暫くぶりに下根子桜を訪れてみた。おそらく、龍の玉が沢山輝いているだろうと楽しみにしてである。
《1 》(2021年12月25日撮影)
《2 》(2021年12月25日撮影)
《3 》(2021年12月25日撮影)
《4 》(2021年12月25日撮影)
《5 》(2021年12月25日撮影)
ところで、佐藤司氏の『今日の賢治先生』(永代印刷出版部)を見ていると気づくことの一つが、羅 . . . 本文を読む
〈 国定教科書『中等国語一 ⑴』(吉田矩彦氏所蔵)〉****************************************************************************************************************************** 遥か以前の〝1210 一日に玄米三合〟で既に報告したものだが、その際 . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) さて、前回の懸案事項
ならばということで、 ネットで探してみたところ「認知的脱抑制」について言及していると思われる本『解離性障害』(柴山雅俊著、ちくま新書)が見つかったので、注文した。というわけで、この投稿のつづきは注文したこの本が届いてからの予定です。についてである。
まず、結論から先に言ってしまえば、私が思っていたよう . . . 本文を読む
別冊『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) さて、前回の〝共有脆弱性モデル〟をもって、S.カーソン(ハーバード大学)の論文〝「天才と変人」 解き放された知性〟についての投稿は終わった。
ところが、雑誌『意識と感覚の脳科学』には、次にD.K.シモントン(カリフォルニア大学)の論文〝創造性の起原〟が載っていて、その論文もまた S.カーソンの研究について言及していたので、 . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) 同論文の、「弱まった脳のフィルター」の項では、 S.カーソンが ピーターソン(トロント大)と一緒に行った研究によれば、
想像力が豊かな人はそれ程でない人に比べて認知的脱抑制を示しやすいことがわかった。 〈『意識と感覚の脳科学』96p〉
という。そのことは脳画像や脳波測定の実験(メ . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) さて、前回「認知的脱抑制」という如何にも難しそうな用語が出てきたのだが、同論文は次のように定義していた。
認知的脱抑制とは、目前の目標や自らの生存とは直接関係しない情報を無視することができない状態を指す。 〈『意識と感覚の脳科学』95p〉
これで大雑把にはわかったが、今一つ私にはよく理解できない。が、 . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) そもそもの、本シリーズ『共有脆弱性と認知的脱抑制』を投稿しようと私が思い立った切っ掛けは、鈴木友氏が管理する〝サイエンスライター鈴木友のブログ〟所収の、「天才って何が違うの?」という投稿だった。そしてそこには、その際も引例したように、
研究者達は、天才が統合失調症にかかり易いことに着目し、エキセントリックな行動について説明をし . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) では、いよいよ S.カーソン(ハーバード大学)の〝「天才と変人」 解き放された知性〟というタイトルの論文についてだ。
このタイトルの直ぐ下には、
創造性にあふれた人物は
たの人たちとくらべてしばしば風変わりに見えることがある
その理由がわかってきたという説明がある。そうか、今まではその理由がわかっていなかったのか。それが . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) さて、論文
「天才と変人」 解き放された知性 S.カーソン(ハーバード大学)
そのものについて言及する前に、この論文は上掲の雑誌『意識と感覚の脳科学』の中の第五章「天才脳の秘密」に所収されていたので、まずはこの「天才脳の秘密」の序で述べていることを以下に一部紹介したい。
そこには、
創造性の源泉について長く研究してき . . . 本文を読む
『意識と感覚の脳科学』(日経サイエンス社、2014年10月22日号) 以前、鈴木友氏が管理する〝サイエンスライター鈴木友のブログ〟を拝見していて、「天才って何が違うの?」という投稿に私は興味を覚えた。それは、そこに
研究者達は、天才が統合失調症にかかり易いことに着目し、エキセントリックな行動について説明をしようとしています。その理由を示す論文がこちらです。とあり、天才がエキセントリックな行動をす . . . 本文を読む
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影) おわりに
さてここまで賢治に関連する七つの不思議について私見を展開してきたが、その他にも賢治に関連する不思議はもちろんある。しかしこれ以上はここではもう論じない。というのは私としては、ここまでのことで皆さんに訴えたいことはそれなりに訴えることができたと思っているからである。
さて、賢治が歿してからもう80年以上も過ぎてしまったし、今や賢治の多くの作品 . . . 本文を読む
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影) 仮説を裏付けている賢治自身
さてここまで検証してみた限りでは、次の仮説
昭和3年8月に賢治が実家に戻った最大の理由は体調が悪かったからということよりは、「陸軍大演習」を前にして行われていた特高等によるすさまじい弾圧「アカ狩り」に対処するためだったのであり、賢治は重病であるということにして実家にて謹慎していた。……☆を裏付けてくれるものは少なからず見つ . . . 本文を読む
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影) 論じてこられなかった理由と意味
§1 当時のソ連における賢治評
ここで少し日本を離れて、第二次世界大戦直後、宮澤賢治はソ連ではどのように見られていたのだろうかということについて少しだけ触れておきたい。そのことを高杉一郎のシベリア俘虜記『極光のかげに』(岩波文庫)が教えてくれるからだ。
まずはこの著者高杉なる人物についてだが、同書の「あとがき」によれば、 . . . 本文を読む
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影) 書き残していなかったという事実
さて、前回私は最後の方で次のように述べた。
賢治は特高から、「陸軍大演習」が終わるまでは自宅に戻って謹慎をしているように命じられ、それに従って実家で謹慎していた。とすれば、全てのことが皆すんなりと説明がつく。
それは、
もしこの時期に賢治が病気になって「下根子桜」から撤退して実家に戻って重篤故に病臥していたという . . . 本文を読む
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影) 「自宅謹慎」
さて、先に私は仮説〝☆〟、
昭和3年8月に賢治が実家に戻った最大の理由は体調が悪かったからということよりは、「陸軍大演習」を前にして行われていた特高等によるすさまじい弾圧「アカ狩り」に対処するためだったのであり、賢治は重病であるということにして実家にて謹慎していた。……☆を定立したわけだが、今のところこの反例は見つかっていないし、 . . . 本文を読む