《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
先に、〝「宮澤賢治詩碑建設経過報告」(關 德弥)〟において、「宮澤賢治君詩碑建設趣意書」における当初の予定の碑文が変更されて、
東京の高村光太郎氏、谷川徹三氏、草野心平氏、藤原嘉藤治氏等の意見を徴すると、「 . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
私は少なくとも若い頃は宮澤賢治をとても尊敬していた。賢治は、貧しい農民たちのために己を犠牲にして献身した人だと。まさにあの詩句「雨ニモマケズ……サムサノナツハオロオロアルキ」のとおりに徹宵東奔西走し、遂に斃れ . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』(『北農』(北農会)連載)によって、
中央文壇関係者の見た賢治の農業実態は、伝聞や賢治作品等をそのまま事実としたが故に生じた、本当の姿から . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
では今回は、佐々木多喜雄氏の論考「⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」の最後の項「5)自立生活から見た賢治から」である。
同氏は、賢治の自活生活についてこう論を展開していた。
一般的意味で全くの自立に近い形の . . . 本文を読む
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白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
では今回もまた、佐々木多喜雄氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』からであり、その中の項「⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」からである。ちなみに、その構成は、
⑷ 農業関係者が見た賢治の農業
. . . 本文を読む
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白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、『宮沢賢治を創った男たち』(米村みゆき著、青弓社)により、賢治に関して以下の人たちは、おおよそ、
中島健蔵:一生を殆ど東北地方の農業のために尽くした彼は、世の所謂文士とは全く類を異にする一生を送ったの . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、前回最後に米村氏の次のような見方、
しかし、賢治像構築のプロセスで、賢治への想像ばかりが先行していたまさにそのとき、賢治に関する具体的な情報が公にされた。それが「雨ニモマケズ」 だった。…投稿者略… . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
米村氏は「〝地方詩人〟を超える」という項で、中島健蔵に関して次のようなことなどを論じていた。
没後直後、賢治の評価が創り上げられてくる地点には、どうやら二つの差異化があったようだ。その一つは、科学者という . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
米村氏は、今度は「奇妙な追悼集」という項を立てていた。前の項「賢治を知らず」では、当時は賢治を殆ど知らない人ばかりだったと述べていたのだが、著書等においてはではどうであったかを、この項では紹介していた。
米 . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
米村氏はこうも言う。
では、「雨ニモマケズ」はいつから、どのように広まったのか。そのとき、何が起こったのか。こんな問いかけから初めてみよう。
最初に刊行された賢治の全集、文圃堂道第三巻「童話」篇の広告には . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
どうも、「雨ニモマケズ」に関しては、延いては『雨ニモマケズ詩碑』に関しては、何かがおかしい? いまその小骨が私の喉にひっかかっている。
そしてその小骨を取り除いてくれそうな本、『宮沢賢治を創った男たち』(米 . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
先に、〝 「宮澤賢治君詩碑建設趣意書」〟なるものを報告した。が、この意見書に関しての論稿等を私は他に見たことがないということは、もしかするとこの趣意書は世に出回らなかったのだろうかと、つい不安になってしまった . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
前回私は、
【「宮澤賢治君詩碑建設趣意書」(昭和11年9月)】
というものがあり、そこには、
碑面には
……世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない……
……個性の異なる幾億の天才も . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
前回、〝 『雨ニモマケズ詩碑』は「雨ニモマケズ」ではない〟と、私はつい口走ってしまったが、それどころか、あの碑には、
……世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない……
……個性の異なる幾 . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、ここまで〝一から出直す〟シリーズに取り組んできて、今頃になって突如訝しくなったのが、『雨ニモマケズ詩碑』は「雨ニモマケズ」ではないじゃないか、ということだ。なぜならば、昭和11年11月21日に建立された . . . 本文を読む