魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

新型国連

2020年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム
ポンペイオ米国務長官は
歴代米政権は「中国が自由社会や市場経済を悪用して台頭するのを看過した」と批判した。ついに、アメリカの堪忍袋の緒が切れた。

日本で野菜の無人売り場に驚く中国人は、それに感動し、日本を賞賛する。一方、中国共産党政権は、お人好し国際社会を「馬鹿なやつ」とほくそ笑みながら、盗み放題盗んできた。これが、共産党政権と中国人の違いだ。中国共産党の正体は、無防備な日本社会を食い物にする中国の犯罪集団と同じ連中だ。習近平は大江山の酒呑童子だ。
周恩来や鄧小平が苦労して大きくした会社だが、苦労知らずの習近平は放漫経営をしている。
しかし、国際社会にとっては不幸中の幸いだ。野武士が官軍に変わる前に飛び出してきた。今なら十分退治できる。

信頼を裏切られると、悲しみは怒りに変わる。米国の怒りは良く解る。アメリカの果たし状は大統領選のパフォーマンスだと見る向きが多いし、中国もまだ本気で焦っていない。しかし、大きな流れは止められない。
世界は、何としても、中国共産党政権を崩壊させ、民主化させなければならない。でなければポンペイオの宣言通り民主主義は失われ、その中国共産党に最初に隷属させられるのは日本だ。

が、しかし、単純に米国に同調できないのは、日本企業が中国の人質になっているだけではない。米国も常任理事国の一国にすぎないからだ。盲目的について行けば、状況次第で殉死することになる。
少なくとも英仏が米国に同調し、さらにドイツ、インド、ブラジルも加わらなければ、ただの掛け声で終わる。
このことは米国も良く解っているようで、
「志を同じくする国々の新たな集団、民主主義諸国の新たな同盟を構築するときだ」と明言した。とうとう新国際組織の創設を口にし始めたのだ。
奇しくも、グテーレス国連事務総長も「70年以上前に頂点に立った国々が改革を拒んでいる」と、愚痴っている。

長年、常任理事国を望んできた日本の政権にとっては、絶好の機会だが、常任理事国になる必要は無い。特権国の無い組織が生まれれば良いのだ。
特権国のない組織には、地域等のグループで、拒否権を設定しても良いかもしれない。環境が違う以上、地域利害の歯止めは必要だからだ。
日本はオーストラリアのように、表だって同調する必要はないが、新国連?創建には、注力の価値がありそうだ。

反転上昇」、「行く河の


怖い怖い

2020年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム
街頭で感染者数を聞かされた人が、「えっ!鳥肌が立ちました」と言っていた。
第二波の到来だ!と大騒ぎだが、検査が増えれば感染者が増えるのは当たり前だ。感染率も上がっていると、何とか事態の悪化を印象づけようとするが、これも当たり前だ。いかにも感染者がいそうな所から検査すれば、感染者ばかりになる。
そもそも、日本の初期の状況を見れば、とっくに市中感染が広がっていると考えるべきで、現場の医療従事者が危機を訴えるのは当然だとしても、今更、慌てても仕方ないはずなのだが、メディアは、ここぞとばかり騒ぎ立て、人心を翻弄する。

「感染者数が~!」と連呼はするが、死亡率には触れず、「1000人だ!」と、ビビットな事には大声を上げる。
要するに、死者数はそれほど伸びていない。考えようによれば、感染者の死亡率は低下していることになる。もちろん、医療関係者の努力によるものだが、結果的に、当面は医療施設の許容量は伸びている。
大混乱だったイタリアの医師は、「なぜか今では重症化が激減している。ウイルスが変化したのではないか」と言っている。夏だからかも知れないが、ウイルスの低毒化はあり得ることだ。変化による猛毒化ばかり恐れられたが、逆は話題にならなかった。

理性的判断として悲観的な考慮は必要だが、それを理解できる人がどれほどいるだろう。大局観を持たず、五感だけで生きていると、突然の異変を受け入れられず、過剰反応する。アスペルガー症候群などと言わなくても、人類みな発達障害であり、その結果がこのパニックや経済混乱だ。
災害慣れしている日本人は、まだ、冷静な方で、世界の狼狽は、それ自体が重症だ。

情報漬けの現代は、空気のように情報を取り入れ、それに影響されていることに無自覚だ。「それと、これとは違うだろう」と、冷静に見極める前に、「もうだめだ!」と、布団に潜り込み嘆きの歌を歌う。
老人や基礎疾患者の致死率が高いのは当たり前で、熱波や寒波の度に、死者何人!と騒がれるのもこのグループだ。しかし、最も危険にさらされているのは、元気な老人より、神経を使いながら不眠不休で疲労困憊している現場の医療従事者だろう。
抵抗力がなくなれば、どんな変化にも弱いが、若者に影響が少ないことは、相対的に、この病が特別に恐れるものではないことを意味している。決して、ペストではないのだ。

