魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

毒を薬に

2022年04月30日 | 星の流れに

昨年の暮れ、「土星水瓶」で、ソ連崩壊時と同じ30年目の水瓶座の話を書いたが、このロシアの不幸が天秤座のプーチンには地味な吉角であることを記した。
西側から見ると明らかな失策なのにプーチンの支持率は80%以上ある。もちろん、様々な情報工作の結果だが、それが上手く行き、同時にそのことがロシアの不幸であると、星の影響はいずれも正直に現れている。

問題は、同じ天秤座の日本だ。円安など状況は悪いが、不都合ではない。
つまり、世界のこの悪環境を逆手にとるかとれないかは日本次第だ。
土星の吉角を活かすのは、諦めと、悟りと、温故知新だ。
日本が諦めることとは何であり、何を悟り、どこまで遡って考えるのか。

今後、日本が「諦め悟る」こととは恐らく、明治維新からの「一等国」だろう。これは劣等国になることではない。むしろ逆だ。大国や列強の古い価値観で考えることを止めるということだ。世界は変わった。
これからの世界は規模や力ではなく、影響力の時代になる。
産業や軍事の大きさではなく、いかに世界に信頼され求められる国になるかだ。力ではなく、知恵や魅力や調整力で、インフルエンサーにならなければならない。
ウクライナ戦で象徴的なのは、巨大パワー兵器が、ドローンを始めとする小型「機能」に勝てないことであり、困り者的なトルコが意外な活躍をしていることだ。あらゆる価値観の見直しが迫られている。

グローバル時代の中心
21世紀はネットワークの時代であり、大きな物は邪魔になる。
察し合いの日本は、実は世界のどこよりも、平均化された知恵と力が連携し合っている、ヒーローや独裁者のいないネットワーク社会だ。
これは、長い歴史の中で生まれた日本の体質であり、その集団力が明治維新後の国家競争時代には役だったが、今後はその能力が逆に国を萎縮させることになる。

画一的な学校教育の弊害で、国民の能力が一定レベルより向上しなくなっている。低レベル基準の一元化だ。一刻も早く、若者を画一テストから解放し、多様な生き方を推奨しなければ、日本は窒息死する。遺伝の法則が示すように、偏った生物は絶滅する。
日本の「温故知新」とは、それぞれの地域、それぞれの職業、才能が得意分野に打ち込める、江戸の多様性を、もう一度見つめ直し、さらにそれを世界に広げることだ。
周回遅れの中国と真逆の方向に向かうことは、すなわち、21世紀の本流であることを示している。
中韓がトップを占めるような、国際学力テストなどとは違う方向に向かう時だ。

ロシアの失敗は、ネットワーク時代を理解していなかったことだ。単一のタテ型大組織で世界や国家を統率できる時代は終わった。中国もコロナや弱小国に対し、一方式で治めることができると思っているが、失敗するまで止まらないのが中国だ。

現在、土星が水瓶座にあり、来年は魚座に移るが、替わって冥王星が水瓶座入りする。
凶星を活かす時が来た。プーチンは天秤座でも水瓶座ロシアの大統領だから船が沈めばともに沈む。しかし、日本は国そのものが天秤座で、凶星が吉角にいる。
唯一心配なのは、2025年、土星と海王星が牡羊座に入ることだが、天王星も直後に双子座入りするから、むしろ大チャンスになるだろう。

 


何を今頃

2022年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

中国とソロモン諸島が安全保障協定を結び、米豪日などの太平洋諸国が慌てている。
中国の太平洋攻略は遙か昔から始まっていたことで、インドネシアやフィリピンなどには目を向けても、小国を甘く考え、無視してきたツケが回ったのだ。
このブログで10年前にこの心配をした時、既に状況はかなり悪化していた。
素人目にも解るほど、中国が人海戦術と贈り物攻勢をかけているのに、放置してきたのだ。
→「イヤな話」20121217

