詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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レイバーノーツを導いたマイク・パーカー 追悼

2022年01月31日 | 四要素論

レイバーノーツを導いたマイク・パーカー 追悼

レイバーネット日本国際部 山崎 精一

*マイク・パーカー (1940-2022) (2014年ジョハンナ・パーカー撮影) 

 

 レイバーノーツ誌1月号はその創設者の一人、マイク・パーカーの死去を報じている。掲載された2本の追悼記事を翻訳したので読んでもらいたい。 【ブラッドベリ―】【アーリー

 1940年生まれのパーカーは1950年代に社会主義運動の活動家として出発した。1960年代にはバーニー・サンダースとともに青年社会主義者連盟で活動し、今年1月15日の死去の日まで社会主義のためにその人生を捧げた。

 70年代半ばでデトロイトに移り、クライスラーの自動車工場で電気技術者として働き、終生全米自動車労組UAWの組合員活動家であった。1979年に後退局面に入りつつあった労働運動に職場からの運動を再生するためにレイバーノーツ誌を立ち上げる中心的なメンバーの一人となった。80年代にはいると日本的経営に学んでトヨタ方式やQCサークルなど経営手法がアメリカの自動車産業などに導入され、労働組合の中でも労使協調路線が強まった。それに対してパーカーは4冊の著作により、分析批判と反転攻勢を展開した。

 自動車労働者が日本車を叩き壊す映像がセンセーショナルに広められる中で、パーカーはアメリカ自動車労働者の敵は日本ではなく、アメリカの自動車資本であることをその著作を通じて訴えた。

 そのような中でパーカーは1989年にアジア労働者連帯集会に参加するために初めて来日し、日本の自動車産業とその労働運動からも直接に学ぼうとした。1991年には再来日して明治大学国際交流センターで『アメリカの左翼 過去・現在・未来』と題した講演を行った。1995年には国際労働研究センターの設立記念講演会で『「日本的経営」とアメリカの労働運動』と題する講演を行っている。同センターの代表だった戸塚秀夫氏や渡辺勉氏との相互啓発と友情を通じて、日米労働者の国際連帯の流れを作り、2年おきに開催されるレイバーノーツ大会に日本から労働者研究者が毎回のように参加する契機となった。

 パーカーは労働運動の実践家、政治・社会運動の活動家だっただけではなく、優れた教育者でもあった。自動車工場の現場を離れている期間はコミュニティーカレッジや自動車労使で共同して運営する教育プログラムで電子制御などの電子技術・ITを教えた。またレイバーノーツは労働者教育事業も行っており、パーカーは優れた参加型教育者でもあった。電信電話産業でどのように全米電信労組CWAと提携して教育活動を行ったか、今月号のレイバーノーツ誌にその当時のCWAオルグだったスティーブ・アーリーが生き生きと伝えているので、読んで頂きたい。【アーリー

 マイク・パーカーとの個人的な思い出を紹介したい。
 私が最初にマイクと出会ったのは1989年の最初の来日の時であった。彼がアジア労働者連帯集会の一つの分散会でアメリカの自動車産業の話をする際の通訳を務めた。ボランティアの通訳を始めたばかりの私はderegulationという英語単語とその意味を知らず、規制緩和という訳語も知らなかったが、マイクは親切丁寧に説明してくれた。彼の謙虚な人間性と教育者としての天性を感じることができた。

 具体的な年は思い出せないが、確か90年代にマイクがクライスラー社に再就職して現場に復帰した、というニュースを聞いてびっくりした。50歳台の有名な労働運動活動家、労使協調を鋭く批判した4冊の著名な本の作者、新左翼政党の指導者の一人としても知られた人物がクライスラー社に採用されるなんて信じられなかつた。日本でいえば『自動車絶望工場』を書いた鎌田慧さんが60歳近くになってトヨタの現場に本工として採用されることがありえるだろうか? アメリカでは年齢差別が禁止されているし、組合員は退職しても組合員であり続けるので、採用差別は許されずクライスラーは採用拒否できなかったのである。マイクは2007年66歳まで現場で自動車労働者として働き続けた。

 私が3回目にレイバーノーツ大会に参加した2016年、大会開始1時間前に大会会場に入ると、マイクとお連れ合いのマーガレットが受付の横で大会資料の袋詰めを黙々と二人きりでやっていた。一流ホテルを貸し切って開催される大会にはスタッフも一杯いるはずなのに、後期高齢者の大先輩にこんなことをやらせるとは何ということだろう、とその時は思った。しかし、それが一生草の根の立場を貫くマイクの姿勢であり、背中で進む道を指し示す指導者、メンターの本当の姿なのだろう。若い人にもそのことが伝わっていたことが、今回のブラッドベリ―編集長の追悼記事を読んで実感できた。【ブラッドベリ―

 最後に没後に知った事実。レイバーノーツが創立40年を過ぎ、その活動が若い世代に引き継がれ、しかも拡大していることにマイクは満足して亡くなったのではないか、と私はその死去を日本の仲間に知らせる際に述べた。ところがアメリカから届いたいくつかの追悼記事を読んで、最近若者が大挙して入党している民主社会党DSAにも最晩年に入党していて、カリフォルニア州で指導的役割を果たしていたことを知った。

