詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

裁判とはなんなのか?

2010年05月22日 | 政治
それは極論すると、検察の求刑理由を納得するのかどうかなのだと思う。

ただ、ついさっき観た元裁判長でさえも・・もう十数年間もの間、オウム真理教裁判で、林医師被告(検察求刑は無期)には無期懲役で、弁護士一家虐殺の岡崎被告に死刑判決を下したのを・・ほんとうに正しかったのだろうと悩んでいると証言していた。

プロの教育を受けた裁判官がこのような状態なのに、どうして法律や裁判のド素人が、たったの数日間で死刑か無期かという判断が可能なのだろうか?

「裁判員制度」を続けるというなら、裁判員の負担軽減のためにも、冤罪を防ぐためにも、取調べの全面的な可視化が必要だ。

十人の真犯人を、「推定無罪」で無罪にしようとも、たった一人の冤罪被害者を防ぐほうがより大事ではと思う。
その理由とは、自分や自分の家族がそのような冤罪で、この世界から抹殺されてはたまらないからだ。

それでもあなたは、冤罪も仕方ないと思うのだろうか?それを解消する手段(取調べの全面的可視化)がありながら、検察警察や法務官僚の面倒なことはやりたくないという怠慢のせいで、前近代的な自白重視で拷問横行の現状のままでいいと思うのか?

松田優作&小沢氏冤罪事件の真相

2010年05月21日 | 日記
アメリカ人に相応しくないのは哲学者、ドイツ人には喜劇役者
ついでに世界で一番薄い本はベルギー史や、ドイツの滑稽本という説もある。
日本はドイツやベルギーやアメリカとは、正反対の国のような気がする。

イタリアとオランダとイギリスとスウェーデンとアイルランドを足して五で割ったような(西日本、東日本、北海道、東北、沖縄という五つの王権や文化を異にする文化圏の存在ー北海道のアイヌ民族や沖縄が内地の王権に組み込まれたのは明治初期)・・

「越境者ー松田優作」(松田美智子・・彼の最初の妻)読了。
彼の作品では「人間の証明」と「野獣死すべし」くらいしか覚えていないけど・・「ブラックレイン」を観てみたいなと思った伝記だった。

◆小沢氏冤罪事件の真相はー「ここ」



そぼ降る雨に

2010年05月20日 | 
そぼ降る雨に濡れながら
あてもなく歩くのもいい

一日中雨でもいいのになと思う
いや いっそのこと一年中
いや 死の刻まで

すべての生命は このままでは 
遅かれ早かれ死に絶えるだろう
そして人類の絶滅が
少しだけ遅いからといっても
それほどおめでたい事でもあるまい

せいぜい
雨に強いロボットでも作るがいいのだろう
滅び行くしかない
人類文明の後継者として

臨死体験

2010年05月19日 | Weblog
少女時代のそれ以来、死者が見えるようになったり、火の玉が見えるようになったり・・カラスの言う意味がわかるようになったという亡き母の言葉を今でも信じている。

自分については、三度もの臨死体験を経験したのにそんなことは皆無だった。
ただ死んで行こうかと思った時に、まるで走馬灯のように過去の出来事が浮かんで・・どうしてもっと真剣に生なかったんだろうかと思った。

人類最古の文化のシャーマンが残ってる地域では、今でも臨死体験が細々と残っている。
日本人もまた、三日間ぐらい子供を神聖な土地へと、その子供を独りで置き去りにすべきなのではと思う。

このままでは共産党はファシズムを推進したと後世史に残るのかも

2010年05月19日 | 政治
現在ファシズムを推進している中心勢力は、検察・法務官僚と、戦前もその先導役だった大マスコミやそのスポンサーの大企業なのではと思う。

前者に対しての共産党の対応は、どうしても納得できない。戦前散々前近代的検察警察体制の被害者だったにもかかわらず・・

小沢氏でさえも冤罪(罪とされてるのは単に記載が数ヶ月後遅れたという点だけ)で彼らに抹殺されるようならば、どんな個人・団体も検察や、検察が自分たちの責任を追及されないために作った隠れ蓑の「検察審査会」(この得体の知れない組織が検察の決定をも覆す事が可能な検察以上のこの国で最高の権力を持つ)を「審査する会」や、同様に、早急に必要なのは、検察・警察での取調べの前面的な可視化ではないのだろうか?