太平洋の島国はいずれも小さな村と同じで、大国の思惑次第の歴史を辿ってきている。世界情勢など関心がない。大国の思惑を止めるのは大国自身だ。
環太平洋の先進国は、小国の国家主権を尊重してきたのだろうが、中国のようないわゆる権威主義国は、小国主権など念頭にない。周辺自治区は言うに及ばず、アフリカにせよ太平洋にせよ、小国は家畜を手なずけるのと同じように考えている。
餌を与えムチで叩いて調教するやり方だ。借金漬けも全く同じだ。

少なくともインドネシアやフィリピンは大国であり、外交交渉が通用するが、太平洋の島国に自覚を求めるのは、様々な意味で、先進国の甘えだ。
小さなどの国もおろそかにすることなく、観光、文化交流を始めとして、緊密な交流をはかり、中国を上回るベネフィットを提供すべきだろう。中国の贈り物には必ず計算が含まれているが、これを上回るWINWINが必要だ。おそらく最も有効なのは、招待留学だろう。


言葉拾い

2022年04月26日 | 京都&ケンミン文化

京言葉と言えば「どす」が浮かぶかも知れないが、今、日常で聞くことは、まず無い。滋賀県の農村の年寄りが話しているのを近年、TVで聞いたことがある。この場合、「どす」ではなく、「どふ」に近かった。
半世紀前に、京都市内のお婆さんが、近所に孫を迎えに行き「おやかまっさんどふ」と挨拶していた。この「お騒がせしました」も、「どふ」だった。
発音は時とともに変化していくそうだから。「どす」の原型はやはり「どふ」で、それも近江が発祥だったのかも知れない。あるいは逆に、京言葉が残ったのかも知れない。
大阪弁の「だす」も、今では漫才のギャグぐらいだが、いずれも、現代では「です」に統一されている。近頃は「す」だけで、「そうすか」などと言うが、これも無くなり、丁寧語は消えることになりそうだ。

「むっくり」
近頃、有名な京言葉と言えば「はんなり」だが、こうした形容詞の一つに、「むっくり」がある。しかし、この言葉は解りそうでよく解らない。
単純に聞けば「太っている」ことだろうと思うが、実際に聞いたのは、ほめ言葉としてだった。
「むっくり」は、「もっこり」を連想し、「むくつけき」のように否定的な印象は無いが、「M」音が男性音なので、存在感を表す言葉なのだろう。おっとり上品な感じも含んでいる。
「おたくの坊ちゃん、むっくりとええ感じで、ようモテはるやろ」みたいな使い方をする。とくに太っているわけではないが、赤ちゃんのふっくらした魅力をいうのかもしれない。現代の男優には見られないが、往年の高島忠夫などが思い浮かぶ。

「むっくり」は、欧米風のハンサムが入ってくる以前の、日本的男前の一つかもしれない。
男の和服は帯を下に落として、腹をおし出し気味にするのがカッコ良いとされる。
どうも、昔の日本では、太っているのはステータスで、お金持ちとしてモテたようだ。

世界でも日本人は痩せていることで知られ、スシ・和食ブームも健康食のイメージが寄与した。飽食の現代でも「日本人は痩せている」のだから、昔は太っている人は特殊な人で目立ったはずだ。
「源氏物語絵巻」の光源氏も、高松塚の美女も、あきれるほど太っている。
七福神もモッコリ腹だ。中国人の健康指南の大先生と称する人がアメリカ人に健康法を指南していると、白人女性に「健康そうには見えないけど!」と突っ込まれていた。その先生は相撲取りのように太っていた。また、相撲の英国遠征を見たイギリス女性は「ちっともセクシーじゃない!」と顔をしかめていた。
太っているのが良いとされるのは、ギリシャ文明から遠い極東のパワー信仰かも知れない。ジンギスカンや、フビライに憧れてか、北朝鮮の金一族は太り過ぎで健康まで壊し、超人のイメージのために命までかけている。中国共産党の独裁的リーダーは、毛沢東、江沢民、習近平といずれも太っている。

