魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

火星牡羊(3)

2011年01月31日 | 星の流れに

ダイヤの話を上げた後、日本がアジアカップに優勝した。
ダイヤ話と一緒に上げるべきだったが、サッカーが観たくて・・・

優勝したから言うわけではないが、今回のザッケローニ監督は、これまでの外人監督の中で、一番好感が持てる(単純に個人の好みだが)。無駄がない実務派で、人情味もある。経歴を見ても、いわゆるサッカーバカではない。

占いで見ると、九星は香川と同じ二黒で、見た目は地味だが実力派だ。
自動車人間ではガソリンだから、天才肌。

で、ここからが前回一緒に上げるべきポイントだったのだが、

監督は4月1日生まれの牡羊座だ。木星が来ればチャンスと「栄光」に縁がある。
昨年、木星・天王星が牡羊座に来て、代表監督の話が舞い込み、今年再入宮したとたん、優勝だ。
木星が抜ければ、多少反動はあるだろうが、引き続き天王星が滞在しているので、日本代表もこの勢いに付いていった方が良さそうだ。

同様に、牡羊座の大活躍と言えば、ゴールキーパー川島だ。
やはり、同じ時期に正キーパーに出世し活躍中で、今回のアジアカップに到っては、鬼神の大活躍だ。
去年の九星で転機を迎えた人は、二黒・五黄・八白で、川島も八白。

牡羊座の集中力による大活躍で、実力が無くても、一時期の集中力だけで脚光を浴びる人もいる。そういう人は、木星が去ればガタガタになる。
今回の日本代表にはやはり、牡羊座が多い。ブラジル大会まで集中が続く人は少ないだろう。


なを、川島は3月20日生まれで、牡羊座の0度より前だが、実占的には、これは牡羊座と考える方が良い。もっと正確に考えれば、太陽の位置に対する影響の範囲ということだが、何よりも、川島のチャートでは、牡羊座の火星が吉角になっている。


火星牡羊(2)

2011年01月30日 | 星の流れに

29日のNHKで、二つの「ダイヤモンド」の話をしていた。
ワンダーワンダーで、「呪いのホープダイヤモンド」。
海外ネットワークでは、これまでダイヤ取引の中心だったベルギーに対し、加工の中心だったインドのムンバイが、取引でも中心になろうとしているという話題だった。

ダイヤは牡羊座の誕生石。これも牡羊座現象であり、山羊座の冥王星と連動してインドの変貌に関わっているようだ。

また、昨年、木星と天王星が牡羊座に来た頃から、旭ダイヤモンド工業の株が、突然、上昇している。「旭」も「ダイヤ」も牡羊座。


頼むから

2011年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

何度も言うように、天王星84年周期で言えば、今は昭和初期だ。

昭和初期といえば、繰り返す金融危機に、世界経済の対立、農業危機と、とんでも無い大津波が襲ってきている最中に、政党は政争に明け暮れていた。
あまりの迷走に、「もう、こいつ等にはまかせられない」と、軍部が暴走して、軍国主義の道に走り始めた。

今の状況は改めて言うまでもない。昭和初期そっくりだ。
そして、政界の様相はまさに党利党略の政争に明け暮れている。

今、解散などしていられる時だろうか。
自民も公明も、菅政権引き下ろししか頭にないし、民主はバラマキ福祉や借金会計しか思いつかない、母ちゃんの家計簿財政だ。

もう、失業した父ちゃんも、母ちゃんの揚げ足取りをして、政権を返せなどと言っている場合ではない。
とりあえず休戦だ。夫婦協力して、門先商いでもしなければ、借金取りに差し押さえられてしまうぞ!

昭和初期とは違うから、まさかクーデターなど起きないだろうが、
外国資本の浸食や不測の侵略、はては、地方の反乱にいたるまで、
政治家が、どたばた茶番を演じている足下の、舞台ごと崩れ落ちる惨事が待っている。
いい加減に目を覚ませ!

