詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

太田昌国のコラム : 知里幸恵『アイヌ神謡集』の広がり

2021年05月15日 | 故郷


 ●第55回 2021年5月11日(毎月10日)

 知里幸恵『アイヌ神謡集』の広がり

 北海道新聞のひとつの記事が目をうった。知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』の多言語への翻訳が国の内外で進んでいるとする記事である(同紙2021年3月13日付け夕刊)。知里幸恵は1903年、北海道登別に生まれた。アイヌ民族が口承によって受け継いできた神謡13編をローマ字筆記と日本語対訳として起こし、出版のために校正まで終えた直後の1922年、病死した。19歳の若さだった。来年は没後100年を迎えることとなる。(写真下=知里幸恵)

 

 『アイヌ神謡集』は幸恵の死の翌年1923年に、金田一京助の跋文を付して出版された(郷土出版社)。幸恵にまつわる私の思いは、以前にも書いたことがあり、それは、西成彦+崎山政毅=編『異郷の死――知里幸恵、そのまわり』(人文書院、2007年)に収録されている。幸恵のこの本は、その後も北海道の地域出版社から刊行されたことはあったが、1978年に岩波文庫に収められて以来、広く流通し、知られるようになった。現在も流通しているので、入手できる。私の文章は、岩波文庫では「外国文学」のジャンルに入る赤帯が付せられている意味を考えたうえで、幸恵と金田一京助の「コラボレーション」(協働作業)の本質的な意味合いや、幸恵の「表現」の的確さやリズム感も論じているので、お読みいただければうれしい。私の著書『テレビに映らない世界を知る方法』(現代書館、2013年)にも収録したが、かなり以前の文章なので、ブログにもアップしてある。
→ http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/yukie.html

 いや、それよりも、『アイヌ神謡集』そのものに触れられるのがいちばんよいことは、もちろんであるが、冒頭で触れた北海道新聞の記事に導かれて、かの女の郷里・登別に10年前に開設された「知里幸恵 銀のしずく記念館」のホームページをたずねてみた。
→ https://www.ginnoshizuku.com/

 すると、ベトナム語、バスク語、ロシア語、スペイン語、韓国語、英語、ギリシャ語など12言語に翻訳されたサイトがたちどころに現われて、「国境を越えて」広がる幸恵の世界を実感することができる。幸恵の原文は、口承文学を起こしたものだけに朗読するに適しているから、学習中の外国語で読んでみようという気持ちが強く沸き起こる。現在イタリア語への翻訳に取り組んでいるというイタリア人は、「館のHPを見て、自分が翻訳をやるべきだと思い立ちました。誰もやったことがなかったことに挑んだ幸恵の物語集は世界に知られ、受け継がれるべき集団的記憶です」と語っている。「集団的記憶」という表現には、「国境」や「民族」を超えた《類》への志向性がつよく感じ取られて、印象的だ。

 このような記事・報道が深く心に沁みわたってくる一方、同じ時期の北海道新聞には、見出しだけを拾うと、「日テレ、アイヌ民族差別」「番組で不適切表現、謝罪」「アイヌ民族ヘイト横行」などの文字が目立つ。番組で使われた言葉は、今なおこんな言い方をする者がいるのかと思えるほどの、深刻な差別表現なのだが、番組担当者やそれを言った「芸人」は謝罪した。するとツイッター上には、「何が問題なのか」「過剰反応ではないか」「アイヌは先住民族ではない」「日本にアイヌはもういない」などという投稿が相次いでいるという。歴史事実に基づいて、かつ人権を尊重して、何ごとかを言う――そのような態度とはもっとも遠い地点から発せられるこれらの言葉――それはもう、すっかり見慣れ、聞き慣れたた光景になった。

 このような否定的な現実に向き合うときに、もし徒労感をおぼえるようなことがあったら、幸恵が『アイヌ神謡集』に託したような仕事がそんな自分を励ましてくれるのだ。そんなふうに考えればよい、と思った。

 

銀の雫ふるふる 出演:吉永小百合、他 ラジオドラ

銀の雫ふるふる 出演:吉永小百合、他 ラジオドラマ - YouTube


母さんの不思議

2021年03月27日 | 故郷

怒りと、、哀しさと、、絶望とがこの国を覆い尽くしている。
ぼくはふっと亡き母を思い出してしまう。


保坂直人前社民党議員を統一候補とできない護憲減税政党(共産党・社民党)こそが、この国の癌だとあえて言いたい。

そうでなければこの両党に未来はない!絶対にない・・
そう思った記事はー
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/b12ef99fa63505f922faa1c735b618f9?fm=rss


ぼくの家はずっと夫婦共稼ぎだった上に、父が毎日外へと飲み歩くとんでもない大酒飲みだったので、北海道で転校したどの町でも、ぼくの家が一番貧乏だった。
お金をめにするのなんかは正月くらい。
両親からお年玉などもらった記憶はない。親戚からもほんの少しだけ

両親に甘えるどころかほとんど会話もなかった。いつもいっつもお金を稼ぎたかった・・

でも不思議な事に、洗髪と耳の垢とりはいつも母にやってもらっていた(小学生高学年までだったけど)
母ってのはほんとに素晴らしいなと思う。仕事で疲れていただろうに


父についても、現在ではなまら尊敬している。
休日には、畑仕事で汗だくの父だった。
その野菜がなければ、一家が飢え死にしてたろうなと思う


【女ひとり旅】323/ 北海道1周!道の駅巡り/幻の魚が泳ぐ駅【道北編】

2021年03月24日 | 故郷

【女ひとり旅】323/ 北海道1周!道の駅巡り/幻の魚が泳ぐ駅【道北編】 - YouTube

 

【道の駅情報】 南ふらの http://www.hokkaido-michinoeki.jp/mic...

