自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

新時代

2019年05月01日 | がんこおやじ
元号が変わったというので、テレビでは一日中その話題でもちきりのようだ。へそ曲がりのがんこおやじの心には、少しではあるが、やや複雑な思いがある。
 私は昭和24年生まれであり、小学生の時に明仁陛下が皇太子時代に美智子さまとご成婚されたのをとてもよく覚えている。我が家にはテレビがなく、テレビのある家に見に行ったら、おばあさんが紋付を着て正座していたので、テレビなのに変だなと思った。平成になって西暦との対応がわかりにくくて面倒だなと思い、平成という時代はなんとなく自分たちとは違うという気持ちを修正できないまま令和になった。
 私は昭仁陛下は敬愛しており、皇居のタヌキの論文を読んで感動して一文を書いたこともある。それに、美智子陛下ほど素晴らしい女性はいないとも思っている。被災地を訪れて膝をついて励まされるお姿は、昭和天皇にはあり得なかったことで、その姿勢を採られるようになったのは美智子さまとの共通理解であってのことと確信する。だから、明仁陛下が国民に挨拶をされ、平成時代に戦争がなかったこと、国民に支えられたことを語られる時に感極まって声の調子が変わったとき、心を揺さぶられた。特に美智子さまを労われた時は、涙が出そうになった。だから、天皇という重責を果たされたことを心からご苦労様でした、ありがとうございましたと思う。
 そうではあるが、あらゆるマスコミが全く同じ調子でお祭り騒ぎをすることには違和感がある。この制度は本当に良いのか、憲法に抵触しないのか、客観的に今の日本社会を捉えた時、人口問題、高齢化、労働力不足、東アジア諸国との関係など、不安材料は山積している。それは、「令和という名前の通り、平和であってほしい」と願うだけで解決するわけではあるまい。今なすべきは、この国がどうあるべきかの道筋を見出すことであるはずだ。そのためには、多様な価値観をぶつけ合い、議論することにより、深く考えることによるほかはない。この時代にあってマスコミのすべきことは、明仁陛下と新天皇を讃えるだけではないだろう。それをした上で、冷静に、客観的に、この国の過去と現在と未来を考えることを促すべきだと頑固おやじは思う。
コメント
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