魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

眼科の日

2022年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

ネットの、「今日は洋子の日」を見かけて、一瞬、どの洋子だろう?オノヨーコは水瓶だし、長山洋子は山羊座だし、記念日なら歴史的人物だろうから、荻野目洋子ではないだろう。少なくとも南田洋子などよりも古い人で、記念日にするような人いたかなあ???
そもそも、なんで記念日なんだろうと、見直したら、洋菓子の日だった
やっぱり、眼科に行こうかなあ


植民地化

2022年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

中国では近頃、国産(中国産)信仰が生まれ始めているらしい。
日本でも70年代頃から徐々に「舶来」信仰が消え始め、今では「日本製」が信頼の印になっている。

しかし、今世紀に入って、テレビを始めとする家電が、徐々に海外産に入れ替わると、携帯もスマホ以後、ほとんど海外ブランドが席巻している。PCなど、もはや壊滅状態で高額なパナソニックの他は、手頃価格のスタートアップ企業ぐらいだ。
高度成長期を支えた世代が消費から退出して行くに伴い、日本ブランドへの信仰と愛着は消え、むしろ、海外ブランドを積極的に評価する傾向さえある。

iPhoneは言うに及ばず、ルンバ(アイロボット)、ダイソン、T-falなど、海外ブランドがトレンドになり、そこに、安物から高級ブランドに居直ろうとする中韓家電も、巧妙な販売戦略で、日本の生活に食い込んでいる。
グローバル経済だから、日本も、アメリカのような消費大国に転じているのかも知れないが、日本にはGAFAのような収入源はない。ブランドの衰退、個人所得の減少と、徐々に植民地時代の「元の木阿弥」に戻りつつあるようだ。

精神の植民地化
日本ブランドの衰退は、製造現場が外国に移り、ノウハウが流出し、大量生産品に付加価値が無くなったことにある。企業が自己改革より安い労働力を求めて海外に出れば、消費者も安さを求める。製造も消費も日本の価値観が無くなると、日本人の商品を見極める力が無くなり、印象だけで買うようになって、昔の、「舶来なら何でも良い」時代に戻ってしまった。
象徴的な例では、
ダイソンの掃除機が持ち込んだ、「紙パックなし」の基準は、日本人の清潔好きに全く反しているが、今や日本企業はそれをマネし、紙パック型の掃除機は極めて少なくなった。
消費者がそれを良しとするからだが、日本人が、外国の価値観に従うようになっている、つまり、精神の植民地化が起こっているのだ。

元々は、日本企業が雑多な規格の紙パックを出し続けたことも起因して、紙パックのない簡単便利が好まれるようになった。消費者に「この方法に従え」の、尊大な態度が長所を短所にしてしまった。ACアダプターもそうだ。
日本企業は、京都流の「どないしたら喜ばれますのやろ」の精神ではなく、「うるせえ!嫌なら買うな」の江戸職人だったのだ。

そうして、日本人さえ日本企業のブランドを避けるようになってしまったが、日本人製造の質の良さは確かに残っているので、「日本産」が信頼のブランドになっている。
また、中国で製造しても、日本プロデュースの良さを残しているのは、案外、大企業の日陰にいた二番手企業で、AIWA、テスコム、ツインバード、MK、オーム・・・、さらに、大企業のリストラ技術者を大量に採用したアイリスなどは、安くて実用的でありながら、日本の「気が利く」精神を大いに発揮している。

T-falの瞬間湯沸かし器が流行った頃、テスコムのTKE200という温度調整付きの湯沸かしを買った。値段はブランド品T-falの半値以下だった。
T-falと比べると、見た目はモッサイが、圧倒的に早く沸き、しかも、注ぎ口が普通の形をしているのでスムーズに注げる。温度調整もできるから適温で沸かせる。
この機種はなくなったが、T-falは今も大々的に売られている。
どうも、日本の衰退は、日本の消費者自身が作り出しているようだ。


暴力大陸

2022年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

韓国政府が日韓首脳会談をすると発表したのに対し、日本政府は何も決まっていないと打ち消す。韓国は状況改善には何も手を付けず、とにかく会えば何とかなると思っているし、事実、過去の日韓関係はそれで何とかなったと言えるのかも知れない。
日本の世論は、理解に苦しんでいる。何の目的で会いたがるのだろうと。

毎度ながら、見ていると実に面白い。
韓国が、日本に限らず、相手を動かそうとする時、とにかく会いたがるのは、外交や商取引を情で考えているからだろう。
「夫婦げんかは犬も食わない、一晩寝れば収まる」の次元だ。
確かに、対価を払わずに何かを得るには、脅しや賺(スカ)しは絶大な効果がある。
取引が成り立つのは、互いが対等で、身の保障があるからで、このバランスが崩れると腕力がものをいう。腕力をチラつかせるのが脅しだ。
逆に、弱者は相手の機嫌を取ったり騙したり、他人の助けを求めたり、泣き落としなど、腕力を一切用いない方法を駆使する。