 アメリカの左翼雑誌『ジャコバン』はゲイ・シーメルによるマイク・パーカーの追悼記事を掲載したが、そのタイトルは「左翼としての人生を生き切ったマイク・パーカー」である。

 マイク、あなたは私にとっても導き手、メンターであり続けるでしょう。

 

棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省

2022年01月31日 | 四要素論

棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省

棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省 : 世に倦む日日 (exblog.jp)

 
棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省_c0315619_12551412.png全国の市中で感染爆発が進む中、31日昼、岸田文雄が「現時点では国として検討していない」と発言した。政府は感染者数がピークアウトして減少するのを見込んでいる様子だ。小池百合子の方は政府に判断を預けていて、この意思決定に積極的に参加しようとしていない。都の発表する病床使用率が48%前後のところで止まっているのは、明らかに小池百合子が政府に忖度して匙加減しているからで、作為的に50%を突破しないよう寸止めしているからだろう。

政府が宣言を出さない方針だから、それに合わせて数字を演出しているのだ。普通に考えて、都内の自宅待機者(療養+調整中)が毎日数千人ずつ急激な勢いで増えているのに、中等症(肺炎)の患者の数が一定数で固定して止まったままという事態はあり得ない。不自然だ。実態としては、中等症レベルなのに入院できず、自宅療養を強いられている患者が少なからずいるのだろう。いずれ、昨年8月のように自宅療養中死亡の事故が多発しておかしくないが、一方、病床の半分は空いているのであり、「上級」は即入院できる態勢となっている。




棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省_c0315619_12552454.png前の記事の補足をしたい。今回の棄民政策は誰が動かしたのかという問題である。ネオリベとの距離感を標榜する宏池会の岸田文雄が、そして世論の支持率に敏感で「聞く力」をモットーとする岸田文雄が、今回の棄民政策(検査しない、保健所はコンタクトしない、自己管理で治せ)を率先してキャリーしたとは考えにくい。ネオリベ勢力による感染症対策の奪権の政治であり、クーデターだろうと考察した。それを策謀し主導した政治分子として、(1)山際大志郎(=3A)、(2)ネオリベ知事、(3)ネオリベ厚労官僚、(3)ネオリベ専門家、の四要素を指摘して構図化した。

この図式を描きつつ、自分でも若干疑問に思ったのは、(3)の「ネオリベ厚労官僚」の部分である。正直、こんなのいたっけと首を捻った。なぜ、厚労官僚が今回の棄民政策に抵抗しなかったのか、棄民行政の主体になったのか、意外に思う気分を否めない。けれども、現実にあの通達は24日に厚労省の名前で発信されている。この謎をずっと考えていて、はたと思い出した事実があった。それは、1月10日に放送された報道1930の内容だ。田崎史郎と久江雅彦と佐藤千矢子が出演した回で、高支持率を上げている岸田政権の成功要因を政治記者が内側から解説した特集である。


棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省_c0315619_13004328.pngここに、今回の棄民政策の謎を解くキーがあった。映像が上がっているので確認と検証をいただきたい。岸田官邸のコロナ対策を仕切る実務官僚として、3人の事務秘書官がいることが紹介されている。宇波弘貴(財務)、中山光輝(財務)、荒井勝喜(経産)である。前政権のときまでは厚労省からの秘書官が配置されていたが、岸田政権ではそれが排除され、宇波弘貴と中山光輝の財務官僚がコロナ対策を牛耳る体制となった。佐藤千矢子がこう言っている。

宇波さんは、もうほとんど厚労省担当というか、あの方、厚労省に出向してたときもあるんですよ。厚労省担当の主計局次長もやられてるし、財務省兼厚労省(の立場の秘書官)なんですよ。全部(厚労省関係の政策を)やられるんだと思います。はい。

佐藤千矢子の忖度の口上に政治記者の饐えた生臭さが漂う。政界の生きものの目つきが妙に怪しく穢らわしく感じられる。宇波弘貴と長い付き合いで昵懇なのだろう。

久江雅彦と松原耕二が次のように言う場面がある。生放送のときは気づかなかったが、どうやら台本と事前打ち合わせの存在が嗅ぎ取られ、松原耕二による番組メッセージの布石の意図が看取される。ただの漫談の会話ではない。

棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省_c0315619_13130991.png(久江)岸田さんになってですね、厚労省の様々な壁というものがあってですね。(松原)つまり、菅政権まで、いろんなことを動かそうと思っても厚労省が抵抗してだめだなんて声が聞こえてきましたよ。(久江)それは、宇波さんも中山さんも見てて分かってたと。であるがゆえに、主計官のときに厚労省・社会保障を担当して厚労省の思考や慣習に熟知した宇波さんを中心にコロナ対策をやっている。秘書官の中に厚労省の人がいなくて、財務の二人でやってていることがスピード感を持ってやれている原因..。


この1月10日のBS-TBSの映像を見返すと、まさしくこれが今回の棄民政策の前触れであり、先行して予告的に示されたところの、したがって後で種明かしとなる意味深な情報であり、すなわち、マスコミによる棄民政策のエンドースとアジテーションだということが分かる。松原耕二が率先して、厚労省の従来の公共重視的な(25条準拠の)政策を悪玉視し、不当化し、排除すべきだと視聴者にプロパガンダしている。結局、財務官僚が厚労官僚を押しのけてポストを奪ったのであり、官邸が厚労省を格下げし、厚労省の意向が遮断される政策決定の仕組みになったのだ。


棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省_c0315619_13052963.pngこの差配が誰によるものかというと、当然ながらネオリベの3A、特に甘利明と麻生太郎だろう。麻生太郎は今でも財務省をグリップしている。岸田官邸の内政をコントロールしている。憐れ、厚労省は財務省の下請け官庁になり、実権を奪われ、コロナ対策の政策立案過程から除外された。ちょうど、TPPの折、農水省が権限を奪われ、政策立案の立場から外され、経産省の植民地の如くなったのと同じ様相である。相似形だ。あれから日本の農業は農家の農業ではなくなり、資本主義が支配する農業となった。経産省が農政のドミナントとなりアドミニストレーターとなった。

前回の記事で分析が不十分だった「ネオリベ厚労官僚」の盲点については以上である。もう一つ、政府官邸のパワーバランスに関して追加の観点を述べたい。ネオリベ路線から遠いはずの岸田文雄が、なぜこのネオリベ秘書官(財務)による棄民政策に簡単に同意したのか。押し切られてしまったのか。反撃できなかったのか。宇波弘貴(財務)と中山光輝(財務)と荒井勝喜(経産)にコロナ対策を仕切らせるよう組織固めした黒幕は、麻生太郎と甘利明と安倍晋三である。官邸をネオリベ路線で統制し、岸田文雄に自由に政策させないためだ。総裁選で支援をもらうためにこの人事を応諾したのだろう。


棄民政策を立案したネオリベ首相秘書官 - 排除された厚労省_c0315619_13190752.pngだが、総理となったからには基本的に全権を握る立場にあり、官僚の立案など簡単に一蹴できるはずである。木原誠二が「こんなのじゃだめだ」と突き返せばいい。それができなかったのは、この意思決定過程での権力の外濠を埋められていたからだ。外濠とはコロナ対策政府分科会である。尾身茂と脇田隆宇と釜萢敏である。無論、最もネオリベ方向に牽引して画策しているのは岡部信彦だが。中心メンバーは尾身茂、脇田隆宇、釜萢敏だろう。この面々は、非ネオリベとネオリベの中間位置にある。常に日和見して右往左往する風見鶏だ。だが、日本のコロナ行政の中核にある。既得権と名誉欲を持ち、保身動機がきわめて強い。

彼らの2年間のコロナ対策の特徴と錯誤は、とにかくPCR検査に後ろ向きで、PCR検査の意義を認めない点にあった。日本がかくまでPCR検査体制を未整備に滞らせたのは、彼らの信念と意思と不作為によるものだ。私の観測では、岸田文雄もおそらく彼らに不信感を持っていて、このままの地位に置いておくと日本のPCR検査は永久に拡充不可能と判断したのだろう。巷間言われている「6月までに官邸に司令塔設置」という話は、尾身茂トップの現行体制を人心一新する構想を意味していたのではないか。尾身茂らはそれを察し、阻止するべく、先手を打って3Aにすがり、3Aの手先のネオリベ秘書官(宇波)と結託し、岸田文雄に反抗してカウンターの策動に出たのだろう。


自分の地位と権力を守るために謀反に出たのではあるまいか。こうして、分科会の大勢が厚労省と岸田文雄を離れてネオリベ秘書官に靡いたと思われる。その結果、岸田・木原包囲網が築かれ、岸田・木原は立ち往生となり、3Aを後ろ盾とするネオリベ秘書官の棄民政策を呑まざるを得なかったのだろう。



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菅直人さんのツイッター投稿について/ポピュリズムとファシズムは違う

2022年01月31日 | 四要素論
*レイバーネットMLから投稿者 : 柴田武男菅直人元首相が橋下徹前大阪市長に関し<主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後
の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす>
というツイッター投稿について

この投稿は二つの点で問題です。一つは、ポピュリズムとファシズムとの区別がついてい
ないと言うことです。 橋下徹さんは、典型的なポピュリストであり、
ポピュリズムとは、一言で言えば口先の集団です。それに対して、ファシズムは暴力を有
して、それをためらいなく実行する殺人者の集団です。ヒトラーは紛れもなくファシスト
です。ファシズムは
弁舌の巧みさで終わるのではなく、その背後に暴力を剥き出しにしているのです。日本の
ファッシストは、 日本第一党
党首の桜井誠です。彼は川崎の街を「朝鮮人は殺す」と叫びながら練り歩きました。その
動画を見てショックを受けました。公然と殺すと言う、これがファシズムなのです。ヒト
ラーも勢力を誇示したのは、クリスタルナイトです。公然たる暴力の発動、それがファシ
ズムなのです。

もう一つの問題点は、橋下徹さんをヒトラーと喩えることでファシズムの恐ろしさをぼや
かしてしまうことです。ファシズムの恐ろしさは、
弁舌の巧みさなどで説明できるものではありません。橋下徹さんはポピュリストで、彼に
剥き出しの暴力の要素は希薄です。勿論、ポピュリズムが極右と重なりファシズムに転嫁
する危険性はあります。しかし、ポピュリズムとファシズムは違うのです。この違いに気
がつかず、表面的な
弁舌の巧みさで両者を括るのは間違いです。ポピュリズムの危険性、ファシズムの恐ろし
さ、そこは峻別して考えるべきなのです。
 

