魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

こんな事

2020年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム
「志村けんさん新型肺炎で死亡」の報に、ネット上で「中国人が憎い」を拡散する人が現れた。身近な誰かが死ぬと、犯人捜しをする人は多い。その典型が医者への恨みや葬儀でのもめ事だ。
傷ついた動物を助けようとすると、襲われる。苦しい時に見境がつかなくなるのは、素朴な本能だ。
この辛い時に、犯人捜しをしたい気持ちを抑えられるのは、知性があるからだ。死後に医療ミスを追求する人は、知識はあっても知性は無い。そこに至るまでの自分を客観視できていない。

お笑いの熱烈ファンの中に、知性の無い人がいるのは致し方ない話だが、新コロナは天災で誰のせいでもないと諭す「知性」ある人と、「中国人」を恨む人の両方に言いたい。
病気は天災で、犯人は中国人ではないけれど、この事態を招いたのは中国共産党の習近平だ。
これは、恨みや寛容の次元を越えた、単純な事実認識であって、見落としてはいけない。だからどうするかは、人それぞれの考え方だが。

四天王
昭和お笑い四天王と言えば、歳の順に、タモリ、タケシ、志村、サンマで、あまり異論はないだろう。しかし、この中で、グループで見せる芸、ショーマンを貫いたのは、志村けんだけであり、他の三人とは笑いの種類が異なる。

三人が、基本的に言葉や、いじり芸で笑わせるのに対し、志村けんは直観的なアクションで笑わせる。これは、渡辺直美などに通じる、国際的な笑いだ。
生前、志村けん本人が、「おれは、タモリさんの笑いはキライだ」と言っているのを観て、何を嫌っているのか?誰の笑いなら好きなのか?考えてみたが、お笑いマニアではないから、はっきりした答えは出なかった。ただ、四者の傾向を比較すると、「笑い」に関する限り、志村けんだけが国際派だ。

言葉を超越した笑いは、チャップリンやMr.ビーンなど、英国流の理屈っぽい、人情を突く笑いもあるが、志村けんや渡辺直美は意表を突く笑いで、誰でもわかる。

新型コロナ高齢者70歳の死は、誰も納得するだろうが、志村けんだから、誰も納得できない。

気候変動

2020年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム
経済対策で、現金給付を行うそうだが、これは致し方ない。
ただ、もしこれが、初めからベーシックインカムが行われていたらどうだったのだろう。
他のメリットは、改めて言うまでもないが、今回のような突発的な異変に、誰でも基礎収入があれば、特段の手を打たなくても、クッション機能が働く。

今この、未曾有の戦争事態は、世の中を変える
平和な時代は、ウォークマンのように、企業の金儲けのイノベーションで生活様式が変わるが、時代を画する劇的変化は、気候変動のような静かな環境変化が引き金になる。
革命や大戦争は、歴史的人物や事件だけ取り上げられるが、実は、人間を動かしているのは気候だ。不作になれば飢えた民衆の圧力が政治を動かす。温暖になれば活動的になり、発見や発明が生まれ、それが社会を変える。

今、起こっているコロナパニックは、根本的には温暖化の影響だ。
経済活動の活発化で、中国のような雑然とした国家が豊かになり、そのゆとりが中国の夢を掲げる妄想的な独裁者を生んだ。そして、その独裁者の過ちが、戦争と同じ結果をもたらしている。歴史的な大戦争も、愚かな為政者の小さな判断ミスから起こっている。
喧嘩両成敗など通じない、勝者の一方的な日本断罪から考えれば、この事態が収まった後、習近平一派は断罪されなければならないはずだ。だからこそ、習共産党は躍起になって繕っている。
今は火事の最中だから、対応が急がれるが、収まれば、ただでは済まないだろう。もし、習共産党の画策が功を奏するのであれば、偉大な中国が世界の救世主になる。

ともあれ、経緯がどうであろうと、こうした大戦争は、世の中を変える。
生産、物流、金融、通貨、教育、娯楽、福祉、もちろん医療も、すべてのルールが変わり、世界の景色が変わる。
ベーシックインカムも夢物語ではなくなるかも知れない。
大転換がまさに完成することになる。もう半世紀ほどかかるだろうが。

最後の砦

2020年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム
中国はコロナ対策に勝利したとして、世界に協力すると、AIなどの最先端ツールを駆使した成果を、したり顔で宣伝している。
確かに、中国のような監視・管理社会では、AIを駆使して一定の成果を上げることは可能だろう。
しかし、その中国の方式を取り入れるということは、自由主義国家の敗北を意味する。