これは一見、とても平和的な方法だが、やむを得ずやっているだけで、一つ上手く行くと、逆に強者側の行動に入れ替わる。いわゆる、図に乗る状態だ。しかし、強者とは異なり、行けるとこまで行く。
強者は元来、自分の力をコントロールする、アクセルとブレーキを持っているが、力の無い者は、元よりブレーキも無いから、手加減を知らない。
日頃、権力で押さえつけられている庶民が、無秩序な戦場で残虐行為を行うのは、自制心が無いからだ。

韓国が、交渉を情と考えるのは、歴史的に、中国という暴力団に付き合ってきたからで、暴力団の主張は腕力であり、ルールとは腕力を背景とした脅しに過ぎない。
この一方的な要求を回避するには、弱者の平和的方法に頼るしかない。それが、とりあえず会うことだ。会って相手の「情況」を量り、それに応じて機嫌を取って、「寝首をかく」。これが身についている。
対等な者同士の、交渉、妥協、譲り合い、取り決め事(ルールと約束)の遵守という概念が理解できない。もちろん、暴力団にもそんな概念は無い。

日本は、歴史的に暴力団に支配されたことはなく、力の行使もバランスも知らない。
欧米の法治は、歴史的なせめぎ合いの中で生まれたバランス感覚だが、実のところ、日本人が理解するのは難しい。逆に、戦国時代を通して知り尽くしているのかも知れないが、現代日本人には、単なる概念でしかない。

そんな日本人は、欧米式の力のバランスに立った法治主義は、理解しなくても、互いを認め合うことで、とりあえず付き合えるが、相手を認めない大陸式の暴力団世界とは、全く付き合えない。せいぜい、島の縄張りを守りながら、それ以上出入りせず、節季の祝儀事に参加するだけにしておく方が平和を保てる。
大陸の舎弟に35年間手を出したことで、その倍以上の歳月、ねじ込まれている。
日本人は、もうコリた・・・ハズ?


アダプタ

2022年09月18日 | 生活の知恵

<電機メーカー様にお願いの話>
家中に、アダプタ(ACアダプター)がゴロゴロ転がっている。
機器に直接つながっていないものは、一体、何用のアダプタか分からなくなる。
既に本体が壊れてしまって存在しないものも多いが、その時一緒に処分しないと、「本当は大切かも知れない」正体不明のアダプタとして、どこまでも居続けることになる。
これに懲りて、できるだけ、本体の名前ラベルを貼るようにしているが、機器を購入して来ると、たいていはその場で使うことの方が急がれるから、付け忘れ、さらに、差し込んだままだったりすると、当面は必要ないので、そのまま使用を続けてしまうことが多い。
どの機器にも、それぞれ専用のアダプタが付いてくるが、廃棄する時、何か他の機器に役立つんじゃないかと、アダプタだけ廃棄しないこともある。
しかし、どれかが他の機器に使えると言うことはほとんどない。
にもかかわらず
電気機器とアダプタには、それぞれ別の製品名、製品番号が付いている。関係性が分かるケースは意外と少ない。希には、廃棄する機器と使用してない機器のアダプタを間違えて処分することさえある。

電機メーカー様にお願いします
どういう行程で、本体とアダプタがセットされるのかわかりませんが、例え他にも使えるアダプタであっても、売り出す時には、アダプタにも、本体の機器名を書き添えてください。そして本体にもアダプタの型番と詳細を書き添えてください。
そうでなければ、アダプターを幾つかに統一し、それに合わせて機器を開発してください。

国にもお願い
経産省でしょうか、国の方も、この野放し状態のアダプタ、何とかしなければ、目に見えない、相当な経済ロスになっているのではないでしょうか

各位 皆々様 かしこみかしこみまおす


ザックリ

2022年09月14日 | 星の流れに

5月、木星が牡羊座に移って以来、実に目まぐるしい。
天秤座の日本に沢山の客がやってきた。言うまでもなく、客とは人ではなく「事象」。
安倍元首相暗殺、円安、国際対立で大混乱。これには7月5日、牡牛座の天王星に合流した火星も影響している。
しかし、7月末に木星が逆行を始めると、その景色が変わった。
統一教会、経済チャンス、さらに英国女王の死と、予想外の景色が見えてきた。
逆行は太陽に雲がかかり、陰の部分が見え始めるような状態だ。
木星は10月末に再び魚座に戻りながら11月末まで逆行が続く。

