魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ジャーン!

2010年09月28日 | 星の流れに

今日、この日があることは、このブログを始めてからずっと心配してきた。中国の横暴、日本の苦境・・・まさに心配していた通りのことが始まっている。 (大転換3

土星が自分の星座に来た人は
視野が狭くなり、悲観的になり、やる気を失い、怒りっぽくなり、それでも頑張って、強引に出て失敗する。

土星が天秤座に来た、昨年の秋から、日本はやることなすこと、悪評を被っている。基地問題、トヨタ、円高介入・・・
原因は、実は日本自身だ。対処方法は他にいくらでもあった。

尖閣にしても、中国の意志は始めからわかっていることで、今時、何の必要があって、藪をつついたのか。
全く考えも準備も腹もなく、ノホホンと「一丁前のこと」をして、大きなヘビを出してしまった。その上、「ひゃーっ!」と逃げ出した。

日本の不運は、前原のようなマニュアル机上論者が、参謀本部に座るようになった、一年前からの一連の動きに表れている。
しかも、誰も前原の責任について気づいていないのか、取り上げてもいない。むしろ評価している向きもある。これもまた、日本を暗雲が覆っている証拠だ。やはり、再軍備が見えてきた。

苦しいのは誰か
一方、星の凶配置を受けているのは、日本だけではない。
実は、一番苦しんでいるのは中国だ。 (子供服
ついでに言えば、漁夫の利を得るのはアメリカやロシア、南米だ。

活動宮の国は苦しい。(日本、EU、インド、中国)
中でも、「周りの国から問題山積」と受け止めている中国は、遠謀のつもりで、その場しのぎの行動を取る。
これが、「不運」の正体だ。

人も国も、不運は自分が招く。自分でその道を進むと勝手に決めて泥沼に入り、「苦難の道だ」と嘆く。
軍国日本が「満蒙は日本の生命線」と、勝手に決め込んだように、軍国中国は、シナ海全域を権益の掛かった自国領と定めた。
そして勝手に敵を作り、辺り構わず喧嘩を仕掛けている。

周りにとってはいい迷惑だが、本人は必死だ。やむにやまれぬ戦いをしているつもりだ。
戦前の日本に平和の道を説いても、聞く耳を持たなかったように、
中国としては「どうして我が国の周りはろくでも無い連中ばかりなんだ」と嘆いているだろう。
人間は、武力を持つと理性を失う。

面白いのは、戦前の日本が背後の憂いを取り除こうと、ソ連と不可侵条約を結んだように、中国は先ずロシアと結ぼうとしている。
なんだかんだ言っても、長子体質の中国は「まっすぐ」だが、中間児ロシアは、リスクを冒さずいいとこ取りをする猛獣使いだ。甘くはない。
本来なら、ロシアを利用するほど日本がしたたかなら良いのだが。
日本は、外交下手の一人っ子。鎖国して貝になるのが一番ええ。


宗主国様

2010年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の尖閣大勝利に、中国の新聞は既にすっかり、日本の「宗主国」になったかのような記事を書いている。
あまりにも、無邪気で露骨なので、笑ってしまう。
勝手ながら、サーチナニュースより、下に全文引用させてもらう。

要するに、
聞き分けのない日本を躾するのは疲れるが、宗主国様に逆らわないように、しばらく罰しておかなければならない・・・

ファ~ッ

サーチナニュースより
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0926&f=politics_0926_005.shtml
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<中国は「反日」の必要性も気持ちもない> 
2010/09/26(日) 20:21 

「環球時報」の報道によると、日本政府は、中秋節以後に中国人船長を釈放することを発表したが、しかし、日中関係はすでに10日まえの状態ではなくなった。この出来事が中日両国に残る記憶は長期間に拭い去りにくいものである。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。

  この出来事は日中両国の間で、インターネットの時代に発生しためったにない係争である。この出来事はことごとく日中の世論に暴露され、両国政府の決定は両国社会の大勢の情緒も加わわり、それゆえに、今回の出来事は中国社会と日本社会のトータルな対抗のようにも見える。

  中国漁船拿捕事件を通じて、近隣の日本と付き合う時には、中国はとりわけ注意が必要だということがわかった。今の日本政府と付き合うには、中国が特に気をつけなければならない。菅直人首相と前原誠司外相の中国に対する姿勢がなに「派」に属するかにかかわらず、彼らのアジア太平洋の全般的情勢に対する判断は正しくはなく、日中の共通利益を守る気迫に欠けている。選挙のプレッシャーのため、かれらの大部分の政治行為は推し量りがたい近視的なやり方となっている。

  このような日本政府について、絶えず「突発事態に対処する」ことは、中国にとってとても疲れることである。だから今回、中国は事のなりゆきの指揮棒を日本に手渡すことになった。「この5年間に6回も政府が入れ変わった日本政府で、対中政策が変わりやすいことが日本にとってほとんど免れない」と強調するものである。

