スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

山形文翔館

2016-07-01 05:35:37 | 建物

国指定重要文化財の旧県庁舎および県会議事堂だった文翔館。

現在は山形県の郷土館として一般に無料で解放している。

この建物は大正2年4月に着工、大正5年6月に完成して丁度

創建100周年を迎えている。設計は旨い店シリーズ番外編108にも

掲載した米沢市出身の中條精一郎を顧問に、東京都出身の田原新之助が担当した。

文翔館のシンボルの時計塔。昭和61年から始まった修理工事

(平成7年に完成)では銅板葺きに再現、尖塔の台座も創建当時の姿に戻した。

それにしても塔というのは意匠的にインパクトがあるナー。

中央玄関。天井のシーリングライトは漆喰塗りで当時のまま復元。

ステンドグラスは当時のものをクリーニングした。

中央階段室の階段の木の手摺りとその飾り物はその存在感があり、

訴えるものがある。やはりその時代を感じさせる意匠だ。

各部屋を結ぶ廊下のアールのアーチが空間を優しくさせている。

又、床のリノリウムは、かすかに残された当時のリノリウムと

製法記録によりドイツから取り寄せ復元した。

現在で言えば講堂にあたる正庁。訓示や辞令交付など

重要な会議等に使われた。内装は特に豪華に作られ、

寄木貼りの床板や大理石の飾柱は当時のまま。

貴賓室。暖炉と寄木細工は当時のもの。

漆喰天井やシャンデリア、絨毯、カーテンは復元した。

おそらく、その当時の柄を復元したのだろう花柄のクロスも素晴らしい。

こんな緻密な柄はそうは見られない。

中庭の空間がまた素敵だ。床には石畳を敷き、レンガの建物がぐるりと囲う。

まるでヨーロッパに居る様だ。屋外演奏会や

ギャラリーとして貸し出しているとか。

ここでの演奏会は是非聞いてみたいものだ。

山形が生んだ文化人文学のコーナーがある。斉藤茂吉は明治15年、

山形県上山市で生まれた。歌人、随想家、精神科医として活躍し、

伊藤左千夫門下で、大正から昭和前期にかけてアララギ派の

中心人物だった。昭和28年70才で没した。

茂吉はかなりの食いしん坊で、中でも鰻は大好物 浦和のうなぎも

食べに来たのではとベテランバスガイドが言っていた。

山形県と関係のある文化人高山樗牛、亀井勝一郎(旧制山形高)

藤沢周平そして井上ひさし等のコーナーもあった。

前々のブログのシベールファクトリーパークにもアップした

井上ひさしは昭和9年生。75才で没したが、創作のモットーは

「難しいことをやさしく、易しいことを深く、深いことを面白く」

正に人生の極意を知った言葉だ。文体は軽妙であり言語感覚に鋭い文章を書いた。

会計課、銀行出納係の部屋

ぐるぐる回す計算機、遠くに見える謄写板が懐かしい。

旧県会議事堂の議場ホール。議員席は固定ではなく、

県会で使用されない時には講演会、演奏会等の会場になっていた。

天井はかまぼこ型のヴォールト天井。独立柱が並んでいる。

なんで昔の建物の空間は、こうも味があるのだろう。

文翔館の外壁は花崗岩の石張り、スレート葺き、内装は装飾された

漆喰壁が主体。建物の様式は権威主義を醸す英国ルネッサンス様式だ。

最近旅に出ると気に成るJリーグポスター。J1、J2、J3を

合わせると52チームあり、互々ホームタウンを持っている。

全国大方の都市には、オラが街のチームのポスターが貼ってあることになる。

「モンテェディオ山形」のスポンサーはつや姫、でん六豆、

平田牧場とある意味素晴らしい。中央で腕を組んでいるのが

熊谷高卒元浦和レッズのGK、山岸範宏は今ここに居る。

帰りは山形駅からの新幹線「つばさ」で行きとは違う車両E3系2000番台。

山形駅プラットホームも新幹線らしくない普通のホームだった。