誰も、あんたらに期待なんかしていない。政治制度が悪いから、仕方なしに任せているだけだ。もうちょっと、身の程をわきまえて、協力し合って、なけなしの知恵をしぼってでも、努力をしておくれ。
タノム。タノムから・・・

大津波がこれ以上ないほど盛り上がって、迫ってきている。
あとは、ド~ン と、落ちてくるだけだ。


風雲児

2011年01月28日 | 占いばなし

香川骨折。どういうワケか、また韓国戦だ。
だからワールドカップ前の親善試合では無理をしなかったものの、さすがに本番では仕方ない。また、きっちり怪我人が出た。
しかも、その犠牲者が香川とは。本当にイタイ(><)

まあ、どういうワケかは深く追求しないとしても、韓国では、今度は日本人に対する「人種差別」の猿まねポーズ騒ぎだそうだ。
何時も「差別だ」と罵しっている人の独り相撲に、「差別された」と言い返す気など、日本側には全くないだろう。
関わらない、関わらない・・・

それはともあれ、少し占い的なコメントを。

香川は3月17日生まれの魚座。
昨年後半、香川は素晴らしい活躍をしたが、一つには、魚座の後半生まれで、帰って来た木星・天王星がまさに、そこに居たからだ。
ちなみに、木星・天王星が、牡羊座に入っていたワールドカップには使ってもらえなかったが、今度は、木星が牡羊座に抜けたとたんケガをした。
魚座の身体部位は「足首つま先」だが、香川の場合も足の小指で、サッカー選手の持病になり安いところだそうだ。

また、九星では二黒で、昨年は人生の転換点の年だから、良い方に転換したことになって欲しい。
自動車人間では、ボディーだから、良い師につくかどうかに掛かっている。良い監督、良い医師。


火星牡羊(1)

2011年01月27日 | 星の流れに

木星が牡羊座に再入宮したとたん、「新燃岳」が噴火した。
実はそんな火山があるとは知らなかったのだが、あまりにもピッタリ牡羊座の名前なので言葉がない。

改めて言うまでもない。「新」も「燃える」も牡羊座だ。「燃える」は火星そのまま。
いよいよ、本格的、牡羊座時代に入った。ますます、こんな名前が目立つようになるだろう。

2011(1)牡羊座2010~2018年


百年の計(5)江戸

2011年01月26日 | 新鎖国論

産業革命パラダイムからの大転換を先取りするには、産革パラダイムの屋台骨である、国家と大量生産から離れる必要がある。

大量生産が無くなるわけでもないし、国家的な地域集団も残るだろう。
しかし、その枠で考えていては、世界の趨勢に取り残される。

今でも、産革パラダイムしか見えない人々と、次のパラダイムに目を向けている人々がいる。
領土や国防論で国際関係を考える人々と、投資やNGO、果てはウィキリークスまで、国を越えた枠で行動する人々がいる。

真にこの日本の島を、この島に住むわれわれの子孫を守りたいならば、現状を捨てる、国家を超える発想をしなければ、かえって全てを失うことになる。
豊臣家を守ろうとした淀君が豊臣家を滅亡させたように、時代を読み誤ってはいけない。大阪城の寄せ集め浪人のような政治家の、党利党略の政争をしている時ではない。

百年先の世界での、日本のあるべき姿を見て、その上で今の政治を考える。すぐにはできないだろうが、目標が有れば着実に進んでいく。

新江戸時代
日本が最も充実していた時代は江戸だろう。今の日本が帰るべき時代も江戸だ。もちろん、全く同じではない。
江戸の、鎖国・循環社会を、グローバル時代に実現するには、それなりの形と仕組みが必要だが、要は原理を復活させることだ。

大企業の生産工場は国外に移し、研究開発部門を日本に残す。
無関税経済連携により、国内の下請け、および特殊技術の中小企業を保護、育成する。
(関税障壁が無ければ、国外工場に国内同様に納入できる)
通信が発達し大工場がなければ、大都市は不要だから解体し、地域主権で、人口を分散する。

