どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

最高の笑顔をみせてくれ

2006年06月30日 | little story
親は、子どもに平凡な生活を求めた。

敢えて危険な橋を渡って欲しくない。
どん底の不幸なんて味わって欲しくない。
ただただ、平凡でも良い。
平凡な中にも幸せはあるんだよと言った。

子どもは、迷った。
自分の夢との狭間で悩んだ。

結局、
自分の心で感じ、
自分の頭で考え、
自分の手と足で、
行動をすることにした。

「心配してくれてありがとう」と子は親に言い、
子は敢えて、危険な橋を渡った。
それは、その危険な橋を渡らなければ、
後悔をすると思ったから。

お父さんやお母さんが言ってくれた言葉は、
人生の経験者として正しいのだろう。
そして、僕を心配してくれているんだ。
だけれども、僕は、
最高の笑顔を見せることが、
生んでくれた恩返しだと思うんだ。



このところ、10代の人達と話しをする機会が何回かあった。
今日も、一人の10代の人と話をして帰ってきた。

帰ってきて思う。

「俺は、若い人達に、何らかの応援ができる男でありたい」。

まあ、まだまだ20代。
そんな人生を語る領域にも達していないような男。
応援をしたいと思っても、どういうふうにと聞かれれば、よくわからないのも実情。

そう想い続けていれば、そういう機会にも、いずれ出逢うだろう。
また、その時に、俺なりのスタイルで応援したいと思う。

俺も、何度か、人生の先輩達に応援をしてきてもらった。
その感謝の気持ちを、次ぎの世代に受け渡していく一人でありたい。






格好悪い男にならないように、格好悪い大人にならないように。

2006年06月29日 | little story
冷えたアイスコーヒーが飲みてぇなと、
思い立った夜11時半。

辿りついた、その店には、当然のごとくすいている。
客は俺以外に、1組。
しばらくたつと、その1組も店を後にし、
店に残ったのは俺一人だけ。

閉店間際に申し訳ないとは思いつつも、
静かな店内は、非常に落ち着き、
贅沢な空間と化す。

冷えたアイスコーヒーを飲みながら、
煙草をふかし、
自分と対話をする。

頭によぎった「感情」についてを、何となく考える。


自分の心の声に耳を傾け、
どんなことに胸躍り、
どんなことに熱くなるのか。

頭でゴチャゴチャ考えず、
そんなシンプルな感情を、
行動に変える。

最近は、そんなことを大切にしているんだけど、
こういう感情は、ちょっと気にかけてないと、すぐに忘れちゃう。
だから、忘れないように、時々、耳を傾けている。
まあ、ここはプラスに働くところ。

逆に、感情は暴走することもあり、制御しなければ、
痛い目をみることもある。
いや、痛い目をみてきた。
ギャンブルみたいな時だね。
まあ、ここらへんは、痛い目をみて、学習すれば良い。
俺みたいな馬鹿は、痛い目をみて、体に覚えさせないとだめらしい。

さらに、感情には、不安であったり、恐怖であったりという種類のものも備わっている。
その不安や恐怖は、自分の安全を守っていくためとかには、
やっぱり必要なんだろうけど、
そんな都合よく、働いてくれることばかりじゃあない。

せめて、格好悪い男にならないように、格好悪い大人にならないように、
そこは意識するしかない。

守るべきモノを守るために、
そんな時だけは、逃げるような男にはならないように。
まあ、日頃、そんな窮地には、めったに追い込まれないけど。


感情は、例え自分のものであっても、
つきあっていくのは、大変だ。


頂上から観る景色は、最高かい?

2006年06月27日 | little story
以前、富士山の頂上から見る御来光の話を聞いた。
御来光の意味すらわからなかった俺は、とりあえず、御来光の意味を聞いた。
日の出を観ることらしい。
雲の下から上がってくる太陽は、そりゃあ綺麗だそうだ。

その話を聞いてから、富士山を制覇するのも良いなと思っている。
ただ、富士山に登るのは、一人旅とは訳が違い、
「パティーを組まないと登れないだろ?」と容易に理解できる。
そんなわけで、実施できず、計画はそのままになっている。


