どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

『リアル鬼ごっこ』山田悠介:幻冬舎文庫

2006年05月25日 | book
次の話が気になって、ついつい一気に読んだ本。
読み出したら、止まらなかった。

この本は、
佐藤さんという名字の人、500万人を対象として鬼ごっこをする話。
佐藤姓を皆殺しにするために鬼ごっこは行われる。
それで、「リアル鬼ごっこ」。

なんで、佐藤さんが対象になったかというと、
馬鹿王が佐藤という名字で、同じ名前の人が、国に500万人もいることが、気にくわなかったから。
まさしく馬鹿王。

期間は一週間。
すごいリアルに、「自分がその状況だったら、どうなるか?」ということを考えながら読んだ。

そもそも、この本を手にしたのは、
この本が、協同出版により、出版された本という話を聞いたから。
協同出版とは、出版社と著者が金を出し合う。
よって、著者もリスクを伴う。
自分の本を作ってみたいと動いている俺としては、
こういう経路で、35万部も売れた本は気になる。
そんな訳で読んだんだけど、内容もおもしろくて、一気に読んだ。

『陽気なギャングが地球を回す』伊坂幸太郎:祥伝社文庫

2006年05月23日 | book
久々に、この『この本がおもしろい!』のページを更新。
本を読んでいなかったわけじゃないんだけど、
更新が滞ってしまいました。

先日の日曜日、河原で読んだ本がこの本です。
もしよろしければ、『楽雲庵日記』も読んでみてください。

伊坂幸太郎の本を読むのは、これで3冊目。
紹介するのは1冊目。

伊坂幸太郎の本は、今のところ、どれも、数学のような書き方の本だという印象がある。
すごい計算しつくされた感じがする。
そして、無駄な部分がない。

あと、登場人物のセリフがカッコ良い。
ある意味、その心に突き刺さる言葉を楽しみに読んでいるところもある。



「変わった動物は保護されるのに、奇妙な人が排除されるのは、おかしなもんだ」
(陽気なギャングが地球を回す)


晴れた空の下、ピクニックでもしようか日曜日

2006年05月21日 | little story
長いこと外にいると、昼にもかかわらず、部屋に灯りが必要だ。
瞳孔が対応できないのだろう。
昼にもかかわらず、部屋に灯りをつける。


PM1:00。
かなり遅めの朝飯と少し遅めの昼飯を買いに、コンビニに出かけた。
車のラジオからは、「今日の気温は、20℃です」と各地の陽気な天気を伝えている。
5分も経たないうちに、コンビニに着き、
ドリアとポテトサラダと、いつも飲んでいる500mlのペットボトルのコーヒーを買った。

5分も経たないうちに家に着き、
車を駐車場に停め、
家には入らず、
家の近くの川に向かう。

この河原に来るのは、ひさしぶりだ。
ゆったりとした川を眺めながら、考え事をしたもんだ。
そんな河原で、ピクニック気分で、飯を食う。

腹を満たした後は、
寝そべって、本を読む。

「ピチャ、ピチャ」と水の音が心地が良い。
遠くから聞こえる拡声器の声。
遠くから聞こえる学生の声。

しばらくの間、本を読みながら、煙草をふかしながら過ごす。
時々、聞こえてきていた拡声器の声と学生の声は同じところから、
発せられていることに気がつく。
運動会をしているようだ。

少し肌寒くもなり、
そろそろ家に帰ろうかと時計を見たら、
PM2:40。


晴れた空の下、
ちょっとしたピクニックと、
ちょっとした読書をした、
そんな日曜日。





過去、今、未来

2006年05月20日 | little story
楽雲庵塾を長いこと読んでくれている塾生のみなさんは、ご存知かもしれないが、
俺は過去を大切に生きている。

そりゃあ、今も、未来も大切だけど、
過去も同じくらいか、もしくは、それ以上に大切にしている。

この楽雲庵塾にしてもそうだ。
ほとんどが、過去の物語であり、
俺の残しておきたい記憶と記録。

部屋をみても、ショーケースがあり、
過去の大切なものを所狭しと並べている。

しかし、過去に戻りたいかと聞かれれば、
戻らなくて良いと答える。
20代を終えかけているのは、
悲しいことではあるが、
やっぱり戻らなくて良い。

それは、楽しいことばかりじゃなかったから。
もう一度、大学受験をしろと言われれば、
あの浪人生活を、同じように送れる自信はないし、
働き始めた頃の社会の厳しさを、もう一度味わいたくもない。
とにかく苦しい時期をもう一度、乗り越えていく自信がない。
その時、その時の一度限りだったから、
燃焼していけるところもある。