木星が去ったことで、祭りの後始末を迫られていた魚座と乙女座が、一息つき、勢いよく走り出した牡羊座、天秤座の気が抜ける。
魚座は薬物、映像、観光。乙女座は、医療、学校、職場。牡羊座は工業、軍事、新天地。天秤座は、芸術、イベント、社交。

日本は天秤座で、英国は牡羊座。細かく言及すれば切りがないが、一言で言えば、大きな出来事が意外な反転。日本の安倍、コロナ7波、円安。英国の新政権誕生。いずれも、話が違う状況になった。
射手座のウクライナには牡羊座はチャンス。水瓶座のロシアには凶の土星が居座っている。
木星魚座のチャンスはサソリ座の韓国。米国で芸能が連続受賞しているのは、天王星牡牛座に、魚座の木星が影響している。

元来、日本の芸術性は、A型の欧州では受けるが、O型のアメリカでは受けない。韓国のお笑いはアメリカでは受ける。韓国、中国はB型。日本はAB型。
兄弟タイプで見ても、欧州は長子か中間児で、一人っ子の日本と波長が合う。長子の中国ともわかり合えるハズ(中国を説得できるのは日本だけなのだが、アメリカに従い過ぎ)。
アメリカは弟妹の寄り集まりの国だから、末っ子の朝鮮半島とは同類。常に騒がしく定見が無い。
星や血液型、兄弟関係でザックリ国際情勢を見てみた。


奇しくも

2022年09月09日 | 占いばなし

プーチンと山上徹也は同じ日干支「丙戌」で、同じく自動車人間のエンジンだ。
山上の行動を見て三碧だと思ったが二黒だった。だが、傾斜は震宮傾斜で三碧的傾向がある。これで三碧と見えたのだろう。プーチンは言うまでもなく三碧だ。
プーチンは公人だが山上は容疑者なので、あまり、あれこれいわないが、
ただ、今この時点での両者の共時性は非常に興味深い。
共時性と言えば、エリザベス女王も安倍元総理も「庚辰」だ。
エリザベス女王と言えば、ジジイさえ物心ついた時から女王で、世界最大のクルーズ船がクイーンメリー号かクイーンエリザベス号か、混乱した記憶と共に脳裏に存在してきた。考えてみれば、最も長く同時代にあった君主であり、昭和天皇より長く、なぜか、そこはかとなく悲しい。


荒野の家

2022年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

原発は止めるべきだが、今は緊急避難として再稼働するしかない。
だからといって、新原発の開発に向かうのは国葬と同じ情緒的単細胞だ。
岸田総理という人は良い人だが、良い人過ぎることが心配だ。ひねったところが無い。100点ばかりを追求する学校の優等生だ。これではリーダーの格ではない。

新原発の研究も良いだろう。廃棄物やリスクの解決ができるなら、大いに結構なことだ。できるなら。
世界情勢を理由に原発を再開発する前に、資源のない日本は、福島以後の10年、新エネルギー利用のためにどれだけの努力をしてきたのだろう。
太陽光や風力など、世界のトレンドをビジネスとして受け入れるばかりで、ポリシーもオリジナリティーも智恵も無い。挙げ句の果ての新原発だ。

昔からオランダは風車を活用し、日本にも至る所に水車があった。干物は大いに食べられ温泉の料理もある。これは科学以前の「智恵」の世界だ。
電力を大型発電や送電など、重工業発想で考えるから、国際情勢に振り回される。
食料もエネルギーも、原点の自給自足の智恵で考えれば、日本は充分にやっていける。
口では地域、地域と言うが、地域を活かし、地域から積み上げていく発想も施策も無い。地方行政も国しか見ていない。国の自給率は先ず地域の自給率からだ。

親が死ねば子供はしっかりする。政治が無力になれば、個人が生き返る。
江戸の日本が生き生きとしていたのは、幕府が地方に負担ばかり掛けていたからだ。明治以降、国が強くなるにつれ地方は衰えていった。敗戦で国が死んだことで一時的に日本全体の活力が沸いたが、経済大国になると再び国民の自活力が無くなり、国は大病で寝たきり状態が続いた。そして、いよいよ断末魔だ。

もう国などアテにできない。エネルギーも食料も、地元で調達できる体制作りを、個人単位、地域単位で考える時が来た。
原発推進派は風力や太陽光発電の不安定ばかり言うが、風や太陽だけが再エネではない。技術は山ほどある。結局、原発の是非は、国主体か地域主体かの問題のようだ。大型産業と癒着した国家単位で考えれば原発であり、個人や地方の自立の発想で考えれば、再エネから始めるしかない。

