一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
即身
固定観念に縛られずに生きなくてはなりません。まして自分のように何足もわらじをはきながら生きている人間には。
ただ難しいことがあります。それはいくら自分がそう思っていたとしても人の見方は一方向の可能性があるのです。一足のわらじだけならどれほどと思うこともあります。
最近は印を組んで真言を唱えることがとても心地よく感じるようになりました。印を組む行為が形だけにとどまらなくなってきたみたいです。
衣もきないでスエットのままでも仏壇の前で次第を開き目を運ばせるだけで私の身体はとても気持ちがいいみたいです。
まるで客観的に自分の身体をとらえていますが即身成仏の世界では身体でとらえてこそ魂に伝わるものと考えられます。
頭ではなく心で、心だけでなく身体でわかるということです。
しばらくこの観想を続けたいと思います。そうすれば何かが変わっていく。そんな気がしてなりません。
ただ難しいことがあります。それはいくら自分がそう思っていたとしても人の見方は一方向の可能性があるのです。一足のわらじだけならどれほどと思うこともあります。
最近は印を組んで真言を唱えることがとても心地よく感じるようになりました。印を組む行為が形だけにとどまらなくなってきたみたいです。
衣もきないでスエットのままでも仏壇の前で次第を開き目を運ばせるだけで私の身体はとても気持ちがいいみたいです。
まるで客観的に自分の身体をとらえていますが即身成仏の世界では身体でとらえてこそ魂に伝わるものと考えられます。
頭ではなく心で、心だけでなく身体でわかるということです。
しばらくこの観想を続けたいと思います。そうすれば何かが変わっていく。そんな気がしてなりません。
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