《創られた賢治から愛すべき賢治に》
平成26年9月28日、花巻在住の96歳の女性にお目にかかれた。96歳ということであれば、大正7年生まれということになる。つまり、宮澤賢治が22歳の時にお生まれになった方だ。
そこで、『賢治を直接見たことがございますか』とお訊ねしたところ、『それはございません』というご返事だった。
次に、『賢治にまつわるは聞かれておられますか』とお訊ねしたところ『存じ上げま . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 以前“「聖女のさましてちかづけるもの」は伊藤ちゑ”において、私は
(×):ちなみに、当時ちゑは東京市長永田秀次郎の秘書をしていたこともある(ちゑの甥の証言、平成25年12月11日)ということだが、この永田は俳号が青嵐という俳人でもあり、短歌も詠むちゑにとってはおそらくうってつけの環境と仕事であり、まさにちゑは東京の中心で颯爽と翔んでいたかもしれない。と記述した . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》思考実験
以前“思考実験”で一つの可能性を述べた。
それは、昭和6年の賢女の上京は〈三回目の「家出」〉という見方が可能だということである。
もう少し具体的に言えば、
(1) 昭和6年頃になると賢治は「禁欲は、けつきよく何にもなりませんでしたよ、その大きな反動がきて病氣になつたのです」と覚ったことから独身主義と決別。
(2) 一方、「東北砕石工場技師」の . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 先頃、“賢治は水沢にちゑを訪ねている?”において、
伊藤チヱの姪の伊藤ツルさんによると、賢治はチヱとの見合いにも普段の作業衣で水沢の伊藤家へ来たという。
という証言に関して触れたが、平成26年9月25日伊藤ちゑの生家を訪れた私は、同当主から
見合いのためだったとは思えぬが、当家に賢治は2~3回は訪れていたはずだ。
ということを . . . 本文を読む
9月23日に訪れた高松観音入口付近にも何とあったぞ
《1 カワミドリ》(平成26年9月23日撮影)
それから、案外あるようでないものもそこにはあった
《2 ママコノシリヌグイ》(平成26年9月23日撮影)
《3 〃 》(平成26年9月23日撮影)
《4 イヌタデ》(平成26年9月23日撮影)
《5 ハナタデ》(平成26年9月23日撮影)
《6 ミゾソバ》(平成26年9月23日撮影) . . . 本文を読む
9月23日に訪れた胡四王山の残りの報告である。
《1 サクラタデ》(平成26年9月23日撮影)
《2 イヌタデ》(平成26年9月23日撮影)
《3 アキノウナギツカミ》(平成26年9月23日撮影)
《4 オオケタデ》(平成26年9月23日撮影)
《5 オオイヌタデ》(平成26年9月23日撮影)
《6 ミゾソバ》(平成26年9月23日撮影)
《7 イシミカワ》(平成26年9月23日撮 . . . 本文を読む
高松観音入口付近に今咲いている山野草等の報告である。
《1 高松観音入口の案内板》(平成26年9月23日撮影)
《2 ノハラアザミ》(平成26年9月23日撮影)
《3 タカアザミ》(平成26年9月23日撮影)
《4 〃 》(平成26年9月23日撮影)
《5 ダキバヒメアザミ》(平成26年9月23日撮影)
《6 アキノノゲシ》(平成26年9月23日撮影)
《7 アメリカセンダングサ . . . 本文を読む
今年もかつて咲いていた場所にコシオガマは見られなくなったが、嬉しいことに他の場所に
《1 コシオガマ発見》(平成26年9月23日撮影)
《2 これがあの有名な賢治も食べたであろうキクイモ》(平成26年9月23日撮影)
《3 〃 》(平成26年9月23日撮影)
《4 〃 》(平成26年9月23日撮影)
《5 ユウガギク》(平成26年9月23日撮影)
《6 ノコンギク》(平成26年9月2 . . . 本文を読む
以前センウズモドキとオクトリカブトについて少し比べてみたわけだが、肝心の胡四王山の「センウズモドキ」には雌しべに毛がないのではなかろうかと思われたので、改めて調べてみようと思った。その結果は以下のとおり。
胡四王山の「センウズモドキ」(平成26年9月23日撮影)
◇花柄
◇雌しべ→こちらの雌しべには毛がある。
◇雄しべ
◇花弁
したがって、胡四王山の「センウズモドキ」の雌しべには毛が . . . 本文を読む
この9月16日に訪れた種山ヶ原からの帰途の報告である。
今回の帰途のルートは
道の駅「種山ヶ原」→国道397号線→県道8号線(盛街道)→木細工小→人首→県道27号線→県道27号線横断→県道178号線→県道284号線→県道283号線→県道286号線→自宅(花巻)というものであった。
今回初めて気付いたのが次の大小2枚の案内板である。
国道397号線を右折して県道8号線(盛街道)に入って約1 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 先に引用した『宮沢賢治の手紙』の中で、その著者米田は次のように言い切っていた。
森は賢治歿後チヱを訪ね、いやがるチヱに貴女は賢治の思われ人だったと告げ、「三原三部」にその証拠があるという。しかしそれはそうとも否ともいえる詩の断片に過ぎない。
と。そして、その断片については
「南の海の/南の海の/はげしい熱気とけむりのなかから/ひら . . . 本文を読む
では、9月16に訪れた種山ヶ原の最終回、物見山の後半の報告である。
《1 ヤマハギ》(平成26年9月16日撮影)
《2 ハナヒリノキ》(平成26年9月16日撮影)
《3 ホツツジ》(平成26年9月16日撮影)
《4 カセンソウ》(平成26年9月16日撮影)
《5 ノダケ》(平成26年9月16日撮影)
《6 〃 》(平成26年9月16日撮影)
《7 ツリガネニンジン》(平成26年9 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 何と、賢治は水沢に伊藤ちゑを訪ねていたかも知れないということをこの度知った。というのは、たまたま米田利昭氏の本を読んでいたならば、
伊藤チヱの姪の伊藤ツルさんによると、賢治はチヱとの見合いにも普段の作業衣で水沢の伊藤家へ来たという。
ということが述べてあったからだ。しかし、賢治が水沢のちゑの家を、しかも「見合いのために」訪れていたなど . . . 本文を読む
それでは今回は物見山の前半である。
《1 ミソハギ》(平成26年9月16日撮影)
《2 〃(萼片の間の付属体が開出)》(平成26年9月16日撮影)
《3 アカバナ》(平成26年9月16日撮影)
《4 ヤマノコギリソウ》(平成26年9月16日撮影)
《5 アカツメクサ》(平成26年9月16日撮影)
《6 シロツメクサ》(平成26年9月16日撮影)
《7 メマツヨイグサ》(平成26年9 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》「STAP細胞」と「悪女伝説」の似た構図
さて、「STAP細胞は二百回以上作製に成功している」ということだったからその後の二百何回目かも既に何度か成功しているはずだと思うが、最近不思議なことに『STAP細胞』関連のニュース報道はほぼ皆無になってしまった。私からすれば、これはどうやら全く誰も殆ど責任をとることなく「コト」をうやむやななままに葬り去ろうとしている意図 . . . 本文を読む