俺が過去を大切にしているのは、
たぶん思い出話をしたいからなんだろう。

思い出話は、多ければ、多いほど良い。
たぶん、今、やっていることも、思い出話としては、なかなかのものになっていると思う。

そりゃあ、当たり前のように、あまり思い出したくない過去もある。
そこは、都合がいいことに、思い出さない。
意識下の底。

あとは、失敗した時、
「あ~すれば良かった。こうすれば良かった」ってのは、なしにしている。
桜を観に行った帰りに、鍵を落としただとか、
高速道路を運転していて、車から煙りが吹き出して、廃車になっただとか、
金で取り返せることは、働けば良いから、そこは振り返らない。
馬鹿な失敗談として、話のネタが増えるだけ。

本当は、未来をもっと具体的にイメージできるほうが、
未来を手中におさめることができるんだろうと思う。
だけど、どうも、そんな先まで見渡せない。
何度か、試みたが、今だ見渡せない。

まあ、見渡せはしないけど、
今と過去をみて、
なんだかんだ、漠然とでも想っていたことが、
実現していたりなんかもする。


後で、俺の物語を俺が読んだ時に、
壮大な冒険譚となるよう、
今をドーンと生きることにしよう。



正義対正義

2006年05月17日 | little story
カーナビに目的地を入力すると、車が勝手に動くと良いなと思う。
実現すれば、俺は寝ていられるのに。
カーナビがついていない車内で思う。

それにしても、人間は、数々のものを発明してきた。
発明とは無縁な俺は、ただただ感心するばかり。

この車にしてもそうだ。
人間の足となり、人間には出せないスピードで、あっという間に目的地。
陸で繋がっていれば、どこまででも行ける。
ただ、長距離を運転するには、人間の気合いが必要だけどね。
すごいもんを発明したもんだ。

俺の周りにある電化製品にしてもそうだ。
この一つ一つの電化製品にも物語があるんだろうな。
電話ができるまでの物語。
カラーテレビができるまでの物語。


それにしても、なんて便利な世の中なんだ。
人間ってすごいなと感心する。


昨日、シャワーを浴びている時に、ふと思いついた俺の発明。
俺は作れもしないのに発明をした。
案だけをとりあえず考えた。

それは、「バリア」を作ること。
「バリアがあれば、もしや、戦争はなくなるのではないだろうか。徹底的に守りに専念すれば、武力を持たなくても良いよな。これこそ、ノーベル平和賞もんだ」と、一人、得意げになり、風呂から出てくる。
迎撃ミサイルがあるけれども、あれも守りだよなと頭をよぎるが、
考えるのがめんどくさくなってきたので、ここまでで、やめることにした。

ガンダムができあがるのも、夢だけれども、
バリアができあがる方が、平和になるんじゃないだろうか。
子どもの時に親しんだ「タイム。そしてバリア」。
こんな小さな時から、平和になるヒントは隠されていたなんて。

俺は世界平和を考えるよりも、
身近な人に、ちょっとした優しさを配る方が先だと思っている。
いじめがあるなら、戦争もなくなる筈がないだろうと思っている。
そうは、言っても、時々考える戦争のない世界。


俺の側から見れば、俺の言っていることは正義。
しかし、あなたの側から見れば、あなたの言っていることも正義。
どちらも、正義。




最初の注意事項を読んでから、お読みください。

2006年05月16日 | little story
車がぶつけられたことよりも、
ずいぶんと洗車をしていないことの方が、
可哀想だということで、
洗車をしてきた俺の火曜日、
みなさんはいかがお過ごしですか?

今日は、一緒に何の話をしようか?
食パンの食べ方についてでも話そうか。

「食パンの食べ方についてなんて、聞いても何もおもしろくねぇよ」とお思いの方、
たぶん、おもしろくないです。
まあ、こんな肩の力を抜いた日も良い。
ということで、食パンの食べ方について書きます。


俺はおおよそ一年間にも及び、食パンを食い続けた。
昼だけね。
そういうわけで、今となっては、
食パンの食べ方研究家と呼ばれるまでになっています。

食パンを食べ続けたのは、
大学受験のため、浪人をしていた一年間。
生まれて、最初で最後であろう寮生活。
朝と夜は、ご飯がでるんだけど、
昼だけは、ご飯がでない。
金もない。
そこで、食パンを食うことにした。

