スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

池田満寿夫美術館

2017-06-09 04:49:10 | 建物

なんと松代に私の大好きな異色の美術家、エロスの作家として

駆け抜けた天才池田満寿夫の芸術館があった。

このことはここを訪れるまで全く知らなかった為、

チョットした驚きであった。当美術館は池田満寿夫が逝去した

翌月の平成9年4月に開館した。

この建物は竹中工務店の設計で「1997中部建築賞」

「H9年度通商産業省選定グッドデザイン賞」

「第10回長野市景観賞」など数々の賞を受賞している。

池田満寿夫は長野市出身の国際的版画家、画家、

彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家

脚本家、映画監督、など多彩な顔をもつマルチ・アーキスト。

1934年(昭和9年)旧満州奉天市に生まれる。終戦後

長野市に引き上げ、高校時代に第1回全日本学生油絵コンクールで

アトリエ賞を受賞。画家、彫刻家をこころざして東京芸大を受験するも

3度とも失敗。上京後は夜の盛り場で似顔絵を描いて生活。

その後画家瑛九(浦和と大いに係わっている)にすすめられ

色彩銅版家を始めた。1966年32才で、棟方志功に次いで

ベネチア、 ビエンナーレ展の国際版画大賞を受賞、

最高の評価を得て、内外ともに注目されてきた。

1977年小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞受賞

1997年3月8日惜しくも63才で急逝した。

屋外にはいくつかの彫刻が展示してあった。これは1991年作の

「宇宙から来たヴィナス」ブロンズ。

これは1992年の作品「天使の門」ブロンズ。

エントランスを入るとすぐそこにミュージアムショップがあった。

池田満寿夫のオリジナル商品の数々が並んでおり、

その中で私の好みに一番近かった「キュービックの女」を

買って来た。帰り際にショップに来た学芸員の女性と

池田満寿夫談義をした時は普段感じることのできない至福の気持ちになった。

ミュージアムから見た中庭の芸術性を感じる空間。

設計にあたっては池田満寿夫本人が細かい所まで監修したの

だろうと思われるディテールが随所にあった。

下部のアールのコンクリート打放しは杉板の板目模様が出ており

上部は人の温もりが感じられるジョリパット(?)仕上げ。

 

1994年作の「佛塔ロマ」のブロンズ

1階展示室。内部は撮影禁止であったがどうしても撮りたい衝動に

負けシャッターを押してしまった。誠にごめんなさい。

版画の技法。原画となる版の形式によって凸版、凹版、平版、孔版に

大きく分かれる。印刷技法、道具、版、紙の関係によって

木版画リノカット、銅版画、リトグラフ、シルクスクリーンがある。

1966年作(?)「女」木版画

これから何点か自分の好みの作品をアップします。

2階展示室。非常ゆっったりして広々とした空間だ。

池田満寿夫の線は神経質な程、繊細で細い。ひっかいた様な線だ。

私はどうしても池田満寿夫の黄色の使い方に惹かれてしまう。

池田満寿夫の作品には絵にグラフィックデザインの様な

文字もどきなものが描かれているものが多い。これが又モダンで素敵だ。

階段を下りてくるとこんな空間を抜ける。このファザードもおしゃれだ。

ここはDVDなど流して研修できるコーナーだろう。

なんとも椅子が洒落ている。数点の作品を見てもわかる様に

池田満寿夫は官能的な作品が多く、独創性を重視し

一つの表現手法に拘らず、変身を繰り返したのが池田だ。

大作「天女乱舞A」 1987年

2500×7700mm合板 カンヴァスに布と紐をコラージュした作品。

製作の直前に畏友の訃報が届き、昇天のイメージが

池田満寿夫の脳裏にわいてきた。

これは相当拘りがあるファザードだ。建築コストがかかる空間だし

一体何を訴えようとしているのか?

池田満寿夫が発見した巨石のオブジェ。巨石の割れ方がオス、メスを

表す形象はまさに池田好みで、ぜひ松代にと強い執着を示したいわくのもの。

池田満寿夫没後20年記念展「僕はどのようにアーティストになったのか」が

2017年3月26日(日)から12月5日(火)まで開催されている。

池田満寿夫ファンの方は必見の価値ありです。

当美術館と同一敷地内に、レストラン竹風堂がある。

実は池田満寿夫美術館は当店が運営しているそうだ。

竹風堂は明治26年に小布施町で創業した老舗で、

昭和47年名物栗おこわを創製している。

信濃路の思い出に残る信州ならではの味として自信をもって

すすめている。店内には松代焼の陶器も展示してあった。