  中国側が先般、日中間の省・部クラス以上の交流を一時停止したことは、少なくともしばらくの時間を堅持するべきである。中国社会の日本への観光に対する制裁も一時期堅持すべきである。国を治める経験に欠ける現在の日本政府がこの出来事を通じて、中国が軽率に対決できる国ではなくことをはっきりさせなければならない。また日本社会が、次のようなこと「日中間は必ず道理に則る必要があり、意地になって争ってはならない」ということを知ってもらわなければならない。

  中国からの対抗措置が平和的で、中国社会がいかなるときも冷静さを保ちさえすれば、われわれは日中関係のすべての波風ひいては悪化を耐えることができる。

  中国社会は改革開放に忙しく、「反日」の必要もまったくない。また、そんな気持ちもない。しかし、日本側がややもすれば「反中」に走ることを避けるため、日本に対して一段時期の冷淡さを保つことが大いに必要だ。(編集担当:米原裕子)


本気の時

2010年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

外交的大敗北?
吉田茂は「戦争で負けて外交で勝った国はある」と言った。今回の中国との外交戦争。
「外交で負けて信用で勝つ」「外交で負けて経済で勝つ」にすれば良いのだが、どうも、日本政府には期待できない。
やることなすこと定見がない。

考えようによれば、日本の反転攻勢のチャンスなのだ。
今回の中国のような原始的で稚拙な態度は、外交とは言い難い。
まさに軍事政権の面目躍如。ガキの喧嘩だ。

敬愛する中華文明の、これも一つの顔ではあるが、軍政が長すぎた。飯をいっぱい食べたら、古代怪獣が暴れ出した。
現代の世界秩序には何ともそぐわない「はずかしい」行状の数々。

強硬策に味を占めて、今後、中国内部の強硬派が力を持てば、ますます手が付けられなくなる。
しかし、そうなれば不幸中の幸いだ。こんな野蛮が通用するような時代ではないが、軍人は何時の時代も世間を知らない。
喧嘩が強ければモテると思っている。

米中軍事交流で訪米した中国軍人の、本気ギラギラの目を見た時、
『ダメだコリャ』と思った。軍がただの抑止力ではない国だ。
華々しく登場した木曾義仲も、野蛮が命取りになった。

日本は、公家のように老獪な外交を・・・
先ず、中国の軍国主義がはっきりしたことによって、欲の皮の突っ張った連中も、こんな野蛮国とはまともな契約取引ができないことがわかっただろう。遠からず中国からは引くしかない。

また、レアアースの件でも、手近だからと安易に使っていると、どうなるか証明された。代替技術の開発や、鉱山開発にも弾みが付く。

そして何よりも、中国と距離を置き、周辺国との連携こそが重要であることがハッキリした。軍事国家との互恵関係などあり得ない。
美味しそうな物がぶら下がっているからと言って、わきまえもなく飛びつくのでは犬以下だ。(犬もカラスもガマンができる)

戦後、中国が無くても世界の経済はまわっていたのに、何で「泣く子の天下」になってしまったのか。安価な労働力という麻薬を味わってしまったからだ。しかし、安価な労働力なら、世界中にある。
始めから、中国の戦略にハメられていたのだ。

今からでも遅くない
世界中が申し合わせて、世界経済から中国軍政を閉め出してしまわなければならない。中国が収まっているような安保理の、常任理事国にしてもらおうとするより、世界に働きかけて、新秩序を画策すべきだ。
中華文明を愛する者として、よけいそう思う。

しかし、そのような大局観に立った外交の智恵と情熱は、到底、日本には期待できそうもない。


おめおめ

2010年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

運転しながらニュースを聞いて、ぶつかりそうになった。
2010年9月24日は、星の通り*歴史に残る日になった。

中国船長。
このタイミングで釈放するなら、なぜ拘留なんかするんだ
粛々は「おめおめ」と読むらしい。

戦中派なら白砂に跪いて泣きたいぐらいの心境だ。
日本人であることがいやになった。

拘留時の国交大臣が前原。釈放時の外務大臣が前原。偽メール事件の党代表も前原。
松岡洋右は、日独伊三国同盟、国際連盟脱退という致命的な失敗を犯したが、日本中が賞賛した。

この後、また例のごとく長々と書いたが、頭に来すぎて舌禍になりそうなので、以下、全削除。

*Tスクエア
天秤(太陽・土星)-オヒツジ(月)魚(天王・木星)▽ヤギ(冥王)←
ヤギをカニと書き間違えていた。
カニにとってのグランドクロスが重要と言いたかった。


サイバー世界

2010年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

大阪特捜の前田主任検事が証拠改ざんで逮捕された。
天王星も木星も逆行して、一時的に魚座に帰っているが、牡羊座時代には違いない。
「正義」(牡羊座)に、改革が起ころうとしている。  「革新判決

