魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

色々思う

2020年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム
帰国者の隔離
大阪府は、休業要請を無視するパチンコ店の名前を発表したが、カエルの面にションベンだ。むしろ、「ただで宣伝して貰った」と、喜んでいるだろう。
図々しいカエルには応えない。
行った客を、海外帰国者と同様に、2週間隔離してはどうか。
行くのは勝手だが、帰ってきた客を危険な地域からの帰国者として、片っ端から出口で「保護」し、2週間、ホテルで隔離すれば良い。もちろん自費だ。

抗体検査
アメリカにならい、日本でも抗体検査を始めた。
日本での新コロナは、無人の荒野を行くがごとくの初期対応で、思う存分、拡散しただろう。事ここに及んでは、感染検査より、抗体検査の方が合理的だ。
抗体保有率が高ければ、もう、活動を再開すれば良いし、低ければ、全国民が気を引き締める。
完全に隠蔽してしまった中国は、死ぬ人が全部死に、残った人は抗体保有者だろう。いかにも中国5000年の伝統、アバウト思考だ。毛沢東は、核で中国人が数億人死んでも、中国共産党は不滅です・・・と言ったとか、言わなかったとか。
勝てまへん!

ボランテア養成
医療崩壊の一因に人手不足がある。自然災害なら志だけで誰でもできるが、今回のように、明確な専門性を要する分野には、志があっても、手出しできない。
戦時中は、全くの素人の召集兵でも、衛生兵を養成して、ある程度の役には立った。
今回のような事態でも、ボランティア志望者は少なくないと思う。
希望者に、短期で衛生技能講座を受けてもらい、テストが通った人を有償で採用して、医療現場の雑務をこなして貰うわけには行かないのだろうか。少しでも、看護師の労力を助けることにはなるはずだ。危険も伴うから、ある種の志願兵だ。

箱入り娘

2020年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム
たいていの政治家が、マスクをして記者会見をしている。趣旨は解るが、よく聞こえなかったり、中には、小池都知事のように、コロナに罹っているんじゃないかと心配するぐらい、苦しそうな人もいる。
だいたい、記者会見は他の取り巻きから離れているのだから、マスクを外してもいいんじゃないかと思う。、
そうはいかないのなら、医療用のフェイスシールドにしてはどうだろう。
これでも声がこもるなら、特別仕様でシールド板を10㎝ぐらい前に突き出したら良いかも知れない。

どうも、マスク、マスクと、世の中うるさすぎる。まるで、白衣で被爆を避けられると信じていた昭和20年のようだ。得体の知れないものを恐れるあまり、冷静な判断を失い、藁にすがるのが人間だ。
アンケートによると、新コロナに対する恐怖度は、世界が50%前後なのに対し、日本は80%だそうだ。マスコミが煽るのも、政治家のリーダーシップが見えないからだ。
「8割だ」、「10万円だ」とテクニカルな話や、「家族の命を」と、内を向かせる話ばかりで、国民の覚悟や勇気を鼓舞する、演説が無い。戦いには雄叫びだ。
国民は今、「政府はどうしたいのだ!?」と、途方に暮れるばかりだ。
これについて言い出せば切りが無いが、
取りあえず、マスク記者会見は止めて欲しい。

いっそ、この際、オンライン記者会見にしてはどうか。
どうしても出たいのなら、アクリルボックスの中に入って話せば、良いかも知れない。

何か違う

2020年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
宮本亜門が呼びかけて、「上を向いて歩こう」を歌う人たちがいるそうだが、なんか少し「イラッ」とした。
東日本大震災で歌われたのは、とても共感したが、今の状況は、あそこまで打ちのめされ切っていない。(職業によってはそうかも知れないが)
打ちのめされそうになっているギリギリの時に歌うなら、「明日があるさ」とか、「翼をください」のように、元気が出る歌や、「春よ来い」のように、希望が持てる歌じゃなかろうか。
第一、今は出歩けない。

