花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

最後の紅葉を楽しんだワンゲル「山手散策」と忘年会(その2)

2019年12月29日 | 我が街・横浜
令和元年の今年も残すところ2日となりました。
色々なことがあり、落ち着かない日々でしたが・・・

この2~3日はようやく年末モードになり、午前中ちょっと丁寧にお掃除して
午後からはザック背負って買い出しに行く日々

車があった時は感じなかったお正月準備の品々の重さに、改善策を考えねばと実感した次第です



そんな中早々と「シンピジューム」が咲き出しました
例年、11月末に家の中に入れるのですが、今年は10月の台風騒ぎの時に入れたままにしていたら
4鉢のシンピジュームが花芽を持ち蕾がほころびだしています



一番最初に咲き出したこちらは花芽がついた新芽の3本立てです。

さして手入れもせずに、週に1~2度程度の水やりで健気に咲いてくれるシンピジューム
東南の角の出窓で日当たりも良い場所に置いたので、「温度管理」が大事なのだと実感です。

「横浜山手・西洋館巡り」の後は最後の紅葉の中を歩く(12月10日)
ワンゲル仲間19人と、横浜山手のイタリア山の「ブラフ18番館」と「外交官の家」の
クリスマス飾りを見てから「山手教会」~「ベーリック・ホール」と巡りました。



「ベーリックホール」前の見事な色付きと枝ぶりのモミジが目を惹きました
「手向山モミジ」と、ブログ仲間でもある山小屋さんが教えてくれました。



お隣には私の好きな喫茶コーナーもある「エリスマン邸」があったのですが建て替え?
更地になっていて工事中でした。

でも思いがけず紅葉が綺麗でびっくり、喫茶コーナーから見えた木々が色付いていたようです。



そのお向かいの「山手234番館」には入りませんでしたが、入り口前のモミジが真っ赤に染まっていました
「イロハモミジだね」と山小屋さんが呟きます。



こちらは「外人墓地」、2年前にブログ仲間のlilyさんを案内した時はここから「富士山」が見えました
こちらで紹介しています(クリックすると見えますよ)



横浜では歴史ある有名なレストラン「十番館」を右手に見ながら進むと、突き当りが「港の見える丘公園」です。
展望台から「ベイブリッジ」が良く見えました。

「ここは私が若い頃から有名なデートスポットだったわ」と言うと
80歳過ぎのリーダー夫人のM子さんが「私デートってしたことない」と答えました。
「主人とはいつもいつも山で一緒だったけど」、、、

ワンゲルの方々は皆さん若い頃から筋金入りの「山人間だった」と驚かされました



私たちは港の見える丘公園からフランス山を下り、「山下公園」をカットしてみなとみらい線に一駅乗り
「日本大通り」で降りて、旧県庁前に出ました。

日本大通りの見事な銀杏並木の黄葉がまだ残っていました



こちらはTVドラマにも時々登場する「横浜地方裁判所」
今年の横浜の紅葉&黄葉は遅くまで楽しめました。



突き当りの横浜球場のある「横浜公園」まで行き、馬車道を横切って桜木町に向かいました。
1時を過ぎて、皆お腹がすいてヘロヘロです

桜木町駅近くの橋の上に立つとMM21のラウンドマークタワーが!まだ工事中の新しい横浜市役所の建物が目の前にそびえていました

桜木町の中華料理店で忘年会
午後2時に漸くこの日の「忘年会」場所に到着しました。
桜木町駅近くの野毛側にあるリーダーN氏の馴染みの中華料理のお店でした。

一人が直接お店に直行で加わり、男性12名・女性8名に分かれてにぎやかな「忘年会」が始まりました。
皆喉はカラカラ、お腹はペコペコ状態です

まずはドカン!と一人2個分の餃子が大皿で出ましたが、写真は撮りそこないました
乾杯用のビールで喉を潤しましたが、次のお料理がなかなか出てこない

前菜が運ばれたのは30分後・・・歩いてお腹がすくって事は健康な証拠かも?

