〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 そうなんだよな、和田氏は本当にあれこれとよく調べていると僕も思う。
ならば、『続・宮沢賢治のヒドリ――なぜ賢治は涙を流したのか』(和田文雄著、コールサック社、2015年)を出版したということは、『続』とタイトルに冠していることから、先の『宮沢賢治のヒドリー本当の百姓になる』(和田文雄著、コールサック社、200 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
荒木 そこでまず吉田に訊きたいのだが、『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』の中で、Yさんはこの論文「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」に対して、どんな評価していたんだっけ?
吉田 Y氏は、同論文は、
なぜ高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったのか。あるいは、知ったうえで、承知のうえで書いたのかと . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 残念ながら、先に引いたようにY氏は「一切不明なんですね。わかっていないんです」と言うだけで、広中アナの「みんな習ったじゃん。文献をちゃんと一次資料まであたろうよ」という戒めとは逆方向に進んでいる。それは、Y氏はこう続けているからだ。
そこで和田さんは、当時の光太郎がどういう心境だったか、なぜ花巻に疎開してきた . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 さて、Y氏はこうも言っている。
(「ヒデリ」と書き変えた)犯人は誰かって問題になるわけですよ。…(投稿者略)…
どうしても、高村光太郎の責任ということになる。ところが、そのことを清六さんがそばで見ているわけです。その状況自体はわかっていたと私なんかには思えるんですけどね。それでも、高村光太郎が結局のところ、 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
鈴木 しかも、次が『宮澤賢治君詩碑建設趣意書』
の現物の写真であり、いわゆる「賢治詩碑」の建設の趣意書の日付が昭和11年9月となっていることや、
碑面には
……世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない……
……個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる……
……まづもろともにかがやく宇宙 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 では荒木、Y氏が「さらに深い掘削」をしたと言うところの論文「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」のここを今度は見てくれ。
〈『続・宮沢賢治のヒドリ――なぜ賢治は涙を流したのか』(和田文雄著、コールサック社、2015年12月)214p〉
とある。
荒木 ということは、「雨ニモマケズ」が初め . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
荒木 ところで、どうしてYさんはこうも、
高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったと一方的に決めつけるんだべ。
吉田 そうなんだよ。Y氏はこの本でこうも言ってるからな。
賢治が昭和八年九月に亡くなり、それで開かれた新宿のモナミ会合が昭和九(一九三四)年二月一六日。そのあとになって、光太郎の墨書、碑を作るため . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
鈴木 たしかに、Y氏は2010年出版の『デクノボー宮澤賢治の叫び』において、
とにかく光太郎はヒデリと直したわけでしょう。ヒドリの言葉を削ってね。結局、光太郎がやったことですね。 〈『デクノボー宮澤賢治の叫び』(山折哲雄×吉田司著、朝日新聞出版、2010年8月30日) 232p〉
と言ってい . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 さらにY氏は、
和田さんの『宮沢賢治のヒドリ―本当の百姓になる』二〇〇八年ですね。…(投稿者略)…
そして、その観点からこの問題についてさらに深い掘削を、和田さんは最近まで続けてこられています。そのなかで私が非常に感心した論文が二〇一二年『詩界』誌に出た詩人論「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
鈴木 だからこそ和田氏はそのような標準語「ヒドリ」がないということを覚って、『宮沢賢治のヒドリ――本当の百姓になる』の19p~において、「1 ヒドリは方言ではない」という項をわざわざ立てて論じ、それは、
南部藩では公用語として使われていた。
〈『宮沢賢治のヒドリ――本当の百姓になる』( . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
荒木 そして鳥の眼になれば、この「ヒドリ」も当然標準語のはずだということが容易にわかるのにな。
しかもそれに引き続いて、それに当て嵌まるような標準語の「ヒドリ」が存在しない、ということに俺でさえも気付くのだから、殆どの人はなおさら気付くだろうに。
鈴木 あれれ、荒木謙虚だな。でも、殆どの人はそう判断するだろう。
. . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 では、『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』の話に戻ろう。Y氏は同書の最初に、
「ヒドリ」と「ヒデリ」の問題には方言が関わっています。賢治が詩の中になぜ方言を取り入れたのかという視点で方言を含む言葉の問題をみますと…… 〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 それはさ、こういうことだ。
実は、あるブログにおける、「教養はいっぺん、スクラップ&ビルドするべき」という項の中でY氏はこんなことを言っていたんだ。
東日本大震災が起きた後、大阪で大学の学長が集まるセミナーがありました。そのときに私はこう言った。
地震学という学問は震災を予測できなかった。どうも学問には予測 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
鈴木 そこでその前に確認しておきたいことが次の事柄だ。
例えば、Y氏は『デクノボー 宮沢賢治の叫び』の230pで、
南部藩の公用語として、手間労働を「日用取」と書いて、ヒドリと呼んでいたという。と述べている。あるいは、『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』の36pでは、
「日取り」というのは方言だけれども、南部 . . . 本文を読む
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
吉田 そう言われても仕方が無いと思う。
荒木 ところで、さっきの入沢康夫さんの「このなにやら詐術めく引用」とは、何んのこっちゃ?
鈴木 それはさ、故入沢康夫氏は『賢治研究 121号』において、次のようなことを論考「「ヒドリ」「ヒデリ」問題のその後」の中で述べているんだ。
(一)「ヒデリに飢饉(けがち)なし」という俚 . . . 本文を読む