青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

相対性理論 (下)

2010年04月28日 | 人生設計
「相対性理論 」はまた、能動性と受動性の融合を説明するものでもある。
それは「能動性」を持ちながら能動的でなく「受動性」を持ち、「受動性」を持ちながら受動的でなく「能動性」を持つことである。
いわば「働きかけ」を持ちながら「受け身」であり、「受け身」でありながら「働きかけ」を持つ。

先日の地元のテレビでは、次のようなニュースが流れた。

2008年にノーベル物理学賞を受賞した、京都産業大学の益川敏英教授が福井市で講演し、学生らを前に科学に対する独自の考え方を披露しました。

□益川敏英教授の話
『益川的な言い方をすれば、科学というのは人類により多くの自由を準備するものである』

講演会は、福井大学工学部の応用物理学科と物理工学科の創立50周年を記念して行われたもので、益川教授は「科学的成果は人に自由を与えるものではなく、準備をするもので、どのように使うかは次の人の問題」などと自論を展開しました。

この講演でこのように述べながら、後は突き放してしまっている。
それは、「多くの自由を準備する」とは言いながら、「目に見えるもの、物言わぬもの」に対してのみ明確な答えを出すものが科学としながら、「目に見えぬもの、物言うもの」に対しては、何等の処置も対応も示されないものが科学であることを告白している。
それは、次のようなことといえる。

科学の発達によって、これまでは赤ちゃんのおむつは布製だったものが紙おむつが多用されることになった。おしっこをしてしまっても、蒸れないようになったからである。
その為に親は、育児の手間が省けるようになった。
いわゆる「手抜き」が、出来るようになった訳である。
これが科学発達によってもたらされた、恩慮である。
その結果が、育児手抜きが頻繁になり、とどのつまりが育児放棄や虐待へと発展していく。
この「育児手抜き、育児放棄、幼児虐待」などの防止のための科学の準備は、科学としては少しも出来ていないことを意味している。
科学しようにも、「目に見えず」、「物言う」がために反発したり盾突いたり暴れたりして、手を焼く。
こうなると、科学は何の役にも立たない。何の解決手段にも、処理も対応も出来ない。

「赤ちゃん」というその心の内の「目に見えないもの、又「物言うもの」をいいことに、科学の発展の恩恵に浸っていて「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」を謳歌している陰で、ついばまれていくものがある。その「ついばまれていく」というものも又「準備」していくのが、科学であるという事を忘れている。

それが、形を変えた「相対性理論」になっている。
今の我々は、「目に見えないもの、物言いうもの」に対して、即ち「欲心、慢心、嫉妬心」などというものを科学していくこにも、心を砕いていく必要がある。それは「信仰心、宗教」でもある。

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