戦前のファシズムの両輪のもうひとつだった軍隊もまた、沖縄での辺野古新基地建設加担(海兵隊と共有使用とか)やソマリア周辺基地建設等・・着々と戦前化を遂げつつある。

黒澤明監督の好きだった映画監督&ファシズムの両輪の一つの裁判員制度

2010年05月18日 | 日記
故黒澤明監督には色々不思議な点が多い。予算があったら、一番映画化したいのが「平家物語」だというのはわからないではない。でもトルストイの「戦争と平和」を30回も読んだといい、それを薦めていたのには驚いてしまった。原作も映画も、たちまち鼾をかいて寝てしまうのが常だったので・・

黒澤明監督の好きだった映画監督は、ジョン・フォード(「わが谷は緑なりき」「怒りの葡萄」「荒野の決闘」が良かった!)以外は、とても不思議だなと思う。そのどの監督もぼくの大好きな監督や映画ばかりだけど・・

①「大地のうた」ーインド映画。黒澤監督が”世界映画史上最高の名作”と言い、レイ監督の自宅まで訪問。日本とも共通するインドの大地と文化を感じる映画だった。
②「旅芸人の記録」ーてっきりイタリア映画だと勘違いしてたけどギリシャ映画だった。アンゲロプス監督は黒澤監督もビックリのワンシーン・ワンカットの連続だった。
③「友だちの家はどこ?」ーぼくの好きなイラン映画中でも特に好きなアッバス監督について黒澤監督は、”この作品が示した映画表現の簡潔さに好意をよせている”と。
アッバス監督の子供たちへのあこぎな”やらせ”はすさまじい!のひと言。(わざと宿題をやることができないようにさせて子供を泣かす等)

「それでもボクはやっていない」(周防正行)を読んでいたら、その巻末に監督と対談していた木谷明氏がテレビに。
なんでも裁判員制度が始まって一年とかで裁判員制度&裁判批判の持論を・・
「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」という言葉や、「裁判員にきちんとに説明しなければならない(黙秘権・弁護人選任権等について説明後、逮捕容疑について被疑者の弁明の前に)」。

そういう事を前近代的な警察検察や裁判所がいいかげんにやってきたので、冤罪が絶えないのだと思う。これを改善するためには取り調べの可視化しかない。
死刑か無期懲役かを数日間の内に決めなければならない裁判員の負担軽減のためにも・・
映画のシナリオ完全収録の上に、自作解説も載っているので、映画好きには是非この本を薦めたい。

ファシズムのための真打ちがやっと登場

2010年05月17日 | 政治
どうやらそれは、検察・法務官僚や「検察審査会」というものらしい。
でもどうしてこんなにも胡散臭い「検察審査会」が、検察以上の・・日本で一番の権力を持ちうるのだろうか?(二度目の決定で日本一の検察権力さえも凌駕)

小沢氏の次は誰と誰を冤罪にはめてと・・ますます秘密警察化して、戦前のファシズムと同様に、次々とあらゆる国民に襲いかかることだろう。
カルト宗教の凶暴さと、だらしのない共産党をはじめとする政党・政治家の検察・法務官僚への迎合を考えるなら・・

そもそも、取調べの可視化法案を成立させないための・・アリバイ作りのための「裁判員制度」や「検察審査会」だったのではと思う。
取調べの可視化もなしに、どうして数日間で、法律・裁判のド素人が死刑か無期懲役等を判断したり、冤罪を見抜くことができるというのか!?

これらは、検察やその手先のマスコミの公務員守秘義務違反という違法行為をやられても、やり返さなかった鳩山民主党が原因だろう。(そもそも裏金作りという違法行為をやり放題の検察が政治家を逮捕というのが矛盾だ)