極東のデブ信仰は、日本にも伝搬したものの、極寒の大陸と違い、温帯の日本は太って暮らすには暑すぎる。平安時代もそうとう暑かったようで、宮廷など壁の無い家が主流で、冬はかえって寒く、十二単はその結果だ。常時寒ければむしろ分厚い服になっただろう。
太ることが苦痛となる日本でも、王朝文化の関西では、やはり魅力の一つとして「ふくよか」が残ったのではなかろうか。
関西人のイメージは、関東人に比べれば明らかに「太い」

「もうし」
もう一つ、面白い京言葉に、「もうし」がある。
これは、子供にシッカロールを塗るような時に、「四つんばいになりなさい」と言う意味だが、「もう」は「モー」と鳴く牛のことで、「モーしなさい」=「牛さんになりなさい」ということだ。
都では牛車が街を行き交っていたでもあろうし、周辺は農地に囲まれているので、どこでも牛を見かけただろう。象もライオンも見たことがないのだから、牛は迫力だった。馬は動き回るので、子供を大人しくさせるには向かない。


真の国防

2022年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

世界はもはや完全に、84年前が巡って来ている。
今は1937~8年で、さしずめ、ドイツが今のロシアで、ソ連が今の中国のようだが、そう単純でもない。歴史の周期は全く同じものではないが、別の役者が同じシナリオで演じる新解釈の公演だ。
84年周期で行けば、後3~4年すれば、アメリカが覚醒する。
とりあえず、今は戦時下だ。現役世代の誰も体験したことのない経済状態が現実になってきた。不満を言っても物不足は解消しない。そして、あの負け戦の中でも儲けた連中はいた。

戦時下で、世界的な物流が途絶えると、資源があって戦禍の無い国が生き残る。それがアメリカ大陸だった。
日本は今、戦後の生き方を改めなければ生き残れない時が来ている。
すぐ、軍事ばかり叫ぶ人がいるが、何よりも根本的な問題は、誰にも頼らなくて良い自給自立の独立体制を整え、その自信の上での外交が先だ。
国力の礎は、やっぱり!農林水産業だ。
今どれだけ、国土が荒れているか、真剣に、足下を見る時が来た。

84年×2
明治以降の国家戦略を、抜本的に改めなければ、生き残れない。それほど大きな岐路であることを、既存の国家システムで育った今の政治家では、到底理解できないだろう。靖国神社に参るぐらいなら、伊勢神宮に参る時だ。
学校や大企業とは全く無縁の、野人でなければ、日本を守れない。


殺戮集団

2022年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

まさにこれを書いている最中に、NHKの「忘れられゆく戦場」が放送された。

★★★
経緯がどうであろうと、燃えている火事は消さねばならず、燃えているのはウクライナであって、ロシアではない。世界中がウクライナの応援団になるのは当然だ。
が、しかし、どうにも納得いかないことがある。

ウクライナは複雑な行きがかりで敵対してきた国同士の戦争だが、ミャンマーは国民の意思がある日突然踏みにじられ、国民が惨殺されている。若者が立ち上がり反政府軍として戦っているにもかかわらず、全く支援が見られない。中国流の内政問題論理がまかり通っているのだろうか。
また、戦乱の続く中東の国で、大量の死者や難民が出てもウクライナほど注目されない。
ロシアという大国の起こした戦争ということもあるが、欧米に直接関係している国だからこれだけ注目されている。

ミャンマーとウクライナの構図は、全く同じものだ。
圧倒的な軍事力を持つ者が、自分の思惑の邪魔になる勢力を抑え込もうとして弾圧し、想定外の抵抗にあっている。
プーチンは、ウクライナをロシアの一部と考えているのだから、ミャンマー政府軍と同じ動機だ。
ロシアもミャンマーも、攻撃を始めた側には正統性がなく、しかも、思い通りに行かなくなって、無差別攻撃を始めた。