 

【女ひとり車中飯】279/ 北海道の醍醐味!車内でウニを食らう女 - YouTube


 -石川啄木「悲しき玩具 - 一握の砂以降」より-

2020年07月16日 | 故郷
新しき明日(あす)の来きたるを信ずといふ
自分の言葉に
嘘(うそ)はなけれど
   -石川啄木「悲しき玩具 - 一握の砂以降」より-

 
明治末の国策冤罪事件「大逆事件」に対して、異議を唱えたのが、死期間近の石川啄木と、故郷の人々が冤罪で抹殺に怒った佐藤春夫と与謝野鉄幹くらいだった・・今の時代にとてもよく似かよってきた

日本の革命的詩人の系譜は、明治以前は小林一茶くらいだが…詩は元々、反権力的で反社会的で反常識的なので、従順な日本人には難しい…
明治以降は、石川啄木→宮沢賢治→坂口安吾へと。いずれも先住民的で差別皆無の東北以北の詩人たちだ。坂口安吾の詩は少ないが、これほど反骨的な作家は日本人では珍しい。
故郷のポプラ並木を思いだす・・


増える一方の大企業の・・塩蔵されてる内部留保(約500兆円)や、使うに使えない米国への借金各々数百兆円とは違って、年金等の社会保障は市場を循環するので景気回復の効果が大きい。民主党政権が続いていたならとっくに景気回復だったろうに・・


 新しく引っ越した町にはなんでもあり飽きることがなかった。田圃と畑が延々と広がり、磯の香が吹く浜には、干した網の傍らに漁船が無造作に砂の上に。温泉地にも大都市にも近いので職人や勤め人も多かった。書店と映画館と温泉プールは初体験で、もちろん海や海で採れるウニや海鼠や様々な魚貝類も…

ぼくのその頃の日課といえば、鶏の餌やりと、学校から帰ってから愛犬の散歩を兼ねてのウサギ用の草採りだった。
その小学校の裏庭のジャングルジムに愛犬を繋いで、その一番上に腰掛けて海へと落ちゆく夕陽を眺めるのが好きだった。

休日になると、アイヌ語辞典や語源の詳しい町の地名一覧本を持って、町中をあてもなく歩くか、、
温泉プールで一日泳いだり、夏になると、「スタンド・バイ・ミー」にたいに、延々と線路の上を歩いて、ウニや海鼠やアワビやシュリ貝という巨大な黒い貝が好きなだけ採れる岩場で一日中潜っては焚き火の上で焼いて食べたりだった


その町には、あらゆる階層の人々がおり、あらゆる職業の人々がいた、日本でも珍しい町だった。一次産業の農民は東北諸藩からの元藩士というのが多かった。漁民は日本全国からの流れ者的な人々が・・工場労働者や鉱山や温泉での仕事や建設業も。特筆すべきなのは、かなり有名な観光地も近かったのでサービス業関係が多かった。ぼくのその町での唯一の知り合いが売春宿の主人だったし、暴力団関係者子弟もアイヌの子弟同様に、たいがいのクラスに一人はいた