トラネコ

2020年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
次々と選挙が始まっている中、投票所の配置を換えたり、延期したりはするが、頑として、投票所に出向くという前提を改めない。憲法上の制限もあって、国会の議事も難しくなっている。
選挙や国会は儀式ではない。民主主義の維持遂行が目的なら、形式を捨てる勇気が必要だ。
テレワークなど、生産活動の変化を迫るような時に、形にこだわるのは、民主主義の精神を知らないからだろう。

今が、まさに時代の変わり目であることを悟る人なら、従来の形を変えることを提案し、実行できるはずだ。テレワークや遠隔診療、電子マネーを言いながら、なぜ「オンライン投票」ができないのだろう。
どうも、今の政治家は、何が起こっているのか理解していないらしい。

バブル崩壊を経たとは言え、これまでの政治は平時の学芸会であり、父母である国民の温かい目に支えられて来たが、学芸会場にトラが飛び込んできたのだ。これに対処できるのは、専門知識と、勇気と、全員の素早い協力だ。
みんな何とかしようと思っているが、リーダーがいない。政治家もマスコミも、相変わらず学芸会を続けている。
彼らが大声で叫ぶべきは
「みな、落ち着け、これはトラではない。大きなネコだ!」
人混みのトラは野放しにできないが、どんなに大きくてもネコなら付き合い方がある。
リーダーがすべきことは、ネコの捕まえ方、慣らし方を思い出させることだったが、
「怖いから、騒がないで!」だけを繰り返し、マスコミは「トラだ! トラだ!」と、騒ぎを大きくするだけだ。

エリザベス女王が演説したのは、国民を勇気づけるためだ。日本の政治家は、規制への理解を訴えても、国民を勇気づけ、安心させる演説をしない。学芸会の主役は台本が無ければ何も言えない、演説の持つ意味など知らないからだ。演説は選挙のためにあると思っているのだろう。
美辞麗句ではなかったが、池田勇人も、田中角栄も信念を持ち、演説の意味を知っていた。

女性男性

2020年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム
今回のコロナ危機で、防疫で支持率を伸ばしたのがことごとく女性リーダーだったことが注目されている。これは当然と言えば当然だ。
女性思考で政治をすれば、安全第一だから、先ず自国民を保護しようとする。攻めには弱いが守りには強い。
これに対し、男性は危険より目的だ。犠牲を払っても目的に向かうチャレンジ思考、つまり戦争思考だ。

医療は、基本的に「守り」だから、女性と同じ母性スタンスに立っている。病院で治療を受け始めて、判断を医療関係者だけに依存していると、どんどん治療を重ね、過剰医療で体力を落として、そのままになってしまう場合がある。近頃はこういう点も考慮されるようになったのか、クオリティオブライフ(QOL)として、患者ではなく人間を見る医療が進んでいるようだ。

個人と同じで、社会が医療問題に直面した場合は、政治家の哲学が大いに影響する。
それが今回のコロナ危機に如実に表れた。
そもそも習近平の失敗は、医療危機を知りながら、政治スケジュールを優先させたことから起こった。全人代を前にして、コロナを隠蔽しようとしたことが致命傷になった。
WHOのテドロスも全く同じ政治優先で動いている。
日本の安倍政権の失敗は、習訪問のために中国観光客を受け入れ、オリンピックのために検疫を怠ったこと。
他の失敗国も、いずれも経済のために検疫を怠ったことだった。

これに対し、女性リーダーの国は、小さな情報を聞いた途端、門を閉ざしてしまった。何よりも命の安全に敏感な、女性ならではの行動が際立った。出遅れたドイツののメルケルも防疫の重要性を正面から国民に説いて、信頼を得た。経済など全く意に介さない「命どぅ宝」だ。
しかし、原始より、狩りで獲物を得てきた男性脳は、怪我をしても死んでも、食を得なければならないと考える。何より経済が優先だ。トランプは経済活動再開を呼びかけるし、ブラジルの大統領は「こんなもん ただの風邪だ!」と言う、中国に至っては、コロナを事故の高速鉄道と一緒に、地中に埋めてしまった。戦争に犠牲者は当然だ、何が何でも勝利しなければ、と考えるのが男性脳だ。