国など無いとき、荒野に家を建て電気が必要だとしたら、どうするか。
太陽光や風力が不安定ならガソリンの発電機だろうか。ガソリンやガスなど無いのだ。
目の前にあるもので何とかしなければならないことが前提なら、もっと自然に目を向ける。
山ほど有る技術の一つ、小水力発電やマイクロ発電は、まさに村の水車の発想だ。どんな小さな小川でも発電でき、太陽や風より安定している。暗渠となっている川も少なくない。また、水道管も利用できるだろうし、各戸の給水はマイクロ発電機を取り付ける。土地によっては地熱も利用できるかも知れない。バイオマスも良いが、意外と手間がかかる。どんな小さな発電でも、あり合わせの環境をそのまま使い集約し、村単位、町内単位で充電するようにすれば、地域そのものの結束も強まり、地方として強固になる。
企業が、これを産業化して街そのものを創ろうとしているが、地方行政こそが、今ある町の活性化をするのが先だろう。
そして改めて、国はこうした地方自立に資する政策を主軸にすべきだ。新原発は余暇でいい。


ぼやき節

2022年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

以前、そのうち下がるだろうと迷って買わなかったスキャナが、逆に25%ほど高くなってしまった。円安の威力だ。もう生産工場を日本に帰しても良い頃だ。アイホンもひどい値上がりで、中古品が出ないそうだ。

1ドル70円台の頃、日本で見かける海外からの旅行者が嘆いているのが気の毒で、こんな時に日本に来てくれている人には、色々割引すべきだと思ったが、今度は真逆の状態になった。

円高でも、円安でも、メディアは喜んで取り上げる。夏には暑いと言い、冬には寒いと言う。寒い時に、横で「寒い、寒い」と言われればよけい寒くなる。
昔は、寒い時に「寒い、寒い」とは言わなかった。たいていは、「寒い中ですが、○○さんはがんばっています」とか、「炭屋さんは大忙しです!」のように、肯定的な話題とした。
吉永小百合も「♪こころ一つで暖かくなる」と、歌っていた。

愚痴や文句ばかり言う人がいるが、本当に追い込まれている人は、何も言わないか、景気の良いことを言う。ボヤキが聞こえるうちはまだ大丈夫だ。
メディアが文句ばかり言う日本の状況は、まだ、ゆとりがあると考えても良いのかも知れない。それとも、国民がまだゆとりがあると安心しきっているのかも知れない。
「ダイジョウブダぁ!」とか、「がんばろう」などと聞こえだしたら、日本が本当に疲弊しきった時だろう。
「炭屋さんも大忙しです!」の頃は、1ドル360円だった。


原視時代

2022年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

大谷翔平が打席で100マイルのシンカーに驚いた様子のネット記事に、
「写真も動画もない記事なんてよく載せられますね。」とコメントが付いていた。
これには、笑い、驚き、少し慨嘆した。

ネットニュースに視覚情報はつきものだが、ライターは本来、文章のみで伝えることを本文とし、読み手は文章から事態をつかみ取る能力を鍛えていた。お経解釈の問答に始まり、今日の読書会まで、文章解釈の努力を楽しんだ。
しかし、出版の拡大に伴い、情報に馴染みやすくするため、想像に資する図画も加えた。
写真機が登場するまでは、記者にはスケッチ能力が必須で、それができない場合は、画家を雇って取材していた。小説の挿絵も読者を助けるものであり、やはり、百聞は一見にしかずということだろうが、その分だけ想像力は削がれた。

写真の登場は文字の発明以来の大革命で、情報伝達のスピードを一気に加速したが、一方で、視覚データで考える人間の野生を刺激し、「写真は事実」の錯覚と共に、文章で発達した思考力を退化させ始めた。強力な視覚刺激である写真を加えた新聞は投機や戦争を煽り、さらに、ヒトラーは動画を駆使して大衆を破綻に導いた。

ネットの出現以後、世界は視覚情報に埋め尽くされ、そして虚実の境が失われ、人々は自分の頭で考えることをほとんど停止している。
視聴覚に飲み込まれた人々は、視聴覚データが信用できないという視聴覚情報で、思考のアクセルとブレーキを同時に踏まれ、考えることを止めてしまっているのだ。
その結果、自分が接する一番大きな視聴覚刺激に反応するようになり、かえってテレビ情報や、それから始まるネットの流言飛語を妄信し、大きな社会現象を起こす。
それがコロナでありウクライナなのだが、もちろん、そのことに自覚がない。

「写真も動画もない記事なんて」とコメントした人の意識はごく標準だろう。
見たものが真実という視聴覚SNSの、原始脳時代が垣間見える一言に、1世紀前の暗黒時代に通じる、「明るい暗黒時代」を突きつけられ、天を仰いだ。