故郷 魯迅 井上紅梅訳

2020年06月23日 | 故郷
 わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小闇くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。
 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。
 わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。
 わたしどもが永い間身内と一緒に棲んでいた老屋がすでに公売され、家を明け渡す期限が本年一ぱいになっていたから、ぜひとも正月元日前に行かなければならない。それが今度の帰省の全部の目的であった。住み慣れた老屋と永別して、その上また住み慣れた故郷に遠く離れて、今食い繋ぎをしているよそ国に家移りするのである。
 わたしは二日目の朝早く我が家の門口に著いた。屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向って顫えているのは、ちょうどこの老屋が主を更えなければならない原因を説明するようである。同じ屋敷内に住む本家の家族は大概もう移転したあとで、あたりはひっそりしていた。わたしが部屋の外側まで来た時、母は迎えに出て来た。八歳になる甥の宏兒も飛出して来た。
 母は非常に喜んだ。何とも言われぬ淋しさを押包みながら、お茶を入れて、話をよそ事に紛らしていた。宏兒は今度初めて逢うので遠くの方へ突立って真正面からわたしを見ていた。
 わたしどもはとうとう家移りのことを話した。
「あちらの家も借りることに極めて、家具もあらかた調えましたが、まだ少し足らないものもありますから、ここにある嵩張物を売払って向うで買うことにしましょう」
「それがいいよ。わたしもそう思ってね。荷拵えをした時、嵩張物は持運びに不便だから半分ばかり売ってみたがなかなかお銭にならないよ」
 こんな話をしたあとで母は語を継いだ。
「お前さんは久しぶりで来たんだから、本家や親類に暇乞いを済まして、それから出て行くことにしましょう」
「ええそうしましょう」
「あの閏土がね、家へ来るたんびにお前のことをきいて、ぜひ一度逢いたいと言っているんだよ」と母はにこにこして
「今度到著の日取を知らせてやったから、たぶん来るかもしれないよ」
「おお、閏土! ずいぶん昔のことですね」
 この時わたしの頭の中に一つの神さびた画面が閃き出した。深藍色の大空にかかる月はまんまろの黄金色であった。下は海辺の砂地に作られた西瓜畑で、果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。項には銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒を握って一疋の土竜に向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼の跨ぐらを潜って逃げ出す。
 この少年が閏土であった。わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。あの時分は父も在世して家事の都合もよく、わたしは一人の坊ッちゃまであった。その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る家の大祭の年に当り、祭は鄭重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、祭器の撰択が八釜しく行われ、参詣人が雑沓するので泥棒の用心をしなければならぬ。わたしの家には忙月が一人きりだから手廻りかね、祭器の見張番に倅をよびたいと申出たので父はこれを許した。(この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年といい、日雇いの者を短工という。自分で地面を持ち節期時や刈入時に臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月という)
 わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、年頃もわたしとおつかつだし、閏月生れで五行の土が欠けているから閏土と名づけたわけも知っていた。彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。
 わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで
「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳け出して行ってみると、彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔! 頭に小さな漉羅紗帽をかぶり、項にキラキラした銀の頸輪を掛け、――これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、彼を庇護しているのである――人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。誰もいない時に好く話をして、半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。
 われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、まだ見たことのないいろいろの物を街へ来て初めて見たとの話だった。
 次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。
「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。わたしどもの沙地の上に雪が降ると、わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、短い棒で大きな箕を支え、小米を撒きちらしておきます。小鳥が食いに来た時、わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、小鳥は箕の下へ入ってしまいます。何でも皆ありますよ。稲鶏、角鶏、※鴣[#「孛+鳥」、105-11]、藍背……」
 そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた左のような話をした。
「今は寒くていけませんが、夏になったらわたしの処へ被入っしゃい。わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、観音様の手もあります。晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたも被入っしゃい」
「泥棒の見張をするのかえ」
「いいえ、旅の人が喉が渇いて一つぐらい取って食べても、家の方では泥棒の数に入れません。見張が要るのは※(「權」の「木」に代えて「豸」、第4水準2-89-10)猪、山あらし、土竜の類です。月明りの下でじっと耳を澄ましているとララと響いて来ます。土竜が瓜を噛んでるんですよ。その時あなたは叉棒を攫んでそっと行って御覧なさい」
 わたしはそのいわゆる土竜というものがどんなものか、その時ちっとも知らなかった。――今でも解らない――ただわけもなく、小犬のような形で非常に猛烈のように感じた。
「彼は咬みついて来るだろうね」
「こちらには叉棒がありますからね。歩いて行って見つけ次第、あなたはそれを刺せばいい。こん畜生は馬鹿に利巧な奴で、あべこべにあなたの方へ馳け出して来て、跨の下から逃げてゆきます。あいつの毛皮は油のように滑ッこい」
 わたしは今までこれほど多くの珍らしいことが世の中にあろうとは知らなかった。海辺にこんな五色の貝殻があったり、西瓜にこんな危険性があったり――わたしは今の先きまで西瓜は水菓子屋の店に売っているものとばかし思っていた。
「わたしどもの沙地の中には大潮の来る前に、たくさん跳ね魚が集って来て、ただそれだけが跳ね廻っています。青蛙のように二つの脚があって……」
 ああ閏土の胸の中には際限もなく不思議な話が繋がっていた。それはふだんわたしどもの往来している友達の知らぬことばかりで、彼等は本当に何一つ知らなかった。閏土が海辺にいる時彼等はわたしと同じように、高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。
 惜しいかな、正月は過ぎ去り、閏土は彼の郷里に帰ることになった。わたしは大哭きに哭いた。閏土もまた泣き出し、台所に隠れて出て行くまいとしたが、遂に彼の父親に引張り出された。
 彼はその後父親に託けて貝殻一包と見事な鳥の毛を何本か送って寄越した。わたしの方でも一二度品物を届けてやったこともあるが、それきり顔を見たことが無い。
 現在わたしの母が彼のことを持出したので、わたしのあの時の記憶が電の如くよみがえって来て、本当に自分の美しい故郷を見きわめたように覚えた。わたしは声に応じて答えた。
「そりゃ面白い。彼はどんな風です」
「あの人かえ、あの人の景気もあんまりよくないようだよ」
 母はそういいながら室の外を見た。
「おやまた誰か来たよ。木器買うと言っては手当り次第に持って行くんだから、わたしがちょっと見て来ましょう」
 母が出て行くと門外の方で四五人の女の声がした。わたしは宏兒を側へ喚んで彼と話をした。字が書けるか、この家を出て行きたいと思うか、などということを訊いてみた。
「わたしどもは汽車に乗ってゆくのですか」
「汽車に乗ってゆくんだよ」
「船は?」
「まず船に乗るんだ」
「おや、こんなになったんですかね。お鬚がまあ長くなりましたこと」
 一種尖ったおかしな声が突然わめき出した。
 わたしは喫驚して頭を上げると、頬骨の尖った唇の薄い、五十前後の女が一人、わたしの眼の前に突立っていた。袴も無しに股引穿きの両足を踏ん張っている姿は、まるで製図器のコンパスみたいだ。
 わたしはぎょっとした。
「解らないかね、わたしはお前を抱いてやったことが幾度もあるよ」
 わたしはいよいよ驚いたが、いい塩梅にすぐあとから母が入って来て側から
「この人は永い間外に出ていたから、みんな忘れてしまったんです。お前、覚えておいでだろうね」
 とわたしの方へ向って
「これはすじ向うの楊二嫂だよ。そら豆腐屋さんの」
 おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処で評判の「豆腐西施」で白粉をコテコテ塗っていたが、頬骨もこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなく、それにまたいつも坐っていたので、こんな分廻しのような姿勢を見るのはわたしも初めてで、その時分彼女があるためにこの豆腐屋の商売が繁盛するという噂をきいていたが、それも年齢の関係で、わたしは未だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。ところがコンパス西施はわたしに対してはなはだ不平らしく、たちまち侮りの色を現し、さながらフランス人にしてナポレオンを知らず、亜米利加人にしてワシントンを知らざるを嘲る如く冷笑した。
「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」
「いえ、決してそんなことはありません、わたし……」
 わたしは慌てて立上がった。
「そんなら迅ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」
「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って……」
「おやおやお前は結構な道台さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾さんがあって、外に出る時には八人舁きの大轎に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰ろうが、私を瞞すことは出来ないよ」
 わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると
「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」
 コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。
 そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸んで行李をまとめ、こんなことで三四日も過した。
 非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮のような裂け目があった。
 わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら
「あ、閏土さん、よく来てくれた」
 とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜……けれど結局何かに弾かれたような工合になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。
 彼はのそりと立っていた。顔の上には喜びと淋しさを現わし、唇は動かしているが声が出ない。彼の態度は結局敬い奉るのであった。
「旦那様」
 と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身顫いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。
 彼は頭を後ろに向け
「水生や、旦那様にお辞儀をしなさい」
 と背中に躱れている子供を引出した。これはちょうど三十年前の閏土と同じような者であるが、それよりずっと痩せ黄ばんで頸のまわりに銀の輪がない。
「これは五番目の倅ですが、人様の前に出たことがありませんから、はにかんで困ります」
 母は宏兒を連れて二階から下りて来た。大方われわれの話声を聞きつけて来たのだろう。閏土は丁寧に頭を低げて
「大奥様、お手紙を有難く頂戴致しました。わたしは旦那様がお帰りになると聞いて、何しろハアこんな嬉しいことは御座いません」
「まあお前はなぜそんな遠慮深くしているの、先にはまるで兄弟のようにしていたじゃないか。やっぱり昔のように迅ちゃんとお言いよ」
 母親はいい機嫌であった。
「奥さん、今はそんなわけにはゆきません。あの時分は子供のことで何もかも解りませんでしたが」
 閏土はそう言いながら子供を前に引出してお辞儀をさせようとしたが、子供は羞しがって背中にこびりついて離れない。
「その子は水生だね。五番目かえ。みんなうぶだから懼がるのは当前だよ。宏兒がちょうどいい相手だ。さあお前さん達は向うへ行ってお遊び」
 宏兒はこの話を聞くとすぐに水生をさし招いた。水生は俄に元気づいて一緒になって馳け出して行った。母は閏土に席をすすめた。彼はしばらくうじうじして遂に席に著いた。長煙管を卓の側に寄せ掛け、一つの紙包を持出した。
「冬のことで何も御座いませんが、この青豆は家の庭で乾かしたんですから旦那様に差上げて下さい」
 わたしは彼に暮向のことを訊ねると、彼は頭を揺り動かした。
「なかなか大変です。あの下の子供にも手伝わせておりますが、どうしても足りません。……世の中は始終ゴタついておりますし、……どちらを向いてもお金の費ることばかりで、方途が知れません……実りが悪いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛けられ、元を削って売らなければ腐れるばかりです」
 彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。
 母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付けた。
 あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡ての苦しみは彼をして一つの木偶とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰り取らせてもいい」と母は言った。
 午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発前に船を寄越して積取ってゆく。
 晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。
 九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。
 船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退く。
 わたしは船窓に凭って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。
「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」
「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」
「あの水生がね、自分の家へ遊びに来てくれと言っているんですよ」
 宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。
 わたしどもはうすら睡くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。
「あの豆腐西施は家で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判の挙句、これはきっと閏土が埋めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」
(犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌め、中には餌を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄むことが出来る。犬は柵に鼻が閊えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという)
 だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。
 母も宏兒も睡ってしまった。
 わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然る可きだ。
 わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。
 夢うつつの中に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。
 希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。
(一九二一年一月)