予防習慣と、節度ある生活を心がけることは当然だが、感染拡大を封じ込めることが目的ではない。集団免疫ができるか、治療法が確立するまで、緩慢な拡大に持ち込むことが第一義だったはずだ。感染の波を繰り返し、徐々に拡散していくことは「想定内」であり、完封を前提にすれば、9回裏2アウトで満塁ホームランを打たれてしまう。
この「異変」に慌てふためいて、他の多くの疾病治療が滞ったり、経済を崩壊させたりしたのでは、本末転倒だ。地震や津波、富士山の噴火のほうがよほど怖いのだ。

「あわてな~い、あわてない」 一休さん

目で殺す

2020年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
テレビを点けると、マスクの小池都知事が
「チューしなければいけない・・・」と言っているので、マスク付けてはドラマ撮影ができない話かと思ったら、「注意しなければいけない」と聞き違えたらしい
やっぱり、マスクは言葉が不明瞭になる。

世の中、これだけマスクが当たり前になると、合理性とは関係なく、とにかく付けていなければ外に出られないらしい。
平安時代は烏帽子を被るのが常識だったので、烏帽子のない姿を見られるのは、現代人のパンツが脱げてしまうほど恥ずかしかったようだ。
アマゾンの裸族は文明と出会った後、今ではパンツをはいている。温暖であれば本来、衣服など要らない。ただ、男性の場合はブラブラする物を保護しておかなければ、何かの拍子にちぎれてしまうから、筒などを被せるようになり、世界には、それが進化して背丈より長い鞘に収める種族もいた。
アマゾンの裸族のパンツは強制なのか、オシャレなのか、羞恥心を植え付けられたのか、いずれにしても、文明というものの愚劣を表す出来事だ。

マスクも、習慣化すると、何のためにしているのか忘れてしまう。
感染防止のための手段は目的になり、目的のための手段として、マスクファッションや法律までできる。
コロナが始まって、口紅が売れなくなり、その分、目の周りのコスメの売り上げが伸びたそうだ。目だけに集中して化粧しているせいか、もう、街には美人しかいない。
屋外でもマスクを外さない女性の場合には、そういう事情もありそうだ。

怒りのやり場
日本で、マスクが普及し、欧米で嫌われるのは、言語の補助認識に日本人は目を見るが、欧米人は口を見るからだという説があり、日本人が黒メガネを不気味に思うように、欧米人はマスクを不気味に思うのだそうだ。確かに、「目で殺す」とか、流し目とか、「俺の目を見ろ何にも言うな」とか、目にまつわる言葉が多い。
しかし、面白いことに、江戸時代には、「夜目遠目笠の内」と同じように、「眼病み女に風邪引き男」と言われた。前者はピンボケの魅力だが、後者はなぜだろう。

「眼帯の女とマスクの男」の意味だとすれば、半分隠れている目への想像力が膨らむ、シースルー効果と、男のえげつなさを隠し、目だけが強調される効果がある。当時はマスクをしていなかったとしても、風邪で弱々しい姿が上品に見えたのかも知れない。
日本においては、とにかく目が重要なコミュニケーション・ファクターだ。

世界の多くの人々は、日本人のような、伏し目、流し目、チラ見のように、目で物をいうことをしない。多くは、カッと見開き直視する。ジェスチャーと顔の表情で話をするから、それを抑えるマスクは忌まわしいものだ。
これは、世界の人々が、常に未知の人々と交わってきたことで、言語を超えたコミュニケーションを必要とした結果だろう。
日本のように長期間、多言語と交わらず、音節による言語で生活していると、いい加減な発音でも意味が通じるし、終いには、言葉を交わさなくても意思を察するようになる。
それが、日本のマスク文化の背景にあるのだろう。

マスクを嫌う欧米では、さらに極端なヴェールを毛嫌いする。フランスでヒジャーブ(ヴェール)禁止法ができたのは、民族差別や宗教差別ではなく、単純に違和感、恐怖心からだ。欧米人にとって、マスク禁止法を作りたいぐらい嫌いな、マスクをしなければならない、敗北感と怒りは、人種差別問題程度の発散では収まらないかも知れない。


