散歩者goo 

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昨日記150613土(府立弥生博物館講演会・伊都国)

2015年06月14日 13時25分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日午後から、府立弥生博物館で開催された,講演会、「伊都国、平原王墓の謎にせまる」に参加した。
講演会場は、横のロビーも含め、超満員であった。
講師は糸島市立伊都国歴史博物館学芸員の岡部裕俊氏だ。
伊都国は、魏志倭人伝に記された邪馬台国への途中にある国であり、考古学的に福岡県糸島市にある弥生時代の遺跡が伊都国であろうとされている。
そこに平原王墓という遺跡があり、そこが伊都国の王墓とされている。
昨年にNHKの歴史秘話ヒストリアでも、伊都国の王が女王卑弥呼と関係があるのではないか、という仮説で、一躍注目を浴びた。
伊都国の文化が、邪馬台国の所在地の候補である纏向遺跡のある大和の文化との類似性が指摘されている。
番組では卑弥呼の生まれ故郷か、卑弥呼の母の地の可能性であるかもしれないという仮説を紹介していた。
平原王墓からは、伊勢神宮に祀られている三種の神器の一つ八咫鏡と同じものではではないかといわれる内行花文鏡も出土している。
弥生時代末の墳墓の中で、平原王墓は副葬品の質と量は群を抜いている。
私は、20代末に10年間務めた環境試験装置のトップメーカーを退職し、その後3年ほど農事用温暖機の会社に就職したが、そこは業績不振の為退職し(結局会社は倒産)、その後アルバイトで東大阪遺跡保護調査会の発掘調査がきっかけで、考古学に興味を持った。
その時謎の邪馬台国が初めて世間に知れ渡り、ブームになっていた。
そうした中、私が読んだ本が、原田大六氏による「邪馬台国論争」で、在野の考古学者であった。
その本では、当時の考古学の大御所であった大学教授の説を徹底的に批判していたため、専門家の間では異端視されていたようだ。
無論一般の考古学者は、考古学の大権威に反論する人はいなかった。
私は、原田氏の説は正しいと思い、それ以降も出版された原田氏の本を何冊か読んだ。
彼は、平原王墓が、初めて偶然工事中に大量の遺物が発見された時から、発掘責任者として発掘作業を指揮した人物でもある。(当時遺跡調査や保護体制は全く整っていなかった。)
彼はそのころから、日本の古墳文化のヒエラルキーを指摘していた。
そして時は移り変わり、今では原田氏の業績は歴史的に評価されるようになり、博物館でも紹介されるようになった。
考古学に興味を持って以来、多くの専門書を読んできたので、原田氏の学説をうのみにしているわけではないが、未だ発掘資料がごく限られている時代に、弥生時代から古墳時代への移行期に関し、出土品の価値を判断し、仮説を立て考古学を刺激してきた功績は非常に大きい。

そんな訳で、様々な意味で、今回の講演会は伊都国歴史博物館の学芸員の方から直接話が聞けるという、私にとって特別興味ある講演会でもあった。
講演会は予想通り非常に興味ある内容だった。
伊都国は、どうやら堺のように交易で国力を付けた可能性があり、港湾の遺跡も出ていて、当時の中国の通貨が多く出ているという。
弥生時代の末期の話で、当然邪馬台国の実態にも関連する話であろう。

帰りにいつものファストフードに寄り、博物館にて実費で入手した6月11日の弥生博木曜講座の分厚いレジュメ「列島最古の弥生農村― 板付遺跡」に目を通した。
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