今年はアメリカがバブル崩壊? 森永卓郎「株は全部売りました」

2022年01月30日 | 四要素論
 
森永卓郎さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒)© AERA dot. 提供 森永卓郎さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒)

 年収200万円の暮らしを提唱する経済アナリストの森永卓郎さん。作家・林真理子さんとの対談では、専門の経済分野のお話とともに、趣味のおもちゃ収集などのプライベートな一面も明かしてくれました。

【前編/「年収200万円時代」を提唱する森永卓郎の社会実験とは?】より続く

*  *  *

林:この前、経済3団体の新年祝賀会があって、来賓の岸田総理があいさつで賃上げを要請して、経団連の会長(十倉雅和氏)はそれに同調するようなことを言ってましたけど、本当に上がるんですか。

森永:いえ、上がらないと思います。岸田政権は「賃上げ促進、法人税減税」を掲げていますけど、中小企業の3分の2は赤字なんですよ。赤字の企業に法人税減税はできないので、大企業にちょっと補助金を出す程度に終わって、賃金は下がり続けると思います。

林:下がり続けるんですか。

森永:はい。1995年に日本のGDPは世界の18%だったんです。それがいま5%台、つまり3分の1に大転落しました。世界並みにふつうのことをやってたら、いまごろわれわれの所得は3倍だったのに、四半世紀弱でなぜこんな大転落が起きたのか。私は、85年の「プラザ合意」が起点だと考えています。

林:バブル経済のきっかけと言われる……。

森永:そうです。直前まで為替は1ドル=240円でした。それがこの合意の2年後には120円になりました。2年で2倍円高になったということは、日本が輸出する製品に100%の関税をかけるのと同じことです。結果、日本は円高不況に陥り、その対策として、金融緩和を行いました。それが小泉政権の不良債権処理に結びついていくんですね。この一連の出来事が、日本人の所得を3分の1にしたと私は考えています。

林:私はバブルをよく知っている世代ですが、当時、今の日本の状況は想像できませんでした。

森永:日本の賃金はいま、G7の最下位どころか、G7に属さない多くの国々、たとえば韓国よりも低い。10年もたたないうちに先進国からはずれると思いますよ。

林:株はなさってるんですか。

森永:株は、株主優待用を残して去年全部売りました。私は今年、アメリカのバブルが崩壊して、株の大暴落が起きると思っています。そうすると日本も道連れですからね。バブル崩壊、私は今年の5月ぐらいかな、と思っています。

林:お話を伺っていると、株は大暴落しそうで、地震も起きそうとおっしゃるし、これからの日本、いい話題がないじゃないですか。

森永:林さんはいまご自宅、東京だけですか。

林:軽井沢にもあります。

森永:じゃあ、大丈夫ですね。そちらでも暮らせる態勢をつくっておいたほうがいいですよ。リスクヘッジのために。

林:そうですか。夏だけ過ごすつもりで暖房がないんですけど、暖房を入れようかな(笑)。

森永:私の家は田舎だからけっこう広くて、備蓄食料もあるし、畑を掘れば芋が出てきますし、リスクの備えとしては、比較的安心だと思っています。あとは水だけだと思って、去年、井戸掘り業者に来てもらったんです。そしたら、水害がコワくて高台に建てちゃったので、50メートル掘っても水が出る保証はないって言われて、結局、水はあきらめました。

林:私、自宅から歩いて3分ぐらいのところに、井戸があるおうちがあるんです。おまけに、歩いて2分のところの公園に東京都が水と乾パンを備蓄しているので、そこに行けばもらえるかなと……。

森永:うちも近所の農家の庭に井戸があるので、基本戦略はそのお宅と仲良くしようという(笑)。

林:話が変わりますが、森永さんはお子さんのときからオタクだったんですか。

森永:そうです。理由のひとつは、海外暮らしが原因でいじめを受けたことでした。父が毎日新聞の記者だったので、小学校1年生のときはアメリカのボストンに、4年生のときにはオーストリアのウィーンに、5年生のときにはスイスのジュネーブにいたんです。

林:当時まだめずらしかった帰国子女だったんですね。

森永:当時はまだ「リメンバー パールハーバー」のころで、日本人に対するいじめはとてつもなかった。つらかったのは、鬼ごっこをしたとき、私は捕まっても鬼にならないんです。私は人間じゃなくて、もともと鬼だから。

林:ひ、ひどい!

森永:日本に帰ってきたのは小学校6年生のときでした。でも、日本語はろくにしゃべれないし、習慣が違いすぎてなじめませんでした。たとえば、アメリカでは、わからないことがあったとき、意見があるときに黙っているのはよくないことで、いじめの対象になるくらいです。でも、日本の学校の授業で同じようにふるまったら、それがいじめの対象になってしまった。それで、半分引きこもりみたいになっちゃって。そうやって苦しんでいる私を心配して、ウィーンに住んでいたころから、親が毎日のようにミニカーを買ってくれたので、それがコレクションを始めるベースになったんです。

林:森永さんはいろんな体験をなさったにもかかわらず、都立高校から東大に進学されたんですよね。私が知ってる人でも、日本の教育になじめずに、海外に進学された方が何人もいますけど。

森永:運がよかったんです。帰国したばかりの小学6年生のときは、成績がクラスでビリでした。でも、中学の授業はまた一から始まったので、何とかなったんです。

林:すぐトップの成績に?