現に今、コロナという恐怖の前に、世界は一斉に管理社会になっている。
日本のようなやり方は間違っていると、世界中が揶揄や、非難ごうごうだ。管理こそが唯一の道だと信じ、中国を手本にしている。
つまり、今や、日本は自由主義の最後の砦になってしまった。

市民を、家畜扱いしなければ、オーバーシュートを防げないのだとすれば、監視・管理社会こそが優れていると、中国の軍門に降ることになる。
マッチで火を付けておきながら、恩着せがましくポンプを提供してきた中国に、世界は感謝することになるのだろうか。そもそも有効なポンプかどうかもわからない。

うがって考えれば、このウイルスは、世界を中国の囲いに呼び込むための、牧羊犬なのかも知れない。いや、習近平の単なるミスであっても、怪我の功名になるかも知れない。
そうさせるかさせないかは、最後の砦、日本の市民の奮戦にかかっている。
頑張れニッポン!

中国の立場
一方、中国の立場と言うより、習皇帝の立場で考えればどうなのだろう。
中華皇帝は、過ちを犯さないから、絶対に謝れない。
今回、明らかに失敗した自覚はあるが、大いに「施し」をし、民の機嫌を取り、寧んじることによって皇帝の面子を保ち、立場を維持しなければならない。
何はともあれ内政第一で、他国との関係は二の次だ。WHO抱き込みも、内政のためだ。
家臣に、「アメリカのウイルス」と言わせたのも、アメリカを攻撃する意図ではなく、臣民への言い訳だったが、言われたアメリカがことのほか憤慨した。
これではマズイので、今度は、何とかアメリカにお届け物できないか、画策を始めた。あくまで、上から目線でだが。
東アジアの長子、中国は、どんなに困っても、弱音を吐けない、謝れない。

ところで、今回もまた、日本の動きは遅すぎる。
今、最も急ぐことは、経済対策もだが、医療崩壊を防ぐために、新コロナ感染者を収容する義務を外すことだ。
経済対策は、ややこしいツギハギより、
期間限定、消費税ゼロの徳政令につきる。

習の蛮行

2020年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
米中戦争」では、少し言い過ぎたかと思ったが、やっぱり、習近平は戦争を仕掛けている。

G7でアメリカが「武漢ウイルス」の呼称に固執したため、共同声明が出せなかった。
中国に攻撃されているアメリカとしては、譲れないのは当然だ。
中国が支援しているイタリアを始め、WHOのような「国際機関!?」が主張した「差別的な名前は避けるべき」という建前論に、各国は逆らえない。
世界は、中華流のしたたかさにすっかり取り込まれてしまっている。第二次大戦で、中国が戦勝国になれたのも、この中華流のしたたかさによるものだ。しかも、共産党の中国はその戦勝国でもない。

2月27日、グアム周辺で米軍の哨戒機に中国艦船がレーダー照射したと、米軍が発表した。まさに火星が、他者を怒らせるヤギ座進行中だ。
3月25日には日韓の防空識別圏に侵入し、両国のスクランブルがあったと、中国の機関誌は得意げに公表している。尖閣も相変わらずだ。

中国のこうした挑発行為は、国内問題から国民の目を外にそらす狙いもあるだろう。(中国は、逆にそう言うだろうが)
しかし、世界が最も困っている時に、こうした蛮行ができることこそが、習近平独裁の証拠だ。中国の行動の隅々に至るまで、習近平のマインドがそのまま表れている。

毛沢東独裁は、下からの情報が上がらないことで、大躍進政策の悲惨な失敗を招いた。
今、習近平独裁で、一人も感染者を出すなと言われた地方の役人は、感染を報告するわけには行かない。
なんと!中国本土13億人から、感染者は一人も出ていない!!!
大躍進政策と同じことが起こっている以上、結果は火を見るより明らかだ。

人材不足

2020年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
小池都知事が 三密、三密と言うから、宗教話かと思ったら、密閉、密集、密接の「NO!!3密」で、オーバーシュート回避だそうだ。
このところ、自治体の首長が目立っている。ウザイと言う人もいるが、それだけ国のトップが至らないということだろう。

