魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

暴力バー

2023年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

マイナンバーカードは結局、全面、義務化する。そんなことは、初めから解っていた。全員が持たなければ意味が無いからだ。
始めは、「個人の判断次第です。強制ではありませんよ」と、小出し→既成事実化のサラミ戦術は、マスクやETCぐらいなら笑い話だが、高速道路料金を始め、最大のお為ごかしが消費税と軍備だ。
必要なら正面切って国民を説得すべきだが、選挙ばかり考えているから、姑息なことしか思いつかない。やり方が汚い。チョコチョコと当たりを付けて反応を見ながら、だんだん大胆になっていく、痴漢だ。

百歩譲って、なし崩しは良いとしても、政権を握っている者は、ことを始めるに当たっては、コンニャク問答の国会答弁だけではなく、その第一歩で、思いと情熱を国民に語るべきだろう。反発はあろうが、愛する与党が言うのだから、国民は結局は、認めるだろう。
消費増税を中止するとか、国民の喜びそうなことだけはあたかも決意のごとく発表するが、本当に猛反発を食らうようなことは黙ってヤル。もちろん、やるべきことをやらない時も黙っている。
こういう、有権者の顔色だけを窺う政治を、いわゆるポピュリズムと言うのだろうが、民衆のための政治なら、本来は正しいはずだ。問題は、心地よさだけを求める国民にある。

今の日本は、「酒もってこい!」と言う国民に、「しめ、しめ」と酒を飲ませ続け、閉店前に客の予算オーバーが分かり、「お客さん、身体に悪いですよ」と止めている飲み屋のようなものだ。店も客も共倒れの危機が迫っている。
政治は本来、国民の栄養管理士でなければならないのに、客の「票」だけを狙うぼったくり暴力バーだ。終には、「痛みを伴う政治」と言いながら、カードで借金をさせる。
騙される国民がいるからぼったくりが成り立つ。何でそこまでして、飲み屋で呑みたいのか解らない。

政治も、家飲みなら馬鹿なマネをしない。後片付けも念頭にあるから、どこかに責任意識が働く。金(選挙)だけで国が良くなると思っているから、店に文句ばかり言う。
自分でつまみを調達し、予算内で呑んで自分でかたづけるつもりなら、騙されない。
日常的なお茶話に政治を語り合い、自分たちで候補の考えを聞いたり、擁立したりすれば、角は立つが騙されない。
例え自分たちの候補が国会に出なくても、そういう国民であれば、痴漢政治やぼったくり政治ができなくなる。
「お客さん、カードを作れば、もう2万円分ただですよ・・・」


自主防衛

2023年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

大阪府の銭湯は2013年の590件から、10年で290件に半減したそうだ。
1973年のヒット曲『神田川』で、「赤いてぬぐいマフラーにして二人で行った」であろう「あの頃」1968年から半世紀後の今日。全国の銭湯は10%ぐらいにまで激減した。

核家族とエネルギー事情の変化で、内風呂が標準化し、銭湯の客が減ったうえ、厳しい仕事なので後継者もいなくなった。近年、急激に廃業が続いているのはボイラー等の設備の改装が必要になっても、継続の見通しが立たないからだそうだ。

最近、良く知る風呂屋が立て続けに廃業した。いずれも、薪で沸かす風呂屋だった。
昔は、内風呂も薪で、一定の敷地がなければ風呂は作れないから、都会に銭湯は欠かせず、都会暮らしの文化でもあった。
戦後、日本は全てを捨てて工業生産に集中し、その過程でエネルギーも大量輸入するようになり、各戸で風呂が沸かせるようになった。その結果、生活インフラとしての公衆浴場は衰退し、絶滅しかかっている。

お金は食えない
環境変化の中でいま、食料とエネルギーは金では買えなくなりつつある。いくらお金を積んでも、売り手が売らなければ手に入らない。お金より大切なものは「現物」だ。
終戦直後、金や財産があっても、食料が手に入らず、紳士淑女を気取っていた都会人は地方に買い出しに行き、日頃バカにしていた「百姓」に、お願いして食料を売ってもらった。売ってもらえればまだ良い方で、売ってもらえるルートを紹介してあげようと声を掛け、暴行殺人に及んだ事件は氷山の一角だ。
日本人、そして日本の政治家は、未だに目が覚めていない。全て金で解決できると思っている。

金や商売を語るのは、先ず、自分の食い扶持を確保してからだ。江戸っ子が「手ぶら」で生きられたのは社会システムへの依存だが、現代は全てをこれに頼っている。
食料とエネルギーは、トヨタのカンバン方式のようには行かない。工業生産が成り立つのは、先ず、食と資源があってこそだ。
グローバル化と称して世界がカンバン方式化した結果、ちょっとした災害や戦争で、たちまち全面停止に陥る。ことに、日本人は何事も一辺倒になる。

