どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

エレン

2005年07月31日 | little story
今日は、海に行ってきた。

今日の海は、一味違う。

何が違うかというと職場の人から「カナダ人が来るから、一緒に海に行こう」と言われたのだ。

詳しい話は省くが、娘さんの学校の関係で、2週間、日本に滞在するらしい。

日本を紹介できるなんて、しあわせだ。

そういうわけで、海に行ってきた。


彼女は、エレンという。

日本語は、ほとんど話せない。


海に行った後に食事をした。

職場の人に、「イカは英語で何て言うの?」と聞かれた。

イカスミスパゲッティーを伝えたいらしい。

そんなのは、わからない。

俺がインドで使っていた英語は、生きていくための英語

イカなんて知らない。

なぜ、この場に呼ばれたかというと、少しくらいなら英語を話せるって言ったから。

その場にいた高校生の方がよっぽど話せていた。

何の役にもたちませんでした。

ただ、一緒に楽しんでいただけ。

おもしろかった。

俺も家族を持ったら、そんなことしてみたい。


「エレン、日本を満喫してください」

獅子舞

2005年07月30日 | little story
あれは、こんな夏の日だった。
引っ越しして1年目か2年目のこと。

俺は、家でくつろぎながら、テレビを観ていた。
頬杖をつきながらね。


突然、家のドアが開いた。


俺「!!」

何が起きたかわからなかった。


頬杖をつきながら、玄関の方を振り返ると獅子舞がいる。


正確に言うと、獅子舞じゃないのかもしれないけれど、そんなことはどうでもいい。

とにかく玄関に獅子舞がいる。

俺は、何が何だかわからないまま、獅子舞のいる玄関にむかった。


すると、子どもが数人と大人一人。

祭りのはっぴを着ている。


「おねがいしま~す」と金を請求してきた。


俺は、意表をつかれている。

すぐさま、財布を出した。

危なく、千円を出すところだったが、かろうじて冷静さを取り戻し、その時あった、五百円を渡した。


かなり意表をつかれた夏。

地域にそんな祭りがあるなんて知らなかった夏。

あれ以来、あの獅子舞とも会っていない。

ナマラ

2005年07月28日 | hokkaido
まいった。眠れない。
現在、深夜の2時50分。
タバコも切れていたから、コンビニまで買いに行ってきた。

眠れないことなんて、珍しい。
年に数回くらいのもんだ。
俺はすぐに眠れるし、どこでも眠れる。

まだ、眠れそうもなさそうだから、更新することにした。

今日は、方言の話。

俺は北海道生まれ。
19歳で北海道を離れた。
北海道を離れて初めて、方言だったんだなあと気づいた言葉がある。

「はんかくさい」、「ばくる」

今、思いつくのはこんな程度。

「なまら」は方言だって知っていた。
ナマラとは、北海道の方言で「とても」という意味。
最近、知ったのだが新潟の方言でも「ナマラ」は「とても」という意味らしい。

「ナマラ」

なかなか良い響きだ。

北海道にいる時から、俺の話し方・雰囲気は独特だってよく言われた。
独特だって言われるのは嬉しかった。
何か人と違うってことに生き甲斐を感じていた。
みんながビックリマンのシールを集めているのに、一人でドキドキ学園のシールを集めていたくらいだ。

顔も普通、名前も普通、学校の成績も普通だから、せめて話し方くらい独特でいようと決めた。

北海道を離れてからも同じだ。

俺は、自分の生きてきた土地の言葉は大切にした方が良いと思っている。
誇りを持った方が良いと思っている。

大阪人がテレビで堂々と大阪弁を使っているように、俺も堂々と北海道の方言を話す。
通じない言葉は、仕方がないから変えたものもあるけれど。

話し方を変えると、リズムが崩れる。
話し方を変えると自分らしさが失われる気がする。


「それにしても、眠れね~。なまら、やべ~」


甲子園の道No.3~監督~

2005年07月27日 | baseball
プロ野球の交流戦を観ていて、おもしろいと思ったのは、普段、あまり観ないパ・リーグを観たこと。
オリックスの仰木監督の采配はすごいなあと思った。ソツがないと思った。

高校野球も監督の力量がチームに与える影響は大きい。
監督論の話になると、一回では書ききれないので、今、書きたいことだけ書きます。

高校野球で、最近好きな監督は、石川県、遊学館の山本監督。
中学までは、陸上をしていたらしい。
1,2年生だけのチームで甲子園に出場した時は、たまげた。
それからというものの注目している。

監督がどのような起用、采配をするかも重要なポイントとなる。

甲子園の道No.2~精神論~

2005年07月27日 | baseball
センバツで上位まで進んだ高校が夏の予選で敗退していくのを観ると、いかに甲子園に出場するのが難しいかというのを感じる。

最近、精神論がすたれた感が否めませんが、俺は精神論は大切だと思っている。
予選の上位に進むと、なおのこと精神力が大切だと思う。
なぜかというと上位に進むにつれ、力が拮抗してくる。
技術はほぼ同じ。
そこで、最終的に勝敗を分けるのは、精神力。
いかに勝ちたいかという気持ちが強い方が勝つ。

実力を出し切る上でも、心の持ちようは大切だろう。
時々、気持ちが空回りし、肩に力が入り過ぎちゃったということもあるが、集中力を高めていく上でも、気持ちの持って行きようは大切となる。

精神力を育てるためだと、水を飲むのを制限したり、1年生が使えるバットはこれだけだの、そんなものは必要ない。
どうしたら、精神力が育つかはわからんけれど、甲子園で勝ち上がっていくチームの貪欲さも是非、見ていて欲しい。

「俺は侍になりたい」発言

2005年07月24日 | little story
楽雲庵塾のトップ絵を見てもおわかりのように、俺は「侍」が好きだ。
そこで、俺が初めて侍になりたいと公言した話をしたい。