これだけ首長が目立つと、中には、相当なバカさ加減を発揮する人も出てくる。
愛知県の豊川市長は、中国江蘇省の友好都市、無錫市にマスク4,500枚を送っていたが、地元でマスクが足りなくなると、余っていたら返して欲しいと申し込み、無錫市は即座に、10倍以上の5万枚を送ってきた。
送った4,500枚の子供だましは「貧者の一灯」で許せるとしても、困っているでしょと送った人に、返してくれと、どういう思考回路で言えるのか。
とんでもない恥さらしで、ネットはカンカンに怒っている。

そもそも、始めから、ドヤ顔したい一心で、慌てて余り物を送ったのだろう。
後先考えずに送ったまでは許されるとしても、飢えた人に出した自分の食べ残しを、食べた後で返してくれと言っているようなものだ。
「武士は食わねど高楊枝」を知らないのだろうか。
社会人としての基本的な常識に欠けるような人が、市長になれるほど、今の時代は地方議員や首長のなり手がないと言うことだろう。
失業中の人に朗報! あなたも私も、立候補!

とうとう

2020年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム
東京五輪は延期になった。誰もがホッとしたことだろう。
やっぱり!」と言うか、改めて星は恐ろしい。
モスクワ五輪に行かれず泣いた山下泰裕がJOC会長の時、再びこういうことが起こるのも因縁としか言いようがない。選手は気の毒だが、全くなくなるわけではないのだから、、山下会長に比べれば、文句も言えまい。

それにしても、選手にも「モッている」人と、「モッてない」人がいる。一年も延びれば、体調もモチベーションも変わってくるだろうから、出られるはずの人が出られなくなったり、その逆もあるだろう。しかし、それも、出られるはずの人が戦死したような1940年の五輪を思えば文句も言えない。

膨大な経済的損失と言われているが、無くならない以上、訪日客は関係ないし、仮想的な波及効果も、全く失われるわけではない。むしろ、一年余計に、期待で騒げるし、延期になることでまた別な需要も生まれる。
大損失と大騒ぎするのは、死んだ子の年を数えるようなものだ。お釈迦様は、「死んだ人のことで嘆いてはならない」と教えたそうだ。どんなことであれ、今あることを前向きに考えてみることが大切であり、プラス思考こそが、無を有に変える資本なのだ。

米中戦争

2020年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナの名称で米中が争っているが、こんな子供の喧嘩の水面下で、実際には、大戦争が起こっている。
戦争は体制と体制の衝突だ。アメリカが中国に要求した国家と企業の分離は、共産中国にはねつけられたが、その中国の体制(独裁隠蔽)が引き起こしたパンデミックによって、米国を始めとする自由主義圏が、重大な危機に陥っている。しかも、中国はそれを絶対に認めようとしない。それどころか、欧米に拡散責任を押しつけている。
世界中が戦時予算に匹敵する金を絞り出し、国民は苦難を強いられている。その中で、中国は体制を賭けて、世界に体制維持の宣伝工作を仕掛けている。これが戦争でなくてなんだろう。

この戦争の目的は、自由主義の崩壊か、中国共産党の崩壊かだ。表向きはウイルスとの戦争だが、疾病に謙虚に対峙せず、何事も政治化する中国がいる限り、戦争になる。
戦争は勝った方が「正義」だ。事ここに及んでは、「手打ち」はできなくなった。
中国共産党が勝利すれば、世界の歴史から、ウイルスに負けた「選挙制度」民主主義が消える。そんなことを許して良いものだろうか。
差別を呼ぶから「中国ウイルス」と呼ぶべきではないと言う人は、習近平に欺され、独裁を許している人で、偽善の平等主義に陥っている人だ。日本人が「日本脳炎」を否定せず、スペイン人が「スペイン風邪」に抗議しないのは、国の体制とは関係ない問題だからだ。

この戦争は、「中国共産党」の崩壊まで、少なくとも習近平失権まで止められない。
独裁中国に勝利するには、中国の産業を崩壊させ、中国共産党と軍の資金源を絶つことだ。これには中国国民の苦難を伴うことになるが、そこまでついて行くか行かないかは、中国国民の選択であり、戦争を仕掛けられている側には、考えるゆとりは無い。こちらも追い詰められている。