サラリーマン社会から、コミュニティー社会*へ変え、年金や健康保険は止めて、最小でも絶対保障にし、仁徳と話し合いで、本当に困っている人を救い、元気な労働を自慢できるような、だれでも働ける社会にする。例えば高齢労働者を表彰する。
*(大家族制度の代わりに、地域全体が大家族になる)

地産地消の農業を基本とした地域経済を確立する。
特産品は現地で食べれば安くて美味しく、土産にもなる。そんな、昔の当たり前を取り戻す。
地域工業は江戸時代とは違い、外国を相手にできるメリットがある。
中小企業や付加価値手工芸も、地域経済の支えになるし、日本人の資質を発揮できる。大企業では日本人の多彩さが死んでしまう。

中央集権解体に抵抗するであろう優秀な官僚は、地域行政に分散し、地域間競争をすればいい。縄張り意識の強さを活かしてガンバルだろう。
中央政府はむしろ、地方政府によって支え、国防と地域間格差の調整だけする小さな小さな政府でいい。ただし、百年先も、国防の軍隊が必要とは思えない。世界警察なら必要だろうが。

タイ製の日産車を日本で買うように、工業製品は全て外国製でいいので、素材、ノウハウ、開発人材を、確実に押さえる。
そして、世界中が憧れる、農業と文化の美しい島ジャパンでありたい。


百年の計(4)心都

2011年01月25日 | 新鎖国論

昔、水洗便所の無かった頃。排泄物は近隣の農家が肥担桶(こえたご)で汲み取りに来て、農地にある野壷に貯めて発酵させ、それを肥料に使っていた。農家はそれがなければ肥料に困るので、汲み取りをさせてもらう礼にと、自家製の野菜や餅などを持ってきた。

ところがある時、農家の働き手が病気で倒れたために、汲み取りが途絶えてしまった。便所の肥壷は満杯になり、近所に来ている別の農家に頼んでも、一軒だけではないので、もう手一杯だという。
あちこちの農家に頼み回って、少しずつ汲んでもらい、何とかしのいでいたが、どうにか回復した元の農家が来てくれた時には、家中が大歓迎をして喜んだ。江戸方式が残る、半世紀前のことだった。

産業革命パラダイムの矛盾は、
植民地から、開発途上国へと、押しつけられてきた。
先進国という食物連鎖の頂点が、工業という草食動物から、金融や知財権という肉食動物に進化した時、牧草に限界が見え始めた。

草食動物が滅べば、肉食動物も共倒れする。
屎尿処理方式を変えずに、農家が化学肥料を使い出せば、都市住民はたちまち生活できなくなる。(実は農家もだ)

牧草地から現れた草食動物の中国を、餌のつもりでいると、肉食獣の先進国も共倒れする。所詮、肉食獣は草食動物に依存している。

農家が化学肥料を使うなら、都市も変わらなければならない。
最近、屎尿処理から肥料生産という、新江戸方式とも言える循環が生まれつつあるが、これは素晴らしいことだと思う。

中国という巨大な草食動物の出現に、大きな餌が出来たと喜んでいる肉食獣は共倒れする。
もし、産革パラダイムが続くとしても(続かないが)、中国を食い物にしようと企めば、逆に運命を握られる。
もう、動物の食物連鎖から解脱して、牧畜の道を歩み出す時だ。

牧畜をするには、まず、餌と排泄が大切だ。
餌は資源精製の方法であり、排泄は産業廃棄物の処理方法だが、それを相手の勝手にさせてはならない。
牧畜をするなら、ノウハウと素材は、絶対に手中に収めておかなければならないのだが、日本は、それを安易に譲り渡そうとしている。
日本が何で生きるのか、明確なヴィジョンがない。