戦争反対を唱えるのは簡単だ。しかし、侵略を受けた時にどうするかと言われると、誰にも答えがない。コロナ危機はこれから先も続く。わずか1ヶ月停止しただけで、世界経済は瀕死状態だ。
医療危機を前にして、社会のQOLとは何だろう。男性脳だけ、女性脳だけでは解けない問題だ。
♪ あなたな~らどうする 泣くの 歩くの 死んじゃうの

状況変化

2020年04月19日 | 星の流れに
3月末、火星と木星が水瓶座に移り、状況が変わった。
これまでのんびり構えていた、水瓶座のロシアにコロナ禍が広がり、韓国大統領選は水瓶座の文政権が圧勝した。日本では、ようやく非常事態宣言が出た。また、アメリカのトランプ大統領は中国のコロナ責任を言い始めた。
それぞれ、火星、土星の影響といえる。

火星は、焦り、苛立ち。土星は不幸、委縮、時間を表す。
ロシアの急変は直接の影響だが、水瓶座の文政権が圧倒的多数になったことは皮肉な結果だ。
土星は単純には不幸だが、野心の星でもある。野心とは「無理な向上心」のことで、自然な向上の木星とは反対だ。政権与党が圧勝したことで、韓国は苦しむことになる。
圧勝の背景には、韓国がコロナ対策に成功したかのような錯覚があり、世界に注目され、あたかも文政権の手柄のように映ったからだ。しかし、これは前政権の遺産であり、MERSに苦しんだ当時の韓国政府が打った対策と段取りが功を奏したのだ。
今の政権は、何一つまともなことをしていないにもかかわらず、国民は信任した。韓国民は、終わった外れ馬券を買ったのだ。

水瓶座は、さそり座の朝鮮にとって先祖と内政を意味する4室。その反対の、地位名誉の10室おうし座には天王星がいる。「ハプニング」の天王星と「過去」の土星で、たまたま名誉を得たことが、内政の不幸を招くことになった。
先祖の位置に土星が来たことは、先祖がえりを意味するが、どの先祖に帰るかは、文政権の野心がどこにあるかだ。

一方、水瓶座の土星は、天秤座の日本や双子座アメリカにとっては、地味な幸運を表す。何か得るのではなく、あきらめることの幸せ、不幸中の幸いを意味する。習近平も双子座だが、カニ座の中国内での、不幸中の幸いなのかもしれない。
なお、火星水瓶座は5月12日まで、土星は2023年の3月まで。また、2020年の年末、木星が水瓶座に加わるので、世界は大きく変わる。

謀略の鬼

2020年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
頭にきたトランプは、WHOへの資金拠出を停止した。国際機関がおかしな動きをするのは、今に始まったことではない。年々おかしくなっている。
アメリカの言い分は、アメリカのために働けと言っている訳ではない。公平であれと言っているだけだ。

しかし、既存の知識やシステムを使うのは、中国の方が何枚も上手だ。中国だけではない。在るものに逆らわない東洋の自然主義は、発明よりも利用に長けている。
人間主義の欧米は、人の手で国際機関を創ったり、ルールを作ろうとするが、自然主義の東洋はルールには逆らわず、変えようとは思わない。
枠の中で努力する日本。抜け道や利用を考える中国。ルールは方便に過ぎない朝鮮。いずれも、欧米のようにルールを自己実現の武器とは考えていない。

