みちのくの山野草

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認知的脱抑制

2018-01-06 09:00:00 | 賢治に関する不思議
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号)
 さて、前回「認知的脱抑制」という如何にも難しそうな用語が出てきたのだが、同論文は次のように定義していた。 
 認知的脱抑制とは、目前の目標や自らの生存とは直接関係しない情報を無視することができない状態を指す。
             〈『意識と感覚の脳科学』95p〉
これで大雑把にはわかったが、今一つ私にはよく理解できない。が、続けて次のように説明をしていた、
 私たちの脳には、精神的なフィルターが備わっていて、お蔭で脳では大半の情報処理を意識せずにすんでいる。…(投稿者略)…私たちの脳は、流れ込んでくる情報を処理して解読するために、脳内のファイル保存されているイメージと記憶に絶えずアクセスしてる。だが、認知的フィルターがあるおかげで、このインプットされる情報のほとんどは意識に上がってこない。
             〈同95p〉
 そうか、そういうことなのか。自分では意識していないのだが、この私の脳内にさえもそのような素晴らしいメカニズムが備わっているのか。呑気な私だからそうなのではなくて、そのような機能が人間にはもともと備わっていたのか。さらに、これには個人差があるというのだ(まあ、当たり前と言えば当たり前なの事なのだろうが)。同論文はこのことについて、
 もっとも、フィルターをかける程度には個人差がある。統合失調症型の人と統合失調症患者はいずれも、こうした認知的フィルターの1つで「潜在抑制」と呼ばれるものの機能が低下していることが明らかになっている。…(投稿者略)…
 また、認知的脱抑制は、私たちが「わかった!」とひらめく体験の格にもなっているらしい。ひらめきの瞬間には、認知的フィルターが一時的に弛緩しており、脳の中で棚上げされていた考えが突然前に出てきて意識に上って認識される。
             〈同95p~〉
な~るほど、そういうことか。私自身も振り返ってみれば、そんな経験が少しだけある。「あっ、そっか!」と膝を打った時はそんな感じだった。

 しかしながら、この認知的脱抑制を活用できるかどうかは別の高度な認知的能力の有無による、と著者の S.カーソンは続けていた。

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 電話 0198-24-9813    鈴 木  守
です。
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