話は違うが、
村木元局長に無罪判決が出た時、事件の経緯を聞きながら、検事は若い世代だろうと思った。
逮捕報道では43歳。案の定、ゲーム、パソコン世代だ。

「根性!」が消えて、すでに久しい。
子供の発達段階で、スキンシップや心身の痛みを経験することが少なくなった。
個室での、ゲームやパソコンによる、間接的な付き合いが、コミュニケーションになった。
冷暖房の発達で、寒暖に耐えて肉体を成長させることが無くなったように、生活の中で心身を成長させる鍛錬も削がれてしまった。
アラフォー世代以下は、サイバー世代になっているが、もちろん、それがどういうことか、当事者は気づかない。

たとえば、地域性は、自分たちでは解らない。
他国や他人に指摘されると、誰でも腹を立てる。
よそ者に「この土地は・・・」と、指摘されると、たいてい
「いやなら来るな、出て行け」と言い返す。

世代も、地域性と同じだ。自分たちでは自覚できない。
自分の過去なら、振り返った時、「何であんなことをしていたんだろう」と、あきれるが、世代の内部は常に当事者だから自覚できない。
別の世代に言われると腹を立てる。

しかし互いに、他人が見た評価は大切だ。
サイバー世代は、学習も仕事も「要領」がいい。最も要領が良い人間が学力の成功者となり、サイバー学力の成功者が、司法行政など社会の管理職に就く。

昔の勉強は、数少ない本や資料を、人に教えてもらったり、自分で歩いて探して回った。そして、それをどう解釈するかは、自分で悩み、他人と切磋琢磨しながら、知識の使い方、考え方を発見していった。
昔の人は、知識と体感が融合していた。

ところが、近年は、学習の要領を指導することが教育だと思われている。勉強法の本が巷にあふれ、そのハウツーで学んだ、要領の良い人間が社会の指導層になっている。まるで、パクって売れる中韓の工業製品のように。
あまり我流に深く考えず、適当にバカでもない金持ちが選良となる。

教育の量的格差が問題になっているが、
むしろ、「こんな教育を受けた人間しか浮かび上がれない社会」こそが問題だということは、誰も言わない。言っても理解されない。

受験ノウハウと、ネットで簡単に手に入る豊富な知識。気に入らない展開はリセットする習慣・・・
そうした環境が、「他者と共存する不条理」を受け入れる「人間力」を失わせた。

サイバー世界
近年、何かと言えば、「資料を示せ」と言い争う場面を見かける。
情報さえ確かであれば、論理さえ正しければ、答えは正しい・・・
これが、サイバー世代を完全に覆っている、巨大な錯覚だ。
世代交代で、政治経済全体がそうなろうとしている。

例に出して申し訳ないが、その典型例が政治学校出の前原大臣であり、あだ花が前田主任検事だ。事が起こるまでは、いかにも切れ者に見える。
戦前、松岡洋右も東条英機も、切れ者で知られていた。

情報の組み合わせしか考えない「つじつま合わせ」は、机上のテストには100点をとれても、現実処理には極めて危険だ。
戦前の日本軍が犯した、机上論による大敗北と大きな犠牲は、不敗神話と、空虚な軍隊用語で、現実感が失われていたからだと言われる。

前田主任検事の個人的資質はあるだろう。しかし、何よりも、そんな人間が優秀とされる社会が、着実に進んでいることは事実だ。
個人だけの問題でもなければ、検察だけの問題でもない。

今、政治経済など人間力を必要とする分野で、日本が世界中に後れを取っている原因は「つじつま合わせ」しかできない人間が、日本の原動力になっていることにある。
さらに言えば、これは日本だけの問題ではない。日本の現象は単に、日本が先行しているだけなのかも知れない。


海上電車

2010年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

尖閣問題での中国の対応は、日本から見れば不可解だ。
道理のないことを理由に脅迫している。
これは、始めからしくんで漁船を送り込み、日本の出方にイチャモンを付けて、尖閣を奪取するつもりだったのではないか・・・

中国の近年の動きを見ていると、そう考えたくもなる。
もちろん、何とか尖閣を自分の物にしたいという願望はあるだろう。
しかし、今回はそこまで作為的とは考えられない。

結論から言えば、
中国政府は「メンツをつぶされた」と言うことだろう。
電車の痴漢が、多少おっかなびっくりで、手を出したり引っ込めたりしていたら、いきなり大声で「何すんのよッ!」と叫ばれ、
驚いて、逆ギレした。

この際、何が何でも自分が正統であることを叫ばなければ、引っ込みがつかない。
また、ここを逆手に取れば、思わぬ利益(紛争化)があるかも知れない。
・・・そうも、考えているかも知れない。

しかし、「何すんのよッ!」と、立ち上がった大和撫子も、相手が居丈高に出ている以上、引っ込むわけにも行かない。

こんな時は、何よりほかの乗客が頼りだ。
大声を上げている二人も、相手に怒鳴っていると言うより、周りの目を意識してのことだ。
周りが、「確かに、痴漢を見た」と言えば、撫子も俄然有利になる。