在るものを使う中国は、日中戦争の蒋介石が、日本と対決する連合軍を味方につけ、共産党は国連やWTOへの加盟にこだわった。在るものに逆らわず、「利用」に知恵を絞るのは、その後の「パクリ」産業立国に通じる、リアリズムでもある。
金を得て国際的立場が向上すると、あらゆる国際機関に手を回し、既存の環境を徹底的に利用しようとしている。
アメリカが支配権行使の、名目上の国際組織と考えていたものを、中国は、名目組織そのものに入り込むことで、国際正義という建前を盾にしてアメリカに対抗しようとしているのだ。
中国のトップは、組織内で成り上がった、謀略の鬼だ。国際組織に関われば、水を得た魚になる。というより、ウイルスだ。人間に入り込んで増殖する。

ルール作りしかできない欧米
思い通りにいかなければ、ルールそのものを変える欧米は、その裏付けとして、何らかの「力」か「妥協」を必要とするが、既存組織を利用する中国は、組織内に入ってしまえば、相手の力を利用して、知恵や謀略を駆使する。5000年の老獪な知恵だ。
トランプの拠出金停止は、「金」の力による、ルールのごり押しだが、そのルールに入り込む中国には勝てない。結局は、ルールの変更か、新ルールの創設でしか対抗できないだろう。
一方、中国の苦手とすることは、ルールの創設や力の行使だ。一帯一路や海洋進出は、かえって中国の足元をすくう。
中国が火をつけたこの状況の場合、米中どちらが有利かといえば、国際組織の建て前に食い込んで勝負している中国のほうが、どう見ても有利だ。

やはり、自分の土俵で戦う方が有利ということだろうが、日本の得意技は、格闘技でもなければ、たぶらかしの水商売でもない。しいて言えば、縁日の曲芸師だろうか。面白おかしく人目を引きつけてなんぼだから、黙々と自分の技を磨くしかない。


素人考え 2

2020年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
緊急事態宣言が全国に拡大。マスコミは大騒ぎしているが、「いまさら」だ。
感染者数が急激に増えていると言うが、「投票の終わった選挙」の開票報道のようなもので、一喜一憂する話ではない。開票速報(検査)が始まっただけのこと。
「○○候補が票を伸ばしています」と言っても、とっくに結果は決定している。

中国観光客が来た時、既に投票は終わっていた。帰国者の感染は、期日前投票の加算に過ぎない。
日本の後手後手のコロナ騒ぎは、テレビの選挙特番が始まったら、選管が投票箱をなくしたと大騒ぎで伝えている、次から次のドタバタ劇だ。

2ヶ月も過ぎて、「感染を増やさないために」とか、「径路不明の感染者が増えた!」とか、あたかも現在進行形のように、大声で騒いでいるが、もう、「あなたも私も感染者」だ。
「クラスター」などと、この政府、得意のカタカナ語で曖昧にしているが、「ベースロード電源」と同じで、実態を隠す「猫だまし」だ。

一番確かなことは、死者は検査済みだから、死者数だけが信頼の置ける数字だ。
「増えているゾ、拡がっているゾ」の、オドロオドロしい声と関係なく、巷はとっくにウイルスで満たされている。増えているのは調べた数であって、報道も感染者「確認」数と発表している。
ここで念頭に置くべきは、感染者数=発症者数ではないという事で、死者数が増えないのに、「感染者」の大声で、不安ばかりが拡がり、「ワタシもオレも」と医療機関に飛び込み、ますます、医療崩壊の危機が拡がる。今頃になって、軽症者を受け入れる施設が出てきたが、真っ先にやるべき事だった。

