《創られた賢治から愛すべき賢治に》書簡〔240〕を書いた日は7月6日
さて、書簡〔240〕に関しては
〔240〕 伊藤七雄あて書簡下書
…こちらは一昨日までは雨でした。昨日今日は実に河谷いっぱいの和風、…とあり、
〔240〕 伊藤七雄あて書簡下書(二)
…一昨日まではひどい雨でしたが昨日からすっかり天気になりました。河谷いっぱいの和風です。…
とある。
一方 . . . 本文を読む
では、今回は本シリーズ〝焼石岳(6/24)〟の最終回である。
具体的には
東焼石岳分岐~焼石神社分岐
までの報告である。
《1 東焼石岳分岐》(平成25年6月24日撮影)
《2 焼石岳とハクサンイチゲ》(平成25年6月24日撮影)
《3 池塘の周りに見えるのは》(平成25年6月24日撮影)
《4 ワタスゲ》(平成25年6月24日撮影)
《5 焼石岳とコバイケイソウ》(平成25年6 . . . 本文を読む
さて、今回は「姥石平」一帯のハクサンイチゲを散歩気分で鑑賞しながら辿った際の報告である。
分岐から東焼石への道を足も軽やかに進む。道の両脇にはハクサンイチゲの花が拡がる。ただし、花の最盛期はやや過ぎてしまっている。
《1 ハクサンイチゲ》(平成25年6月24日撮影)
《2 》(平成25年6月24日撮影)
《3 》(平成25年6月24日撮影)
《4 》(平成25年6月24日撮影)
《 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》何時詠んだのか「澱った光の澱の底」
以前〝帰花直後の賢治〟におい一度触れたことだが、賢治は「澱った光の澱の底」というタイトルの詩を昭和3年6月下旬に詠んだ、と「新校本年譜」は推定しているようだ。
一般には6月24日に賢治は帰花したと言われているようだから、帰花した途端に「大島行」を含めた約3週間程の不在を悔いて、即
さああしたからわたくしは
あの . . . 本文を読む
では今回は
頂上~泉水沼~姥石平分岐
の報告をする。
頂上を後にして裸地の坂を下るのだが、道の両脇には
《1 ミヤマシオガマがまず目立つ》(平成25年6月24日撮影)
《2 ハナヒリノキの中にも》(平成25年6月24日撮影)
《3 ホソバイワベンケイの中にも》(平成25年6月24日撮影)
《4 ミヤマダイコンソウ》(平成25年6月24日撮影)
《5 黄色い点は皆キバナノコマノツ . . . 本文を読む
では今回は
焼石神社~焼石岳頂上
までの報告をする。
最初は累々と重なる岩の上を慎重に進む。
《1 コケモモ》(平成25年6月24日撮影)
《2 ウスノキ》(平成25年6月24日撮影)
《3 ハクサンシャクナゲ》(平成25年6月24日撮影)
《4 サラサドウダン》(平成25年6月24日撮影)
その他にも、ミネカエデ、ガクウラジロヨウラクなども咲いている。
道はやがて緩やかとなり . . . 本文を読む
もしかすると〝大発見〟?
《1 ミヤマオダマキ》(平成25年6月24日撮影)
《2 》(平成25年6月24日撮影)
《3 》(平成25年6月24日撮影)
このタイプのオダマキは以前にも焼石岳の同じ場所で見ているのだが、今回の山行でもまた確認できた。以前の場合はたった一輪一株だけであったが、上掲写真でおわかりのように今回の場合には複数株がそこにあった。一方及川慶志氏の『花はしご』にもそ . . . 本文を読む
では今回は
焼石沼~九合目焼石神社
までの報告をする。
焼石沼を後にして、先程の
《1 焼石岳への分岐点》(平成25年6月24日撮影)
に戻り、九合目を目指す。その道沿いから見た
《2 焼石沼》(平成25年6月24日撮影)
しばし平坦な道が続くが、途中浅い沢にぶつかり道がわかりにくくなる。
《3 キクザキイチゲ》(平成25年6月24日撮影)
《4 アキタブキ》(平成25年6 . . . 本文を読む
では今回は
七合目「柳瀞」~八合目「焼石沼」
までの報告をする。
「柳瀞」を後にして相変わらず平坦な道を進む。ミツバオウレン、ミヤマカタバミ、ツクバネソウ、ツバメオモト等を横目に
《1 ところどころ残雪》(平成25年6月24日撮影)
などを踏みながら軽快に歩む。
《2 ミヤマキンバイ》(平成25年6月24日撮影)
《3 ミヤマキンポウゲ》(平成25年6月24日撮影)
《4 オオ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》他の手立て
となれば、他の手立てはなかろうかと思いめぐらしてみた結果、その他に私がこのことに関して試みることが出来たこと等は以下のとおりである。
(1) 柳原一郎の生家を訪ねてみればわかるのではなかろうかと思って、探してみたこと。 なぜならば、先の菊地信一の回想記の中に
柳原町長の盡力でポスターは貼られ
とあったからである。この柳原という人は当時石鳥谷の好 . . . 本文を読む
では今回は
六合目「与治兵衛」~七合目「柳瀞」
までの報告をする。
《1 まだ瑞々しいエンレイソウ》(平成25年6月24日撮影)
があったり、ミヤマカタバミ、ミヤマスミレ、ヒメカンスゲも多い。
また
《2 この沢を渉る》(平成25年6月24日撮影)
ことになるのだが、この沢は特に慎重に。
そしてしばらくは沢を左手に見ながら進む。岸辺にはムラサキヤシオが咲いていたりする。
《3 . . . 本文を読む
カタクリも堪能したのでそこを後にし、今回はそこから六合目「与治兵衛」までの報告をする。
《1 ヒロハユキザサ》(平成25年6月24日撮影)
そばではトチバニンジンが蕾を付けている。
《3 ヒメタケシマラン》(平成25年6月24日撮影)
《4 ブナ》(平成25年6月24日撮影)
《5 ショウジョウバカマ》(平成25年6月24日撮影)
《6 クロボシソウ》(平成25年6月24日撮影)
. . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》菊地信一の生家を訪ねる
さて菊地信一の日記があるらしいので、その生家「東田屋(ひがしたや)」を訪ねてみようと思い立ったのであるが、その生家がどこなのかが直ぐにはわからなかった。
そこで、石鳥谷の好地に住んでいる、それも姓が菊池である友人に『信一の生家を知ってませんか』と訊ねたところ、『わからないが調べてみるから』ということで期待して待っていた。
すると、『実 . . . 本文を読む
では6月24日に登った焼石岳(東成瀬コース)の詳報を開始する。
第一回目は
東成瀬三合目登山口~釈迦ざんげ
までの報告である。
到着が早かったせいか、東成瀬三合目登山口の駐車場にはまだクルマは三台しかない。
登り口からまず目立ったのが
《1 マイヅルソウ》(平成25年6月24日撮影)
今花盛りである。また、
《2 ツクバネソウ》(平成25年6月24日撮影)
も道沿いに結構見ら . . . 本文を読む
昨日(6月24日)登った焼石岳の速報である。
《1 東成瀬コース登山口からの鳥海山》(平成25年6月24日撮影)
《2 焼石沼付近は雪が解けたばかりで殆ど生成り色》(平成25年6月24日撮影)
《3 このあたり黄色の花多し》(平成25年6月24日撮影)
ミヤマキンバイ、ミヤマキンポウゲ、オオバキスミレ、キバナノコマノツメ、ツルキツネノボタンそしてシナノキンバイなどであった。
《4 ハク . . . 本文を読む