寺山修司の競馬関係本と樋口一葉研究者和田芳恵

2020年05月02日 | 故郷
札幌に住んでいた頃は、競馬場や北大が近かったので、競馬開催時の行列や朝の馬の散歩(北大馬術部の)によく出っくわしたもんだった(学生時代によく読んだ樋口一葉研究者和田芳恵の自伝的作品で夜に恋人とセックスやりたい放題だったのはここら辺りかなと連想しながらよく散歩したもんだった→是非映画化してもらいたいもんだ)。『寺山修司、没後30年に思う―競馬を愛した偉人が残したもの』ーhttp://number.bunshun.jp/articles/-/422500

前に何度か書いたが、ぼくが競馬を始めたのは、寺山修司の競馬関係本を読んでからで、競馬を止めたのはオグリキャップ引退レースの有馬記念で、オグリキャップ絡みの馬券を全部当ててからだった。

その間の理由は何度もブログで書いているが・・母親に当たり馬券数十枚を捨てられたからだった(ほぼ毎週競売場か場外馬券売り場に出没していた)。僕は中穴党なので、たちまち数十万円の配当になるので、その年の夏頃には、半年間に百万円以上の金額の当たり馬券があったのだろうが・・

あまりにも馬券が当たる年ので、ついつい魔が差してしまった。一年間でどのくらいの金額になるのだろうかと当たり馬券を換金せずに、大きな箱に当たり馬券を換金せずに入れていたのを、全部母に捨てられてしまった。女という生き物には理屈がまったく通じないので抗議する気にもなれなかったが・・あまりのショックでそれ以降はもう競馬をやる気が全く失せてしまった。

食い意地汚い安倍晋三! 自公政権の国家的詐欺と年金制度破壊許さん! 坂本龍一 故郷の夢は丘のバーベキュー

2016年06月26日 | 故郷

    明石家さんまが「福島のことを考えろ」と東京五輪開催を批判! 賄賂だけじゃない、五輪招致は間違いだらけ - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

   安倍内閣炎上か<本澤二郎の「日本の風景」(2395) <消えていく年金基金135兆円> <安倍も黒田も真っ黒焦げ>

    最初の#消えた年金 問題の時は 野党から追及受けて、やっと調査を始めたし 今回の 消えた年金は、勝手に人の年金を株買うのに使って、おまけに大損 あなた達 は、年金制度を潰したいの? 年金は、あなた達のお小遣いじゃない 損した年金、弁償して


@aro_flashy     #安倍晋三ガリガリ君祭り ガリガリ君は潰瘍性大腸炎に効くのか?(まじめにドクターに聞いてみたい)pic.twitter.com/5YflCzeu0Q →以前と違ってなんと丈夫な胃腸なんだ?税金でほぼ毎日の超豪華料理といい…鋼鉄の歯と胃腸睾丸鞭な脳!