登山をしたのは、大学に入学したての頃、
オリエンテーションの一環として、参加した時、以来。

周りに知り合いもいないような状態で、とりあえず登山。
その行事は、親睦を深めることが目的で実施された。

俺の集団は、昼の12時近くに出発。
飯は、まだかい?
飯は、まだかい?
と親睦を深めることよりも、
飯を食うことで頭がいっぱいの俺。

一旦、休憩ということで、
ちょうど飯の時間ということもあるし、
俺は我先に、飯を喰らう。

するとだ。
そこは、ただの休憩。
誰も飯を食わない。

取り返しのつかないフライング。
昼飯は、俺の腹の中に、すでにダイビング。

一旦の休憩は終わり、
本来、飯を食う場所で、
みんなが飯を食っている時に、
すでに俺の飯はない。
みんなが飯を食っているのを見学。

それを見かねてか、
そんな悲惨な俺に気づいたのか、
前のグループの知り合いの女の子が、
俺にカロリーメイトをくれた。

今も、カロリーメイトをくれた人の顔を忘れない。
ただ、カロリーメイトと、もう一つ、何かを恵んでくれたんだけど、その食べ物は、忘れてしまった。

登山には、そんな悲しい思い出がある。


登山を好きでもない、思い入れもまったくない俺だけれども、
自分のやりたいことと登山を重ねる。

1年半にも及ぶ、自伝プロジェクト。
ただいま、最終章、「大出血作戦」。
今、3社目の見積書を、まだか、まだかと待ち焦がれている。

登山でいうところの8合目。
まもなく頂上。
見積書の値段に、すべてかかっているが、
予算内であれば、9合目。
頂上を見上げることができる。

俺の目指している山は、そんなに低い高さじゃない。
一度や二度や三度や四度の失敗であきらめるところじゃない。
そう自分に言い聞かせて、早1年半。
早く、頂上からの景色を眺めてみたい。




ひとりごと

2006年06月25日 | little story
今日は、長野県上田市に行ってきた。
何をするために行ってきたかというと、
長岡秀貴さんの生の話を聞くため。
「ひとりごと」というトークライブ。

長岡秀貴さんは、以前、本の紹介のページでも書いたけど、
自分の学校を作りたいと、夢を描き、実現した人。
リンクのページにも、紹介している人です。

「侍学園 スクオーラ今人」

著書である、「ダッセン」、「SAMULIFE」を読んで、
一度、直接、話を聞いてみたいと思っていた人。

今年の俺のテーマは、「より多くの刺激を受ける」。
その一つとして、惹かれた人の生の声も聞いてみたいと思っていたわけ。

本当なら、直接、会話をまじあわせたいところだけれど、
恥ずかしがり屋の俺は、ちょうど良いことに、HPで講演会の案内を見て、
1ヶ月程前から、この日を楽しみにしていた。

会場に着き、著書である「SAMULIFE」のメンバーを見た時は、
「お~、すげ~、本に出ていた人達だ」と胸躍る。

会場に置いてあったパンフレットを見ながら、
開園時間を待つ俺は、再び、胸躍る。
処女作の「ダッセン」の改訂版が、サンクチュアリ出版社から、全国展開されるらしい。
もし、本屋で見かけたら、手にとってみてください。
本からはパワーが溢れています。

会場に来ていた人達の年齢の幅が広いことに驚いた。
10代から60代くらいまでいる。
そんな人達で、会場は満員御礼。
サムガクが認知されていることを感じる。

今回、初めて、こういうトークライブに足を運んでみた。
これからも、惹かれた人に直接、声が聞ける機会があったら、行きたいと思う。

楽雲庵塾は、これからもサムガクを応援しています。
ささやかですけど。




癖について考える

2006年06月24日 | little story
俺の癖って何なんだろう?
なくて七癖という言葉があるくらいだから、
たぶん、俺にも癖はあるんだろうな。

子どもの頃は、初めて口にするものは、匂いを嗅いでいた。
さすがに今はしないけど、
それは、初めて口にするものが、
少なくなってきているだけであって、
たぶん、今でも、初めて口にするものに出会ったら、
嗅ぎそうになるのかもしれない。
嗅ぎそうになりながら、人の目を気にして、
嗅がないでおくのだろう。

行動に関する癖は、俺よりも周りの人の方が知っているんだろうな。


最近、思考にも癖があるんじゃないかということになった。
人の思考は、性格からくるものも、もちろんあるだろうけど、
性格にかかわらないほどの癖ともいうべき思考があるんじゃないかってね。

その思考が口癖みたいになっている時があって、
この前は、「難しいな」って、よく言っている自分に気づいた。
気づいたから、とりあえず、言うのをやめてみようかなと思った。
思った数分後に、やっぱり言ってた。

