スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

内戦の傷跡 (クロアチアの旅 後編)

2019-10-08 13:52:34 | コラム

今迄はずーっとスロベニア・クロアチアの観光としての旅をアップしてきましたが、

もう一つ忘れてはいけないのが、この地域でつい最近まで

激しい内戦が行われてきたことであります。

その一端をレポしてこの旅の締めくくりとしたいと思います。

ザグレブ市からプリトヴィッツェ湖群へ向かう途中の小さな村に

内戦の激しい傷跡とその当時使用された武器を展示してある場所を通った。

この写真では良くわからないが、戦闘機、戦車、装甲車、

大砲などが生々しく展示してある。

当初この地に立ち寄る予定であったが、

スケジュール時間の関係でスルーしたことが残念だ。

この展示エリアをすぐ過ぎた所には沢山の弾痕の跡が残された廃墟が続き、

その当時の激しい闘いの様子が伝わってくる。

クロアチア紛争は1991年から1995年にかけて、

クロアチアのユーゴスラビアからの分離独立、及び

国内でのクロアチア政府とセルビア系住民による

自治政府の対立をめぐる紛争であった。

わずか約25年前のことである。

トロギールの旧市街、観光客が多勢いて華やかな雰囲気の中で、

ここにはややセピアがかった紛争犠牲者の肖像写真が展示されてあった。

よく見ると若い男性がほとんどで独立運動の為に闘って亡くなった方々なのだろう。

1991年12月6日、この日はキリスト教徒にとっては

特別な日(聖ニコラスの日)にロープウェイのあるスルジ山の反対側から突然

モンテネグロ・セルビア軍が攻撃をしてきた。

スルジ山の山頂には19世紀にナポレオンから贈呈された白い十字架があったが、

この内戦で破壊されたが、その後復興された。

この地にはその戦争博物館などもある。

この十字架の場所の近くには激しい戦闘を物語っている

弾痕の跡が今でも残されている。

ドブロブニク旧市街にあるフランシスコ会修道院の中には

1991年12月6日と記されたミサイル弾が撃ち込まれた跡が保存されている。

壁を貫き、向い側の壁に弾が当たった所がこのまま残されていて

この静寂な修道院でたった28年前に悲惨な光景が

繰り広げられていたとは想像もできない。

旧市街の一角には紛争中に防弾を受けた場所や、

火災、倒壊した建物を写した写真や詳細な地図、

又、114人の犠牲者の肖像写真を展示したギャラリーがある。

それを見ていると言葉を失ってしまう。

内戦とはなんと醜い行為なのだろう。

ドブロブニクで船の観光をしていた終盤、

ガイドさんからあの建物(ホテル)を見てください。

壁に弾痕の跡が沢山見られます。

そのホテルは廃墟となり今でもそのまま売りに出ていると言っていた。

1991年12月6日のこの日にはなんと2000発の爆撃があったとか。

あれから約30年の歳月がたっていてもクロアチア人の心に深い傷が残り、

このことについて多くを語りたがらないそうだ。