森永:クラスではすぐに一番になりましたね。でも、歴史などの社会科は積み重ねが必要なので、なかなか信じてもらえないんですけど、私が徳川家康の存在を知ったのは大学に入ってからなんです。

林:えっ!

森永:東大入試の直前模試で、日本史の偏差値が28、世界史が33だったんですよ。さすがにあせって、試験の2日前にやっぱり変えようと思って、受験当日は日本史と世界史から、政治経済と地理に受験科目を変えたんです。だから私、社会科は試験の前日、1日しか勉強してないんです。

林:それで東大に入ったって、かなりイヤミだなあ……(笑)。

森永:自己採点ですけど、地理はたぶん満点です。当時はまだ問題が洗練されてなかったんですよ。

林:というと?

森永:当時、マークシートというか、多肢選択だと、まったく知らない問題でも私は7、8割の正答率があったんですよ。出題者の気持ちになって考えるんです。選択肢をつくる人は、正解を知っているわけですよ。どういう思考回路でハズレの選択肢をつくるのかを考えると、おそらく正解から派生している。正解の逆だったり裏だったり並びだったり。そういう視点でずっと過去問を見ていくと、見た瞬間に正解がわかるんです。

林:受験生の皆さん、いい話を聞きましたね(笑)。

森永:さすがにいまは、問題作成ももうちょっと複雑になっているでしょうけど、基本構造は変わっていないと思うんです。コツは、出題者の立場から問題を見ることですね。

林:すごい……。ところでおもちゃやフィギュアのコレクションを展示している「B宝館」のコレクションって、昔から集めているミニカーとか、グリコのおまけとかでしたっけ。

森永:ほかにも、マクドナルドのハッピーセットのおもちゃとか、崎陽軒のシウマイの醤油入れとか、全部で60種類ぐらい、約12万点が飾ってあります。中でも、私独自のコレクションがあります。最初に林さんにお会いしたとき、シマリスのフィギュアを持っていきましたよね。

林:はい。「サインしてください」とおっしゃったので、サインしました。

森永:そのフィギュアに「林マリス」という名前をつけて展示してあります(笑)。そういうのが六百数十人分飾ってあります。

林:ホリエモンが刑務所で使っていたスリッパも飾ってあるって本当ですか。

森永:あります、現物が。彼がチャリティーオークションに出したんですよ。それを私が落札したんです。というか、私以外に欲しい人がいなかったんです(笑)。

林:いくらで落札したんですか。

森永:1万円だったと思います。

林:ふつうは1万円でそんなもの買わないですよ(笑)。

森永:安倍(晋三)元総理がおもちゃの信号機にサインした「安倍信号」とか、キャメロン・ディアスが「森永ミルクキャラメル」の箱にサインした「キャラメルンディアス」とか、すごい人のサインがいっぱいあるんですよ。

林:その維持費にものすごくお金がかかってるんでしょう?

森永:年間500万円ぐらいあれば回るんですけど、いま赤字が三百数十万円かな。資金的には私が死んで10年ぐらいは大丈夫だと思いますが、長男はオタクの素養がないので、いま次男を説得中です(笑)。次男はオタクなので。

林:私、オタクとして収集しているものはないんですけど、どんなものかちょっと見に伺いたいです。近くに角川武蔵野ミュージアムもあるし。

森永:ぜひ。でも、有名人が「見に行きます」とおっしゃっても、実際には誰も来ないんです。本当にいらしたのは、しょこたん(中川翔子)と、さまぁ~ずのロケだけでした(笑)。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

森永卓郎(もりなが・たくろう)/1957年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁、三和総合研究所などを経て、2006年から獨協大学経済学部教授。専門はマクロ経済学、計量経済学など。経済アナリストとしてメディアで活躍するほか、収集家としても知られ、埼玉県所沢市に私設博物館「B宝館」を開設。『消費税は下げられる!』『森卓77言』『ビンボーでも楽しい定年後』『なぜ日本だけが成長できないのか』など著書多数。最新刊は『長生き地獄』。

※週刊朝日  2022年2月4日号より抜粋


北辰電機・辰友会<本澤二郎の「日本の風景」(4340)

2022年01月30日 | 四要素論

北辰電機・辰友会<本澤二郎の「日本の風景」(4340)

<懐かしや! ネットで確認=世襲二代目は実業界も政界どこも駄目>

人間はやれば大抵のことは出来る! インターネットは実に便利だ。 過去の思い出を目の前に取り出して見せてくれる。 15歳の春、上京して、社会人1年生体験を、この機会に少しばかり記録しておきたい。

君津郡馬来田村の中学校を100人弱の仲間とともに卒業。 卒業式では、今では考えられないほど沢山の賞状をもらい、自信をつけることが出来た? 直前に、東京・大田区下丸子の北辰電機が50人の中卒者を募集、運よく入った。 当時、普通高校に入ったものは、数人しかいなかった時代である。 家には、父親か祖父が使ったものか、朽ち果てそうな経机のみ、勉強無縁の環境だった。