それでも、ウクライナには軍事力があったが、ミャンマー軍は丸腰の国民を無差別に殺戮している。そしてNHK報道によるとロシアと中国がその軍を支援している。
ウクライナとロシアには、戦争の前に外交交渉の余地があったが、ミャンマーは交渉どころか、国民には全く発言権がなく、まるで養鶏場のニワトリのように殺されている。
ウクライナに声援を送り、軍事的支援を考える人は、ミャンマーの若者にこそ軍事支援を考えて欲しい。ミャンマーは「喧嘩両成敗」ではない。ミャンマー軍は成敗されるべき殺戮集団だ。

ミャンマーの反政府軍こそ、地対空ミサイルや対戦車ミサイルが必要だ。大きな武器は要らない。数万円ほどで作れる自爆ドローンでも十分だ。日本の若者はウクライナより、同じアジアのビルマ(ミャンマー)に目を向けて欲しい。


底の流れ

2022年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

NATOに加盟できなかったウクライナが、ロシアの侵攻に遭ったことで、慎重だった北欧のフィンランドとスエーデンが加盟の動きを加速させた。
長年、ロシア=ソ連に苦しめられてきたフィンランドは極めて賢明な知恵を絞ってきたが、こうなったらもう遠慮は要らない。ということだろう。
ソ連崩壊後、旧ソ連下で苦しめられてきた国々が、反対側のNATOにすがった気持ちは良く解るが、主体的で責任のある知恵とは思えない。また、NATOも冷戦後の戦略を立て直す努力をしたのか、甚だ疑問だ。冷戦勝利に浮かれていたのではないか。
この点で、実際にロシアから国を守ってきたフィンランドやスエーデンは、大人の智恵で中立を選んできた。

旧NATOと、旧ソ連のワルシャワ機構の国とは、それぞれ別の軍事同盟を構成した上で、相互協力をするようなことはできなかったのだろうか。
いきなり旧宗主国に敵対するスタンスが、ロシアの怒りと孤立感を深め恐怖心を募らせていった。あげくには「ウクライナお前もか!」で、ブチ切れた。

もっとも、今回の侵攻はプーチンの戦争であると同時に、バイデンの戦争でもある。
結果的に、プーチンはハメられたと見るべきだろう。誰が考えても割に合わない戦争を、ろくに準備もせずに始めてしまった。この戦争を、ロシア側から見た実態は惨憺たるものだ。
プーチンが、「ロシアは核保有国だ」とあえて脅しをかけたのは、それだけ他国の参戦が不安だったからであり、準備ができていないことを自覚していたからだ。
バイデンが朝から晩まで、「止めろ、止めろ、止めろ」と猿之助のように叫くことで、「お前の言いなりにはならない!」と、意地になって「やっちまった」。もちろん、ウクライナを甘くも見ていたのだろう。

悲惨な戦争の裏で、一番、得をしているのは誰か。決して見落とすべきではない。
ロシア語を見たくもないとか、ウクライナ人経営のロシア料理店に石を投げたりする人たちの、全く理解できない川の底で、世界は動いていく。


通し番号

2022年04月13日 | 占いばなし

「チコちゃんに叱られる」で、カレンダーに六耀が記載されることになった経緯を紹介していた。明治政府の開明政策で暦註を禁止した結果、潜りのカレンダーが出回り暦註を何でも載せて六耀まで載るようになった。戦後、暦の規制は無くなったが、葬祭ビジネスに利用され、結果的に最も単純な六耀だけが残った。

宝くじ売り場に「本日大安」と書いてあるが、書く人も読む人も、どう思っているのだろう。「大安」なら当たる!確率が高くなる!と思うのだろうか。自分だけ!?
こんな、誰が考えても解りそうなことでも、結構それを気にする人がいる。
占いの立場からすれば、六耀ほど迷惑なものはない。
占うための何の指標でもないことが暦に書かれ、載ってもおかしくない干支が無い。
カレンダー業者も時計屋さんも、社会に害毒を振りまく六耀を止めて、干支に置き換えて欲しい。