メジャーなのは、6枚入り。
俺が食っていたのは、確か9枚入り。
一日、一枚食っても、一週間は持つ計算となる。
そのかわり、一枚、一枚は非常に薄い。

初めは、ジャムをつけたりとベターな食べ方をしていた。
しかし、ジャムの種類にも限りがある。
しかも、ジャムの値段は高い。

そこで、次に俺が考えたのは、
マーガリン。
ただ、マーガリンをつけるだけではない。
時には、砂糖をかけ、
時には、塩をかけて食べる。
この食べ方は、どっちもおいしい。

一年間にも及ぶと、これだけでも飽きてくる。
そこで、次に考えたのは、
マヨネーズ。
まあ、マヨネーズをつけるだけでも、
食べれるには、食べられるけど、
マヨネーズをのせた後で、焼くとよりうまい。
ただ、ここで注意をして欲しいのは、
やけどをしやすいということ。
かなり熱くなっているので、くれぐれも気をつけてください。
口の中の上の方がやけどします。


俺は、あの一年間を過ごした後、
ほとんど食パンを口にしていない。


「おいおい、マジで最後まで、食パンについてだけかよ!」と
お思いのあなた、最後まで読んでくれてありがとう。

「俺は、私は、食パンの食い方については、負けねえよ」と
お思いのあなた、よかったらメッセージください。



今日は、火曜日。
楽にいこう。

SMOKING MAN

2006年05月15日 | little story
「あれ?何だ、この凹みは?」

「もしや、ぶつけられてるんじゃねぇのか?」と

車をぶつけられて始まった俺の月曜日、
みなさん、いかがお過ごしですか?

月曜日は、嫌なもんです。
俺は、そういうものだと思って週を始めることにします。


嫌なことと言えば、煙草が30円値上がり。
俺の吸っているマイルドセブンは、かれこれ300円となります。
一時期、この煙草はたけぇな。リッチだなと思っていた、
パーラメントと同じ値段に到達することになりました。

厳しい世の中だね。
まあ、俺は、辞めないけどね。


「愛煙家のみなさん、心配しないでください、俺は辞めません」


そんな、宣言するようなことではないけどね。
俺の実家の家族は、一人も吸わない。
俺しか吸わない。
そりゃ、煙草くさいだの、
金がないのなら、煙草をやめれだの、
様々な仕打ちをうけてきた。

唯一、家族で、歓迎していたのは、
猫のトラくらいなもんだった。
トラは、俺が煙草を吸うと、
またたび以上に気持ち良さそうな顔で、
近寄ってきていた。
一度、油断してたら、吸い殻を食っちまった。


大学の頃の友達も2人が煙草を辞めた。
あの頃の、視界不良の部屋が懐かしいよ。
あの頃の、山盛りになった灰皿が懐かしいよ。

「何で、玄関に髑髏を飾っているんだ?」と
髑髏を見ながら、吸っていた煙草。

「何で、たばこ吸うときは、ストーブを消すんだ」と
寒い部屋の中、吸っていた煙草。

俺は、あの時の思い出を忘れません。


ちなみに、俺は、先日の紀伊半島の旅で、
念願のキセルを手に入れました。





下を向いて歩く

2006年05月10日 | little story
アスファルトが雨で濡れた日、夏の匂いを感じた。
俺の住んでいる所は、一気に暑くなってきた。

今となっては、「これこそが、夏だ」と、
本州の夏を楽しんでいるわけですが、
北海道を離れ、初めて味わった夏は、
それは、それは暑かった。
驚きも隠せない暑さだった。

初めて、北海道から友達が来た時なんかは、
「もう絶対、来ない」と毒づき、帰って行った。

それ程、北海道の人々にとって、
本州の夏は、半端ない。

そもそも、この体感温度の違いは、この湿度にある。
湿度といえば、「梅雨」。
いまだに「梅雨」は俺にとっては馴染みはなく、
「梅雨」の存在を忘れちゃっているくらいなもん。
そして、雨が降れば曇り空。


長くなったけど、今日の本題。
梅雨をぶっとばす方法。
これは、曇り空がこれでもかと続く日々にも使える。


それは、「下を向いて歩く」。


俺は、こうして曇り空を、ほぼ克服した。
下を向いて歩く=天気がなにか忘れちゃっている。
この方程式が微妙に成立する。
さらに、「曇り空が当たり前、曇り空が当たり前」と、
呪文を唱えれば、効果は倍増。
一度、試してみてください。


そういえば、昨日、煙草を買いに、家の近くの自動販売機に行った。
その帰り、下を向いてメールをしていたら、
下水道に足をおもいっきり取られ、
ブロック塀に激突し、
危うく、膝の皿をわるところだった。
もちろん、出血。