時代物の小説をかじったのは、小学校5年生の時。 校長室に小さな図書室が出来た時だ。 平家物語や源平盛衰記のような物語を、毎日自宅の畳の上で、寝転んで、日が暮れるのも忘れて読んでいて、近眼になってしまった。 兄弟で一人眼鏡をかけねばならなかった。 この眼鏡を子供同士の相撲で、数回破損した。 母にこっそり告げて、新しくしなければならない、この時が子供心に心から親不孝者だと思い、辛い思いをした。 母は黙って新調してくれた。 今も感謝している。

北辰電機の入社試験を思い立ったのは、母の姉が羽田空港そばの漁師に嫁入りしていた関係である。 母の祖父が、当時の田舎ではやり手だったらしい。 目の前の竹を大量に伐採、木更津港から船で、大田区大森の海苔問屋におろしていた。 自身の宿を確保する拠点にしようとして、孫一人を羽田に送り込んだ。 そこで旅館を立ち上げようとしたのだが、娘は病に倒れ、旦那の漁師も台風下、東京湾に呑み込まれ、5人の子供だけが残された。

母は、姉の長男の家に1957年(昭和32年)4月、ピカピカの北辰電機社員を押し付けた。 2畳ほどヒサシを出した、雨露をしのげるだけの下宿生活?

も、半年で切り上げた。 「便所を汚した」とそこの女主人に叱られて、飛び出すことにした。 当時、小さなコンロを買い、その上に母の友人が、就職祝いにいただいた1合か2合炊きの釜を乗せた。 それでご飯を炊いて、羽田空港駅から京浜急行の穴森線で蒲田へ、歩いて東急・目蒲線の蒲田駅から下丸子、目指す北辰電機の本社工場に辿り着いた。 これがわが社会人のスタートとなった。

 思うに人間が生きるためには、住まいの確保が大事である。精神安定の秘訣でもある。間もなくして、下丸子駅前の下宿に移った。既に6畳一間に先輩がいた。二人しての生活である。当時は空腹が辛かった。その後、会社の寮に入って一安心したことを忘れない。といっても、寮も二人住まいだった。

 

<関東東北から1000人受験50人採用=15歳で上京、羽田から下丸子に通勤、月給6000円>

 上京して就職した仲間たちの多くは住み込みだ。46時中、自由がない。自由こそが、人間の一番の価値に気付いたろう。

 北辰電機が、当時の計測器関連技術で日本をリードしていることなど知る由もなかった。50人募集に関東や東北から試験に殺到した。およそ1000人から選んだという。東京の自宅から通勤する仲間を見ると、うらやましくて仕方がなかった。

 午後4時30分に退社して、魚缶詰や漬物で夕食を済ませ、銭湯に行く。帰宅する途中、裸電球の家々の団らん風景を目にすると、痛く心が揺れた。15歳で親兄弟・故郷と離れて暮らすことの厳しさは、体験者でないと分かってくれないだろう。

 その対価は月給6000円、そこから年金などが引かれているのだが、それが何なのか知る由もなかった。一度、田園調布の病院で、蓄膿症の手術をしたことがある。

 北辰電機に入って間もなく、母から母方の祖母の死を告げられた。布団の中で、悲しくて涙が止まらなかった。小学校に入ると、毎週土曜日に母の実家へと歩いた。およそ1時間の距離だ。間もなく祖母の家の近くから通学している石井健君と友達になり、彼と一緒に山道の近道を歩いて一泊するようになった。

 祖母の家には、放し飼いの鶏が小屋で卵を産んでいた。祖母が、庭先の畑からネギを採り、刻んで生卵と混ぜて、ご飯にかけて食べるのが、最高のご馳走であった。父親が赤紙一枚で兵役に就くと、母は兄の手を引き、弟を背負って水戸の海軍航空基地に慰問に行った。3歳の孫の面倒を見てくれたのは、祖母だった。祖母の恩義は忘れられようがない。

 祖母の最期は哀れだった。嫁が放置して面倒を見てくれなかった。日本の家庭では、よく見られる現象であることを、母の最期でも感じさせられた。日本の女性は、老いも若きも男尊女卑に泣かされている。

 「木更津レイプ殺人事件」や伊藤詩織さん事件も、悪魔のような男たち・権力者らに、虐げられていることが証明している。悪人を弁護する法曹人が、人生を全うできるのであろうか。

 中学2年生の時、働き者の祖父が、記念にとツゲの若木10本くれた。見事な楓の植木は、とうの昔に枯れてしまったが、自宅に1本残ったツゲの大木が、昨年とうとう枯れてしまった。実家には2本残っている。それでも祖父母は、80年を超えて生きてくれた。当時では長生きした方である。

 祖母は数字が、滅法強かった。いま妹の次男が数学博士になって、教壇に立っている。遺伝は本当なのか。

 

<千葉市の通信高校教育、2年目から都立大付属(夜間部)>

 卒業時、担任の佐久間先生が「勉強を続けなさい。千葉市の高校に通信教育がある」といわれて、ハイと返事してしまった。一度だけスクーリングに参加した。担任の教師が「モズが枯れ木で鳴いている」という歌を教えてくれた。

