読書な日々

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「単一民族神話の起源」

2008年03月25日 | 人文科学系
小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)

ついこのあいだ出版されたばかりだという気がしていたのに、もう13年もまえになる。月日がたつのは早い、って、最近はこんな感想ばかりだな。

だれしも思い込みというものはあるもので、それがこういう研究の穴場になるのだから、あながち思い込みはだめだとばかり言い切れないのかもしれない。一般人だけでなく、専門家の思い込みも打破して新しい姿を突きつけてやるのが、研究の醍醐味かもしれない。
日本は万世一系の天皇の統治する単一民族だ、どうだ、偉いだろう!みたいな主張が右翼あたりから聞こえてきそうな気がするという思い込みって誰しももっているのではないだろうか。もちろん単一民族云々というのは常に万世一系の皇室ということと結びついているという思い込みがあるので、そんなことを言い出したのはきっと戦前の、しかも国民を戦争に総動員していく過程において思想的に国民を洗脳するためだったのではないかという思い込みがあったのだが、これが見事に思い込みに過ぎないとこの著作によって突きつけられることになる。

ところが実際には戦前には人類学、歴史学、古事記・日本書紀研究、医学などのどの分野の研究者もこぞって混合民族説を主張しており、これが通説だったのだ。ただ研究者によってその混合のありかたにはいくつかの違いがあったことはあった。たとえば最初にアイヌが列島に住んでいたが、南方や朝鮮半島からツングース系やモンゴル系やマレー人種などが入ってきて追い出したとか、アイヌだけではなく、熊襲やギリヤクやその他いろんな原住民がいたが、そこに朝鮮半島から農耕文化を持った民族が入ってきてそれが天孫降臨神話となったのだというような、はっきりと天皇一族を朝鮮民族の祖先とは明示しないまでも、それをうかがわせるような主張さえけっこうあったのだ。

もちろん農耕文化しかもっていなかった先住民のいる列島に朝鮮半島から騎馬民族が侵略してきてそれが天皇の先祖となったという話もすでに戦前に出されていた。私なんかはつい最近の新しい学説なのかなと思い込んでいたが、どうもそうではないようだ。だから、DNAとか炭素同位体なんかを使ったつい最近の研究による日本民族の起源についての研究は別として、ほとんどの学説が戦前の、とくに明治時代から大正時代にはでそろっていたということになる。

とりわけ昭和時代の海外侵略の時期には、単一民族説は不調で、もともとインドから中国朝鮮までを包含する混合民族で、それを天皇が力によってではなく、家族の長が子どもたちを育てるように一族として保護指導してきたのが日本民族だという主張によって、したがって朝鮮・台湾・中国はては東南アジアからインドまでを包含する八紘一宇の大東亜国家設立は民族的に言ってなんら無理のないことであるという侵略肯定論の根拠とされていたのだったから、万世一系の天皇の赤子としての単一なる日本民族なんてのが侵略のイデオロギーだったのではないかというのは、思い込みに過ぎないのだね。

逆に戦後になって侵略のイデオロギーが不要になってきたときにはじめて単一民族説が力を伸ばしてきたというのだから、思い込みだけでものごとを見ていると、とんだ失敗をしかねないということだ。

でももう一度言いますが、思い込みがはびこっているからこそ、研究というものが成り立つってことでしょうね。

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