現代の陸軍参謀本部ともいうべき検察の裏金作りや偽文書偽造や公務員守秘義務違反をうやむやにしたツケが、戦後ファシズムの確立という事態をもたらしたのではあるまいか。

種子島ロケット発射基地を観てたら

2010年05月16日 | 日記
空の上では、中国がアメリカの軍事衛星を撃ち落したり撃ち落とされたりとか、原爆を海中に落っことしたりというニュースが多いけど・・

でも種子島ロケット発射基地で、ぼくが連想したのはー
「カヌーと宇宙船」という冒険と放浪についての本と、故郷北海道で時々みたUFOや人工衛星だった。

まるで音のしない暴走族みたいだったUFO(流れ星みたいなスピードで、反転してまた現れたり・・)。
人工衛星からは、「2001年宇宙の旅」を連想だった。


2010年05月16日 | 
一滴づつの
音と光の落下から始まった川は
すべてを飲み込み
ついには
終わることのない壮大な交響曲として
河口で砕け散りつづける

昨日は飛び越えるのがやっとだったのに
砂礫の途中で消滅している午後もある
源流が涸れてしまったら
たちまち死んでゆくしかない

そこを浮かんで流れてゆくのが
ゴミやペットボトルや死体ばかりというなら
ぼくらもまた終わりのない旅を
ゴミやペットボトルや死体として
流離いつづけるしかない

好きだったきみ

2010年05月15日 | 
「がんばってね」なんて
言われたことは生まれて初めてだった

頑張らないのが
ぼくの唯一のモットーだったのに

心臓が破裂しそうだった
まるで転げ落ちてゆく石みたいに

きみと何を話したかは
まるで覚えていない

覚えているのは
きみの愛らしい瞳の色と
くちびるの形だけ

かけがえのない場所

2010年05月14日 | Weblog
かけがえのない場所は
いつでも どこにでもある
誰にでも どんな動物にも

子供時代のぼくのそれは
ポプラ並木道を登った先の
はるかな昔先住アイヌ民族が
そこへと鹿を追い詰めて追い落したという
断崖の上の給水タンク

十メートル以上もの給水タンクの上からは
浜に沿った街と海とが一望できて
きみが家へと帰ってゆくのを

後ろの丘を振りかえれば
そこには
いつものせせらぎと小さな木橋
まるでゴッホの跳橋と
一面のタンポポの草原

ひばり

2010年05月14日 | 
もう薄暗いというのに
まだ雲雀があちこち
空の彼方でさえずている

母が亡くなった雨の日にも
さえずっていた雲雀
濡れそぼった橋の欄干の上では
ありとあらゆる種類の鳥たちが
いつまでもうなだれたまま

ひばりの唄だけが母の葬送の歌
「美空ひばりの唄はなんだか哀しくなるね」と
いつもそっとつぶやいていた母

ひばりはいつだって
声の限りに抗議しながら
空の彼方を目指していた小鳥

黒澤映画の秘密の半分

2010年05月14日 | 日記
それは、彼の映画の原点というべき「白痴」「どん底」というロシア文学にあるのではと思う。(トルストイの「戦争と平和」は30回も読み返したとか)

前者は、僕の故郷北海道の札幌を舞台にした・・彼が一番好きだったドストエフスキーの小説の映画化で、テーマになっているのは「無垢」なのではと思う。
注目すべきなのは、若くして自殺した五歳上の兄や、最も可愛がってくれた六歳上の姉の存在が・・たぶん黒澤映画を解くカギなのかもしれない。

その兄や姉は、成長してゆく少年や少女の原型として、何度も何度も、彼の映画に登場し、彼らの成長や救済がもうひとつの主要テーマだった。特にそれは、「生きる」から「赤ひげ」までが顕著だったのではと思う。

そして、「無垢」からの成長や救済の果てに、黒澤明が最後にたどり着いた鎮魂歌は、「デルスウザーラ」や「六月の狂詩曲」だったのではと思う。

「巨人と少年ー黒澤明の女性たち」(尾形敏朗)読了

2010年05月11日 | 日記
この作者の書いてるように、黒澤明は手塚治虫に最も似ているのかもしれないなと思う。

↓の日記で、黒澤明がチャップリンや宮沢賢治に似ているのではと思った理由はー
①不正や不自然を許さないという徹底さ
②女性を描くことの不得手(少女=処女性への過大な幻想)
③少年期から男へと成長することの困難さと、それでもなおそれを追求し続けた点
④弱者への優しい眼差し

ただチャップリンや宮沢賢治以上に、黒澤明や手塚治虫は、それらを押しつぶす悪について真っ向勝負を挑んだのではないのかと思う。悪者やどん底の人間が主人公という作品もこの両者には結構多い。

手塚治虫の「キリスト賛歌」「奇子」や、黒澤明の「白痴」「どん底」は、・・彼らの良心であり、まだまだ見直されるべき作品も多いのではと思う。




黒澤明の本2冊読了

2010年05月10日 | 日記
ぼくは黒澤映画・DVDを観てると・・どうしてだかいつも眠ってしまう。
そして黒澤映画に興味を持ったのは、故井上ひさしさんとの対談を読んでからだった。

今日読んだ「黒澤明のいる風景」(島敏光)は、数年間一緒にくらした甥の・・黒澤明を知るには最適の本かもしれない。

黒澤の癖ー「半年卵焼き「半年キャベツ炒め」「半年蟹コロッケ」は面白かった。写真嫌いな点や・・

女性と社会については、黒澤明はチャップリンや宮沢賢治に似ていたのかもしれない。