青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

社会関係の希薄化

2010年08月22日 | 短歌に政治や社会
「104歳」母衰弱の記録、長男が手帳に(読売新聞) - goo ニュース

首相なんかも、夏休みともなると別荘で読書三枚で送っていたという。
せっかくの休み、いつもは家族ともゆっくり語らうことがないだろうに、こんな時くらい家族や孫たちとも語りあって水入らずで過ごせばいいものを、「社会全体がこうあるべし」とでもいう風に手前勝手な手本をしている。

これだから他の者も、「やれ外遊」だの、「付き合いゴルフ、パーテー」だのとかで、社会や家族の絆の希薄化、疎遠化をあおっている。


「まつりごと(政)とは、家族関係の絆をしっかりと営み築くことによって、培われてゆくものである」
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救世主無き世

2010年08月22日 | 人生設計
「幼児児童虐待」や「高齢者が行方不明の間に年金だけが引き出される」とか、「本人の意思の確認が無いまま家族の一存で臓器移植される」などとか、「幼児や児童ポルノ」は横行するは、自殺者は増加するは、殺害犯罪事件は多発するはと、世も末の兆候を示し始めている。
それに輪をかけるように、政治体制の政争化が脆弱化を増していくばかりで弱体化している。
これでは「世を救い、世を導き、世を引っ張っていく」ことが出来ようもない。

以前なら、こうした役目や役割を、「老人、年寄り」が人々から尊敬されて担当し担ってきた。
しかしこんにちげんざいにおいては、こうしたろうじん、としよりは除け者にされている。尊敬されたりしない。食事などでも、後回しにされ、お風呂などでも「臭いから、汚いから」と言って後回しにされる。
また何か意見を言おうものなら、「うるさい」と、小さな子供にも煩がられる。

今日の老人、年寄りがこのようになったのは、一つには核家族化にあるようだし、更には老人、年寄り自体が、年を取ったから「楽をしよう」として、老後を「趣味や旅行」などをして楽しく過ごそうなどとしていたことにあると言わなければならない。
こうしたことによって、老人、年寄りは、自分自身の置き所を、自分自身で惨めなところに押し込めてしまっている。それ故に、今の老人は若い者や子供たちに尊敬を受けられなくなっている。
「自縄自縛」にかけてしまったのが、今の老人であり、年寄りなのである。

」そして又、こうした老人、年寄りたちによって「しつけ、教育、育て」を受けた元年代の人たちもまた、自分自身をただ過ごそうとする事ばかりに気にかけていて、では自分自身を含めた世の中をどのようにしてよくしていこうかという事になると、無関心になる。自分がいかに「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」に過ごそうかという事に、忙しいからだ。
この忙しいことから、それが翻って我が身に帰ってくることになり、後で泣くことになる。

今の今日、このように「救世主」はいない。いないし、存在しない。
かっては、優れた「導師」がいられた。宗教家である。
だが現在の宗教家も、たとえば「大川なんとか」と言う人なんかも、「現在の釈尊の降臨」などと言っているが、救世主の道はお金とも選挙とも関係が無い。

現在の今日、救世主はいないが、救世主の種はいつも捲かれている。
その種とは、「貴方であり、私」がそうである。
誰もが知ってのとおり、素晴らしい仕事を成し遂げるには、「姿勢を正し行儀よく」していてこそ、素晴らしい仕事が成し遂げられる。
遊びながら、崩した姿勢で、嫌々と、そんな態度で向かい合うのではなく、仕事だけでなく「行状坐臥」全てにおいて「姿勢よく行儀よく」相対していくならば、自らが世のすべてとの救世主となり花開いていく。

コメント (1)
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