高度成長期に。食とエネルギーを全面的に工業生産に賭けて成功した後も、元金を確保することなく博打に溺れ、負けに負けても賭け続けた。いまや、元も子も無くなりかけている。しかも、未だに、博打を止めようとしない。
日本の原点は、この島国だ。世界有数の災害地域は同時に豊かな自然環境でもある。この豊かな自然に甘えてきた日本人には、蓄えの意識がない。
寒い国では保存食の確保は常識だが、日本人は食や薪を蓄えることなく、何時、紙くずになるか解らないお金ばかり蓄えている。実際、敗戦で預金は紙くずになった。

江戸時代から始まった、湯を沸かす公衆浴場は、古代の蒸し風呂がルーツで、重要な公衆衛生施設だったし、今でも重要だ。
今もし、ガスや石油が入ってこなくなったら、食事だけではなく、誰も風呂に入れなくなる。自衛隊の仮設風呂もできない。昔ながらの薪で沸かす銭湯だけが、燦然と輝くオアシスになるだろう。しかし、もはや薪の銭湯は絶滅直前だ。
冷暖房ならどうにかしのげるが、シャワーも風呂もなければ、コロナどころの騒ぎではない。たちどころに疾病が蔓延し、死者が続出するが、火葬もできない。各自治体は、国内資源で運営できる直営の公衆浴場を確保すべきだろう。

戦前までの日本は、農林業を軸に国のインフラが成り立っていたから、生活の燃料や食料を自分の問題として考えていた。戦争を始めたのは工業生産のためだ。
しかし今、衣食住の為に外国の顔色を心配している。一方では、植林した杉を切り出すこともできず花粉症に悩み、荒れ果てた里山からは、熊やイノシシが飛び出してくる。
輸入小麦が値上がりして、パン給食ができなくなり、小学生が「パンを食べたい」とぼやいていた。米は主食ではなくなったようだ。飼料代も上がって乳牛が飼えないという。

全て、敗戦により、アメリカの産業システムに組み込まれた結果だ。アメリカが悪いのではない。終戦直後、アメリカから送られた小麦や脱脂粉乳は、アメリカ人の純粋な善意だった。問題は、それに甘えて増長し産業を広げていった日本にある。衣食住の自立は全く無視した。
ヨーロッパの先進国は軒並み自給率100%以上だが、日本は自立できていない。アメリカに脅されると為替介入、PCのOS規制、戦闘機購入・・・何でも従う。そして、米中対立が始まれば、今川の徳川勢のように先鋒を仰せつかる。食料とエネルギーが人質になっているからだ。かと言って、「こうなったのは米国のせいだ、賠償しろ!」と逆ギレするような器用なマネは、日本人にはできないし、アメリカは日本のように甘くない。

自立無しでは何も言えない
フランスは平気でアメリカに異を唱える。自給率を確保しているからだ。
日本生き残りの一丁目一番地は、自給率だ。農林水産業の復興は、フルーツの輸出より、地産地消の国内循環こそが先だ。材木や家畜の飼料を買ってこなくても成り立つ、智恵の農政を行うべきで、先ずは現場の意見を活かすことだ。
干拓、食管、農地・・・中央主導でやった事業はことごとく禍根を残している。
防衛も自給自足だ。ここまで骨抜きにしながら平和憲法の立前にこだわり、役にも立たない武器を買わされている。日本にとって本当に必要な武器は何かを理解することがなければ、真の平和主義は貫けない。専守防衛に画期的な武器なら売るのも良いはずだ。
祈りや立前だけの平和憲法では却って戦争に巻き込まれることになる。憲法改正の前に、平和憲法ならではの防衛のありかたを、あらゆる固定概念を捨てて考えてみるべきだろう。戦争の概念も変わってきているのだ。


寅年寅月

2023年01月20日 | 占いばなし

今年の大河は、また徳川家康をやっている。三谷幸喜の鎌倉殿が面白かったので、今回はどうも見劣りがする。鎌倉殿も無理からのギャグなど、多少あざといところもあったが全体的にテーマはぶれていなかった。
今回の家康は逆に、意図に拘るあまり、キャスティングや逸話など、ディテールに頼りすぎている。台詞も大仰で、言葉の積み上げの表現ではなく、「あの家康」や「あの本多忠勝」が、を前提に狂言を回す。世紀末的楽屋落ちとでも言おうか、奇をてらうばかりで、斬新さや覚醒感がない。言わば手踊りで、シナリオが踊りすぎている。
まあ、長丁場だから、どう変化していくのかしないのか、見てみよう。