癖は、意識することで、ある程度、押さえることができる。
新しい食べ物の匂いを嗅ぎたいけど、嗅がないようにするくらいならできる。
これと同じで、癖くらいの思考も、ちょっと意識するだけで、変えることができる。

意識することで、繰り返され、
繰り返されることによって、習慣になり、
習慣になれば、自分のものとなる。





65億の物語

2006年06月21日 | little story
子どもの頃、俺は布団の中で、こんなことを考えた。
「俺が見ていない世界って、もしかしたら止まっているのかもしれないな。
俺が見た瞬間だけ、動き出しているのかも知れない。
だって、確認できないからなぁ」。


そして、数十年が経過し、
俺は、煙草をふかしながら、こんなことを考えた。

俺が過ごしている今日という日は、
いつもと変わらない景色で、
いつもと変わらない平凡な一日。

だけれども、当然のように、
今日という日が特別な人もいるんだよなと。

好きな人に告白して成功した人もいるだろうし、
好きな人に別れを告げられた人もいる。

良い日だったという人がいれば、
悪い日だったという人もいる。

その人の心の景色で、
俺が見ているこの景色も、
違うものに感じるのだろうなと。



俺にとっては、今日は、いつもと変わらない一日だったけれど、
あなたにとって、今日は、どんな日でしたか?



人の数だけ、物語がある。





創塾祭

2006年06月19日 | rakuunanzyuku
本日から1ヶ月後の7月19日は、
この楽雲庵塾を開塾して2周年となります。

ずっと何か企画をしたいと思いきや、
アイディアも思い浮かばず、
企画と言ったら、
「自伝プロジェクト」を1年半近くしている以外は、
やっていない昨今。

2周年という区切り。
良いきっかけなので、
企画を実施したいと思います。


その名も、「創塾祭」。


詳しい内容は、準備ができ次第、随時、お知らせいたします。
週末は、創塾祭の準備を少しばかりしていました。


あと、自伝プロジェクトといえば、
本日、3社目と1回目の打ち合わせ。

そろそろ、決断の時がやってきました。
区切りがついたら、『自伝プロジェクト』のページで更新しますね。
1年半もやっているのか・・・。




体のメンテナンス

2006年06月18日 | little story
今日は、スーパー銭湯に行ってきた。
真っ昼間から。

真っ昼間から行くには理由があって、
風呂に入ると言うよりも、
マッサージをうけるため。

体が痛い。
慢性的に、首と背中が痛くなる。

あまりにも体が痛いから、
この前、柔軟体操をしてみた。
思ったよりも、体が硬く、
仮に相撲部屋に入門したら、
親方や先輩に、「おちょっくっているのか?」と言われること必至。
またわりなんてした日にゃあ、
どこかの筋が切れること間違いない。

その柔軟体操をした翌日、
なんとなく体が重い。
やばい。

そういうわけで、
マッサージは金が高めだけど、
たまあには、体のメンテナンスをしたほうが良い。

マッサージをうけること1時間。

マッサージをうけながら、
マッサージをしてくれる人は、
1時間もマッサージをしていて、
「よく、もつなあ」と感心する。

俺も小さい頃、親の肩をもんだけど、
1時間は無理。
しかも、客は、俺1人だけじゃないしね。

そんなことを考え、
よだれがたれそうになりながら、
至福の時を過ごした。


さあ、ワールドカップでも観よっかな。




『1歳から100歳の夢』日本ドリームプロジェクト:いろは出版

2006年06月13日 | book
先日、本屋に行った時に、一冊の本が目にとまった。
その本の著者は「きむ」という人。

「そういえば、楽雲庵日記のコメントで、このきむって言う人の話を書いてくれた人がいたなあ」と思い出し、その本をとりあえず買って帰った。

「想い描く世界に」という写真詩の本。

その本の最初のページに書いてあるコメントを読んで、
きむという人に興味を持った。

ポストカードを道ばたで売ったところかた始まったらしい。
そして、本の後ろの方には、そのきむがやってきたことが簡単に書かれていた。

「きむカンパニー設立」

ますます惹かれた。
それで、ホームページがないか検索してみた。

『きむカンパニー』

そのホームページを見ていて、ちょっと驚いた。
なにが驚いたかというと、
先日の楽雲庵日記でも書いた夢に関する本は、
この人達が手がけていたから。

次の日、買いに行ったよ。
『1歳から100歳の夢』という本。

100人が夢を語っている。
100年の夢がここにある。

その本に登場している人達は、
一般人といえば良いだろうか、
身近な人達の言葉。
だから親近感もわく言葉も多い。