ところが、面白いことに、
中国は、自分に気合をい入れることだけに集中している。
周りの乗客にどう思われるかより、怒鳴れば怒鳴るほど自分が正統になると思っている。

このオッサンが暴力をふるう前に、みんなに手伝ってもらって、警察に突き出すしかない。

もうこの際、相手をなだめたり、驚いて、沈黙しているわけにはいかない。
インターネットに情報や動画を流す。
しかるべき機関に訴える・・・
とにかく、直接間接に、中国の信用を失墜させることが急がれるが、
あんまり頑張って怒鳴り返すより、周りの人達に、よよと泣き崩れる方が効果的だ。


気を揉む

2010年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

尖閣問題に気を揉んで、何本も書いたり書き直したりしたが、傍観者の意見は、かえって誤解を招きそうだから、止めることにした。

ここでも箇条書き

 いよいよ中国の欠点が出始めた。
 領土の本質は軍事力。
 日本人は筋道論にこだわっている。戦争は正義同士の衝突。
 古代的「集団」発想は最終的には感情論。
 未来志向は個々の認識から。
 立場を超越する世界認識への働きかけ。
 今や国連よりもインターネット。軍事より文化。
 古代帝国中国の動きは逆手に取るしかない。
 不景気で世界中が怒りやすくなっている。
 勝負時の、来年早々までの多角的戦略外交が重要。

まあまあ、そんなことを書こうとしたのだが、疲れた。

遺 物
それにしても、
今回の件もそうだが、マスコミには本当にあきれる。
結局、マスコミというものが、まさに、前時代的な存在になっていると言うことだろう。

中国の戦術的意図を妙に中国寄りに説明したり、日本側の立場を一方的に強調したり。いずれも、「世論のリーダー」意識の驕りだ。
逆に、政治問題では、政界の力学ばかりに目を向けて、今、日本が行わなければならない政策を、内外の専門家に語らせるような報道に欠けている。

国民をなめているのはマスコミであり、国民は政治家とマスコミにウンザリしている。
面白く刺激的であれば視聴率が稼げる・・・、そういう時代から、国民はとっくに成長している。今国民は何を知りたがっているのか。解っていないのは、政治家とマスコミだ。

マスコミの伝えなければならないことは、世界情勢、政策議論の選択肢、国民の意見であり、政治家もそれを知りたがっている。
たとえ、政治家がどんな駆け引きをしていようと、その結果、どんな政策がとられるかが重要であり、そのプロセスや興味はどうでもいいのだ。

政策の是非を前面に出せば、国民も政治家も真面目になれる。
国民と政治家を愚弄し、ダメにしているのは、時代遅れのマスコミだ。


今日、中国の新聞(中国網日本語版)で「中国がどのような隣国になる考えかを日本にわからせるべきだ」と、堂々と主張された。
まさに、戦争前夜だ。


きな臭い

2010年09月13日 | 星の流れに

「まほろば」シリーズの途中だが、ノンビリ書いていられなくなった。
風雲急を告げている。
今こそ、リーダーシップのある国際外交が必要なのだが・・・

何から、どう書いて良いかわからないから、事柄だけ列挙する。

1.周期
今年は、朝鮮戦争から還暦。1950=昭和25年と同じ庚寅の年だ。
朝鮮半島の小競り合いは既に起こったが、何よりも、中国が大規模な戦争をした年でもある。
天王星84年では、1927~8=昭和2~3年。
中国は国民党政府による諸外国領事館攻撃。中国内乱の始まり。
ソ連は権力抗争の末、ソ連邦樹立。
今は、冥王星が山羊座。土星が天秤に来ている。中国の横暴と、日本の再軍備。

2.状況
中国の外見がどう変わろうと、本体は中共軍。軍事国家が成長して、外見の笑顔の皮を引き裂いて、本体が現れようとしている。
(政権内部で和平派と主戦軍部が抗争していると見るべき)

中国で最も信頼され尊敬されているのは軍人。
軍事国家中国は、何かあれば、国民は軍を動かすべきと反応する。
米中は戦っていない(朝鮮戦争は立て前上、米中戦ではない)。
日本は心情的に最大の仮想敵として存在してきた。

日米関係がぐらついている、日本は中国になびいている。と、中国は受け止めている。加えて、日米欧の経済苦境に自信が増大。

3.性質
中国には、国として長子的な横暴さが有る。(覇権主義)
自分の主張に逆らう者は「うるさい!」バシッ、とやってしまう。
反面。かわいげにしている者には目を掛ける。
負けそうな戦争はしない。
あまりねばり強い交渉はしない。周辺事態にはすぐ実力行使する。
現実的で利に聡いが、とにかく、カッとなりやすい。