緊急事態宣言の意味

とっくに、感染は拡大しているのに、それでも、接触を抑制する意味は、感染のループを断ち、無症状者各自のウイルス撲滅と免疫獲得を待つことで、感染抑止よりも意味があるのだろう。
しかし、もしかすると、結核風土の日本人には、潜在的抵抗力があるのかも知れない。とすれば、外国のような厳格な封じ込めは、もともと不要なのかも知れない。
韓国のように準備ができていたわけでもないし、台湾のように完全シャットアウトしたわけでもないのに、この少ない死亡者数には、もちろん日本の医療レベルと、国民の清潔意識の高さもあるだろうが、何らかの隠れた根拠があるに違いない。
それでも、過剰な予防策は、至らないより優れている。
一月、家に閉じこもるのは、悪いことばかりでもない。追われる時間から離れて、様々なことをゆっくり振り返ってみる、「心のホリデー」と考えれば、楽しいかもしれない。

素人考え 1

2020年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
新コロナ対策として、BCG摂取が有効ではないかという説が出て、議論になっている。確かに、直接的な効果があるかは疑わしい。しかし、効果を主張する側も、ある程度のデータを持って言っているのだろうから、何らかの傾向はあるのだろう。
この話を、素人目に考えた・・・「もしかして?」

今、世界では、日本の感染者数と死亡者数の少なさが疑問視され、操作されていると見る向きが多い。一方で、東洋と西洋を比較すると、明らかに欧米の被害が大きいという事実への、疑問も起こっている。
遺伝子変異によるウイルスの違いによるものだとか、人種的な差異によるものだとか、色々に言われている。

1945年、終戦の年、日本では結核が猛威を振るった。日本中で結核が流行し、私事だが、父方の祖父と叔父、母方の伯父が結核で死に、母方の祖母、叔父も結核にかかった。この当時、結核大国日本は有名で、昭和20年代に渡米した人は、結核の検疫のため、一月以上も船から上陸できなかったと言っていた。
この頃、生まれた子供も多くが、早くから結核の陽性になった。
陰性の子供はBCGを接種するのだが、記憶では半数ぐらいだったような気がする。(地域差もあるかもしれない)

新コロナは老人が弱く、若者は強いと言われているが、老人の死亡率を見て見ると、意外に80代は強く、70代60代の方が死亡率が高い。また、軟弱そうな人より、日頃、頑強そうな人の方が、案外、死亡率が高いように見える。
80代は戦前生まれで、結核社会で育ち、BCGも盛んに接種されていた。しかし、戦後生まれの6~70代は、BCGは接種されていたが、結核が消えつつある時に成長し、陽転が遅いか、少なくなっていたのではないか。

この他にも様々な状況証拠から考えると、BCGそのものより、「結核の風土」が新コロナに強く、湿度の高い国の方が、相対的に抵抗力が備わっている・・・のではないか
近頃、忘れられていた結核が拡がっているが、60歳以下の日本人には、どれぐらい自然な陽転者がいるのだろう。

そしてまた、この新コロナが遺伝子変異を含め、結核のように世界に根付いていくとすれば、現在のような新コロナだけに偏った隔離策は、意味が無いのではないか。無駄に、医療も経済も破壊させているだけではないのか。
戦前まで、結核は巷に共存していたが、戦争も経済も動いていた。

戦争は価値観や社会通念を変える。
子供を少なく産んで、一人たりとも死なせないのが当然だと考える様になったのは、何時からだろうか。
「誰でも良いから殺してみたい」犯罪者が生まれたのは、何時からだろうか。
死ぬことを過剰に取り上げる、歌やドラマが流行るようになったのは何時からだろうか。
命の尊さは、儚さを知ってこそ解るのではなかろうか。

近い将来 2

2020年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム
無くなるもの
新世紀に移るこの30年は、産業革命パラダイムの最終段階だった。花火大会のフィナーレのように、無節操な「製造」が、中国という火薬庫に火を付けた。
しかし、それが「物」のクリアランスセールだった。
火が燃え尽きることを悟った中国は、何とか次の時代に移行しなければならないと、様々な手を打ったが、歪んだ目的意識と方法が、コロナという自滅の水をかけた。ロシア侵略を企てたヒトラー軍に、冬将軍が襲ったのだ。