女友達3人から、焼肉に誘われた。

あとで聞いたら、3人では肉を食いきれなかったらしく呼ばれたらしい。

そこでの会話。

「俺、もてたいんだけど、参考にどんな人がタイプが教えて」

女友達1「弱々しい人」

女友達2「頼りにしてくれる人」

女友達3「そうだね~。弱い部分を見せてくれる人だね。」

『明らかに俺の目指している男とは違う』

『よわっちい男がもてるのか・・・』

あまりにも、好きなタイプと俺の目指している男が違うので、無意識に出た言葉だった。


「俺は侍になりたい」

女友達3人「・・・・・」

ひいた。

いや、俺も何でこんな発言をしたのかわからない。

それからというもの、堂々と「俺は侍になりたい」と宣言している。

楽雲庵塾~開塾までの記録~

2005年07月20日 | rakuunanzyuku
そういうわけで、とりあえずは○○塾ってしようと思った。
男塾だと、女性の客が来ないんじゃないかとか、いろいろ考えた結果、オリジナルの名前を考えることにした。

「何で、楽雲庵ってつけたの?」と数人に聞かれたことがある。
「昔、実在した武士から、とった名前?」とも言われたことがある。
なかなか、嬉しい。
楽雲庵というのは、まったくのオリジナル。
そこから武士を想像してくれるなんて嬉しい。
どうして、楽雲庵という名前をつけたのかという話をしたい。

俺は名前を考えるのに時間がかかる。
ものすごく時間がかかる。
今まで、名前を考える機会は主にテレビゲーム。
以前、ドラクエをしていて、主人公に子どもが生まれたときは、まいった。嬉しかったけど、まいった。
まいって、1回電源を消した。
それくらい名前を考えるのは重要な作業だ。

俺の好きな作家の一人、遠藤周作は別名を「狐狸庵」と言う。
もう一つ名前を持つと、生活に奥行きがでると遠藤周作は考えた。
小説を書いているのは、「遠藤周作」。
素人劇団「樹座」などユーモアのある活動をする時は、「狐狸庵」と分けたのだ。

なかなかおもしろい。
「俺も別名を創りたいなあ」と遠藤周作の本を読んでいて思った。
それで、良い機会だし、ホームページ公開とともにもう一つの名前を考えようと思った。
楽雲庵の「庵」は、狐狸庵の「庵」をとっている。

【庵】アン:①文人・茶人・医者などの雅号。
(旺文社:国語辞典より)

ちなみに、俺の好きな前田慶次は、「無苦庵」というらしい。
そういうわけで、まず「庵」は決定した。

ここまでは、割とスムーズだったんだけど、やはり迷った。
そこで、好きな字をいろいろ考えた。
考えた割には単純だと思う。

【楽】ラク:楽しむ・気楽にやっていくという意味で決定した。

【雲】ウン:自由気ままに・誰にも迎合しないというイメージで決定した。

それで、できたのが楽雲庵(ラクウンアン)。
今となっては愛着がわいている名前となったのでした。




祝!開塾1周年

2005年07月19日 | rakuunanzyuku
楽雲庵塾を開塾して、早1年が経ちました。
いつもそうですが、1年よりもやっているようで、あっという間。
あっという間で、結構続けている、そんな感じです。

盛大に企画を実施しようとも思っていました。
楽雲庵塾オリジナルTシャツプレゼント!のような。
しかし、郵送となると、俺の住所を明かすことになるよな・・・と思って辞めました。
特に何の企画もしませんが、1周年を迎えたということで、楽雲庵塾について、書きたいと思います。

時々、何のサイトかわからない、わかりずらいと言われます。
楽雲庵塾。
わかりずらいと思います。
「何の塾だ?」って思うでしょう。
俺が命名しました。

サイト名を決める時に、○○塾にしようと、すぐに決まりました。
○○塾にしたいというのは、サイトを公開しようと考えていなかった大学の頃まで遡ります。

記憶ははっきりしていませんが、テレビで、不登校の生徒などを集めて、何とか塾を開いている話を観ました。学校に行けるまでをサポートするんです。
かっこいいなあ。俺もこんな塾をやりたいなあと思いました。

あと、その影響か「男塾」を開きたいと友達に冗談で言っていました。
「魁!男塾」ってマンガからとったものです。(特にそのマンガが好きだからとかじゃないけど。)
「男塾」っていう響きが、強い男を育てるみたいな感じでカッコイイと思ったんです。
友達に「友人1、1号生筆頭に決定したから」って勝手に決めて、言ってました。
手紙とか年賀状にも名前の横に男塾塾長と書いていました。
だから、その友人1の奥さんは、俺に最初に出会った時に、俺の事を塾長と呼びました。今も塾長と呼びます。

そんな訳で、サイト名は○○塾でいくと決めたのでした。


つづく。

(開塾1周年 来塾者数 9,897)

自伝プロジェクト 現況報告

2005年07月18日 | rakuunanzyuku
明日で楽雲庵塾、開塾1周年。
開塾1周年に自伝を発表する予定でしたが、間に合いませんでした。
楽しみにしてくれていた方、すみません。

これからの計画、現在の状況などについて書きます。
一番最初に「投資してもらう作戦」という作戦を決行します。
(詳しくは、5月11日の日記に書いてあるので、読んでください)
アルファポリスからネット上で公開する予定で、そのためにウェブ版自伝を創っているところです。

現在の状況は、50%出来上がっています。
なかなか気に入っています(かなりの自己満足)。

今年の1月に、「自分の本を出してみたい。自伝を出してみたい」と始めた自伝プロジェクトも半年を過ぎ、なかば、みなさん飽きているかもしれませんが、待っててください。