★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

みなさん、戦争もやってみたじゃありませんか。

2015-08-14 14:02:58 | 思想
田中角栄の昭和47年の演説。

https://www.youtube.com/watch?v=9CRGbLjxkYs


「われわれの生命は短い。しかし、われわれよりも、われわれの子供や孫の時代。日本人の生命はまだ悠久なのであります。みなさん、戦争もやってみたじゃありませんか。そうして大地に叩きつけられて、戦争というものがどんなに辛いものなのかという事を骨の髄まで知った日本人じゃありませんか、みなさん。その日本人が全世界に新しい平和を求めて新しい日本をつくろうとしておるんです。そして、全世界の人類の平和のために貢献をしようとしておるんじゃありませんか、みなさん。戦後の短い間に社会保障の制度だけはヨーロッパ並みになりました。しかし、中身はまだヨーロッパの半分くらいであります。しかし、みなさん、自信を持っていいんです。今までのような状態ではないんです。アメリカよりもイギリスよりもフランスよりも西ドイツよりも貿易収支の黒字国は日本だけだと言われておるではありませんか。日本は国際収支で黒字が多すぎる。貿易で働きすぎるから、こんなに日本が働いておっては日本は国際的にいじめられるという状況になっておるじゃありませんか。ようやく、日本人の汗と涙と努力の結晶がこのような経済的基盤をつくったのであります」


……いろいろな文脈が合わさって主張というのが辛うじて成りたついい例だと思う。怨恨は、その文脈を切り捨てることによって成りたち、過剰な生命力を持つが現実的ではなくなる。「全世界に新しい平和を求めて新しい日本をつくろうとしておるんです。」ここだけでは全く意味がないのである。「みなさん、戦争もやってみたじゃありませんか。」という部分で、わたくしは不覚にもうるっときそうになったが、当時の観衆は、たぶん、「うるっ」とはきていない。それどころではなかったからである。


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