   「そんなもの政治資金で買いませんよ!それは、私は、それは知りませんけども。で、そんなことをですね、いま、いきなりそう言われてもですね、私、わかりませんけども」 … 絶対ガリガリ君主アベノ晋三


山本太郎議員にガリガリ君問題を追及された安倍晋三君の反応をご覧くだだい

   舛添が公私混同で辞任なら安倍、麻生も!政治資金でキャバクラ、ウニの爆買い…


@mipom11 @hurati    前者だと株暴落で、株博打につぎ込んだ年金基金数十兆円の大損を防ごうとしなかった国賊で国民殺しの大犯罪者という事になるし…どっちにしても日本史上 でも稀有の大嘘つきで、原発への対応(東電と東電株主だけ救済、被災者殺し)でも、日本人大虐殺の大犯罪者!

    安倍内閣炎上か<本澤二郎の「日本の風景」(2395) <消えていく年金基金135兆円> <安倍も黒田も真っ黒焦げ>


   こたつぬこさんが玉木雄一郎をリツイートしました  

    あくまで粗々の計算だが、ドル円105円、日経平均12000円になると、安倍政権発足後の国の年金運用基金GPIFの累積運用益約30兆円がすべて吹き飛ぶ。安倍政権が一昨年秋に始めた株式に過度に依存した運用は見直すべきだ。国民の年金資金を使って株価維持をすべきではない。


◆ 「原発広告」世界のトヨタを上回る2兆4千億円!原発再稼働の流れに沿って息を吹き返す…電気代、税金から     →こんな世の中に誰がした!?それは安倍自公等の政官財カルト支配層(米国の属国植民地の奴隷家畜どもの)

    これぞ6月23日に見て欲しい動画 うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」 より

 

     参院選。 18歳~18歳~って盛んに言ってるけど、 何を隠そう!我ら団塊の世(の世直し!?)代が鍵を握ってるんだよ! そうだろう!だって一番の票田だぞ!圧倒的な票田だ~~!! ざまあみろ!! (笑) 俺達がこんな「年金溶解」を許さなければ、参院選は野党の圧勝だ!

 

     安ホ倍晋ダ三とマッ黒田東彦。この2匹は死なない限り国民の資産をドブに注ぎ込み続けるぞ(株博打で最後に残った年金積立金数十兆円消滅は今年中で、年金崩壊は来年にかけて!)・・もし今の地位を投げ出して辞めるとすれば、もう何をやっても国民を騙せないと観念した時だけだが、原発ムラマネーと電通支配の利権マスゴミが滅ばない限り奴等は辞めない。騙される国民の無知ゆえに嘆・・ 

   山添拓を応援する若手弁護士有志の会さんがよよぎのよーこをリツイートしました    【有志の会HP】 会員が素敵なバナーを作ってくれました! 山添さんの人柄が知りたい。どんな弁護士だったか知りたいそんな方は是非!ZOECLUBという有志の会のパンフレットと同じ内容です。手に入れられなかった方は是非!       →若手弁護士とは・・安倍自公政権にとっては最も嫌な候補者なのに違いない

      RT    ◆BS11アーサー・ビナード 日本人探訪 ♯3 山口県 原康司【上関原発スラップ裁判被告】 中国電力4800万円スラップ損害賠償裁判?止めようスラップ裁判!   →期待できそうな、「現代の反骨者列伝」かな

 

ー故郷にはもう二十数年くらい帰っていない・・ついさっきの夢の中では、かつて鶏小屋があった家の庭にバーベキュー道具を出して、懐かしい海を見下ろしながら、魚介類を焼いていたが・・見下ろす町の情景はまるで一変している。家がゴミゴミと立ち並び、小学校中学校等の懐かしい建物がまるで残っていない。

 

◆欧米の家族愛の物語は嘘臭いのが多いし、日本の俳優子役がだんだん下手糞になり中に比べると韓国の映画ドラマは健闘してる(日本に先んじて米国や国際金融との亡国的貿易協定で亡国をさせられてきたというのに)…彼の国の子役はほんとに上手い!最初から観るのは二度目の『天命』ーhttp://gyao.yahoo.co.jp/player/00005/v12391/v1000000000000010740/?auto=1&rep=2 


北海道の物語ふるさとの物語(1)  ペテン師安倍と腐りきった仲間たち報道に眩暈クラクラ

2016年05月31日 | 故郷

   広島・長崎をパールハーバーと一緒にするな!! パールハーバーは軍事拠点(戦闘員)に限定した日本軍の見事なピンポイント攻撃で、国際法上、全く正当な戦闘行為だ。一方、広島・長崎への原爆投下は、市民(子供・女性・老人)といった非戦闘員の虐殺を狙った、人道に反する非合法な戦争犯罪

   県議会は、米軍属女性遺棄事件に対する抗議決議と意見書を全会一致で可決。遺族への謝罪などに加え、辺野古移設断念、在沖米海兵隊の撤退も求めた。在沖米海兵隊の撤退を求める県議会決議は初めて。

@hachiyou12    悪い予感はしていたが、甘利を不起訴にした東京地検特捜部の責任者が、小沢事件で虚偽の捜査報告書を創作した人と同じなんだから、予想通りなのかもしれない。検察の信用もマスコミと同様、世界70位以下になっているのではないか。

◆    内外からの批判を受け、総理がついに「リーマン前に似ているとは言っていない」などと言い始めた! もう訳がわからない。総理は確かに言っている。リーマン、リーマン7回も。そして「世界経済は通常の景気認識を超えて危機に陥るリスクに直面」と。だから報道された。自分自身に怒ってどうするのか    →安倍晋三は「ひとり芝居芸人」に転業したらいい・・極右やカルトや朝鮮半島系の固定客がいるので、十分食っていけるべさ