中国に自動車を何台売ったとか、新幹線をパクられたとかはどうでも良いことだ。

百年の計
日本は、明確な百年の計を持って、陰の管理人たるべき、資源精製やリサイクルの技術力を、整備促進しなければ、ストローで吸われるように、何も残らなくなる。

そして、もっと重要なことは、学術・芸術の無形の力を発展させる「人集めの環境」作りだ。
ヨーロッパの、バチカン、フィレンッエ、ウイーン、パリのように、心の都としての「地球のジャパン」を目指す。

世界の生産工場から脱却し、経済永世中立とでも呼ぶべき、産革パラダイムからの鎖国によって、一国循環型経済を基本に、聞いて楽しい見て楽しい、情報発信の「ジャパン・テーマパーク」という生き方を選択する。
それは物を作らないモノ創りであり、一つの防衛の方法でもある。

小堺一機が、脅されたら笑いで逃れると言っていたが、芸は身を助けるとも言うし、かわいいお姫様は誰でも助けたくなるものだ。


百年の計(3)覇権

2011年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

隣の親父が、困ったチャンなら、なるべく疎遠にしておきたい。
多少の問題があっても、決してその場で抗議しない。負けてみせる。
道理を説こうとしても、「言われた」そのことに腹を立て興奮するので、結局、道理など通じないからだ。

どんなに口汚く罵られようと、無視をする。
ご近所や町内で、暗黙の了解をして、さりげなく閉め出してしまう。
かと言って、締め出し勢力の矢面には立たないように注意する。
日頃から、存在感を薄くして、決して、こちらの意志や状況を悟られないようにしていなければならない。

その上で、同じ商売はしない。もちろん、取引などしない。
取引をすれば、いずれ立場が逆転する。
全く異次元の生き方をする。隣が商売を始めれば、こちらは、学者や芸術家になる。同じ商売だと、常に目の敵にされるからだ。

覇権の国域
現代の領土紛争は資源問題だ。領土をプライドだという国も、「資源の裏付けがある国」の対面が欲しいだけで、やはり、領土問題は国力問題であり、産業革命パラダイムで生まれた、近代国家の原点だ。

今日の国境の概念も、産革パラダイムのものであり、それ以前は漠然と支配が及ぶところが自国だった。
中国は現地人に委託支配させて、その任命権の届く範囲を、自国と認識する冊封覇権を、いまだに国家と考えているようだ。

覇権で世界最大国家を築いたのがモンゴル帝国だが、中国の目で見れば、ドル支配体制は米国の覇権国域(領土)としか見えなかったのだろう、毛沢東時代には、一つ覚えで「米国の覇権主義」と罵っていた。

ところが、ドルが衰えてくると、『いよいよ、キター!』と、古代覇権王朝の夢が満開だ。やることなすこと、時代錯誤も甚だしい。

時代錯誤 1.古代帝国の覇権拡大を国の目的と考えている。
時代錯誤 2.グローバル化、国家枠解消の時代に、
         ナショナリズムに根ざす超大国を目指している。
時代錯誤 3.大量生産・大量消費の産革パラダイムで
         立国しようとしている。

こうした時代錯誤では、大転換の時代に、産革パラダイムの負の遺産を全部抱え込んで自爆する役割を担うことになる。

カニは砂浜の掃除屋だが、産革パラダイムの掃除屋として、中国が、旧時代の矛盾を引き受けてくれる新消費地だと期待すれば、とんでもないことことになる。先進国と称する国が、自らを改めず垂れ流していると、やがて共倒れする


百年の計(2)隣人

2011年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の「商売のための軍備」が見せかけだけかと言えば、そうではない。ゲリラ戦を原点とする中国共産党軍の兵器開発は、あくまでパクリであることに意味がある。

先日、中国のスーパーコンピューターが世界最速を出したと話題になったが、米国製の部品を使用したものだった。
このところ、中国の産業スパイが話題になっているが、先進諸国が、今頃になって、これはヤバイと思い出しただけで、始めからそういう戦略なのだ。

