スミダマンのほのぼの奮戦記

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陸奥記念館

2017-02-28 07:25:14 | 建物

周防大島の一番先端の方にあるなぎさパーク内に

陸奥記念館がある。昭和47年に戦艦陸奥の遺物展示施設として

陸奥記念館が出来たが平成6年に現在の場所に移転した。

陸奥記念館の入口に置かれている戦艦陸奥艦首錨及び錨鎖。

主錨は艦首両舷側に同型同量のもの各1挺を装備している。

型式はホールス型無銲錨重さは8382tで太さ79.38㎜。

大正時代より陸奥沈没までの資料、遺品、引き揚げ品などを

展示している。他にもビデオコーナー実体験コーナー、

海兵モデルルーム、学習コーナーなどがある。

戦艦陸奥は1943年(昭和18年)6月8日、午後0時15分頃、

連合艦隊司令部付として周防大島町、伊保田沖、

柱島水道(現在の記念館の沖合3㎞)に警泊中に謎の大爆発を

起こし沈没、総員1471名のうち死者1121名、

生存者はわずか350名にすぎなかった。この写真は

その位置関係が分かり易い模型で表示している。

戦艦陸奥は大正6年、横須賀海軍工廠において建造着手、

大正10年に完成した。当時世界最高と言われた陸奥は

連合艦隊の旗艦、お召し艦として活躍した。真珠湾攻撃、

ミッドウェー作戦 トラック島の作戦にも参画出動した。

館内には海軍の正装服、礼服等種々な服装が展示してあった。

館内の広さは広からず狭からず、ちょうどいい中に

本当に種々な資料が沢山展示してあり、見応えがある。

じっくり見たら3~4時間は必要ではないか。

陸奥館内の水兵さんのベットルームまで再現しているコーナーもあった。

昭和22年に引き揚げが試みられたが、作業は困難を極め、

一旦中止となった。昭和45年遺族や生存者らの20年越しの熱意が実り、

8年間の作業の末、遺骨、遺品、主砲など船体の75%が引き揚げられた。

現在も残りの船体は柱島沖の海底に眠っている。

陸奥記念館は引き揚げにより回収された物品や

全国から寄せられた遺品、資料等の展示、保存に努め

よって乗組員の冥福を祈ると共に、戦争の悲惨さを

後世に伝え、恒久平和を願い建設された。

今は釣り、海水浴、BBQなど楽しめる陸奥キャンプ場に

なっていて、青い海と緑の木々に囲まれてのんびり過ごすことが

できるが、今から約70数年前のこの海では大変な惨事が

起きていたことを忘れてはならない。

陸奥記念館の向かい側には、日本一小さな水族館

カリスマガイドさんによれば世界一小さな「なぎさ水族館」がある。

ここの人気スポットは日本最大級の広さを誇るタッチングプールだ。

見る、触る、そして感じるのがなぎさ水族館だ。