家康と言えば、ドラマで強調していたように、「寅年の寅月の寅の日生まれ」と言われている。弱小といえども殿様の子だから、生年月日は確かだろう。当時の太陰太陽暦で、天文11年12月26日生まれとなっている。これを西暦に直すと、当時はユリウス暦だったが現行のグレゴリオ暦に直せば、1543年2月10日になり、確かに、寅月の寅の日生まれになる。しかし、1543年は、節分も過ぎているから卯年だ。
それなのになぜ「寅年の」と言うことになるのか、ここが、年と時間の定義の難しいところだ。

月と日の干支は二十四節気と、営々と続けられてきた日干支で、動かしようがない。しかし、一日と、一年はどこから始まるのかは、まちまちの解釈で変わってくる。これについては何度か記しているが、取りあえず、この件だけを言えば、まだ旧暦の前年、天文11年の寅年が続いていたと言うわけだ。
四柱推命などの干支術で見る場合は、卯年と見るが、どちらを適用すべきかは、徳川家康の人生と対比してみる必要があり、面白い課題だ。

ところで、この家康の寅年は1542年で、還暦8回後の2022年と同じ「壬寅」年。しかも家康の日干支も「壬寅」日だ。しかも、しかも、現在の総理大臣、岸田文雄も「壬寅」日生まれで、水瓶座の家康の表裏に当たる獅子座。
辛抱強いとか、煮え切らないと言われた家康と、似ているのかも知れない。

P.S.
コメントありがとうございます
岸田総理の生年は、丁酉年、七赤ですが、生まれた日の干支(日干支)が壬寅です。生まれ年の干支は生まれた時代環境を表しますが、生まれた日の干支は、個人の気質、魂を表し最も基本です。
ちなみに、家康と岸田総理の生まれた日は「壬寅」ですが、毛沢東と習近平も同一の「丁酉」日生まれです。
もう一つ、ちなみに言えば、笑福亭鶴瓶と北野武も「丁酉」で、タモリと明石家さんまは「癸亥」で同じです。


中国中毒

2023年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

中国旋風
10年以上も前、中国センスがトレンドになる日も来るだろうと思った。  
チャイナイズ」20100109

昨年、原宿に中国衣料ブランドの「SHEIN」がオープンし、4000人の行列ができた。
ネット販売のリアル店舗らしく、若者にはよく知られて、人気だそうだ。中国版のシマムラ的存在だろうか。
始めはさざ波に見えても、他の工業製品と同じで、安いからと、何でも中国で製造しているうちに、全てノウハウを吸収され、逆襲される。これも当然の流れだろう。

子供の頃、手塚治虫の初期のマンガ『ロック冒険記』にショックを受けた。
鳥人の世界で暴虐の限りを尽くす人類が、最終的に逆襲される。
たまたま文明が遅れた国を「劣等」と蔑視し、経済効果だけで援助などと言いながら利用していると、逆襲される。人間の能力に差は無いからだ。
逆に、中国が経済、軍事で欧米に逆襲しようと「夢」みていることも、「蔑視」の裏返しであり、これはこれで、人間の情緒に差が無いことを示している。

あからさまに攻撃的な中国の態度に、米国の対中感情が悪化し、中国排除に出ているが、時、既に遅しだ。iPhoneもテスラも中国依存で成り立っているし、中国衣料の逆襲以前から、日本を始め自動車各社は、ゴテゴテとギトギトしい中国好みのデザインに寄せていた。
「チャイナイズ」は既に世界を席巻し、世界経済は中国中毒に冒されている。中国排除は簡単ではない。中国中毒からの更生は、今や中国への挑戦だ。

中国中毒
昔の売春宿は女郎に前借をさせ借金漬で抜けられなくした。タダで麻薬を勧める、賭場の客に最初に勝たせる・・・これは人間の弱さにつけ込む典型的な「ヤクザ商売」だが、中国はアジアやアフリカでは露骨な金貸し商売をし、欧米先進国にはもみ手で、「お気に召すまま何でもさせてもらいます」と近づき、中国漬けにすると、「身ぐるみ脱いで置いていけ」と豹変した。現在の物価高の原因の一つは、中国麻薬の禁断症状であり中毒治療の過程でもある。