背水の陣

2020年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム
この所のコロナ騒ぎで、テレビでは、ウイルスや免疫のメカニズム解説が溢れている。
ウイルスは細胞を欺して内部に入り込み、細胞を利用して増殖し、宿主を殺すまで、限りなく増殖しようとする。これは、まるで相手の力を利用して勝つ、ゲリラ戦法の中国共産党のようだ。
行ける限りどこまでも拡散する、ウイルスの目的は何なのか?誰にも解らない。

AI誕生以前。コンピュータに、右折れ左折れのような、極めて単純な「作画」命令を実行させた人がいた。コンピュータは、中華丼の唐草模様のような作図を限りなく描き続け、膨大な領域を埋め尽くすまで止まらなかった。
画面は、江戸小紋も及ばない精緻な模様に見えたが、ただ繰り返し画いた結果だった。

ウイルスは、人類同様、自らの目的を知らない。ひたすら増殖をしようとする。宇宙の生々流転の一部としての「生命のサガ」としか、言いようがない。
物質の切磋琢磨のバランス状態こそが、地球の自然であり、生命複合体の人体でもある。バランスのために、何処かを押せば何処かが引っ込む。拡がり拡大するものも、ピークを迎えバランスを失えば、やがて崩れて消えていく。
21世紀にかけて、冥王星・射手座で、アメリカがピークを迎え崩れたが、今、冥王星・ヤギ座の終盤で、中国のピークが崩れていく。
→「大転換3

強引さで自己領域を拡大させて、トップに上り詰めた習近平は、領域の拡大しか理解できないコンピュータのようなもので、権力を拡大させると、一帯一路という国家領域の拡大に突き進んだ。
ビジョンも策略もない。ただ、「前え!」の一つ覚えだから、壁にぶち当たると、最大限の力を振り絞る。それが、現在の不可解な、メッタヤタラの敵対行為だ。
まさに、自分自身と国民を、背水の陣に立たせようとしているのだ。
ここから先は、中国人自身の問題だが、80年前に、日本の内部から政権が崩壊することはなかった。

中国との対峙を迫られている世界だが、正面切って対決するのは、第二次大戦の愚の繰り返しかも知れない。
むしろ、友好策の中で、静かな無視と、時間を掛けて、中国の餌食になっている弱小国の救済を進める方が、プラスが多いのではなかろうか。

ウイズコロナの時代。コロナの撲滅を考えるより、コロナに接触しないように心がける自らの生活習慣を確立することが大切だ。

的はずれ

2020年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム
小泉八雲の怪談の中に、
「祟ってやる」と言う罪人に、それが本当なら「目の前の石に噛みついてみよ」と言うと、斬首された首が本当に噛みついたので、みなが恐れたが、言った殿様は、「死ぬ時の一念が石に噛みつくことに変わったので、もう祟れない」と平然としており、実際、祟りは無かった。と言う話がある。
人間の情念というものを、アッサリ言い放った話だ。
情念は無意味ではないが、正しい理性が伴わなければ、愚かしいものになる。
感情から生まれる情念には方向性が無い。風や水のように、エネルギーはあるが、形が無い。

人種差別反対が、突然、燃え上がり、欧米を中心に吹き荒れている。SNS時代の今、状況の違う欧州や、歴史の違う日本にまでこのムーブメントが伝搬している。
しかし、その動きは、少しでも関係のある象徴物の破壊や廃止、禁止に拡がり、単なる歴史破壊になっている。これは、この盛り上がりの本質が、方向性のない情念、コロナのフラストレーション爆発だからに他ならない。

戦争の大儀とは、実のところ、情念の出口だ。戦争は大衆の情念が起こす。
異民族の侵入を受けた土地には、顔が削られ、破壊された石像が残されている。戦争における情念の痕跡だ。近年ではバーミヤンの石仏爆破があった。
中国や朝鮮では、政権が変わるたびに過去の遺物が破壊され、埋蔵物以外は、日本のように歴史の遺物は残っていない。
その日本でも、明治維新の廃仏毀釈では多くの仏教事物が失われたが、嵐が過ぎるとほとんどが復興された。異民族の侵入ではなかったことと、始まりにおいても、縄文と弥生の融合が、比較的穏やかに時間を掛けて行われた、日本の風土があったからだろう。

人種差別反対運動は、コロナで鬱積した感情爆発だから、どこに飛び火するか分からない。
ニュース番組では人種問題として解説しているが、的外れだ。この本質はフラストレーションだ。過去の革命や大戦争が、食糧難やエネルギー問題から始まったことを直視するなら、複雑な人種問題より、情念の向かう、もっと単純な火薬庫が幾つも転がっていることに注目すべきではなかろうか。