ハーバード大学講義で、教授が長子に手を挙げさせると、8割近くが挙手したので、「私もそうです」と言う教授と会場は大笑いになった。
どうも、アメリカでは長子の方が成績優秀らしいが、「総領の甚六」と言う日本では、必ずしもそうではない。
これは、親の接し方や、教育制度の違いもあるだろうが、社会的な価値観の違いもあるのではなかろうか。(相関関係だが)
個性や独自性を価値あることと考えるアメリカでは、自分の考え方ややり方を主張する子を「賢い子」と考え、人の様子を見ることや、物まねの素早さを優秀とは考えない。
逆に日本、と言うより、東洋全体だが、見習うこと記憶することの早さや多さを「賢い子」と考える。
子供は、「この子は賢いねえ」と言われながら育つと、当然、よく勉強するようになるし、「アホだ」と言われれば、勉強嫌いになる。
生まれた時、手本のない長子は、何事も自分で考える癖が付くが、弟妹として生まれれば、先輩がいるから、物まねをすれば生長したことになるし、素早い物まねがうまくなる。
伝統のないアメリカでは、独自性、開拓精神が尊重され、えてして、長子が優秀とみなされ、伝統と踏襲を重んずる東洋では、弟妹の方が優秀とみなされるのではなかろうか。
ボンクラの兄に比べ優秀な紫式部を、父が「この子が男であれば」と嘆いたとか、三男が跡継ぎになる金一族とか、枚挙にいとまがない。
(もっとも、金正日は長子のせいか、確かに独創的だ)
長子の役目
国としては弟妹型のアメリカで長子型の人間が重んじられ、長子型の日本や中国で、弟妹型の人間が重んじられるのは、
「手本となる人」を必要とする弟妹国は長子を求め、人の言うことを聞く気がない長子国は、迎合上手を求めると言うことだろう。
立前では長子を重んじながら、実は弟妹型を好む東洋では、長子の役割は土台や捨て石であり、長子には一家の支えとしての先鋒「死に役」の責任が押しつけられている。
東洋で優秀な長子は、のびのびと優秀になったのではなく、多くは責任感で努力をした結果であり、少しでも出世して、親を助け、弟妹の面倒を見なければならないと思っている。
そして、その重圧のあまり、後を継ぐことや、親の面倒を見ることを好まない。
ところが逆に、子供の頃から長子の立場に憧れていた弟妹は、頼まれもしないのに、親の面倒を見たがるし、いかに大変かと吹聴する。
典型例が、若貴兄弟の喪主争いだ。
これは、核家族化の現代では特に顕著で、
気をつけなければならない例として、親の介護を弟妹が志願すると、世話を焼きすぎて、痴呆を早めたり寝たきりにしたりする。
傾向として、長子は、親と対等意識があるため、良く言えば尊重するから、過剰な世話を焼かないし、口では「ボケババア」などと言いいながらも、親を「痴呆老人」とは決めつけない。
親に対して対等意識が無い弟妹は、能力が低下した親を、逆に「痴呆」と決めつけ、赤ん坊やペットを扱うようにして大切にする。
これとは逆に、弟妹の親が、弟妹の子とべったり一緒に暮らして、共倒れするケースも少なくない。
弟妹型は独り暮らしが出来ないために、独りになると子供を囲い込むし、子供も親を見捨てられないと思う。
一方、長子は、この手の抱きつき親からは何とか逃れようと、さっさと出てしまう。
長子と弟妹の夫婦でも、うまくいかなくなる時のパターンがこれで、
おそらく気づいてはいないだろうが、海老蔵夫婦なども、結婚してから、むしろ海老蔵の外廻りが多くなったのではあるまいか。
喧嘩もべったりも含めて、弟妹型のチョッカイと絡み合いは、淡々と暮らしたい長子にとってはうっとうしい。