2月18日に一番小さな孫がきて近所の広場で滑り台で遊んでいました。
自宅で分析をしたり論文執筆をしたりの毎日なので、散歩をするようにしています。近くに霊園があるのでそこを歩いたり、そこから足を伸ばして黒目川という川沿いに歩いたり、玉川上水に行ったりしています。時々パン屋さんで一服することもありますが、そこを出たらハンノキが花をつけていました。2月11日のことです。
ハンオキの花穂
東大の博物館にシカ頭骨の整理に通って3年くらい経ちましたが、まだ終わりません。これは博物館に近い医学部の建物で、古いレンガ作りでいい感じです。ただ本郷キャンパス全体は背の高いビルが増えて景観的には破壊的に悪化しています。最初にキャンパスを計画した人に失礼なことだと思います。この写真はそれがわからないようなアングルで撮りました。
2月は12日に玉川上水の観察会をしましたが、いつもの小平界隈から少し足を伸ばして三鷹のまつかげ橋に行きました。というのは、ここで樹木を伐採したら土砂が崩れたために、ブルーシートで応急手当てがしてあり、工事が始まると聞いたからです。
崩壊部分を端から眺める参加者
信じられないことですが、玉川上水を管理する水道局は「玉川上水を守るために樹木を伐採する」ことを進めています。それは樹木が倒れたら土と一緒に倒れて壁を崩すからという理屈によるものです。そういう場所がないとは言いませんが、学会の常識は樹木があって根が張ることで土壌が守られることはあっても、樹木がないことが土壌を守ることはないというものです。この場所も樹木が残っていればこんな惨状にならなかったはずです。それでも無批判に伐採が続けられています。
2月11日ですからまだ冬です。それでもいくつかの野草は花をつけ始めていました。私は今アサココという広報誌に「玉川上水の野草たち」というシリーズを書いているのですが、原稿を2週間ほど前に書きます。そうすると、原稿を書いているときにはその花はまだ咲いていないのです。それで、仲間と進めている「花ごよみ」が役に立ちます(こちら)。毎月上旬、中旬、下旬に分けて咲いている花を記録しているので、なんという花がいつ咲いていたかがわかります。それを参考にして花をきめて写真を探します。3月に出すホトケノザの原稿を書くとき、これぞという写真がなかったので、撮影に行きました。
ホトケノザは花の作りが複雑で、一番上のヘルメットのような部分はよく見ると坊主頭のように毛が生えています。
ハンターでもあり、自然についてのさまざまなイベントなどを仕事にしている人の話があり、私は「シカ問題を考える」(ヤマケイ新書)の内容を話しました。私はその本で「シカ問題は結局<この要因があってシカが増えた>という類のものではない。生態学者が解決できるようなレベルの問題ではなく、社会学的な専門家の参画も必要だ」ということと、結局は戦後の一次産業軽視の政治が生み出した負の遺産だと考えているので、そういう話をしました。
この本は概ね好評だったのですが、私がなぜシカが増えたのかを要因分析的なアプローチでは解けないという書き方をしたものだから、単純明快な答えを求める人からは不評でした。ここでもそういう話をしたのですが、司会の人は「先生のそういう誠実さを聞いてもらいたくて呼んだんですよ」といっていました。
2月5日に大阪の肉屋さんに呼ばれてイベントに参加しました。この肉屋さんはシカやイノシシなど野生動物の肉を処理して売っていますが、それだけでなく、人間が肉を食べるとはどういうことかの根源的な意味を考え、それを多くの人に共有してもらいたいと考えてこういうイベントをしているようです。そこで、シカの問題やシカと日本社会について考えていることを話してほしいということで声をかけてもらいました。
庭みたいなところでシカの解体をし、市民も分担していました。
2月2日に玉川上水に大きな切り株があったので、年輪を数えてみました。これまではかなり太くても80歳くらいが多かったのですが、これはなんと103歳でした。1920年くらい生まれということで、私の父親が1919年なので同じくらいです。そう思うとこの木が生きていた時代に起きたことを考え、感慨深いものがあります。
このイベントで驚いたのはこんな小さな子も含めて、最後まで熱心に「骨探し」を続けたことです。退屈な作業のはずなので、小さい子は飽きてしまうだろうと思い、対象を小学生中学年以上と想定していました。ただ希望者の中に低学年もおり、さらにはその子の弟や妹もいるということで「ま、いいか」ということにし、退屈してしまう子がいたら、会場にある図書館にでも行ってもらうことにしていました。
ところが蓋を開けてみると、そういう心配は全く無用で、こんな小さな子まで飽きることなく続けていました。
「遊びながら学ぶ」というのはなかなか難しいことですが、教科書の説明ではなく本物の骨を目に前にし、そして教える側が工夫をすれば、それが実現するのだなと思いました。