つまり、ハイテク兵器なら、中国はバカにできない。ノウハウは見ていれば分かることだし(同じ人間なのだから)、お金と、あと少しのデータさえ手に入れば、スパコン同様、あっという間に「同等品」を造ってしまう。

もともと、産業革命パラダイムの兵器競争など、鉄剣と銅剣ほどの大差はない。同じような情報と技術を持った者同士の戦いだ。
あとは、資金力と、ちょっとした運とアイデアに掛かっている。

中国はアメリカより強くなろうとは思っていないだろうし、その必要もない。対等でありさえすれば、少なくとも攻め込まれないし、対等にするだけなら、パクリで充分だ。

対等で、攻め込まれない状況が生まれれば、内政や隣家との小競り合いに専念できる。しかも、小競り合いで戦果を挙げれば、商品のデモンストレーションとして、兵器商売に極めて有効だ。もちろん、代理戦争も視野にある。

先ず自分の穴を守るのが、カニの生き方であり、いかにも中国らしい世界観だ。問題は、隣の穴に住む者は、常に小競り合いを仕掛けられるということだ。

カニ座との近所づきあい
ここで、改めてカニ座の性質を押さえておくと、
自分の家柄にこだわり(一目置かれて当然と)、それでいて、弱い庶民の味方であると思っている。
支配欲があるから、支配的態度に敏感で、批判的で攻撃的になる。
自分より目下の者には、保護してやらなければと思い込むため、極めて束縛的な教育ママ。内は管理、外は覇権。
内向きなので、町内会長になりたがるが、首相になる気はない。
何であれ、みんなに一目置かれたいから、嫉妬深く、利害に敏感。
好きな職業は、警官かヤクザかアイドルタレントかお笑い芸人。
日本の隣にはそんな国がある。

お堅い道理を言いたがるが、お為ごかしは、必ず自分のためだ。
本音は情緒的で、好き嫌いと損得で考える。そして、何より現金だ。
自分の価値観や都合に逆らう者には、突如、攻撃的になる。

見た目や質より実用であり、百均で良いじゃないかと思っている。
中国の富裕層が、高級品好みなのは単に「高い」からで、質を好むからではない。いずこも同じ、バブル期のブランド志向にすぎない。


百年の計(1)国防

2011年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

100年後。日本人は日本国に住んでいるだろうか。
流浪の民になるということではない。今いるこの地が、その時も国と呼ばれているだろうか。

昔なら、国の枠組みが変わるには、よほど大きな破壊や戦争が起こらなければ、100年やそこらでは変わらなかった。
しかし、領土と国家の枠組みは、情報やマネーによる国家アイデンティーの毀損で、今後は簡単に無意味になるかも知れない。

近年の、マネー暴走による相次ぐ金融危機、大停電や原発の事故など、国家単位では対処しきれない問題が増え続けている。

また、テロや災害が起これば、あらゆるハイテク機器が混乱する。
前世紀の戦争ごっこをしようとしても、情報通信が破壊されれば、ハイテク武器はガラクタどころか、暴走災害をもたらす。

本当に国家が、国民を守るためにあるのなら、国家を超越した世界的なハイテク安全保障に参加しなければならず、一方で、そのことは、「新型兵器」による戦争が不可能であることを意味している。

国家が武力を背景に、国家国民を守れないのなら、歴史的な、いわゆる「国家」は、無意味になる。
それを知りながら、武器開発を進める国家は、武器ビジネスが目的であり、それを操るのは国家を利用する兵器産業か、あるいは国家ビジネスだ。

したたか
経済台頭に有頂天になっている中国の言動は、お笑いに負けないぐらい、滑稽で稚拙だが、大局観において、押さえるべき所は押さえているのではないかと思えるところもある。

軍備で威嚇するアメリカに対し、衛星破壊をやって見せたことは、ハイテク戦争が、もはや不可能であることを示し、核抑止力から、情報抑止力の時代になったことを暴露したものだった。