4.実績
中国の国境紛争(相手を選ばない)
 1950 朝鮮戦争・チベット侵攻
 1959・62 中印戦争
 1969 中ソ紛争
 1979 中越戦争
 1988 中越海軍衝突(南沙諸島問題)
  ・・・これだけではない


大転換3」、「土星が天秤座に」、「曲がり角


まほろば(10)複合体

2010年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

動物的な皮膚感や血族意識と、人間の文化が築き上げてきた理性は、相反するものではあるが、どちらか一方だけでは人間にならない。

人間が生き残るために生み出した智恵は観念であり、太古の意識が支配する現実とは相容れないが、非現実的だからと言って、無視するわけにはいかない。動物からの飛躍は、おそらく人類の使命だろう。

理性で生きる上で、まず捨てなければならないのは、太古の意識だ。
人種、民族、国といった、縄張り意識は、人類進化の障害になる。
いまや、個人、人類、地球、宇宙を、調和させる認識こそが、人類進化のカギとなるのではなかろうか。

ところが、この理性的思考をも、多くの人は皮膚感で受け止める。
つまり、理性的な議題を、好きか嫌いかで考え、その言葉が出てくるだけで思考停止する。人権、自由、民主主義、平和、エコ・・・、その言葉を唱えるだけで、何でも夢が叶うような宗教にしてしまう。

個人、人類、地球の調和は、相反する立場の一体化であり、夢見て祈るだけでは実現しない。
目の前にある、古い遺産を一つづつ解体し、一つづつ新しいものに置き換えていかなければならない。

その為には、世界中の人が客観的な情報を共有することが基本だが、情報化時代で、一歩近づいたとは言え、立場の違いや、古い力に押されて、とても一筋縄ではいかない。

皆が客観的な情報を共有するためには、まず、それぞれの立場・視点が違うことを知り、互いの違いを認め合い、共存し、その上で、互いが自らの意志で、統一に向けて、変わっていかなければならない。

最も間違っていることは
皆が一つになるために、均質の塊にしようとすることだ。
人間は皆同じ素材でできているから、ミンチに掛ければ、同じ形に組み替えられると思う。人間の本質を理解しない大バカ発想なのだが、歴史上の「善意に満ちた」たいていの征服者はそう考えた。

自分や自分達を大切にしたい気持ちは誰にでもある。それを無視して、お前はダメだから自分を止めろと言われたら、誰でも抵抗する。
既に1000年以上、一体化を享受していた日本は、アジア開放と言いながら、占領地を日本化することが「善意」だと思っていた。

これが後々にいたるまでの汚点となったのだが、日本人はいまだに、多様性より、一元化を良いことだと思っている。教育現場での悪平等と言われるものも、結局の所、日本人のマインドが変わっていないことを表している。

雑多な集まりでできた島国でありながら、あまりにも強固な一体意識が生まれたために、日本人は、一体化の過程を忘れてしまった。
しかし、日本こそが、多様性の一体化を実現した、おそらく唯一の複合社会であり、地球の将来にとって貴重なサンプルとなるだろう。


まほろば(9)未来へ

2010年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

人は、自分の体験さえ、間違って理解していたことに後で気づくことがある。

親に冷たくされたと思っていたことが、自分が親になって初めて、親の思いやりだったことに気づいたり。恋人を振ってしまったことを後悔していたら、実は体よく逃げられていたのだったり。

まして、自分ではない親の体験談となると、二重三重のフィルターが掛かっている。親の思い込みを子供に語ると、子供はさらに膨らませて、固く信じるようになる。
親や教師の話しを、信じるのでも反発するのでもなく、客観的に見られるようになる人は、意外と少ない。

様々な情報を、自分なりに比較検討し、本当のところはこの辺りだったんじゃないか。と、自分が見ていない時のことは、何となく把握しておく程度でいいと思う。

歴史も、絶対的な歴史など無い。過去の教訓は忘れてはいけないが、今を生きる人間の、参考であって、縛られるべきではない。
人類の過去など、まさに「愚か者の歴史」だ。いかなる集団も誇れるような過去もなければ、卑下することも何もない。

にもかかわらず、人種だ民族だ国だと、自分の属する集団を誇ってみたり、卑下してみたり、時には、他の集団をバカにし、誹謗し、攻撃する。もちろん、それにとりあって謝ることも、同類になる。
そういう、「過去から離れられない」人は、現在の自分のアイデンティティが無く、さらに、集団のそれもおぼつかない人達だ。

過去にこだわる思考パターンは、人類史の古い時代のものだ。
神話や氏族の系譜など、今の自分を過去で規定しようとするのは、
人類がおびえて暮らしていた頃には、恐怖に立ち向かうために必要な、心の支えだった。

もちろん人間は今でも、と言うより今こそ、自然に対する畏敬の念を持つべきだが、太古の動物の群れ、氏族的アイデンティティで生きている限り、争いの輪廻から抜け出すことはできない。

