★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

マーラーの「感じ」

2017-02-21 23:01:10 | 音楽


マーラーの音楽を聴いていると、なんというか、聴衆に対する不信感があるのではなかろうかという感じがする。わたくしも音楽を志したことがあるのでなんとなくわかるが、クラシック音楽の聴衆の中には音楽に集中できないひどい連中がものすごくたくさんいる。いったい、何をしに演奏会に来ているのか、意味がわからない。音楽を聴く行為は文学の読書に似て非常に内面的な行為で、ほぼ考える行為に接近しているところがある。しかし、――「感じる」という行為には却って野蛮なものがおおいように、そうではない人も多いだろう。かかる人たちを音楽に縛り付けておくためには、「ここは試験にでるぞ」的な脅しを連発する必要があり、マーラーの音というのは、そういう感じがする。そこまでせんでもいいのにという感じがする。しかし交響曲第9番は、マーラーがリハーサルを重ねて楽譜を直さなかったせいなのか、そこまで聞いていて胸ぐら捕まれる感じがしない。何回聞いても信じがたいほどものすごい曲であるのだが……

とはいえ、よく分からんが、マーラーの楽譜を見ると、演奏の印象よりも何か非常に整然と書かれている(気がする)。

じぶんで演奏したことがある楽器のパートを目で追いながら楽譜を追って行くと、マーラー並に知的になった気がする。