スミダマンのほのぼの奮戦記

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大谷観音

2017-09-14 06:27:11 | 旅 ~国内

大谷資料館から15分程歩いた所に、特別史跡重要文化財・

名勝(国指定)の坂東19番札所そして日本最古の

石仏(平安時代)がある大谷寺がある。

大谷観音の縁起は下記の通りだ。その昔、この辺り一帯は

大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、

大谷と呼ばれていた。ここに毒蛇が住んでいて人々は苦しみ、

この地を捨てようとしていた。時に大同、弘仁(810年)の頃

弘法大師が東国巡鍚の折この話を聞き、

里人の憂いを除こうと毒蛇の谷に入ってい行き、十余日の後、

谷から大師が出て来て、毒蛇を退治したと告げ立ち去って行った。

人々が谷の奥に入り様子を見ると、髙い岩山に光り輝く

千手観音が彫ってあった。人々は弘法大師の不思議な力に感謝し、

大師の偉業を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えた。

これが大谷寺の始まりです。

当日は寺の住職が案内をして懇切丁寧に説明をしていただき

仏様の前では2~3回全員で合掌した。神社ではスミ友会会員と一同で

手を合わせることはあるが、お寺で一同とはあまり記憶にない。

今年は利益が何か起りそうな気持ちに成った。

迫力のある大谷石の洞窟の下に祀られている大谷寺の本堂

この中に弘法大師が岩壁に刻んだという平安時代の石仏本尊千手観音が

祀られている。ここにはシルクロードの世界が生きている。

大谷寺本尊千手観音は平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。

古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり

多くの人々から尊崇されて来た。最新の研究では、バーミアン石仏との

共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が

彫刻した、日本のシルクロードと考えられている。 

さすが、公衆トイレも立派な大谷石造りだ。

大谷寺宝物館に展示してある大谷寺洞穴で50年前に出土した人骨。

出土した当時は縄文時代早期の約7000年前のものと

見られていたが、19年前の専門家調査で縄文時代最古の

草創期にあたる約1万1000年前のものだったことが分かった。

ほぼ完全な形で出土した人骨としては、縄文時代で最も古いという。

そのことを報道したその当時の読売新聞の記事。

寺の裏手にある池の中央に弁財天が祀られている。

かの毒蛇が心を入れ替えて白蛇となり、弁財天に今は仕えているとの事。

大谷寺の御止山は自然の大谷石奇岩群と赤松の織り成す

風光明媚な景勝が「陸の松島」と称賛され、国の名勝(平成18年)に指定された。

栃木県では日光華厳の滝に続いて2つ目の指定だ。

この山には大正天皇が度々参詣され、山頂にはお手植えの松がある。

今年5月13日(土)に放送された「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」

でも大谷寺が紹介された。

大谷寺から歩いて2~3分の平和観音の途中に大谷石を採掘、

加工販売、設計施工をしている石材会社があった。店内には

大谷石を使った商品が並んでいる。この会社は協力会役員の石材会社が

取引している会社だそうだ。

最近は大谷石は内装、外装の化粧材として多く使われている。

この石材屋の玄関にもこのような意匠材として使われていた。

私はこの大谷材の内装材に本物の材質感、人の温もりを感じて本当に好きだ。

この石材店から平和観音の間が切通しになっている。鎌倉の切通しとは

違って柔らかい大谷石の採掘の後の切通しはスパッと切った様で

インパクトが強い。ここは一見の価値がある空間だ。

太平洋戦争の戦死戦没者の供養と世界平和を祈って彫刻された平和観音。

高さ27m、昭和23年より当時の大谷観光協会と

地元の熱心な後援のもと、東京芸術大学教授飛田朝次郎氏が

製作を手掛がけ、大谷の石工達が彫刻した。

6年の歳月をかけ、昭和29年に完成した。

大谷資料館周辺には大谷石むき出しの岩肌や垂直に切り立った

岸壁が連なる大谷景観公園があり、国の名勝にも指定されている。

この石の里・大谷エリアは自然と文化が奏でる大谷を楽しむことができる。

大谷ぶらり散策は意外に知られていない、穴場かもしれない。