現代ハイテク兵器が使用不能になれば、最後には、ローテクによる人海戦の中国が圧倒的に有利になる。
(※:まさに、これを書いている最中。米誌が中国の旧式戦闘機でも数に勝てないと報じたと、中国メディアが得意になっていた)
ハイテク兵器をバカにしながらも、ハイテク新兵器を開発する中国の目的は、あくまで商売だ。

軍人は、本気で戦争を考えているだろうが、誰か知らない、中国の指導者は(個人ではなく指導部のコンセンサス)
「もうからない」大戦争などする気はない。

むしろ、金による世界支配の魂胆なら大いにあるだろう。


一番解る

2011年01月21日 | 占いばなし

処女宮」でも話したが、
占いをやっていると、ありとあらゆる蔑視や暴言、皮肉、その逆に盲信や過剰な厚遇、礼遇に出会う。
その都度、占いというものの意味や立場がよく解り、考えさせられる。
決して、占いを重大な価値あるもの、とは思っていないが、占いと聞いただけで、嫌悪感をもたれることには、困ってしまう。

どういう根拠にせよ、占いを否定する人は、単に、逆の立場の信者に過ぎない。
これまで出会った限り、知的好奇心の強い人、(もっと言えば、レベルの高い人)に占いを否定されたことはない。真理を知りたいと思う人、あるいはそれに謙虚な人は、決めつけをしない。
占いという市民権のない存在であればなおさら、その実態を知りたがる。
占いは科学ではないが、占いを知ろうとすることは科学的態度だ。

先日、お笑い芸人が「女性は何で占いに頼ろうとするのかワカラン。自分のことは自分が一番よう解るし、自分で決めるモンヤ」と、納得し合っていた。

要するに、女と占いに対する蔑視なのだが、
確かに、占いは盲信すべきではない。
だが、こういう人は、「人は自分の頭(ターバン)が燃えていても気づかない」と言った、お釈迦さんより、よく解っているのだろうか。


長子活用

2011年01月20日 | 兄弟関係

ハーバード大学講義で、教授が長子に手を挙げさせると、8割近くが挙手したので、「私もそうです」と言う教授と会場は大笑いになった。

どうも、アメリカでは長子の方が成績優秀らしいが、「総領の甚六」と言う日本では、必ずしもそうではない。
これは、親の接し方や、教育制度の違いもあるだろうが、社会的な価値観の違いもあるのではなかろうか。(相関関係だが)

個性や独自性を価値あることと考えるアメリカでは、自分の考え方ややり方を主張する子を「賢い子」と考え、人の様子を見ることや、物まねの素早さを優秀とは考えない。
逆に日本、と言うより、東洋全体だが、見習うこと記憶することの早さや多さを「賢い子」と考える。

子供は、「この子は賢いねえ」と言われながら育つと、当然、よく勉強するようになるし、「アホだ」と言われれば、勉強嫌いになる。

生まれた時、手本のない長子は、何事も自分で考える癖が付くが、弟妹として生まれれば、先輩がいるから、物まねをすれば生長したことになるし、素早い物まねがうまくなる。

伝統のないアメリカでは、独自性、開拓精神が尊重され、えてして、長子が優秀とみなされ、伝統と踏襲を重んずる東洋では、弟妹の方が優秀とみなされるのではなかろうか。

ボンクラの兄に比べ優秀な紫式部を、父が「この子が男であれば」と嘆いたとか、三男が跡継ぎになる金一族とか、枚挙にいとまがない。
(もっとも、金正日は長子のせいか、確かに独創的だ)

長子の役目
国としては弟妹型のアメリカで長子型の人間が重んじられ、長子型の日本や中国で、弟妹型の人間が重んじられるのは、
「手本となる人」を必要とする弟妹国は長子を求め、人の言うことを聞く気がない長子国は、迎合上手を求めると言うことだろう。