 北辰に入社して驚いたことは、中卒者は一斉に夜間高校に通学したことだった。組み立て工場の先輩は、黒いボタンをつけた東京都立大学付属高校の夜間部に入っていた。さっそく1年遅れで、東横線の都立大学駅の八雲が丘の学校に4年間通って卒業した。といっても、学校では半分寝ていた。

柔道部にも所属したが、時間不足で形を少し覚えただけで終わった。

 北辰本社工場の周囲は、三菱重工や日本精工、それにキャノンとは隣り合わせだった。夏目さんという年配学生はキャノン社員だった。三菱重工からの生徒は頭がよかった。

 

<みんないい先輩ばかりだった!大学2年間も夜間部>

 最初の辞令は、研究所に配属、部屋の一番奥にある、ちょっとした部品やらを作る工作機械のある職場で、見るからに優しそうな老人の手伝い仕事だった。木鉛さんという東大工学部卒のエリート技術者が、いつも優しく声をかけてくれた。

 彼は、その後に中央大学法学部の夜間部に入学した際、第二外国語の中国語の辞書を祝いに贈呈してくれた。ともかく、標準語もまともにしゃべれない田舎育ちの無学文盲の15歳児を、次の職場の工務課という現場事務の職場でも、みなさん優しくしてくれた。

 いやな思い出が不思議とない。長身の矢口さん、温和な堀江さん、町田さん、児玉さん、美人の山口さんとか、人柄の北辰人材ばかりだった。なかでも、長野県松本市出身の児玉さんは、高校野球でも知られた松本深高校だったと記憶している。彼は一度故郷に連れて行ってくれた。黄金週間の休みだった。 美ヶ原高原はこの時覚えた。圧巻は、白雪をいただくアルプスを見た時だった。今回ネットで北辰電機を調べ、そこにOB会の辰友会の存在を知ったからで、きっかけは児玉さんと連絡したかった、そのためである。白樺湖の衰退をYoutubeで見たことも。中曽根バブル崩壊の爪痕か。

 入社してしばらくすると、職場に食堂が完備していることに気付いた。朝昼夕三食とも。一番の贅沢は、納豆に生卵を混ぜ合わせた朝食である。生卵は祖母の思い出の食材だ。いまも納豆を食べている。周囲から「臭い」といわれても、止めようとはしない。

 

<横河電機に吸収合併にがっかり、北辰の羅針盤・工業計測器はNO1

 ある時、北辰電機が消えたことを知った。ライバルの横河電機に吸収されてしまった。正直、悲しかった。無学の若者を育ててくれた北辰電機を愛していた人間だったのだ。

創業者は立派だったのだろうが、世襲させると、まずうまくいかない。 日本政治の腐敗堕落は、同じく世襲にある。 苦労知らずは、罠にはまりやすい。 墓穴を掘るものである。

組織は、世襲から墜落する。 いい後継者を育成することが、将来を決める。 北辰の創業者は、事業を世襲させた、その時に滅びの因を抱え込んでしまったことになろう。 中国で生まれた羅針盤は、北辰の手で大きく羽を伸ばしたのだが、それを横河に盗られてしまった。 工業計測器も。

先進技術の吸収にも熱心で、筆者は米バートン社の工業圧力測定器の部品集めにも奔走した。 部品名が皆ローマ字名に代わった。 納期が迫ると、毎日下請けの会社に発破をかけることが少なくなかった。 そういえば、これまで何度も北辰時代の夢を見た。 同じ仲間がいる辰友会に相違ない。 同会の物故者名に、山梨の工業高校を卒業、設計を担当していたMT君が2020年に亡くなっていたことを知った。 いまも700人ほどが会員に残っているという。

北辰は住友傘下、東京タイムズも住友に潰されてしまった。 住友は、いま三井の傘下に隠れてしまっている。

 

<読売OB多田実先輩がびっくり、ナベツネの素行を語ってくれた>

ナベツネの前の政治部長の多田実さん(二松学舎教授)が、母校・中央大学の機関紙を見て、ひどく誉めてくれた。 筆者の曲がりくねった経歴に驚いたのだ。 お陰で、亡くなる前にナベツネの素行の数々を語ってくれた。

派な人間は、なかなか頂点に立つことは出来ない。 まず不可能であろう。

参考までに多田さんは、硫黄島の熾烈な闘いに学徒出陣した生き残りである。 「木更津レイプ殺人事件」の被害者の戦争遺児の父親も、米軍の制空権下、輸送船を米軍攻撃を受けて、船もろとも海中に沈んでしまった。 戦争遺児を殺したのも、戦争だった。

父の弟は、同じ船に乗っていて、運よく助かって戦後を生きた。 父も無事に帰還してくれたため、4人の子供は生きながらえることが出来た。 最後に言いたい! 安倍や高市らの罠にかかることは、断じてあってはならない。 肝に命じるべきである。

 15歳の春は、もう二度と訪れることはない!

