喧嘩両成敗
良い戦争など絶対に無い。殺戮は何が何でも止めなければならない。
目前の被害者は救わなければならないが、情だけで考えると、次は自分が被害者になる。
救うことと、味方になることは全く別問題だ。
「被害者なら正義」の思考は無責任と甘えであり、同情する仲間が多ければ正義だと思う人は、自省心や自立心、他者に対する責任意識が全くない。
この様な人は、「懲りない面々」であり、何度でも同じ事を繰り返す。
日本には昔から「喧嘩両成敗」と言う言葉がある。和と中庸の思想だろう。
キジも鳴かずば打たれまい。火のないところに煙は立たぬ。窮鳥懐に入れば猟師も殺さず。魚心あれば水心、盗人にも三分の理・・・かわいそうな被害者が必ず正しいとは限らない。
正義論の前に、少なくとも、どちらか一方が賢ければ、トラブルは起きないからだ。
ロシアの侵攻で、バイデンの支持率が急上昇し、ウクライナ大統領ゼレンスキーは英雄になった。
刻々と告げられる悲惨な状況に、世界中が「ウクライナを救え!」の大合唱だ。
渦中のウクライナ人を救うのは当然だ。
争いが起これば、みな興奮し、経緯など吹っ飛んでしまう。
今は、「戦争反対」や、「誰の責任」どころではない。火事は何が何でも消火だ。
しかし、こんな時こそ「Get Cool Boy!」だ。
消火をしながらも、火はどこから起こったか、念頭に置かなければならない。
ロシアに隣接する日本だからこそ、鎮火の方法と、鎮火後の処理を誤らないためだ。
極端な話だが、目の前で殴られて血だらけになっている人がいたら、誰でも殴っている方が悪いと思うが、実は、強盗が逆襲されているのかも知れない。
燃える家から「助けてー!」と叫んでいる人は助けなければならないが、実は夫婦げんかでストーブを投げつけたのかも知れない。
今、助ける目の前の被害者に罪はない、とは簡単には言えないのだ。
火中の人
手を下したプーチンに是非の余地はないが、バイデンとゼレンスキーが正義の英雄とは決して言えない。まさに喧嘩両成敗の当事者だ。
戦争は、正義の立前論から生まれる。戦場の英雄が賢明な政治家だった例は少ない。
ウクライナの善戦とゼレンスキーのリーダーシップが、世界の耳目を感嘆させているが、なぜプーチンが殴り込んだか、戦争裁判の前に、戦争に至るまでのゼレンスキー大統領の言動を子細にチェックしておく必要がある。決して賢明な政治家とは言えない。
こうなっては、完全にプーチンが犯罪者だが、国民を戦火にさらした責任はゼレンスキーにも有り、その大統領に喝采した国民がいたことは、忘れるべきではない。
戦火の中で譲歩案を出すなら、平時に交渉ができたはずだ。
つまり、目の前でいかに悲惨なことが起こっていても、冷めた判断力を持ち続けなければ、戦火に加担することになり、同時に身を滅ぼすことになる。
ウクライナは、美しい人たち、優美な舞台芸術、勇敢なコサックの国だが、ロマンと情緒にあふれる反面、あまりにもピュアーでナイーヴゆえに、大国に翻弄されてきた。
世界の地政学の狭間には、このような国が少なくない。そして、大国間の大戦争はこうした国が火元になって起こる。
Boy, Boy, CrazyBoy!
Get Cool Boy!