立前では長子を重んじながら、実は弟妹型を好む東洋では、長子の役割は土台や捨て石であり、長子には一家の支えとしての先鋒「死に役」の責任が押しつけられている。

東洋で優秀な長子は、のびのびと優秀になったのではなく、多くは責任感で努力をした結果であり、少しでも出世して、親を助け、弟妹の面倒を見なければならないと思っている。
そして、その重圧のあまり、後を継ぐことや、親の面倒を見ることを好まない。
ところが逆に、子供の頃から長子の立場に憧れていた弟妹は、頼まれもしないのに、親の面倒を見たがるし、いかに大変かと吹聴する。
典型例が、若貴兄弟の喪主争いだ。

これは、核家族化の現代では特に顕著で、
気をつけなければならない例として、親の介護を弟妹が志願すると、世話を焼きすぎて、痴呆を早めたり寝たきりにしたりする。

傾向として、長子は、親と対等意識があるため、良く言えば尊重するから、過剰な世話を焼かないし、口では「ボケババア」などと言いいながらも、親を「痴呆老人」とは決めつけない。
親に対して対等意識が無い弟妹は、能力が低下した親を、逆に「痴呆」と決めつけ、赤ん坊やペットを扱うようにして大切にする。

これとは逆に、弟妹の親が、弟妹の子とべったり一緒に暮らして、共倒れするケースも少なくない。
弟妹型は独り暮らしが出来ないために、独りになると子供を囲い込むし、子供も親を見捨てられないと思う。
一方、長子は、この手の抱きつき親からは何とか逃れようと、さっさと出てしまう。

長子と弟妹の夫婦でも、うまくいかなくなる時のパターンがこれで、
おそらく気づいてはいないだろうが、海老蔵夫婦なども、結婚してから、むしろ海老蔵の外廻りが多くなったのではあるまいか。
喧嘩もべったりも含めて、弟妹型のチョッカイと絡み合いは、淡々と暮らしたい長子にとってはうっとうしい。


いなおり

2011年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

むにゃむにゃ
菅内閣は瀬戸際だそうだが、瀬戸内に面した人が中心だからだろうか。
山口、広島、岡山、徳島・・・など中国・四国の出身者が多い。

日本の東西は、東は保守的で、西は革新的だ。
東が美しさ秩序を求めるのに対し、西は現実的でざっくばらんだ。
歴史的に、日本が行き詰まると、西の力が必要になる。
(「」、「し」2東西の日本1

西と言っても、関西・中国・四国と、九州・沖縄にはかなり大きな違いがある。
九州はいわゆる「大陸的」であり、現実的で勢いがあり、何が最も有効かで動く。その為、中央権力志向が強く、東京(首都)を目指し、世界を目指し、上京、留学、マスコミ、芸能など、表舞台に向かう。
ちなみに、沖縄は海洋民であり、権力志向が無く、楽しく生きられるならこだわらない(九州より縄文日本的)。

これに対し、瀬戸内と近畿は渡来の古代王権の地であり、情と駆け引きの二面性がある。歴史的教訓からか、声高に叫んで走り回るより、丸く収めて実を取る傾向があり、一見、頼りなくいい加減に見えるが、ぬかりがない。

むにゃむにゃ
第一次菅政権はエンジンだったが、第二次改造ではハンドルが多く、奥が深くなったものの、話題の与謝野馨氏はやっぱりエンジンだ。
「何をやっているのか何をやりたいのか、サッパリ解らない」と、また批判されることになるだろう。

中身が無くても、次々と宣言するシャーシや、面白おかしく愛嬌を振りまくガソリンなら、見栄えが良く、人気が出るだろうが、菅政権でシャーシは前原外務大臣と岡田幹事長だ。
しかし、尖閣問題で見せたように、前原大臣はあまりにも視野が狭い。それが都合が良いアメリカは、将来の前原首相を期待しているが、それでは合衆国JAPAN州知事だ。

菅政権に必要なものは、官房長官とは別に、専任の報道官なのかも知れない。シャーシ前原なら、ドンピシャリだ。

覚醒の一手
関西瀬戸際政権が、どんなに頑張っても、東京九州勢を中心とするマスコミには、気に入られない。見た目のカッコ良さがないからだ。
(ちなみに、自民党は見た目だけで長続きした関東政権だ)
マスコミに気に入られなければ、支持率は上がらないことになる。

