★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

病気の時には、一切のゾルレンが消えてしまふ

2017-02-18 23:27:54 | 文学


何よりも好いことは、病気が一切をあきらめさせてくれることだ。病気の時には、一切のゾルレンが消えてしまふ。「お前は病気だ。肉体の非常危期に際してゐる。何よりも治療が第一。他は考へる必要がなく、また況やする必要がない。」と言ふ、特赦の休日があたへられてる。それの意識が、すべての義務感や焦燥感から、公に自己を解放してくれる。病気であるならば、人は仕事を休んで好いのだ。終日何も為ないでぶらぶらとし、太々しく臥てゐた所で、自分に対してやましくなく、却つて当然のことなのだ。無能であることも、廃人であることも、病気中ならば当然であり、少しも悲哀や恥辱にならない。
 健康の時、私は絶えず退屈してゐる。為すべき仕事を控へて、しかもそれに手がつかないから退屈するのだ。退屈といふものは、人が考へるやうに呑気なものぢやない。反対に絶えず腹立たしく、苛々とし、やけくその鬱陶しい気分のものだ。だから人の言ふやうに、仏蘭西革命は退屈から起つたので、之れがいちばん社会の安寧に危険なものだ。そこで為政者は、人民の退屈感をまぎらすために、絶えず新しい事業を起し、内閣を更迭し、文化をひろめ、或いは種々のスポーツを奨励し、娯楽場や遊郭や公共浴場を設計する。

――萩原朔太郎「病床生活からの一発見」


…歳を重ねてだんだん朔太郎が嫌いになってきた…