   安倍晋三「私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」と述べ世界を仰天させた!見苦しいほどリーマンショックを叫び、資料にまでリーマンショックの文字を羅列し、リーマンショックボケに陥っていた野郎が内外の批判に慌てて否定に転じた!   →安倍はペテン師業界の方が向いてるかも・・

   まるで東京地検特捜部と打ち合わせしたかのように「甘利明」は急激に睡眠障害が治ったようだ。ニセ医師と相談して復帰時期を決めるとほざいている。口利き常習犯が帰ってくる!日本の未来など知ったこっちゃないと絶叫した金目野郎が帰ってくる!   →甘利もペテン師業界の恐喝担当か・・

 

ネットをやりながらウトウトしてたら、小学校中学校と同じだった少女を思い出して、故郷がたまらなく懐かしくなった。その娘を意識するようになったのは、同じように詩作してたからだった。

中学の修学旅行の時には、彼女が上野の路上生活者から買った緑色の表紙の英訳の『ジキル博士とハイド氏』を・・『はい、これ、この本あんたに相応しいから・・』と。上野公園て、なんて大きくて樹だらけなんだろうか・・そういえばその前夜、後楽園球場(ドームになるはるか以前の)で、巨人阪神戦を並んで観たんだっけ・・

北海道からの長い列車と青函連絡船の旅で、くたびれ果ててまるで外出する気がなかったので、寝転んで漫画を読んでると、『星の牧場』というメルヘンを紹介してくれたN君と、少女ドラマ好きのR君が「後楽園へ行こうや!?」と・・歩き始めると、東京はつくづく坂の多い街なんだなと実感する。ラムネがなまら旨い・・

《後楽園が見えてきたな~》と思った時には、すでにその身長くらいある金網を乗り越えていた。ぐるっと入場口を回るのが面倒くさかったのだろう・・  →疲れたのでまた明日!

* ぼくは北海道開拓三世で・・父の兄弟が13人もいた上に、末っ子の父が最もいい土地や、多くの金…一円金貨や銀貨等は、子供時代にオハジキで遊んでいる内 に全部無くなってしまった。父は酒が入るとなまら饒舌になって、誰とでも楽しく飲むという人だった。酔っ払いは喧しいので、母や子供の僕らにはなまら忌ま わしかったけど・・

 

   広島・長崎をパールハーバーと一緒にするな!! パールハーバーは軍事拠点(戦闘員)に限定した日本軍の見事なピンポイント攻撃で、国際法上、全く正当な戦闘行為だ。一方、広島・長崎への原爆投下は、市民(子供・女性・老人)といった非戦闘員の虐殺を狙った、人道に反する非合法な戦争犯罪である

■@dongisyoun    いつしか日本が、世界一弱者に思いやりの無いギスギスした弱肉強食社会に変貌してしまったからなのかも…自己責任論や努力不足論で、ずっと支配層やマスコミが洗脳してきた成 果だろうか…中流以下の貧乏人同士をイガミ合わせれば、いつまでも世襲支配層一%(明治維新後日本列島を植民地化した薩長閥、特に長州の田布施閥)の前近代的な階級階層社会は安泰!


タックスヘイブン脱税電通も! フザケ過ぎ安倍自公政権 「故郷に寄せる賛歌」-小説に登場する故郷

2016年04月08日 | 故郷

安倍よ・・・お前が一番、メディアを脅し、真実を国民に伝えさせず 報道ステーションの古館やNEWS23の岸井を降板させているんだ!! 詐欺師安倍!! 国民を生き地獄へ追い込み 子供達を戦地へ導く悪魔の番人。即刻消えろ!!!!

     日本のマスゴミが世界的なスキャンダル「パナマ文書」に及び腰なのは「電通」(米国米軍の日本植民地支配ためにマスコミ界支配の総本山)の名前があったから! 


@ykabasawa   タックスヘイブンに隠された世界の富は2010年末の時点で推定で2100兆円!⇒ http://ameblo.jp/takumiuna/entry-11929499663.html … pic.twitter.com/hxNiN7ppvM

@kikko_no_blog   丸紅や三菱商事や商船三井を始めとした日本を代表する大企業がこぞってタックスヘイブンを利用して税金逃れをしてるのだから、法人税減税など「泥棒に追い銭」!政府がこれらの企業を脱税容疑で捜査しないのなら、法人税を大幅に引き上げ、その分消費税をゼロにしろ!

@masaru_kaneko @qryfk    →世界銀行とIMFの先祖の・・スイスの国際決済銀行に、第二次世界大戦中はずっと、両陣営大銀行が集まって戦費決済やマネーロンダリングを戦争後もやり・・麻薬売買利益やアジア中からの略奪金銀財宝で日本が最も貢献したが・・  →今回のタックスヘイブン情報問題で、「やはり大戦争が一番確かだ(マネーロンダリングのためには)!」と、世界中の支配者やその奴隷家畜どもは思ったのに違いない・・

@panda3091 @naaaaaagi66  尖閣諸島も米軍射爆場だった…米国が意図的に、日本が周辺諸国と仲良くするのを妨害する戦略と思う。サンフランシスコ平和条約もそう…賠償をきちんと やったドイツと違い、日本に賠償責任ないも変だし、一国に賠償したら全締結国に賠償義務も変だ!