奇襲を受けた欧米は、始めは一方的に攻め込まれているが、やがて、習近平の広げきった大風呂敷に火を付けるだろう。
ナチスと皇軍の、伸びきった戦線は極めてもろかった。第二次大戦当初、さもアテにできそうなイタリアは真っ先に砕けたし、ナチスや皇国に付く小さな国々にも様々な打算があった。

この状況は、大戦初期に似ている。とすれば、世界が協力してコロナと戦わなければならないと叫ぶ、中国とWHOの声は、偽りの「大義名分」だ。WHOがまともに機能していないことは誰でも知っている。
中国のコロナ勝利は極めて怪しいし、世界は中国に援助して貰わなくとも自力で復活する。何よりも、中国依存、中国を信用していることの危険を、苦痛の中で味わっている。
「うすうす解っていた」ことが、ハッキリ解ったのだ。

中国は、「世界の協力」と言いながら、同時に、露骨な軍事侵略を試みている。
もはや、習近平に欺される時ではない。中途半端なキレイ事外交が拒否されていることを認めざるを得ない。軍事衝突は起こらないが、コロナにとどまらない災厄が来る。中国が自ら習近平一派を処分しないのなら、世界には、明確な線引きと覚悟が迫られる。

果たして、習近平とタッグを組む国はどこなのか。第二次大戦も、ロシアはコロリと裏切った。
国際機関の腐敗も、今回、ハッキリ解った。
ここから先は、国際組織を新しく組み直す側が勝利する。


近い将来 1

2020年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和十六年、日中戦争は続いていたが、徴兵の心配のない多くの学生は、ジャズやスポーツに、青春を謳歌していた。
しかし年末、まさかの「大本営発表」を聞いた。それから世の中は、見る見る変わっていったと、後に、当時の若者は証言していた。

80年後の今、突然始まった、「コロナショック!」も、
始めは、誰も自分のこととは思わなかったが、状況は瞬く間に変わった。
戦争は社会を一夜にして変える。我々は、生まれて初めてその場に遭遇しているのだ。
どんな予兆を見ていても、戦争のような非常事態は、誰も実感しないまま始まる。
大切なものを失ったとき、すぐには信じられない、受け入れられない。
我々は、平和を失った。

後で知る戦争

繰り返しになるが、戦争は社会を変える。コロナは爆弾やミサイルではない。しかし、結果は同じだ。
戦争と同じで、全てが戦火に覆われてはいないが、静かな景色もたちまち火に包まれる。不満を言っても叫んでも、全員が当事者なのだ。

第二次大戦で、世界の価値観と支配構造が変わり、日本は江戸時代の価値観を失った。
大家族と武士道のモラルを失い、その後、何を得たのだろう。
戦後の変遷の中で、結局、残ったのは、モラルの無い集団主義だ。
大家族を前提とする、「家」のモラルとしてあった武士道は、核家族化で失われ、伝説だけ残った。モラルを持たない核家族で生まれた、集団主義を維持するため、イジメやハラスメントが社会の構造材となり、毒にも薬にも使われている。
イジメで出る杭を打ち、それを訴えることで別方向の杭を打つ。メリハリの無い、尖ったところの無い、集団主義の日本が出来上がった。この集団主義の鳥の群れが重なり、黒く見えるところが、「炎上」だ。

日本が、オリンピックで次の時代に出遅れることを心配していたが、日本は何となく運が良い。この戦争を切っ掛けに、世界同時に「ご破算」になり、日本も同じスタート台に立てる。オリンピック景気に浮かれ、日本は次世代の産業に大きく出遅れていた。
AI利用や仮想通貨、テレワークやEラーニングなど、物から離れた次世代産業が進む時に、日本は、前世紀の遺産に頼ったまま、新しい時代を迎えようとしていたのだ。

