魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

素人考え

2015年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

子供が洗濯機のドラムに入って死亡した。
以前から分かりきっていた問題にも関わらず、中から開けられる仕組みなどの工夫をせず、注意書きだけで済ませてきていた結果だ。
新幹線の焼身自殺も、分かっていた「テロ」の危険があったにもかかわらず、「新幹線安全神話」に浸っていた。

関係者は、じゃあどうすれば良いんだ、と言うだろう。
それこそが、慢心なのだ。自分たちだけで解決できると思い込んでいる。自分たちはプロであると思い込んでいる。
素人は黙っていろと口に出さないだけ、まだマシなのかもしれない。

今や、あらゆる事が混沌の時代に入っている。混沌の答えは混沌に訊くべきなのだ。
幕末、黒船で困ってしまった政権が、日本中に、知恵を求めると、膨大な意見が出てきた。
今は、そんな事をしなくても、意見が飛び交っているし、正式に求めれば、あらゆる知恵が出てくるだろう。
最大の問題は、知恵の有無ではなく、それを受け入れる柔軟性が失われていることだ。

何よりも、その「プロ」の企業が、成功神話の既存方式に囚われ、柔軟な発想が内部から生まれなくなっている。外部の知恵を受け入れる余地など論外だ。
おそらく、口だけは、柔軟にとか、外部のエネルギーを取り入れて柔軟な発想をとか、さんざん言っているのだろうが、出来ない者ほど口が進む。

様々な問題の解決は、難しい方程式で解かれるのではない。素人の素朴な直感だ。
誰が考えても分かるような事を、「優秀な人々」は、否定する事だけに優秀だ。

日本の電化製品は、床の間に飾っておきたいぐらい、珍しく美しいが、パンツ一枚洗うには、畏れ多くて使えない。
近頃、二槽式の洗濯機が、見直されている。洗っている間に脱水したい。脱水だけしたいと言った現実的な欲求より、技術の粋を極めた「鎌倉の先生」のような洗濯機ばかりだ。

そんな、宇宙に飛んでいきそうな洗濯機だから、ドラムに入り込んだら、密閉で窒息する。
ドアが勝手に閉まっても、内から押せば簡単に開き、外からでなければロックできないようにすれば良いだけの話だ。(中に子供がいるのにロックしたら殺人だ)

新幹線の手荷物検査も、どんなに厳重に検査しても、その気があれば、必ず破られる。
利便性との兼ね合いを考えれば、貨物車を加えるなど、運行方式の工夫で、どうにでもなることだ。それに、貨物車があれば、自転車なども乗せる事が出来、また別の利便性も広がる。
企業も役所も、もっと無心になって、広く素人に訊いてはどうだろう。