氷結や結晶化や遺伝であれ…それがどんなに小さい物だろうと、結実のためには、異質な他者との出会いと、ささやかな核が必要だ。東北蝦夷の末裔で、アイヌ の末裔のぼくには、それはアイヌや沖縄や蝦夷の宗教観や世界観だ!米国先住民とも共通する始原からの物語!宮沢賢治作品に流れる清冽さと豊穣さ…


@nmawata   →週刊新潮や産経による山尾議員ガソリン問題追及が安倍総理に飛び火したのは笑い事ですまない。山尾議員は選挙の年だけ200万という額なのに比べ安倍総理は毎年500万以上という不自然さ…与野党議員全員調べたらどうか pic.twitter.com/RQMHLfZXU2

  【週刊文春】、買った。3/31と4/1の衆議院本会議、「TPP」甘利明、「ミコ」大西英男、「子どもを産んだら女じゃない」菅原一秀と自民3名がそろって欠席したという。もちろん甘利は長期欠席。議員としての最低の職務をも怠るという、ふざけきった話である

@nmawata    →安倍自公ファシズムカルト政権は、自らの支持基盤を、完全に官僚公務員(元々ファシズム化しやすい)と大企業に軸足を移した。従来の支持基盤の農民や中小 企業や地方資産家は、TPPでの被害でいずれ反自民になるのを見越して、先手先手で官僚公務員優遇や大企業減税にまい進中!

 

◆@die1248 @Uruma583No    →このような睾丸無知どもばかりの、嘘つき三昧自民党は、早くこの世界から消滅して欲しい!同様に、凶暴で鞭丸出しの羊頭狗肉公明党も・・

■バドミントン選手の「違法カジノ」問題での電波ジャックをしっつらこくNHKでやっているが異常と思う!ー  ①賭けマージャンやパチンコという違法ギャンブルがやりたい放題の国の偉いさん連中が何をか言わんだ! ②日本ではなくカジノが合法の外国の数年前の話しをしっつらこくの意図は?

 拡散を!『安倍・自公内閣は岸内閣だ!本澤二郎の「日本の風景」(2318)』ーhttp://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52135026.html

 

   海外では政治のこと話すの普通らしい、日本では特権階級を守るためにグローバリスト政権が一味のD痛とか使って政治=ダサいっていうイメージを必死に作ってきたからねw政治屋も芸能界も同じ位置づけですね、この国ではw

@a3cfnmjv7rgxqmw    →現最低賃金を越える分については、故童話作家エンデがNHKで提唱”した定期的に減価(半年に一割づつくらい)し…最終的(約五年程度)に貨幣価値ゼロになる地域通貨”で支払うという実験を試みるべき思 う。半年毎に一割づつ減価し、五年で貨幣価値0円に・・減価時の混乱回避は宝籤機能(災害救助隊が大地震等に備えて建設した旧ソ連の畑地付き別荘的家屋を景品に←従来のように大災害が起きてから仮設住宅建設は遅すぎる!世界一の災害大国日本では大災害が定期的に起きるのはわかってるのだから全国に作っておけ!)で可能になる・・またこれらによって、耕作放棄地や休耕田や限界集落の利用と食料自給率アップが可能になり、一円も費用をかけず景気回復が可能になる!


4/7 ◇パナマ文書 前田真里氏「インターネット最大のリーク事件。南ドイツ新聞の報道が発端。21万5千法人、1万4153人の顧客の名前が出ている」

■ なまら貴重!北海道やアイヌ関係のリンク集・・【大学・研究機関等へのリンク集】ーhttp://www.t-komazawa.ac.jp/org/apc/link.htm

 

◆新シリーズ〔故郷に寄せる賛歌 ー小説に登場する故郷〕  

故郷が登場する小説を即座に幾つか思い出すことができる。好きな順にはー①井上ひさし『五千万歩の男ー井上忠敬伝記』アイヌの中心的土地として… ②北杜夫『遠い…』青春文学の傑作!③『シャクシャイン記』青空文庫!④小林多喜二の小品の題名度忘れした

「馬鹿と煙は高い所へ登りたがる」とよく言われるが・・ぼくもその例外ではないようだ。とにかく高くて、見晴らしのいい場所が大好きだったので、登山が最も性に合っているでの、何でもどでかい話しが好きだ

 

◆①井上ひさし『五千万歩の男ー井上忠敬伝記』   →同じく彼の長編『吉里吉里国』は、東北の一寒村が金鉱を経済的背景にして医学立国し、日本国と独立戦争を戦い・・と、日本の小説には珍しい、なまらスケールの大きい話しだし・・この井上忠敬の伝記は、江戸時代や東北やアイヌ民族理解には欠かせない一冊!

◆③『シャクシャイン記』青空文庫に収録か?作者名も?   →なんとも切ない話しだ…かようの悲劇は北海道各地で起きたろうし、明治以降も政府や学者たちは、アイヌ先祖の墓という墓を 盗掘して、アイヌ先祖の骨を大学等へ盗みだした!これが人間のやる事か!一方で同じ日本人だとして、租税や兵役教育等の義務を課して…鬼畜な明治政府や学者ども!

◆②北杜夫『遠い…』青春文学の傑作!   →日本の青春文学…というと、真っ先に北杜夫を連想する。その彼の作品の中でも、暇があると町の中や、近隣の町を歩き回っていた頃を懐かしく思い出す。この辺りは、北海道一の難所だったせいか、海産物もなまら豊かだが、昔は遠洋漁業が盛んだったとは、まったく知らなかった・・

 

【付録1】  そのどれもが壮大な物語の・・パソコンゲームのファイナル・ファンタジーは、出来た頃からずっと大ファンだけど・・「給水塔」が舞台になってるシリーズが一番好きだ。北海道の故郷にも、似たような給水塔があり・・十メートルくらいタンク横の梯子を上って、中の渦巻きを覗きこむと、いつもポーの渦巻きについての短編を連想した。

この草原状の丘(時々、内地の雉ほどは凶暴でない山鳥が鳴いたり飛んでたりしてた)は、海に向いた方は断崖絶壁になっていて、アイヌの神話では「鹿を追い落とす崖」と呼ばれて、ここへと鹿の群れ(冬になると雪の少ない胆振日高の太平洋岸へと北海道中の鹿が集まってくる)を追い詰めて、崖下へ追い落とした・・とある。人類発生以来の、最も原始的で効率的な狩の方法だ。