干支を常識に
毎日の干支はそれ自体に吉凶はなく、しかも、西暦も和暦も超越する「古代からの通し番号」だ。昔の日記などは日付の代わりに日干支が記されている。
太陰暦の場合、閏月もあるから月日が定まらないが、日干支なら簡単に特定できる。
政治的事情で暦は何度も変わっているが、何暦であろうが、60日サイクルの日干支で歴史を遡ることができる。
通し番号の七曜は一週間として当たり前に記載されるが、2ヶ月60干支は憶えるには多く、東洋限定ということもあり、全く無視されている。

六耀は葬祭ビジネスが広めた害毒だが、冠婚葬祭に対する意識も変わってきた。
もう、世の中に六耀は必要ない。カレンダー業者や時計屋さんは、今後も何か入れなければ寂しいのであれば、是非、六耀に替えて干支を記載して欲しい。
あまり利用価値がないように思われるかも知れないが、見慣れてくると、一年の現在地点が理解しやすくなる。

2022年、正月元日が甲寅(51)だった場合、次の癸丑(50)が60日目で、カレンダーを一目すれば、3月1日とすぐわかる。次の癸丑4月30日は120日目だ。
また、10日単位の計算も、起算の日の干で見ればすぐわかる。1日が甲なら癸の日が10日。
あくまで、見慣れてくればだが、カレンダーにも時計にも記載してあれば、常識になる。暦は大小の月や閏年など不規則だが、干支配列は不変であり、暦を実質的に把握するには欠かせない。義務教育に入れても良いぐらいだ。
暦の信用を汚す六耀を一刻も早く廃止し、合理的で、しかも雅な干支を是非、定番にして欲しい。


扉が開く

2022年04月12日 | 大転換

論旨は様々だが、ウクライナ侵略に喧嘩両成敗だという人は少なくないらしく、それに怒る人も少なくない。悲惨な被害者をつかまえて、「お前も悪い」はないだろう。
だが、戦っている以上、先ずは喧嘩は両成敗とみるべきだ。政治家は火事場で勇み肌を見せる前に、外交の知恵を絞る責任があったはずだ。

その上で、大局を観れば、始まってしまった以上、決してロシアに勝たせてはならない。これは、露軍が非道だからではない。
戦争の非道は、どの国でも犯す。ロシアがそれを常套戦術として用いているから特別というわけでもない。ロシアもレーニングラードで100万人の死者を出した。また、アメリカがベトナムでやったことを思い起こせば、ロシアへの怒りは、人類への嘆きに変わる。何であろうが、戦争は決して起こしてはならないのだ。
ロシアに勝たせてはならないのは、正義のためではない。凄惨な悲劇の陰に、世界のパワーバランスが直面する現実があるからだ。

外交は対処療法だが、戦争は外科手術だ。開けてみなければわからない。
100年越しの懸案が一気に解決することもあれば、死ぬこともある。外交ではできなかったEU加盟も、被害者としてなら可能になるかも知れない。
語弊はあるが、ゼレンスキーは世界史の狂言回しだ。もし、彼が極めて賢明な政治家だったなら、この悲劇は起きず、当面、中露の勢力拡大は続いていただろう。

ところが、今回、誰も想定していなかった、「代理戦争」が起こってしまった。もうごまかしは効かない。露軍のチェチェンでの残虐行為もウクライナで証明された。事実上のNATO対ロシア戦を、中国は試金石として虎視眈々と形勢を窺っている。。
これは同時に、対中国戦でもある。南京30万人大虐殺を叫び、ハリウッドで映画まで作って日本叩きする中国が、ロシアにどんな態度を示すのか。場合によっては、日本にとっても反撃のチャンスなのだが・・・