今は少なくなったようだが、中高年でよく、「なんで女房はコワいんやろ」と言っている人がいるが、こういう人は元来、亭主は女房よりえらいと、主従制度の男尊女卑の夢に浸っている人だ。だから、何でも女房にまかせて、ある時気づいたら生活基盤を握られ、女房がいなければ生活が成り立たなくなり、母親に頭が上がらない子供状態になっている。同様に、女房は亭主を尻に敷くものだと思っていた若い女房が、生活圏を掌握する努力もせず、いきなり尻に敷こうとして男と衝突し破綻した。

国際関係でも、中華圏のアジアは女房型、欧米は亭主型で、同居経験の無い昔の東西文化は恋人同士だったが、地球が狭くなり同居を始めた近現代から、相手の正体に驚いた。
経験を積んだ欧米は対等を立前にしているが、産業革命パラダイムで出遅れたアジアは、未だに、国際関係を夫婦の力関係のように考えている。
中国は、いずれ欧米を「尻に敷こう」と狙っていたが、苦労知らずの娘、習近平は、いきなり「かかあ天下」風を吹かしたために、蜜月どころか、未来志向の男、欧米との修羅場が始まった。

中国が、もう欧米に勝てると錯覚した「中国製造」の実体は、親に依存した反抗期で、自分で積み上げた力ではないから、家出をすれば苦労が待っている。
欧米が家出少年に冷たく当たると、「何で、金も飯も出さないんだ!」と罵り始めた。
「自由貿易に反する!冷戦思考の中国排除反対!」と、自分だけに都合の良い不満を叫ぶ。実は親も辛いことなど想像もできない。
様々な親子の葛藤は、元を正せば親に原因があるが、大きくなった子供は、自分でそれに気づかなければならない。どんな生い立ちであろうと、自分一人で立ち向かって初めて大人になれる。
中国がこのまま世界とぶつかり犯罪者になるのか、内部葛藤の末に大人になるのか、4000年の知恵を信じたいものだ。


渦中覚醒

2023年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

コロナのドタバタ顛末は、歴史喜劇としてまとめれば、相当に面白いネタになる。
そろそろ、小説やドキュメントが出てくる頃だが、それを面白く読めるようになれば、コロナは完全に終わる。
小説「ペスト」はシリアスにならざるを得ないほど深刻な疾病だったが、コロナは現代ならではの社会病だ。死者の数だけに驚いていると何も見えなくなる。人の死は直接死因より、そこに至る環境の方が重要であり、死亡率の増減も実際は、気候、経済、社会動向が根本原因だ。皮肉なことに、コロナ以後、日本の総死者数は一時的に減少した。また、コロナの死者数は、各国の国情に比例している。

そして何より、コロナで重要なことは、歴史警鐘だ。
コロナは、気候変動や人口爆発、グローバル活動、資源の枯渇・・・等々、産業革命パラダイム250年が行き着いた果ての、大崩壊の予兆であって、マスクやワクチンで防げるような、呑気な病魔ではない。
歴史の転換点では常に膨大な死者が出ることを踏まえれば、マスクに隠れている場合ではない。死者を乗り越え、目をむき、口角泡を飛ばし、歯を食いしばり、根底的な社会変革を起こさないかぎり、神は怒り、大洪水で人も文明もリセットされるだろう。誰も生き残りのノアにはなれない。コロナなど、激震の前の「あれっ!?」ぐらいの異変に過ぎない。

悔い改めよ
多くの人が解っていても、「王様は裸だ!」と第一声を上げるのは社会を担っていない子供、若者、アウトサイダーだ。だが、実際に世の中を改められるのは当事者、大人だ。
大人が賛同し、行動を起こして初めて世の中は変わる。実際に社会を動かしている大人の行動は、若者の声の通りには動けない。頭が悪いからと言って首を切ってしまうわけにも行かないからだ。
しかし、化石燃料即時停止を叫ぶグレタさんの気持ちは解ると、うなずいていようが、世間知らずの子供だと笑い飛ばしていようが、既に溶けた氷河は後ろに迫っている。
もう、あれこれ言い訳の時ではない。全てを投げ出して走り出す時だと、コロナは告げている。

ウクライナ戦争で、エネルギー食料問題が起こったのは最後通告だ。
原発はやむを得ないとしても、廃棄物問題は何も解決していない。この際、きれい事を言ってないで、極限の地下に埋めるか、太陽に廃棄するしかない。地下注入や太陽への運搬方法なら、処理法を待つより可能性がありそうだ。これらの方法がとられないのは、コロナと同じ、専門家に丸投げで、分野を超える政治家の慧眼と覚悟がないからだが、これはあくまで緊急避難の話だ。