これからの時代は、人の移動ではなく、情報の移動が世界を動かす。会議や交渉のために飛び回る必要は無く、安い人手を求めて投資することも無くなる。
通信、AI、ロボットがそれに変わり、化石エネルギーも終わる。これを前提に、いち早く動き出した者が生き残る。
今、中国はめざましい動きをしているように見えるが、これは戦前のドイツと同じだ。どんなに素晴らしい物を持っていても、一つの考え方で恣意的に選択された方向性はもろい。優秀な科学、優秀な軍人も、ヒトラーの独裁で無意味になった。

幸か不幸か、日本はヌエのように形がない。どのようにも動くことができる。問題は、ヌエの頭がどこにあるかだ。

流されて

2020年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
マスクはしません 耳なし芳一

マスクをしないで電車に乗っていたら、茶髪でかなりクチャクチャな感じのオヤジにニラまれた。
『自分はマスクをしているのに』の思いがあったのだろう。確かにマスクはしていたが、スキ間だらけで鼻を外に出していた。禁煙をした人に限って、喫煙をうるさく言うのと同じ心理だろう。

マスク騒動に、専門家の多くも、マスクの効用を疑っている。WHOも二転三転だ。
元来マスクが嫌いなので、極力マスクをしないようにしているが、内ポケットには入れている。万一、咳が出そうになったら取り出すつもりだが、それ以外は、口をかたく閉じて、声を出さないようにしている。レジでも身振り手振りだ。
もちろん、それだけに手洗いうがいは、執拗にやっている。エレベーターやバスのスイッチは肘で押し、雨の日は傘の柄で押す。
電車は、ガラガラでなければ座らず、空気が入れ替わるドアの横に立っている。

しかし、ここに来て、電車にマスク無しで乗る人はいなくなった。マスク無しで車内に入れば、一斉に睨まれる。何しろ目だけが、「ザッ」と、こちらに向くのだから、相当な圧力だ。
こうなると、マスク反対運動をしているわけでもないのだから、角を立てることはない。電車など、人のいるところではマスクをすることにした。
渋々マスクをすると、マスクをしていない人ばかり目につくようになった。電車で睨んだオヤジの気持ちが解るようになったが、ご時世に流された軟弱者としては、マスクをしていない人が偉いような気さえする。

この「非常時」にマスクをしないでいるのは、よほど「ボーッ」としているか、ポリシーのある人だろう。観察していると、やはり、ただマスクを忘れたのではない。マスクをしない時の自分のように、口を結んで、人から離れている。そうでなければ逆に、何か必要以上に態度が大きい。無言で「マスク反対!」と、訴えている。
世間に負けた自分だが、今でも馬鹿げていると思っている。しないよりした方が良いことは解るが、これさえあれば、というものではない。
高値でもマスクを買いあさったり、してない人を睨むほどの神器ではない。飛沫を防ぐ、飛ばさないと言うことなら、西部劇の列車強盗のように三角巾をしていれば良いし、タオルを巻いて、ついでにヘルメットとサングラスもすれば良い。飛沫は顔や頭にも付着する。

むしろ、マスクという免罪符で、接触や接近に無頓着になる人もいる。何より理解できないのは、ATMや券売機、エレベーター等に、アルコール消毒薬さえ備え付けられてないことだ。
試食用ツマヨウジのように、使い捨てのステックか、印鑑拭きペーパーのようなものを置いてくれても良いかも知れない。自分では、こういうものに触る時は、アルコールで湿らせてある薄手の手袋を取り出すか、鍵やペンで操作する

謝れない

2020年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカが中国と喧嘩しているのは大人げない。しかし、トランプだからそうなったのではない。中国が最初から、申し訳ないという態度で、世界に協力すると言っていたら、アメリカを始めとする西欧諸国は中国を賞賛していただろう。
ところが、中国は一貫して、上から目線を保つために、自分の非をアメリカになすりつけようとした。だからアメリカも引けなくなった。もちろん、初めのアメリカの態度が理想的だったわけではないが、責任論まで言われたのでは、現実的な弊害が出てくる。