戦争とは、まさにこうした些細な事から起こるものであり、戦時下の国民は、自分に実害がおよぶまで、実感を持てない。
不幸中の幸いと言えば、このウイルスの実態が、恐れるほどのものではないという事だろうか。
習近平の都合次第で、どのようにも言説を変える中国共産党。今回たまたま、中共の意図せぬところで、中国人観光客が止まって、日本中が苦しんでいる。これは、極めて有り難い教訓だ。安易な儲け口に頼っていると、恐ろしいしっぺ返しに遭うと言うことだ。良薬口に苦し!
オリンピックも当面無くなることだし、観光戦略も根本から見直す良い機会ではないか。転んでもただで起きては苦労の甲斐がない。

世界の器

2020年03月23日 | 星の流れに
ウイルスはサソリ座だが、コロナって何だろう。コロナウイルスは、形が太陽のコロナに似ているから命名されたそうだが、太陽なら獅子座だ。
しかし、なぜ今、獅子座の太陽が悪名で脚光を浴びるのか。

3月22日、土星は水瓶座入りしたが、影響が始まるのはヤギ座23゜1月15日から。影響圏の25゜は2月1日から。まさに、世界的関心の高まりと一致する。
水瓶座は獅子座の180゜。天王星が入った牡牛座で、サソリ座がパラサイトやウイルスで脚光を浴びたように、土星が入る水瓶座によって、反対の獅子座が脚光を浴びているようだ。
いずれにせよ、コロナ騒ぎは水瓶座が関係している。そして、悪名としての脚光は、相性の悪い牡牛座に天王星がいるからだ。天王星は爆発とセンセーションを表す。

ヤギ座に替わり、水瓶座に土星が移れば、多くの水瓶座に不幸が起こる。(人や事によっては大幸運に見えることもある)
水瓶座は、人はもちろん組織や民主主義、科学技術や希望などを意味する。これは、人智を超える力や理想の「世界」、神の「世界」を意味している。水瓶座の人が人気するのは、何となくそういう雰囲気を醸し出すからで、実体はそれほどではなく、ギャップは相当大きい。

この水瓶座の「世界」の意味を考えると、コロナはまさに水瓶座だ。コロナとは太陽周辺に見えるプラズマ光で、太陽を包んでいる。
水瓶は文字通り水を入れる器であり、形のない液体に一つの「世界」を与える。水瓶は外周こそが本体であり、幾ら立派な器でも中身は無い。社会や世界は個体ではなく、いわば概念だ。今その世界が萎縮する不幸が来ている。土星は「萎縮」を意味する。

ところで、コロナウイルスは風邪ウイルスだそうだが、水瓶座は大寒の頃であり、感冒の季節でもある。命名した人は何も考えなかっただろうが、まさに名実一体の名前だったことになる。偶然とは運命と同居するものでもあるのだ。


ヤブヘビ

2020年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム
WHOが中国の手先になっていることは、誰の目にも明らかだ。
パンデミック宣言の時にも、ネット上では「やっと中国のお許しが出たか」と、コメントが飛び交った。
言うことすること、ここまであからさまに中国共産党の、それも習近平の都合に合わせたことを言うなら、もう、CHOに名前を変えた方が良い。

また、中国の感染者数も、誰が見てもナンセンスな数値だ。死者と感染者の比率が不自然だ。
この見え見えの数値で、もう感染者が出なくなったと発表し、海外からの感染者が感染者数を増やしているとして、今後増える感染者は全て海外からもたらされるものであり、「中国は被害者」のスタンスを作り上げようというわけだ。
そして、「武漢ウイルスや中国ウイルスと言ってはならない!」と、CHO(WHO)と共に、叫びまくっている。

ヒラリー・クリントンは、トランプの「中国ウイルス」発言を非難したが、初めにアメリカを攻撃したのは、ウイルスを米軍が持ち込んだと吹聴した中国だ。
決して品の良いものではないが、この際はトランプに味方する。
覇王の「夢」を見る中国は、欧米に対する被害妄想があり、中国蔑視を鼻から恐れているからここまで異常にこだわる。政治しか考えない中国共産党には科学的謙虚さが全くない。
「日本脳炎」をそこはかとなく誇らしく感じる日本人はいても、その名前を否定する日本人はいないだろう。それは科学的成果の証だからだ。
つまり、中国共産党がここまで「中国ウイルス」を嫌うのは、明らかに、習近平の落ち度がそこにあるからだ。

誠意表明

2020年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
20日、聖火が日本に到着し、空々しいセレモニーが行われていた。担ぎ出されたアスリートの苦しいコメントは、痛々しかった。
同日、日中韓のテレビ外相会議で、三国が協力してコロナに打ち勝つと、中国を立てるのと引き換えに、東京五輪をコロナに打ち勝った証にすると、開催の同意をして貰っていた。何でわざわざ、「借り」を作るのか!?

