に、佐藤勝治の言葉を借りれば、「彼の全文章の中に、このようななまなましい憤怒の文字はどこにもない」(『四次元44』(宮沢賢治友の会)所収「賢治二題」より)と形容している次の詩〔聖女のさま . . . 本文を読む
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高瀬露と賢治の詩( 〔うすく濁った浅葱の水が〕)

2017-04-09 10:00:00 | 賢治作品について
 賢治は「一九二七、四、一八、」付の次のような詩も詠んでいる。  一〇三九    〔うすく濁った浅葱の水が〕     一九二七、四、一八、    うすく濁った浅葱の水が    けむりのなかをながれてゐる    早池峰は四月にはいってから    二度雪が消えて二度雪が降り    いまあはあはと土耳古玉のそらにうかんでゐる    そのいたゞきに    二すじ翔ける、    うるんだ雲の . . . 本文を読む
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高瀬露と賢治の詩(「秋」)

2017-03-21 10:00:00 | 賢治作品について
 賢治は次のような、「春と修羅 第三集」所収の詩 七四〇   秋    一九二六、九、二三、    江釣子森の脚から半里    荒さんで甘い乱積雲の風の底    稔った稲や赤い萓穂の波のなか    そこに鍋倉上組合の    けらを装った年よりたちが    けさあつまって待ってゐる    恐れた歳のとりいれ近く    わたりの鳥はつぎつぎ渡り    野ばらの藪のガラスの . . . 本文を読む
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高瀬露と賢治の詩(〔同心町の夜あけがた〕)

2017-03-20 10:00:00 | 賢治作品について
 さて、賢治は大正15年4月に下根子桜の宮澤家別宅に移り住んだわけだが、その約1年後の昭和2年4月21日付の次のような詩〔同心町の夜あけがた〕がある。   一〇四二  〔同心町の夜あけがた〕   一九二七、四、二一、    同心町の夜あけがた    一列の淡い電燈    春めいた浅葱いろしたもやのなかから    ぼんやりけぶる東のそらの    海泡石のこっちの方を    馬をひいてわたく . . . 本文を読む
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「第三集」と『銅鑼』

2017-03-19 10:00:00 | 賢治作品について
 さて、私は今から4年ほど前に木村東吉氏の論文「宮沢賢治・封印された『慢』の思想―遺稿整理時番号10番の詩稿を中心に―」によって、賢治が封印した詩稿群「10番稿」があるということを知った訳だが、その際に、私からすればかなり意外に思えたのがその中に一般的には評価の高い次の3篇〔あすこの田はねえ〕「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」までもが含まれていたことである。  一方、下表【賢治下根子桜時代の . . . 本文を読む
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封印詩稿「野の師父」等の何故

2017-03-18 11:00:00 | 賢治作品について
 さて、賢治は何故     『この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』 ということでいくつかの詩篇を封印したのだろうか、ということを私は疑問に思ってここまで少しく調べてきた。  当初は、封印された「10番稿」とは〝農民に対する冷笑や己の慢〟が詠み込まれているものが主に該当しているのかなと思っていた。そして次に、「心ここになき」については、     心ここになき≒はじめからお . . . 本文を読む
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「第三集」(昭和2年の夏に詠まれた詩)

2017-03-17 12:00:00 | 賢治作品について
 さて先に下表において、 下段の方の「10番稿」は、「冷笑と慢」だけが封印の主な理由であったわけではなく、他にももっと何らかの大きな理由があったのではなかろうかと私は述べた。  しかも【賢治下根子桜時代の詩創作数推移】は下表の通りだから、               もしそのような理由があったとすれば、特に昭和2年の夏に詠まれた「春と修羅 第三集」に収められた詩稿群の中にそれが見つかりそうだ。 . . . 本文を読む
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「第三集」と気象に関する虚構

2017-03-16 10:00:00 | 賢治作品について
 それでは今度は、いわゆる『阿部晁の家政日誌』に書かれている天候によって「春と修羅 第三集」を検証をしてみたい。  具体的には、それぞれの詩に詠み込まれている日付の気象現象が、同日誌に記載されている日付の天候と合っているか否かを調べてみる。そしてそれが合っていれば「適○、否×」欄に〝○印〟を、多少合っていれば〝△〟を、合っていなければ〝×印〟を、それら以外のはっきりしない場合等については〝?〟をつ . . . 本文を読む
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「第三集」「農民詩」「10番稿」

