一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
当たり前の今に感謝
今日の朝、プレゼントを手に取り喜ぶ娘の顔を見て言葉には言い表せない喜びを感じました。
そう、私はすでに大きな幸せをいただいていたのです。普段、それが当たり前になってどうしても気づかなくなってしまいます。でも何かの時に思い知らされます。
もし、自分の命がもうわずかだったら
多分、妻と娘とのこされた時間を過ごすことでしょう。その表情、しぐさ、声、目の輝き、笑顔。忘れることはないようにしっかりと目にやきつけて。
しかしこうしておかげ様で健康で生活させていただいているので忘れてしまうのです。
いかに今が奇跡かということを。
家に帰れば温かい食事があり、お風呂に入り、よっくりと眠れます。
本来、クリスマスとはそのことをあらためて自覚し、感謝するための日ではないか。
そのように思えます。
こんな時代のささやかなクリスマスにそう思いました。
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