21世紀の幕開け
今起こっていることは、新しいことの始まりではない。既に起こっていたことの覆いが剥がれつつあるだけだ。
地政学的戦争や、大型兵器による戦争の時代から、情報と小型兵器による公開戦の時代に入り、「戦争が不可能な時代」に入りつつある。巨艦巨砲から飛行機戦へ転換した時のように、戦争は電子・情報戦の時代に移った。
戦車や空母が無意味になり、トップダウン型軍隊組織が機能せず、戦場の隠蔽が不可能になる。近い将来、ミサイルも機能しなくなるだろう。
全て電子機器で制御される以上、情報・電子次元の無力化で、先端兵器は使えなくなる。

それでも戦争をしたいなら、19世紀以前の戦争に帰るしかないが、国家そのものの存在理由も薄れている。情報の海の中で、世界同時認識によるコンセンサスが生まれ、地政学は無意味になり、結局は、世界政府への道が始まるだろう。

コロナ、チャイナ、ウクライナによって、いよいよ、新しい250年の扉が開こうとしている。


ボーッと

2022年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

もしかしたら、日本人の多くはロシア崩壊を心待ちにしているかも知れない。
サハリンは無理でも、北方4島なら、買えるかも知れない。
だが、侵奪の張本人ソ連崩壊の時さえ、「ボーッと生きて」た日本だから、やっぱり無理だろう。
それに、もはや日本は中立国ではない。
アラスカを買ったアメリカは、当時、中立国だった。


冷徹の時

2022年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

1949年、国連はイスラエルを加盟承認した。3000年前の伝承を根拠に自国と定め、現住民と争いながら建国宣言した国を、国連が承認したのだ。今のウクライナのクリミアやドンバスを承認したようなものだ。国連の一方的な判定には、ユダヤ人の壮絶な悲劇に、世界が同情していたことが大きい。
今日まで続く中東の混乱は、欧米の植民地主義と国連の情緒的判断が尾を引いている。

悲劇を目の当たりにすると、世界は判断を誤る。ウクライナは絶対的な被害者で、ロシアは絶対的な悪と決めつけて判断すると、歴史に大きな禍根を残すことになる。
日本には嫌韓ムードが満ち満ちているが、嫌韓でありながら、ウクライナに一方的な応援をしている人は、一面的な感情でしか考えられない人だ。もちろん、この意味もわからないだろう。そして、世界には圧倒的にそういう人が多い。国連も例外ではない。
今も、世界中でロシア人叩きが起こっている。コロナが広がるとアジア人叩きが広がり、真珠湾攻撃で、日本人は問答無用で収容所に送られた。

ウクライナの悲劇で、「被害者」ゼレンスキー大統領のSNS的演説に感動する国会議員やマスコミは、ウクライナの正義ありきだ。
麻原彰晃の言葉に感動したエリート達は、「素晴らしき尊師」ありきで、自分たちの持てる知識を駆使して麻原の言葉を合理化し、素晴らしいお言葉と解釈し、心酔した。
情緒による「思い込み」に従えば博識のエリートといえど、冷徹な判断ができないことを物語っている。
ゼレンスキー演説がいかなるものであるかも判断できない政治家は、突然、キエフをキーウに変更し、チェルノブイリをチョルノービリに変えた。これ自体は問題ではないが、情緒に駆られていることが問題なのだ。

状況を配慮せず、願望だけで無自覚に挑発し、結果的に戦争を招き、多くの犠牲者を出した後で、妥協案を出し、あげく、中国を加えた安全保証枠を求め、残酷な戦場に怒り、停戦交渉を拒否し、国連をなじる。言動に嘘はなく、全くその通りなのだが、これは政治家のすることではない。
定見のない名優に、感動、賛同して、盲動する人々の意見で、世界の枠組みが決まっていくとしたら・・・
同じ事はバイデンのミス演説にも言えるが、悲劇の現場の声にはインパクトがあり、誰も反論できない。
こんな状況で生まれたのが、今も混乱する安保理や、中東問題ではないのか。