東京オリンピックは成功して欲しいが、この状況でゴリ押しすれば、日本の名誉ではなく、むしろ、汚名を残すことになる。
世界中で、予選も練習もできない中、日本のゴリ押しは、オリンピック精神に反している。人々の健康もアスリートの命をも無視する、経済優先の非人道的「日本」を、強くアピールしているのだ。
既に世界中の多くの関係者が、「強行」への、怒りのコメントを始めた。

政府は「完全な形での開催」と、延期の伏線を張っているのだろうが、
オリンピックを成功させたいなら、ここは、一刻も早く、日本自ら、
「世界の人々と、アスリートの安全を考えて、ひとまず中止する」と言い出し、誠意を見せるべきだ。IOCは止められないから、延期を言い出すだろう。
このまま行けば、日本は「野垂れ死に」のあげく、汚名を残すことになる。

凄い凄い

2020年03月20日 | 京都&ケンミン文化

19日、政府の専門家会議の提言が出た。
強い警戒を訴えながらも、「とりあえず、持ちこたえている」と評価した。
安倍政権は、防疫失敗の巻き返しを国民に丸投げしたが、かなり成功している。
これは日本人の手柄だ。
安倍総理が、「水際、水際」と言っていた時には、とっくにコロナは上陸していた。
政府の取った作戦は、日本人の民度に賭けたものだったが、これが当たった!
このまま、新型コロナを季節風邪にしてしまえば、おそらく、世界で唯一、パニックを逃れた国になるだろう。何れ、世界で当たり前の風邪の一つになるだろうが、ここまで冷静に受け入れることができるのは、日本だけだ。

いつも言うように、世界から見た日本の印象は、日本全国から見た京都のようなものだ。
京都は遠くからは夢の対象だが、近くの大阪からは妬まれる。日本は欧米からは夢のジパングだが、中韓からは妬まれる。
京女が芯の強いことで知られるように、母系社会の日本人は辛抱強く簡単には動揺しない。外国人は日本人と比べれば、想像以上に興奮性だ。しかも、日本社会は総体的に教養レベルが高く、多元的な見方ができるので、簡単には思い込まない(あくまで傾向比較だが)。

中国のように、国民を家畜にしなくても、日本人は静かに伝えるだけで理解する。そして、マスクだけではない、日本中至る所で一人一人が熱心に、手洗いうがいをする。誰も大騒ぎをしない。
その結果が、今の日本の状況だ。
世界の人は、おそらく、この状況を信じられない。理解できないからだ。
そして、やがて事実を認めるようになれば、日本人のありようは、世界の手本として認められることになるだろう。
ガンバレ、ニッポン!


雨降って

2020年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナ・パニックの最中、あちこちで選挙があり、実施する、しないでもめている。
日本も、選挙をどうするのか問題になると思うが、いよいよ、ネット投票の時が来た。
戦争は社会を変える。テレワークやEラーニングが盛んになり、教育制度を変える切っ掛けにもなるだろう。
ネット選挙(投票)は、政治概念と制度の問題から、いまだに実現されていないが、コロナのようなことが起きれば、切実な問題として加速する。
仮想通貨が可能なら、ネット投票などワケないハズだが、これをしないのは、それだけ政治というものが、時代遅れなのだ。

もし、スマホで投票できるようになれば、投票率は間違いなく、今の倍以上になる。おそらく、80%は堅い。しかも、国民総背番号のマイナンバーが生きてくるし、選挙結果もリアルタイムになり、諸費用も大幅に減らせる。
と言うことは、社会そのものが大きく変わることを意味している。

第一次、第二次大戦とも、女性の社会進出を大幅に伸ばし、その後の世界を変えた。
転んでもただで起きてはいけない。
戦争に例えられるコロナショックも、恵みの雨に変えてほしいものだ。

主客逆転

2020年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
中華文明
朝鮮半島はサソリ座のせいか、地政学的な宿命なのか、その両方なのか、曰く言いがたいが、歴史的にみてもパラサイトの運命なのかも知れない。