氏素性、先祖の過去が、今の自分や相手を規定しているという考え方は、争いを生む「差別」の原点だ。
東洋は、その古代的生き方の集団秩序を、哲学にまで高めたために、いわゆる近代化が遅れたし、今もあらゆる弊害のもとになっている。

産業革命パラダイムは終わろうとしているが、その産革パラダイムにさえ、東洋的な古い衣服を脱ぎ捨てなければ、成長できない。
日本の失敗がそうであったように、子供服のまま急成長すると、窮屈な苦しさに暴れまくった挙げ句、悶死する。


まほろば(8)宴もたけなわ

2010年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム

産業革命パラダイム250年の宴会は、終わろうとしている。
地球からの借金で浮かれていた人類は、ツケが回って、慌てて酒を止めようと思っても、ようやく酒にありついた「遅れて来たグループ」を止められない。

しかも、遅れて駆けつけたグループは、今までガマンしていたので、ガブ飲みするから酒の回りも早い。まもなく、古代の泥にまみれた作業着のままで、建物まで壊す乱痴気騒ぎを始めそうだ。

芸人のように宴会場に潜り込んで、服を着替えて賓客の顔をしていた日本は、遅れてきた親戚から妬まれ、非難の的になっている。
そのうえ、この親戚は酒癖が悪い。

「なんだ、このヤロウ!テメエばかり飲みやがって、その酒よこせ」と、ガブ飲みを始めた。酒の肴に日本をこき下ろし、盛り上がって、
酒が無くなると、「親戚だろう、もっと酒を出せ」と罵る。
時々、恥ずかしいと思うのか、顔をしかめる他の賓客達に、
「こいつは、賓客なんかじゃありませんぜ、うちの親にとんでもないことをしたやつでさあ、これぐらい当然なんです。エへへ、へへ」
と作り笑いをする。

しかし、遅れてきたブループの中でも、もとは名門だった遠縁の親類は、ハタと我に返り、日本をこき下ろすより、日本に見習って、利用した方が、賓客らしくなることに気がついた。

日本の正装を剥いで、デタラメに着込み、いまだにクダを巻く、自家の下男を無視して、日本に見習い始めた。
だが、まず、古い作業着を着替えなければ、賓客にはなれない。
もちろん、青竜刀を納めることの方が先だ。

中国と朝鮮半島の大きな違いは、
中国は何でもマネして取り入れるが、目的は名門の再興だ。
不安定な境界地域の半島は、しぶとく生き抜き、どこでも家とする。
中国が土に根を張る大木なら、朝鮮半島は宿り木だ。
宿り木は、最初は弱小だが、成長すると寄宿主を枯らしてしまう。

騎馬民族説の江上波夫は学者ではあるが、その経験的直観の方が面白い。学説は新事実が出るたびに変わるが、インスピレーションによるイメージは、正否どちらかだ。赤がいかにして成り立つかではなく、それが、赤く見えるか青く見えるか、という問題だからだ。

その江上は談話で、大陸や朝鮮半島から日本に入ってくる時、まず個人で入って来て、その地の有力者の養子などになって基盤を作り、後で一族を呼び寄せる。と言っていた。馬が走って来る話しとはずいぶん様子の違う話だが、むしろ、経験がにじみ出ている。

実際、今、目の前で、蛇頭やニセ残留孤児など、大陸から押し寄せる出稼ぎを見ていると、2000年前にも、目の前の半島から、江上のイメージのような事態が、押し寄せていたことを否定できない。

だとすれば、われわれ日本人はどこから来たのか(古代アメリカ)、
逆に、わずか100年前に何が起こっていたのか・・・
本当のことは、誰にもわからない。


まほろば(7)ゾンビ

2010年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

何でも残す日本は、古代権力を権威に変えて、滅ぼさなかった。
摂政や関白、執権、征夷大将軍などが、政治権力となることで、天皇は実態のない「権威」になり、政権を承認する神のような存在になっていた。

ところが、元々、天皇は古代政権から生まれたものであり、それはシャーマンとして神から承認された代理神の存在だった。
神から承認された古代権力が、近代権力を承認する代理神になることで、神と権威と権力が一体化し、誰も逆らえない力となった。

近代デモクラシー、産業革命の成果である、科学技術や軍事力を、古代王権が動かすことによって起こった、日本の成功と失敗。
その同じ道を、今、中国が辿っている。

もちろん、中国は天皇を祭り上げているわけではない。
同じ道とは、古代の価値観のまま、近代デモクラシーの成果である技術を扱おうとすることだ。
古代の価値観とは、「絶対権力が民衆を従える」古代帝政であり、アメとムチでコントロールする、家畜飼育法だ。

軍事力が国家外交の本性であることは、現代も変わりないが、国家の成り立ちが、民主主義か、軍事力かでは、数百年の開きがある。
近代技術を古代原理で扱うことの失敗は、既に日本が証明している。

