《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》
そもそも、現「賢治年譜」には、常識的に考えておかしいことが少なからず記載されているということに研究者等が気付かぬはずがない。しかし、それらが訂正されそうな気配は相変わらずない。ということは、それぞれ諸般の事情があるからなのであろう。が、門外漢で非専門家の私は何も失うものはない。そこへもってきて、先に . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、この度、「宮澤賢治追悼」における黄瀛の「南京より」に関連して調べているうちに、「義農松田甚次郎先生追悼号」とはかなり違うぞということを改めて認識し直した。
そこ . . . 本文を読む
《1 》(2021年11月28日撮影)
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《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》
それがこの度、その大きな原因が私なりにはっきりした。それは、「倒産(昭和53年)直前の筑摩書房は腐りきっていました」ということがなさしめたのだと領会できたからだ。それも「腐っていた」ではなく、「腐りきっていました」という表現だったからなおさらにだ。言い方を換えれば、このような『校本全集第十四巻』にお . . . 本文を読む
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《ご案内》
来る12月16日付で、新刊 . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
では今回は、やはり『宮澤賢治追悼』所収の、黄瀛の追想「南京より」からである。
そこには、次のようなことなどが書かれている。
一九二九年の春、…… 私だけ電車で花巻ま . . . 本文を読む
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
『一から出直す』の目次【『宮澤賢治追悼』(次郎社、昭和9年1月)】
・「思ひ出」(宮沢清六)
・「石鳥谷肥料相談所の思ひ出」(菊池信一)
・「賢治さんを想ひ出す」(菊池武 . . . 本文を読む
《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》
さて、私は今から三年前に『本統の賢治と本当の露』を出版した。それは、恩師の岩田純蔵教授(賢治の甥)の「賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった」という嘆きに応えようとしたからだ。
具体的には、ここ十数 . . . 本文を読む
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《6 》(2021年11月28日撮影)
《7 》(2021年11月28日撮影)
《8 》(2021年11月28日撮影)
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《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
では今回は、やはり『宮澤賢治追悼』所収の、森惣一の追想「追憶記」からである。
そこには、次のようなことも書かれている。
一九二八年の秋の日、私は村の住居を訪ねた事が . . . 本文を読む
《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》
高橋 それでは、私、露草協会の会長としては四つ目として付け加えてほしいものがある。それは第十四巻の「賢治年譜」中の昭和2年についての、安易な論理に頼った次の記載についての「総括見解」もだ。
秋〔推定〕森佐一(荘已池)「追憶記」によると、「一九二八年の秋の日」、村の住居を訪ね、途中、林の中で、昂 . . . 本文を読む
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《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
では今回は、やはり『宮澤賢治追悼』所収の、菊池武雄の追想「賢治さんを想ひ出す」からである。
そこには、次のようなことなどが述べられている。
私が藤原君の案内で賢治 . . . 本文を読む
《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》
そして、こう続いた。
高橋 結局、昭和52年の『事故のてんまつ』の出版も、『校本全集第十四巻』の出版もともに「腐りきっていた」典型的な事例であったと言えるということだ。
しかし、前者ではそれを厳しく総括したのだが、後者では全くそうではなかったということになる。となれば、遅ればせながら、まずは筑摩は . . . 本文を読む
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