2022年1月30日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)


深刻なアマゾンの環境破壊と水俣病/TBSテレビ「報道特集」を観て

2022年01月30日 | 四要素論

深刻なアマゾンの環境破壊と水俣病〜TBSテレビ「報道特集」を観て

印鑰 智哉(いんやくともや)

 

 TBSテレビ「報道特集」(1/29)がアマゾンでの環境破壊、中でも水俣病が深刻になりつつある問題を取り上げた。特集「南米アマゾン 環境破壊の実態」。「朝日新聞」がアマゾン破壊の原因は貧困であるかのように問題を歪曲した記事を出した後だったので、身構えて見た。しかし、「朝日新聞」とは違って、しっかりとした報道だった。危険な現場に踏み込み取材したことは高く評価できる。でも、やはりもどかしさは残った。

 アマゾンには金や石油など豊富な鉱物資源がある。先住民族の土地として確定している土地への許可無い立ち入りは違法だが、その土地に侵入して、金を盗掘する、その金の抽出のために水銀を使うため、盗掘が行われる河川流域で水銀汚染が広がっている。先住民族、そして多様な命が水銀汚染の影響を受けている。

 この特集で確か「新しい問題が広がっている」と言ったと思うのだが、決して新しい問題ではない。熊本大学の原田教授は90年代の初めにアマゾンに調査に入っていたはずだ。ブラジルのパラ連邦大学との共同研究も92年に始まっていたし、ブラジル在住の岡村淳さんがこの問題をドキュメンタリーにまとめたのも1992年だろう。もう30年ちかくにわたり、日本でも騒がれてきた。しかし、事態は近年急速に悪化している。原因はもちろん、アマゾン開発を公言する極右大統領ボルソナロ政権のせいだ。憲法で守られた先住民族の土地を開発を合法化しようとする憲法違反の法案が複数、議会にかけられている。

 調査によると、盗掘地域周辺の魚は100%水銀に汚染されている。そして、周辺住民にはその水銀によって水俣病と同様の症状が現れている。人びとは魚が水銀に汚染されているのを知っているが、生きていくためにはそれを食べるしかない。現政権はこの盗掘を止める行動に出ず、盗掘は拡大し続けている。今、手を打たなければさらに事態はさらに危険になる。アマゾンが死の世界になれば世界はどうなるのか?

 取材班は武装した盗掘作業を行う船団にも近づき映像を残している。発砲される危険もある中の映像は緊張感がある。その取材は高く評価したい。

 24分あまりの特集では当然、限界があるけれども、しかし、この金の盗掘を許しているものは何か、掘り下げは十分ではない。実際に「ブラジル政府はなんてひどいんだ」という反応が視聴者からは出てくることだろう。現政権がひどいのは確かだ。でもそれを支えているのは誰なのか、ということだ。ブラジル政府への国際的な批判が高まる中、日本政府はずっとこのブラジル政府を支持し続けている。買うものがいなくなれば金盗掘事業はストップする。この地球の環境を守るためには、買っているのは誰か、支えているのは誰か、肝心な問いをもっと掘り下げてほしかった。

・南米アマゾン 環境破壊の実態【報道特集】
https://www.youtube.com/watch?v=L8j7y9Ys7oY

・「朝日新聞」の問題ある記事についての僕のコメント
https://www.facebook.com/InyakuTomoya/posts/6065527006807412

*同氏のFB投稿より転載


ツイッターから

2022年01月30日 | 四要素論

9時からの #日曜討論  出演は、 自由民主党 #高市早苗 政調会長 立憲民主党 #小川淳也 政調会長 公明党 #竹内譲 政調会長 日本維新の会 #音喜多駿 政調会長 国民民主党 #大塚耕平 政調会長 日本共産党 #田村智子 政策委員長 れいわ新選組 #大石あきこ 政審会長 です。ぜひご覧下さい!

 

#日曜討論


大石あきこのコメント

2022年01月30日 | 四要素論

 

大石あきこ れいわ新選組 衆議院議員(大阪5区)@oishiakiko

 

大石あきこのコメント

■コロナ対策は?経済は?https://twitter.com/oishiakiko/status/1487583081922166787?s=21 …

■社会機能の維持、何が必要https://twitter.com/oishiakiko/status/1487587231691067393?s=21 …

■「賃上げ」実現に何が必要かhttps://twitter.com/oishiakiko/status/1487591017725726722?s=21 …

■「新しい資本主義」をどうみるhttps://twitter.com/oishiakiko/status/1487593810108776450?s=21 …

※staff更新 https://twitter.com/nhk_touron/status/1487546098789105666


きっこのツイッターから

2022年01月30日 | 四要素論

きっこ

@kikko_no_blog

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昨年の欧米の感染爆発を見れば小学生でも近い将来の日本を予想できたのに、党利党略に明け暮れ、検査キット増産やワクチン確保、医療体制強化や病床確保などやるべきことを何もやらず、指をくわえたまま感染爆発を迎え、後は「自分で何とかしろ」って、岸田文雄、お前もう必要ないから日本から消えろ!

 

「発熱や喉の痛みなどで新型コロナの感染が疑われた人は、自分で検査キットを買って来て、自分で検査して、自分で判断して、自分の家で療養して、自分で治してください」って、今さらだけど、これ凄いよね。はっきり言って責任丸投げの棄民政策。日本は先進国のはずなのに、これが自民党クオリティー。