青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

至難滅裂でチンプンカンプン

2008年04月27日 | 短歌に政治や社会

先日「裁判員制度」について、「裁判員としての権限を放棄する」と記述した。この事は、もしかすると人としての役割や義務から逃げていると言えるかもしれない。あるいは、避けているとも。
ことに「山口、母子殺害死刑判決」が出されてみると、前向きになっていないと言えるかもしれない。
だが私から見ると、それらはみな、至難滅裂でチンプンカンプンで話の筋や、理屈が通っていなくて良く判らない。
「山口、母子殺害事件」に限らず犯罪を犯すものには、それなりの背景や生い立ちなどの環境が存在する。そしてそれ以上に、社会の状態というものもまた、強い影響をもたらしている。
その大きなものが「自由」、「表現の自由」というものである。言葉や文字、絵画や映像によって表現されるこの表現の自由は、人を殺害する様まで生々しく描写している。
このように表現の自由によって人を殺害する様を生々しく描写することを自由としながら、「山口、母子殺害事件」の犯人の少年は、その行為を自由行為として行ったに過ぎないのに、罪に問われていると言う矛盾がある。
言葉や文字や絵画や映像では人を殺しても罪には問われずに、ただ行っただけで罪に問われると言うおかしさ、正統性のなさ、整合性のなさ、論理性のなさに、だから裁判員としての権限を持てなくなる。
それはまた、今日新しい「教育基本法」を発足させ、「愛国心を育てる」と言っている。だけれども医療現場や介護現場に外国人を入れるそうだし、食糧や資源はおおむね外国に頼ることにしていて、どうやら国内の農林畜産といったことも、外国人を受け入れて任せるつもりなのだろうか。
そして我国の国民は、「愛国心」と言っていて何をしているつもりなのだろう。スポーツや何とかのコンサートに明け暮れていて良い気分でいるつもりなのだろうか。まるで城が敵兵に奪われているのに、宴に講じているように。
しかしーーーーーーー。
こんなことを言う私の方が、至難滅裂でチンプンカンプンになっているのかもしれない。何せ、初老ボケの気があるから・・・・・。


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