中華文明は、日本で表の面を開花させ、朝鮮で裏の面が根付いたようだ。もちろん中国はその両方を持っている。一言で言えば、表とは道義であり、裏とは功利だ。
中韓と異なる日本の特性は中華文明とは関係のない、縄文系、海洋系が働いているのだろう。仏教も、中華では術として浸透したのに対し、日本では情として浸透したように思える。それは結局、それぞれの土地の求めるフィルターの違いなのだろう。
日本は、歴史的に海を挟んでいるため、直接支配されることを逃れたおかげで、中華圏といえども、全て日本式のフィルターを通して文化を取り入れることができた。
一方、陸続きの朝鮮半島は、常に直接影響を受け、良くも悪くも、中華文明を批判的に見ることができなかった。

中国という飼い主はペットを溺愛しても、何時でも自分の都合で恐ろしいしつけをする。日本は雨風の中を毎日餌を求めてさまよってきた野良犬だが、自由に生きてきた。

偉いのはどっち?
しかし、ここで、朝鮮半島は中国による長い被支配の中で、パラサイトとして生きる能力を身につけた。
parasiteは寄生、寄生生物の意味だが、
「para」は、「非」とか「-ではない」の意で、
「site」は、「敷地」、しかるべき「その場所」の意だから、
これが合わさって、「あるべき場所ではない」つまり、主役ではないから「偽者の主人」=「寄生者」という意味になる。
寄生は主体がなければ存在できないが、強大な中国という宿主との折り合いの付け方を体得することで、時には宿主以上にメリットがあることを知った。

その能力を活かす第一のコツは、宿主に憧れ尊敬することだ。宿主を最も素晴らしい者と尊敬し、好きになることで、宿主からの抵抗がなくなりかわいがられる。
第二のコツは、自分と宿主が同じ者だと信じ込むこと。
朝鮮半島の姓は中国式だが、これは、進んでまねたもので、アメリカと近くなると、李をLEEだと自称したり、日本に強制されたはずの日本姓を使っている人も多いし、中国が復活してくると、再び中国式に寄せていく。また、相手を非難することで、対等になったような気持ちになれるし、対等に喧嘩していると第三者に思わせる。
第三のコツは、宿主に密着し入り込みながら、気持ちは同化しても絶対に記憶(本質)は同化しない。そして、宿主が弱ると、徹底して叩き、入れ替わる。

自縄自縛に陥りやすい自己完結型の日本人や中国人には絶対にできない生き方で、相手次第でどのようにも変化し、相手の能力を取り入れることで、より、大きく生きられる。
それは、大木に小さく取り付いても、その周りに繁茂すればあたかも巨木のように見えたり、また、細胞に入り込んで共生するミトコンドリアが、単体より大きな世界を移動できるようなものだ。宿り木には、アコウやガジュマルのように、完全に宿主を絞め殺してしまうものもある。自己完結型は自立こそが偉いと思っているだろうが、ライオンやティラノザウルスは、他の動物のおかげで生きているのに「王」の称号を得ている。
現に今、人類は寄生ウイルスを恐れて、自縄自縛に陥っている。

寄生生物

2020年03月16日 | 星の流れに
韓国映画の「パラサイト」が、英語圏外から初のアカデミー賞を受賞した時、コロナウイルスが世界的な拡散を引き起こした。
これは全く同じ意味の現象だ。一体、何の星が影響しているのだろう。

ウイルスは、単独で生きる細菌とは異なり、他の生物の細胞に入り込むことで初めて増殖できる。つまりパラサイト、寄生生物だ。したがって、ウイルスは生物ではないという説もあるが、DNAは持っているのだから、やはり生物ではなかろうか。これは生物の定義の問題だろう。

韓国、あるいは朝鮮半島はサソリ座だ。そしてサソリ座は、生と死の交差点で、セックスや死を意味する。生物の基本は自らの死で次の世代を生む。したがってサソリ座は再生を表し、元祖を皮肉るパロディや漫画も再生のサソリ座だ。サソリ座は相続も意味するが、既存の生命の死によって受け継ぐものが遺産であり、新しい命は死によって生まれる。死と再生がサソリ座だ。
そのサソリ座の韓国映画が、「パラサイト」で脚光を浴びるのはある意味、当然で、宿主を食い尽くし、宿主がいなければ生きられないのが寄生生物だ。