では、民主主義なら、現代技術を扱う資格があるかと言えば、必ずしもそうでもない。民主主義によって生まれたナチスドイツ政権が、狂信集団に変質して行った残虐行為は、殷やアステカも及ばない。
「タテ型の権力構造は、成功も早いが、失敗も早い」ということだ。

では、日本の失敗と、中国がこれからする失敗の原因とは何か。
おそらく、民主主義の「情報の共有」つまり、平等な公開性だ。
近現代の技術は、誰でも知っている公開の技術によって成り立っている。軍事機密すら、運用は機密でも、原理そのものは公開されている。

産業革命の技術は公開を前提とするから、特許制度が生まれた。
公開しても、考案者に不利益が生じないようにするためだ。
知の尊重と情報の共有をしないタテ型権力が、産革パラダイムのノウハウを用いることは矛盾する。

パクリ精神で知を尊重しないのに、情報を勝手な価値判断で流すことは、情報化時代の社会をいびつにし、健全な知の発展を妨げる。

自ら矛盾した行動をする者は、天に唾するように、必ず我が身に返ってくる。自分は核兵器を持ちながら、他には持たせないという考え方は、手に入れた者勝ちを意味するから、テロリストに自由に使用される恐怖が生まれる。それと同じだ。

情報化時代に、選択的に情報を流しても、必ず知られることになる。
情報制御による強制権力は、情報が伝わった時、一気に崩れる。


まほろば(6)争いの装置

2010年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

冷戦後、世界中で起こった地域紛争で、世界中の人が「民族」のバカバカしさを目の当たりにし、宗教テロで、狂信の恐ろしさを知った。
だが、それでもなお、当事者達はいまだに、狂信から抜け出せないでいる。

人種、民族、国・・・これらは全て、争いの装置だ。
これを基準に物事を考える人は、それ故に戦わなければならないと思っているが、実は逆だ。始めから闘争心を正当化する理由として、これらの概念にこだわっている。スポーツ試合のチーム別けだ。

例えどんなに穏やかに見える人でも。これを前提で発想する人は、ハ虫類脳からの論理展開をしているので、本音には闘争心がある。
もちろん、猛獣の檻の中に入れられたら戦わないわけにはいかない。
どんなに高邁な心と智恵で説いても、野獣には言葉が通じない。

この逆に、仏教ではトラに肉体を食べさせよと教えるが、これを言葉通りに受け止めれば、現実無視で説得力がない。
しかし、そうした心を持って、接すれば、猛獣と付き合うことができる、と言う意味なら、難しいが不可能ではない。

虐げられた境遇から生まれた、ユダヤ教の流れを受け継ぐ一神教には、異端に対する排他性がつきまとうが、
優越者から生まれたバラモン教の流れを汲む仏教には、虫の良さとともに、何処までも相手を理解しようとする多様性の共存がある。

仏教を受け入れ、仏教で治めようとする地域や集団には排他性がないが、排他的で自己中な野獣の世界で生き残るのは極めて難しい。
仏教を支えに生き残った国は、辺境の地域や、日本のような島国だったからだろう。

世界中が日本のことを排他的だと思っているが、それは自分たちの色メガネを通した理解だ。日本は元来、時間をかければ何でも受け入れる。
自分たちのように直ちに反撃して、自己主張しないからと言って、排他的に拒否していると思うのは、自分達の排他的な考え方であり、日本は何とか受け入れようとして、本来は時間をかけて悩んできた。

ところが、
その日本が明治、天皇を前面に出し、狂信的な自己主張に向かった。
これは、幕末に日本を圧迫した西欧列強に、「キレた」結果だ。
と言って、失敗を列強のせいにするわけではない。カオスの中で生まれた対抗の形体は、一時的には成功した。

神を持たない日本が、一神教の列強に対抗するためにホコリを払って、持ち出した天皇は、既に千年以上も権力ではなかったが、確かに、神や天にかわる規範ではあった。問題は、それが人間だったことだ。

古代権力を、実力の無い権威に変えていた日本だが、神性化した権威が、改めて権力の場に現れたことで、権威と権力が一体化し、ブレーキのない暴走車となった。


まほろば(5)集団自我

2010年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

日本と朝鮮は、いろいろな意見や感情があるが、単純に言ってしまえば、同根だと思う。
DNAでみても似たような分布比率になっている。
現代では、人種論など無意味であることが認識されているにもかかわらず、未だに双方には、人種の優劣などを言い争う人々がいる。

また、民族と人種の区別がつかない人も多く、互いに蔑視したり、嫌ったりしている。
この2000年の間に、外見的なカラーの濃淡ができたとすれば、朝鮮半島は、より大陸の影響を受け、日本列島は、縄文やアイヌなどの、原日本人の影響を受けたことだろう。