2017-03-15 09:00:00 | 賢治作品について
 では、今回は「第三集」「農民詩」「10番稿」の三者の関係を少し探ってみたい。  まずは「農民詩」についてだが、佐伯郁郎は「農民詩講話」(『家の光 昭和三年四月号』所収)において、  農民文学は已に述べたやうに、農民の生活意志の探求であり、限りなき表現である。それ故に此の意味では、当然農民文学は農民の手になるべきで、従つて、農民の詩も農民が作者であるべき筈であるが、凡て文学は生活を意識し、これを批 . . . 本文を読む
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「10番稿」を除いた「春と修羅 第三集」とは

2017-03-14 10:00:00 | 賢治作品について
 結局、巷間知られている「春と修羅 第三集」に所収されている詩篇は下表の69篇だが、そのうちには賢治が封印した「10番稿」に該当する詩篇が21篇あるので、               これらから、「10番稿」を除けば次表の48篇となる。  ちなみに、これらの詩については下掲リストをダブルクリックすればそれぞれの中身を見ることができるので、ご覧いただきたい。 706 村娘 709 春 711 水 . . . 本文を読む
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「10番稿」封印(杉浦静氏の見方)

2017-03-13 10:00:00 | 賢治作品について
 杉浦静氏は、『宮沢賢治 明滅する春と修羅』において次のようなことを述べていた。  …草稿が見直され、の構想にそったスケッチの選択がなされていった時、性急な理想や理念を語ったスケッチや、偏狭な共同体の後進性や排外性と認識されたものへの苛立ちや、それらから感じ取った反感・悪意を書きとめたスケッチは「この篇みな/疲労時及病中の/心こゝになき手記なり/発表すべからず」と記した「未定稿」として「黒クロース . . . 本文を読む
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「10番稿」封印の理由(木村東吉氏によれば)

2017-03-12 11:00:00 | 賢治作品について
 さて、賢治は何故     『この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』 ということで封印したのだろうか、ということを私は疑問に思ってここまでいわゆる「10番稿」を少しく通読してみた。当初は、賢治が〔もう二三べん〕において詠み込んでいた「冷笑や慢」を彼は後に読み返して慚愧に堪えなくなって、これと似たようなことを詠み込んでいた詩稿も含めて「10番稿」に収めたのかなと私は思ってい . . . 本文を読む
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賢治が封印した詩稿群(「第三集」以外)

2017-03-10 08:00:00 | 賢治作品について
 前回は、いわゆる「10番稿」               のうちで、「春と修羅 第三集」所収の詩篇を少し調べてみたのだが、賢治が公表をなぜ封印したのかについては残念ながら私にはその訳がよく分からなかった。  そこで今回は残りの詩稿群、「第三集」所収以外の賢治が封印した「10番稿」について少し見てみたい。具体的には前回同様、封印しようと思った理由と関連しそうな記述(=〔もう二三べん〕と似たような . . . 本文を読む
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賢治が封印した詩稿群(「第三集」分)

2017-03-09 10:00:00 | 賢治作品について
 さて、賢治が『この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』と記して封印した詩稿群、いわゆる「10番稿」は下表のようなものであることが判った。                瞥見してすぐ判るように、『旧校本宮澤賢治全集』で言えば、『第四巻』に所収されているものが多い。中でも、背景を水色で着色した詩稿群はいわゆる「春と修羅 第三集」に所収されているものであり、かなりの数に上って . . . 本文を読む
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〔もう二三べん〕はやはり賢治が封印した詩稿だった

2017-03-08 10:00:00 | 賢治作品について
 木村東吉氏の論文     宮沢賢治・封印された「慢」の思想 -遺稿整理時番号10の詩稿を中心に- によれば、  『新・校本宮澤賢治全集第十六巻』(上)年には、詩稿に付された三種の遺稿整理時番号が記載してあり、このうち「朱のスタンプインクをつけて押されたゴム印番号」は作者が死の床にあって、床の脇に分類して山積みにしてあった詩稿の状態を記録したもので、同一の山の詩稿に同じ番号を付したものとされている . . . 本文を読む
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