自伝プロジェクトのページで、大出血作戦を更新した日に、
生出血となった楽雲庵でした。


時々、前を向いて歩こう。



最近、楽雲庵塾の旅のページ、自伝プロジェクトのページを更新しています。
いちようお知らせでした。




国道156号線と2本の老桜

2006年05月06日 | travel
この旅で、もう一つ、自分の目で、観てみたいものがあった。


それは、国道156号線。


そして、国道156号線脇にある荘川桜。


この国道156線を、ある想いを抱き、何度も通った人がいる。
その人は、バスの車掌だった。

その人は、国道156号線上に桜を植え続けた。
「日本海と太平洋を桜の道で繋ぐんだ」と
夢を抱き、夢半ばで死んでいった。


その人の名は、佐藤良二さん。


俺は、早朝、今回の旅のもう一つの目的を果たすため、国道156線上にいた。
岐阜県美濃市から荘川桜を目指す。

荘川桜に続く、その道には、ところ、どころに桜が舞う。
「この桜か、この桜か」と想い、想いに走る。
後ろから車が来たら、自分の車を一旦、停め、国道156線を走る。
山に向かう、その道の路肩には、雪が残っている所もあり、ここら辺では、春がやっと来たという感じだ。


走ること数時間。
そして、辿り着いた荘川桜。
佐藤良二さんが、桜を植え続けた、きっかけがここにある。

荘川桜は、ダム沿いに咲く。
ダムの湖底には、人々が住んでいた集落が過去に存在した。
日本が高度経済成長期の頃。
その集落から、移植された2本の老桜。
ダムの工事を担当した、当時の総裁が移植を考えたらしい。
移植は、困難を極めたが、無事、花を実らせ、今も咲く。

移植後、咲いた荘川桜の幹に抱きつき、声を上げて泣いた老婆を、
見たのがきっかけで、佐藤良二さんは、国道156号線に桜を植え始める。
「人々が仲良く暮らせるように」と植え続ける。
そして、その数は、12年間で2,000本にも及ぶ。
佐藤良二さんが亡くなった今でも、その志は、受け継がれ、桜が植え続けられている。



俺が訪れた時は、まだ蕾だったけど、2006年、桜祭りの最後にふさわしい国道156号線と2本の老桜。
こうして、今回の紀伊半島の旅、2006年、桜祭りは終了した。




北海道を想う二人の旅人が三重県で出逢う

2006年05月05日 | travel
三重県、伊勢神宮。
遠い昔から、「一生に一度は見てみたい」と人々が目指した場所、通称、「お伊勢さん」。
日本人の旅の原点だと聞けば、行かずにはいられない、それが旅人。

昔から、この地にいて、訪れる人々を見てきた樹々が生い茂る中、
「急いで観るような場所じゃない」
そんな気分になり、俺は、ゆっくり、ゆっくりと歩く。


お伊勢参りをした後は、松坂市へ。
「ここはけちるところじゃねぇ、けちるところじゃねぇ」と、
松坂牛を食べるため、店の前で待つ。

地図を見ていると、ある人物の名が目にとまる。


「松浦武四郎」


「北海道にゆかりのある人だよな。何で、三重県に記念館があるんだ?」と胸、踊る。
胸は踊れど、松浦武四郎と北海道に、何らかの繋がりがあるというくらいの知識しかない。

そんな中、静かな館内で、心、奪われる。

最初に目に飛び込んで来たのは、
「北海道の名付け親」。
北海道という名前だけにとどまらず、北海道にある地名も、この松浦武四郎が考えたらしい。
アイヌ民族と交流があり、アイヌ文化を尊重し、
その地名にはアイヌ語が使われた。
北海道の地名が、アイヌ語を元に、つけられたのは、知っていたけど、この松浦武四郎が、その案をだしたのか・・・。すげぇ。

松浦武四郎が北海道を初めて訪れたのは、28歳。
俺が、三重県を初めて訪れたのも、28歳。
奇遇。

さらに、その生き様を知れば、知るほど、今、現在の俺の想いと重なる。

松浦武四郎は、伊勢神宮に、日本各地から訪れる人々を見て、いつか、自分も、自分の目で、いろんな場所を観て見たいと想いを募らせ、16歳から、日本全国を歩き周る。そして、帰ってくると、本の執筆をした。

今回の旅の最後にふさわしい出会い。
北海道にゆかりのある人物、偉大なる旅人に出会えるなんて思いもしなかった。


こうして、紀伊半島の旅は終えたが、今回の旅は、もう一つの目的がある。
それは、また明日。