日本列島に、どれぐらいの渡来人が渡ってきたのか分からないが、様々な研究や、日本人の顔を見ていると、朝鮮人と日本人の人種的区別は、ほとんど無意味に思える。
もちろん中には、日本列島にしかない顔や、朝鮮半島にしかない顔はあるが、互いに違いを罵りあっている人の顔が、同類だったりする。

人種やDNAの多少の違いを言い争ったところで、不毛だが、民族文化は見るからに違う印象がある。
しかし、これも互いが違いにばかり目を向けているためで、笑えるぐらい同じこともある。

あやふやな概念であるにもかかわらず、人種と民族は常に殺し合いの種になってきた。これは宗教戦争と同じで、それを信じない者からすれば、ワケの解らないバカげた争いだが、取り憑かれている人間には、ギリギリの死活問題だ。

イジメられている人や、虐げられている人達のように、
苦しい境遇にある人ほど、自分が何者であるか知りたくなる。
苦しさに絶える理由が欲しいからだ。

「他から押しつけられた自分」をはねつけようとすれば、居直るしかない。他人の考えの方が間違っているのであって、逆に、自分こそが絶対に正しいのだと。

イジメられて、相手の全否定しか道が見つけられなければ、自殺になる。自殺は自己否定のように見えるが、自分というもの、自分の尊厳を守る最後の手段だ。自殺防止に大切なことの一つとしては、第三の価値観や生き方があることを、解ってもらうことだ。

個人には自殺しかないが、集団は、自分たちの全肯定に向かう。
奴隷の境遇から生まれたユダヤ教のように、不遇な立場を納得するため、「本当は自分たちこそが神に選ばれし者なのだ」という信仰が、他者否定となり、その生き方が、さらにまた新たな対立を生む。

同民族という信仰は、境界線の地域に現れる。中央から疎外され、自分たちが何者か解らなくなる時、自分たちの存在理由として、同民族意識が生まれ、それは同時に、排他的になり、争いの種を生む。
冷戦後の、強固な枠組みが失われた時に、地域紛争が頻発した。


まほろば(4)日本の輪廻

2010年09月06日 | 世相史観

歴史は、大きな歴史が6~700年で切り替わると言われる。
日本の場合。仮に「王朝」「武士」「市民」時代に分ければ、区切り方は、胎動期の3―10―17世紀とも、完成期の7―14―21世紀とも考えられるが、大転換700年説には説得力がある。

多くの政権時代は約300年だから、二世代なら前後で600年。
冥王星240年なら、上中下の約3周期で720年になる。

時代が加速し、一時代300年が、現代では土星30年で完結する。
その30年には、成長期の30年と、衰退期の30年があり、還暦の60年が、大きな歴史700年とほぼ同じことになる。
人生80年時代の現代人は、人生、最低一度は思想転換を迫られるわけだ。江戸以前なら、60年ごとに思想転換をする必要は無かった。

一方で、幕末日本を騒がせた「ええじゃないか」(お蔭参り)は、定期的に起こっていたといわれる。その周期は約60年で、ガマン好きな日本人は、60年おきに「キレる」らしい。

最後の「ええじゃないか」があったのが1867-8年、明治維新だ。
日本人が茫然自失のカオス状態になる周期が、5~70年だとすれば、1917~1937年(大6~昭12)の中にカオスがある。
大正6年~昭和12年と言えば、第一次大戦、金融恐慌、関東大震災、日中戦争、国際連盟脱退・・・と、幕末に匹敵する激動が続く。

ガマンにガマンを重ねた、日本人が「キレた」のは、日中戦争と国際連盟脱退と言えそうだ。後で考えれば、どうにも説明がつかない、茫然自失、自暴自棄の行動と言えるのだが、まさに「ええじゃないか」だった。
その後のことは語るまでもない。

さて、次の「ええじゃないか」は、前回の中点に当たる昭和2年を起点にすれば、1977~1997年。昭和52年~平成9年、もちろん、バブルと崩壊の時代だが、バブルこそが「ええじゃないか」と言えるだろう。
その後のことは語るまでもない。

明治維新日中戦争バブル
約60年おきの、カオスは、土星30年周期の2周期ごとに起こる。では、そのカオスからの1周期、前半30年間には何が起こったか。

明治維新から30年。日中戦争から30年。バブルから30年。
いずれも、苦難の時代であり、それを乗り越えようとする試練の時代だ。この周期から見れば、今はまだ、バブル後遺症が完全には終わり切っていないことも解る。

カオスから苦節30年。苦境を抜けると日本は、大陸に目を向ける。
明治維新→日清戦争→日韓併合。日中戦争→朝鮮特需→日韓基本条約。
いずれも、朝鮮半島との関係(ちょっかい)が軸になっている。
これは、若気の至りの無警戒だが、やがて、大失敗につながる。

まもなく苦節30年の今、韓国の日本への嫌悪感は、未だに80%にもかかわらず、日本の韓国への好感度は60%以上に達している。