日本列島・・とくに北海道には、人類史上最暖気の約六千年前前後の”縄文海進期”(現在よりも約十メートル海面が高かった!)の波跡が、崖に刻まれてる場所が多く、そんな場所は、アイヌ神話では、”鹿や熊を追い落とす場所”と呼ばれて、アイヌの狩人たちには重宝されたそうだ


寺山修司 競馬 札幌競馬場 樋口一葉研究者和田芳恵

2016年02月17日 | 故郷

◆今日も死体の夢。それも真っ黒こげの死体だ・・たぶん、火葬場で働いていた時に、あまりにも多くの死体を見たり火葬したせいだろう(すっかり目をやられた)。僕は上司(東大出で女たらしで、いつもネットでホモ映像を観ていた学会員で、警察との集団ストーカーを自慢してた小男で、労災認定せずに頭の傷化膿で殺されかけた)に質問してたが、質問内容は忘れてしまった・・

『バーニー・サンダースがアイオワで語った言葉【演説完訳】』ーhttp://hbol.jp/83029/3   →奴隷家畜植民地根性がすっかり染み付いた日本低国よりは、まだアメリカの方に期待が持てるなー 

 

札幌に住んでいた頃は、競馬場や北大が近かったので、競馬開催時の行列や朝の馬の散歩(北大馬術部の)によく出っくわしたもんだった(学生時代によく読んだ樋口一葉研究者和田芳恵の自伝的作品で夜に恋人とセックスやりたい放題だったのはここら辺りかなと連想しながらよく散歩したもんだった→是非映画化してもらいたいもんだ)。『寺山修司、没後30年に思う―競馬を愛した偉人が残したもの』ーhttp://number.bunshun.jp/articles/-/422500



前に何度か書いたが、ぼくが競馬を始めたのは、寺山修司の競馬関係本を読んでからで、競馬を止めたのはオグリキャップ引退レースの有馬記念で、オグリキャップ絡みの馬券を全部当ててからだった。

その間の理由は何度もブログで書いているが・・母親に当たり馬券数十枚を捨てられたからだった(ほぼ毎週競売場か場外馬券売り場に出没していた)。僕は中穴党なので、たちまち数十万円の配当になるので、その年の夏頃には、半年間に百万円以上の金額の当たり馬券があったのだろうが・・

あまりにも馬券が当たる年ので、ついつい魔が差してしまった。一年間でどのくらいの金額になるのだろうか・・と当たり馬券を換金せずに、大きな箱に当たり馬券を換金せずに入れていたのを、全部母に捨てられてしまった。女という生き物には理屈がまったく通じないので抗議する気にもな
れなかったが・・あまりのショックでそれ以降はもう競馬をやる気が全く失せてしまった。


ビバ 北海道!

2015年08月19日 | 故郷

北海道の約半年の冬は…以前はなんにもやる事なかった。今はPCあるので、半年でも退屈しない…目標がある奴はとことんすごくなるし…そんなの何もない上に、悪知恵の働く奴は無茶苦茶悪くなる。でも内地のような組織的な悪には到底太刀打ちできない。元々日本列島は官を尊とぶファシズム体質濃厚!


今日は少しやばい話し 海鼠やガヤやシュリ貝… やっぱり故郷について考えるのが一番楽しい

2015年08月17日 | 故郷

NYタイムズ「日本の大新聞は権力者の側に立って国民を見下ろしてる」異常。こんな民主主義国家見た事がない  RT 英国BBC社員は政治家記者会見に出されるコーヒーさえ飲まない。会食すれば役員でさえ退職。日本メディアの意識は世界で最低レベル  →江戸時代の瓦版以下の日本マスメディア!

日本ではそのほとんどが無罪・・というより犯罪者は本国へ無事帰還。イタリアやフィリピンでさえも、犯罪者米軍人は逮捕というのに、それ以下の奴隷家畜植民地日本では、米軍人がやりたい放題!世界一の属国属領日本に相応しく国会すぐ横に米軍基地を作りやがれ!

 

自由往来です。米国空軍基地、米国海軍基地が出入り口です。北朝鮮の工作員なんか目じゃないです。おおびらに白昼堂々旅券なし、税関なし、人数制限なし、犯罪者もフリーパスです  →世界一犯罪者が自由に往来できるのがこの地帯!

沖縄の友人がよく飲むと話していた。「交通事故~強姦まで米軍犯罪はみんな無罪」…「俺の家でも面白半分に米軍ヘリに機銃掃射を」…「どんな面さげて独立国だと日本人は言うか!」…あれ以来、沖縄も日本も全然全然変わっていない。属国属領植民地の家畜奴隷の国日本・・その犠牲にされる沖縄

 

  「相変わらずの妄想陰謀論」とは…最大級の賛辞かな。ぼくは生まれつき空想力枯渇なので、現実からあまり遠く離れられないようです…空を飛ぶという夢も、せいぜい一mくらいの高さからだんだん墜落してゆくというセコサ…目下の夢は、故郷で大麻と海鼠(ナマコ)を満喫したい!

海で溺死体があると・・目や陰部等の柔らかい部分には、びっしりと海鼠がくっついて食べている・・と聞いても、ぼくのナマコ好きは生涯変わることはなかった。最後の晩餐は、絶対に生きたナマコだべさ!

 

シュリ貝というのはムール貝の一種なんだけど、北海道の故郷のは赤ん坊の頭くらいの大きさがあって、一個焚き火で焼いて食べると腹いっぱいになる。

ガヤはメバルなんだけど、このひょうきんな魚が昔から大好きだった。煮魚が最高で、煮汁の煮こごりがまた最高に旨くて、栄養たっぷり!大阪の船場汁は鯖・・昔の大阪人には、思わず同情してしまったのだった