大転換は、あらゆる、大前提を捨てなければ乗り切れない。電気や水道やゴミ処理は既存技術が前提だが、ここから考え直す必要がある。現代人は250年で生まれた社会システムに生かされている鶏や養殖魚だ。共産主義さえ化石エネルギーの産物だ。
東京都は太陽光発電を義務化したが、正しいようで、少しズレている。大供給システム前提の補助発電ではなく、電気は自給自足を前提にし、足りないなら極めて高い料金で買うような、逆転の発想でなければ大転換には間に合わない。
命に関わると言われても、ナイフを突きつけられていなければ、酒もタバコも間食も止められないのが人情だが、犯罪となれば話は違う。環境問題はそこまで来ている。コロナどころの騒ぎではないのだ。

 


未来年表

2023年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

どうでも良いことだが、近年の西暦で見た目のいい年は、1961年、1991年、2002年、2020年等あるが、2021年も2022年も、まあまあいい年だった。2023年は末尾二桁が続き番号だから微妙に悪くは無いが、どうもあまりそろった感じがしない。
1961年には、回転させると同じになるというCMがあった。
歴史的大事件は、案外、見た目のいい西暦年が少ない。パッと思い浮かぶのは西暦のなかった日本の、1600年の関ヶ原ぐらいなものだ。

と言うことは、見た目のきれいな年は、案外、無自覚な調和心理が働くのかも知れない。
とは言え、コロナは2020年に世界の大事件になり、今も世界は悩まされている。遂にこれがそろい目の大事件として記憶されるのだろうか。多分、そうはならないだろう。
第一次大戦を収束させたとまで言われるスペイン風邪を憶えている一般人など、コロナまでいなかった。コロナがあれほど騒がれたのは、むしろ平穏だったからだろう。

他人事のウクライナ戦争で世界経済が揺らぎ、死活問題を意識し始めると、コロナへの関心は後退した。それでもまだ、世界はウダウダと時を過ごしている。
ヒトラーがポーランドに攻め込み、日中戦争の最中であるにもかかわらず、日本人自身もアメリカ人も、一般市民はまだ他人事のような気持ちでいた。
そしてある朝、「大本営発表」を聞いて喝采し、そのまま笛吹き男に連れられて破滅への行進を始めた。
84年後の奈落へ喝采をするのは、今度は中国人かも知れない。アジアの覇権を夢見て「満蒙は日本の生命線」と信じていたように、国民というものは、「台湾は中国の核心利益」と簡単に信じるのだろうか。

きれいなそろい目の年は世界史に残らないが、これから当分そんなきれいな年は来ない。今から語呂合わせを考えておいた方が良いかもしれない。
2023、2024、2025、2026、2027、2028、2029


マスクス

2023年01月02日 | 星の流れに

マスクは仮面だから魚座の領域だ。
魚座は「虚と実」の関係だから映像や香水、ファッションや書道など、有って無いもの、無くてあるものを表す。心理や感染症も魚座だが、人生でいえば胎児であり、人なのか母親の一部なのか判別が付かない状態で羊水の中で生きている。
魚座の支配星は海王星だが、海王星発見までは、魚座の支配星は木星の陰の部分とされていた。

海王星は約165年で一回りするが、いずれの惑星も支配星座にいる時が最も強く影響すると言われるので、魚座に来れば、世界は魚座カラーに覆われる。
前回、海王星が魚座にいたのは1840~50年代で幕末だった。海王星は現在、2011年から再び魚座にいる。つまり、我々は今まさに幕末と同じ魚座時代を体験しているのだが、あと2年で次の牡羊座に移るので、既にその影響が出始め、魚座の末期症状が始まっている。
大転換2/20070206

この魚座時代の最も象徴的なアイコンは、「マスク」だ。コロナで世界中がマスクに覆われ、イーロン・マスクは時の人になった。コロナのマスクは「Mask」で覆う物、仮面や偽装、そして感染防止の魚座。一方、イーロン・マスクは「Musk」だからジャコウの香りのことだが、魚座のシンボルの香水だから、やはり魚座そのものだ。
コロナによるマスク風景は、世界の人にとってはこの世の終わりぐらいの衝撃だったが、元々、マスク大国の日本では特に大きな変化でもなかった。実際、世界中がマスクから解放されても、日本では、ますます正装化している。

海王星が魚座入りして10年以上になるが、この間、イーロン・マスクはEV、宇宙と、突然、世界の寵児になった。しかし、このところツイッター買収や、テスラ株下落など、雲行きが怪しくなっている。
これは、2022年に木星の魚座入で急激な膨張の後、木星が去って、逆に反動が起こる現象だ。さらに、3月には土星が魚座入りするので、既に泥沼に足を踏み入れている。
顔マスクの方も、そろそろ弊害の方が話題になっても良い頃だ。