今こそ、エリート達は冷徹になる時だ。
映像の世紀、加古隆の「パリは燃えているか」を聞きながら考えて欲しい。
今、何をすべきなのかを。


プーチン

2022年04月07日 | 占いばなし

ウクライナ侵略は、「プーチンの戦争」と呼ばれている。どうにも理屈に合わないプーチンの意志決定に、世界中が不思議がり、何とか答えを探そうと、実に様々な見方が出た。
それぞれもっともで、異論はない。
ただ、占いで観れば極めて単純な話だ。しかも、これは政治とは次元の違う話だから、いずれの見方とも矛盾しない。

闘牛外交」で、言った通りだが、もう少し補足すると、プーチンは独裁者型ではない。
独裁者型というのは、意外に行動力がなく、敏感で純真、直情的で、子供のような所がある。周囲のエリートが思いつかない発想を持ち、常識的な判断に、意表を突いた指摘をする。これを繰り返すうちに周囲は反論できなくなる。自動車人間のガソリンに多い。ゼレンスキーはガソリンだ。
エンジンのプーチンの場合は、快活でよく動くので、周囲の利害関係者には使い勝手が良く、祭り上げられていったのだろう。身近な例では、東京都政のドンと言われた人がいるが、独裁者ではない。
2016年の「マメ勝負」で書いたように、欠かせない人になっただけのことで、特に自己主張もなく、都合の良い人に過ぎない。

ところが、プーチンは運の流れで、突然、「我」=自己主張が出てきた。都合の良い人が勝手なことを始めたのだが、身にそぐわない権力を持っているので、こんな結果になってしまった。
論より証拠の現金な中国では、プーチンのようなタイプが尊重されてきたが、習近平は始めから「我」のシャーシであり、たまたま実績を上げて上り詰めたものの、現実的な対処重視の中国政治には障害になる。現在のコロナ政策や、産業抑制政策はみな自分の思い込み、「我欲」だ。
つまり今、中露ともに、「我欲」による不合理な行動をとっており、リーダーを替えない限り、事故を起こす。ロシアは既に、やっちまった。

三碧
プーチンを動かしたもう一つの要因に、「三碧」がある。三碧は若いうちに出世するが、老いると無能になる。三碧の陥りやすい犯罪が詐欺なのは、実体のない情報世界に生きているので、自分でもその気になれるからだ。今流行のメタバースの人で、リアルと仮想現実とを取り違えやすい。若くして出世するのは、世の中の知識を駆使し、さもデキる人のように見えるからだが、実質がものを言う年齢になると、信用されなくなる。ただし、架空世界の芸能界では生きられる。
昨年2021年は、六白の年で、三碧は精神的に追い詰められる。今の動きはこの時からだろうが、本気で侵攻するつもりではなかっただろう。


戦争犯罪

2022年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ロシア軍の撤退した後に多くの無残な死者が横たわり、残虐なロシア軍が強調されている。
こうなることは必然であり、これが「戦場」の真実だ。
事実、今、ロシアを非難する全ての国はスネに傷がある。
アメリカはベトナムで、NATOはコソボで、古くはポーランドのドイツを挙げなくても、目の前で続く中東の惨状は、もはや、誰の目にも届かない。

きれいな戦争など、絶対に無い。戦争は起こってしまったらお終いだ。
ドレスデンで東京で、米軍爆撃の死者は今も把握できず、広島長崎だけが語られるのは死者数ではなく、核爆弾だったからだ。戦争に正義などどこにも無い。
人間は死に物狂いになったら何でもやる。指導者がどう考えようが命じようが、戦場に人間性など無い。狂気だけだ。
戦争を起こさないことが、最後の正義であり人間性だ。
だからこそ、被害者側のウクライナ、欧米、NATOが絶対正義なのか、どんな外交努力をしたのか、その視点を見落としてはいけないのだ。
戦争が起こった後で、戦争犯罪を裁けるのは勝者だけであり、勝者の論理だけが残る。
日本人は東京裁判を知っている。戦争犯罪以前に、戦争そのものが犯罪なのだ。