なぜ今、サソリ座が脚光を浴びるのか。これは牡牛座の天王星以外考えられない。
天王星は集中と爆発。革命や脚光やブーム(流行より強い)を表す。この天王星が牡牛座に入ると、映像や音楽など五感に訴えるものに革命が起こる。牡牛座の真反対に位置するサソリ座にも、当然、光が当たるが、光源ではない。原点となる牡牛座の革命の光が反射したもので、重要な意味は映画の革命の方だ。
視聴覚機器の発達で、逆に映画界が行き詰まり、その革命が起きる。サソリ座の脚光はその予兆だ。「パラサイト」とウイルスで、映画産業のあり方も問われている。

本来、映画は魚座だから、この革命は映画だけではなく五感を愉しませる方法全体の革命が始まることを意味している。
映画館に集まって多数で鑑賞する方法が始まって、1世紀近くになるが、今現在、新しい機器が世界に満ちて、その方法の転換が迫っている。視聴覚革命の時だ。
また、新コロナは「喉」に取り付きやすいから感染が速いと言われている。それが肺に入ると重症化するそうだが、「喉」は牡牛座だ。
寄生生物のウイルスがサソリ座なら、やはり、このウイルスパニックは問題の本質ではない。牡牛座の表す生産と所得に革命が起こることを表し、これはむしろ、ヤギ座の金融や通貨、資産の流れと連携して経済革命が始まることを表している。
したがって、このウイルスパニックは、問題の本質ではない表面的な現象ということだ。つまり、恐れるに当たらない。
もっと重要な、大きな動きが始まっている。見るべきはこちらの方なのだ。

水鳥の音

2020年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナを水鳥の羽音に例えたのは、姿の見えないものを過剰に恐れているからだ。
この恐怖は、ウイルスが現れたばかりで、正体がわからず、ワクチンや特効薬も無いからで、まさに、富士川の夜の闇で正体のわからない大音響に慌てふためく平氏だ。

単純に、死亡率がどれほどのものか見てみると、3月13日正午現在、世界全体では感染者131,460、死者4,923で3.7%だが、死者数に比べ、感染者数はあくまで発見された数だから、相当大きな倍率で存在すると考えた方が良いだろう。つまり死亡率は3.7%より桁違いに低い。

情報が開示されて、感染率が比較的信頼できる国は、検査自体を目的化している韓国を始め、ドイツ、スイスなどは、それぞれ、0.84%、0.21%、0.70%だから、コンマ以下が妥当な死亡率だろう。イタリアも検査は熱心にしているようだが、7.91の死亡率となっている。これは医療崩壊が起きていることと、中国との濃厚接触、イタリアの生活文化を考えれば、全土の感染者が実は膨大であることを暗示している。

検査に熱心な韓国などの実績から、あくまで仮にだが、致死率を0.6%で逆算すれば、ざっと、世界全体で感染者が82万人、日本で3千人、イタリア17万人、イラン7万人、アメリカ7千人、中国53万人・・・ということになり、何となく納得の範囲だ。
各国の医療状況も異なるし、数値の正確さもアテにならないから、漠然と眺めただけだが、とっくに蔓延してしまっているとみるべきだろう。しかし、その割に死者は少ない。
しかも、死者の大半は高齢者や持病のある人だ。高齢の持病持ちだから敢えて言わせて貰うが、高齢者は死ぬことの方が当たり前で、何れ何らかの病気で死ぬ。
若者も死んでいると言われるだろうが、過労や不摂生で衰弱していたり、放置して重症化すれば若者でも死ぬ。こういうことは、全て当たり前のことだ。

感染者の死亡率が0.6%だとしても、人口全体での死者となると、猛威を振るうイタリアでこそ0.00169%=100万人に17人だが、死者最大の中国でも0.0002%=100万人に2人だ。、以下同様に、韓国1人、イラン5.4人。
米国では0.1人で、日本も0.15人、フランス0.97人、スイス0.77人、ドイツに至っては0.06人だ。全貌のわからない世界全体だが、一応、0.6人となっている。

これとは別に、インフルエンザや食中毒で死ぬ人はどれぐらいいるか。交通事故で死ぬ人はどれぐらいいるだろうか。
そう考えれば、この病気を、これほどまでに恐れて良いものだろうか。恐れによって失う物を考えれば、この状況の異常さから目が覚めるはずだ。
近頃は何でも、数値や視覚でなければ理解できない時代だから、いちおう数値を並べてみたが、はっきり言って、こんなものは何の意味もない。こういうことを、直観的に察知できる、バランス感覚こそが重要なのだ。
恐怖で狂い死ぬ前に、正しく恐れる、警戒するとは、そういうことではなかろうか。