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あしたに道をきかば

一日が無事終わることがいかにありがたいか。何気ない一日でもその一日は二度とない一日。

もしかしたら自分の一生にとって本当に大切な一日になるかもしれない。

あしたにみちをきかば、夕べに死すともかなり

つまり朝、人生の極意を体得できるのであれば夕方には死んでもいいということ。私の
大好きな言葉です。

お釈迦様の過去世の物語

昔、マハーラトナという王がいた。そして三人の王子がいた。ある日三人の王子は森の中で遊んでいた。その森の中に二頭の子をつれた母虎が住んでいた。長いこと獲物にありつけなかったので二頭の子を食おうとした。三人の王子のうちに二人の兄王子は逃げ去ろうとしたが末のマハーサットヴァ王子は「永い輪廻転生の間に私は無駄に命を捨てたことが限りなくある。それは貪欲のため、或いは怒りのため、或いは愚痴のためであって尊い教えのためであったことは一度もない。尊い教えのために身をささげる絶好の機会だ」と考え、虎の前に身をささげました。飢えた母虎は王子に食らいつき二頭の子虎は命を救われたのです。身を投げ出した王子こそお釈迦様の過去世になります。

また次の話。

昔、雪山で修行する童子がいました。帝釈天が羅刹の形をして現れてこの偈の前半を説きました。後半を知りたいのであれば自分に食われろという要求を受け入れ、さらに後半の半偈を知るために童子は鬼に身を捧げました。

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽

この世界のすべてのものは一つとして永遠であるものはない。これが生滅の法という。
生滅無常への執着を滅しればそこに平穏なる寂滅の悟りが開かれて永遠の楽になる。


二つとも法の為に命を惜しまないお釈迦様の前世の生き方が示されています。

今の時代にそれをもとめるのは極端かもしれませんがそのうち、いつかはでチャンスを逃し時間を無駄にしている可能性もあるのです。

今日の一日はそんなドラマチックで劇的な一日ではないかもしれない。しかしいつ訪れるかわからないその時が来た時に覚悟が出来ている自分でありたい、そのように思います。


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