この瀬戸際政権が、起死回生の大勝負をするなら、あちこちの政党に秋波を送るより、ガソリン小泉純一郎を見習うべきだ。

TPPを振りかざしてマニフェストを廃棄し、反内閣を「抵抗勢力」と決めつけ、党派を超えたTPP推進派を結集する形で、絶叫演説をして、「TPP&消費税」解散総選挙に打って出る。
行き詰まってごたごたすると、人は極端な意見を支持する。これを日本人の「いっそ・・・」思考という。
必ず勝てるから、政界再編をすればいい。後か先かは状況次第だ。

しかし、そんな破れかぶれの潔さが有れば、こんなことには成っていないわけで・・・


タイガー

2011年01月16日 | 占いばなし

タイガーマスク現象について、「寅年は終わったのにトラが話題」とTBSの安住アナウンサーが言っていたので、ちょっとコメントしておきたい。

ご存じのように、西暦の新年が来ても節分までは前年の干支で、今はまだ寅年だ。寅年にトラの話題で何ら矛盾していない。

それよりも、60年サイクルで考えれば、ちょうど終戦直後の戦災孤児があふれていた時代と重なる。
昭和22年に始まった「鐘の鳴る丘」は昭和25年の寅年まで続き、テレビのない時代の、ラジオドラマの大ヒットだった。

復員兵が戦災孤児達を集めて自分たちの家をつくるというドラマ。
暗い時代に明るいテーマソングが頭の中に染みこんでいる。
「♪みどりの丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台~」

同じ頃、エリザベスサンダースホームなどもあって、孤児と慈善の気運が満ちていた。
昨年は、オヒツジ座の衝撃があった年ではあるが、全体を通してみれば、木星魚座の年であり、現在まだ木星が魚座にいる。

言うまでもなく、魚座は慈善や福祉を表すものであり、タイガーマスクの、「マスク」は魚座の象徴だ。
なお、「鐘の鳴る丘」の原作者、菊田一夫も魚座だった。

タイガーマスク現象について、賛同しながらも、何か納得できない人も少なくない。
それは、心理的考察をすれば長くなるので、一言で言えば、
60年前に似て、世の中が暗く、政治をアテに出来ないからだ。


紆余曲折

2011年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよTPPが、動き始めた。
天王星「おひつじ座時代」になったばかりだが、昭和初期から、戦争へと続くワインディングロードが始まった。

昭和初期の不況の中、世界中が、生き残りを賭けて、ブロック経済を形成し始めたわけだが、結局、その権益の争いが「牡牛座時代」に激しくなり、大戦争へとつながった。

今は、天王星84年周期の、まさに昭和初期。
FTAやTPPは、当時の植民地経済を前提にしたブロック経済と同じではない。しかし、材料は違っても、ケーキを作ろうとしていることは同じだ。

貿易に有利な相手と不利な相手ができれば、内輪と他人が生まれ、当然、利害の対立が起こる。
植民地を前提とした時代に対して、現在は、独立国同士ではあるが、経済的な意味においては何も変わらない。

ブロック経済の対立が大戦争を招き、それが植民地を解体したように、現代の経済連携の対立が起きれば、独立国が解体する。当然の事ながら、WTOのようなレベルでは統制できなくなる。

そうであれば、産業革命パラダイムの屋台骨である近代国家が解消し、新しい秩序が生まれるためには、この動きは、避けられないワインディングロードなのかも知れない。

ただ、これから始まる対立が、必ずしも大戦争になるとは限らない。
情報や知的所有権、検疫や移民、核事故など、諸々の仕組み、枠組みの大混乱、大破壊が起これば、世界戦争以上の秩序破壊になる。
いずれも、現在の国家自治を前提にした管理では、まかないきれない問題だ。


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