中国はなぜこんな意固地な態度を取るのかと言えば、中国の立場を守るため、つまりは習近平の立場を守るためだ。中国が非を認めるということは、中国の全権を握っている習近平の非に直結するからだ。これは外国に弁償したくないからではない、失敗を認めれば、国内に対してメンツを失い、その場で失権し、遅かれ早かれ追い詰められる。
毛沢東の失敗は、建国の功績でうやむやになったが、習近平に、とりたてて功績が有るわけではない。

習近平の、「一歩も引かない」質は、国内での権力闘争には有効だが、広い世界にそれが通じるとは思えない。中国の反転攻勢は、いかにも習近平らしいやり口だ。
習近平の質は「マメで強引」だ。困れば困るほど前に出る。この最中にも、軍事進出で波風を立てている。

しかし、中華の知恵は習近平だけで動くのではない。習近平の狭視野が対外的な反感を買っているとみるや、内輪から中国は謙虚になるべきという意見が出てきて、駐米大使が、
「中国も新型コロナウイルスによる打撃を受けており、米国国民の苦しみもわが事のように感じている・・・中国も苦しい時にアメリカからも支援を受けた、恩返しをしたい」と、掌を返したようなことを言い出した。(あくまで非は認めない)
これが中華5000年の歴史だが、果たして、欧米をごまかし、なだめることができるのだろうか。

うまし郷

2020年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
時間の問題だろうが、4月に入っても、感染が報告されてない県が3県ある。島根、鳥取、岩手だ。3月26日までは、山形、富山、鹿児島も未感染だったが、他府県から帰省した学生などのために消えてしまった。
これら感染が拡がらない県に何が共通しているのかわからないが、パッと目には、人の往来が少なそうな所だ。水も良さそうだ。位置的に、単なる偶然ではないことは確かだろう。(ヒミツのケンミンショーのネタになりそうだ)

明治以降は、教育と鉄道によって、全国の平準化が進んだが、その鉄道により、戦後は東京一極集中も早まった。
江戸時代は、参勤交代で文化交流が進みながらも、地方文化も維持されていた。
しかし、ラジオで始まった、リアルタイムの情報共有が、地方文化を破壊し、今では各地の方言も、絶滅の瀬戸際に立っている。メジャーな方言である大阪弁の「でんがな、まんがな」も、京都弁の「どす」も、日常では使わない。一つには敬語や丁寧語そのものが失われていることもある。短い間に、それだけ社会が変わってしまった。

これだけ、今の日本が均質化しても、3県で感染が出ないのは人口密度も影響しているかも知れない。
人口密度の最も少ない47位の北海道が、海外からの観光人気で直撃されたのは例外として、
次の46位岩手は、いまだ感染者0人。感染者がなかなか出なかった県は、島根43位、山形42位、鳥取37位、鹿児島36位と軒並み少ない。大学生の帰省で感染者が出たものの、長く持ちこたえた富山は、意外に密度が高く25位だ。
人口密度が低いにもかかわらず、早くから感染者が出た県は、都会から近かったり、都会と直結する高速や新幹線が走っている。

人口密度が高く、新幹線も走っているのに、地元から直接の感染者が出なかった富山県に鍵があるような気がする。
水の味には多少心得があるのだが、全国に名水数ある中で、米を炊いて一番うまい軟水は富山の水と言っていい。鳥取の水道水もうまいし、島根鳥取にまたがる奥大山の水もうまい。

しかし、いずれにしても、確たる根拠は無いものの、都会から遠い、真の田舎ということは確かだろう。田舎暮らしをしたい人の参考にはなる。
何れも、海は魚のつかみ取り、山は山菜の宝庫、土地は安いし物価も安い。日本にもまだこんなところがあったのか!?
ただし、コロナを持って疎開してはいけません。