リーダーの話では先代の頃からの馴染みの店で、今は知らないが以前は人工調味料は一切使わないのが自慢だったとか。
狭い店内は我々20人でいっぱいになりました。

女性でアルコールを飲むのは半分の4人のみ奥のお座敷には法事の団体さんが居て、お店の人は忙しそうだった

女性軍はビール中瓶を2本と一合瓶の紹興酒を4人で飲みましたが、突然一人が意識を失い騒然となりました。

欠伸をしていましたから、すきっ腹に飲んだアルコールが突然効いてしまったのでしょう。
お酒に関してはツワモノの殿方が、彼女を寝かせて話しかけたらすぐに意識を取り戻しました。

歩いた後のビールは美味しいがスキッ腹に飲むのは危険!
イチゴの入った杏仁豆腐は初めてでした

同じ趣味を持った者同士のワンゲル仲間とは、日常の些末な話題は殆どなく
古き良き時代の「山行き」の話などが聞けて、激することなく心豊かに穏やかな時間が流れる

横浜西洋館の世界のクリスマス風景に触れ、横浜中心街の最後の紅葉を楽しみ・・・
14500歩歩いて美味しい中華料理を頂き、ハプニングはあったものの楽しい時間を過ごすことができました。


              

この数日後には大阪と福島のブログ友がそれぞれ別に上京して食事する機会があり
ご近所仲間との忘年会も楽しんだ
そのご報告は年が明けてから改めてしたいと思います。

令和元年は豪雨や続けて首都圏を襲った大型台風に翻弄され、女一人で家と身を守る大変さを思い知り
ご主人を亡くし独り住まいだった学生時代の友人が、今年の夏突然ガンに倒れ闘病もむなしく
新しい年を迎えることなく旅立ちました

人生も晩年になると不安な事、淋しい事、悲しい事が押し寄せてくるのですね。
「自由で好きな事ができる」という幸せな人もいるかと思いますが、よほど心がけが良かった方なのでしょう・・・
誰しもがいずれ大事な人との別れはあるのです。

新しい年はせめて平穏に過ごせる年でありますようにと願っています。
このブログを読んで下さる方々も良いお年をお迎えください。

尚、今回コメント欄は閉じさせていただきます。
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令和元年のワンゲル・「横浜山手散策」と忘年会(その1)

2019年12月21日 | 我が街・横浜
今年もいよいよ残り10日余りとなりました.
クリスマスを直前に控えた週末を迎えています

昨日、我が家から歩いて7~8分の生協に買い物に行った帰り、
近くの小学校の生徒たちの下校時で、すれ違いざまに孫娘にバッタリ会った



「ばぁ~ばからのクリスマスプレゼント、欲しいの決まった?」と問うと
「ウン、おカータンが今日ネットで申し込むって言ってた」と・・・

孫たちが幼い頃は、クリスマスや誕生日近い土日には息子宅に招待されファミリーパーティーを楽しんだ。
このようなお祝いに集まる日が毎年2~3回はあった。
今ではあの頃がとても懐かしい・・・

その時の私は午前中、息子と2人の孫の4人で近くの「トイザラス」に車で行き
「欲しいもの買ってあげるよ」と言って選ばせ、孫の目の前で支払いプレゼントした
帰路家の近くのケーキ屋さんで、クリスマスケーキや誕生ケーキも購入

それが小学校に入るといつしか親しい友達同士のクリスマス会や誕生会になり
大型玩具店のトイザラスもなくなり、「ネットで買う方が安くて便利」とかで・・・

「誕生日プレゼント」も含めて、ジジババの役目は単なるATMになってしまったわ

ワンゲルの「横浜山手西洋館巡り」と忘年会(12月10日)
集合は京浜東北線「石川町駅」元町口にAM10時半、我が家から割と近いので参加する気になった。



駅でリーダーからパンフレットが配られたが、
12月に入ると,「山手の西洋館」では世界のクリスマスで彩られます

横浜市が管理しているので、すべてが「無料!」というのが嬉しいですね



ワンゲルの参加者は19人、石川町駅から急坂を5~6分登るとそこは「山手イタリア山庭園」
門を入り更に階段を登ると巨大な銀杏の木が出迎えてくれました。

明治13(1880)年から明治19(1886)年まで、イタリア領事館がおかれたことから
「イタリア山」と呼ばれています。

園内にはフランス瓦の屋根の「ブラフ18番館」と、とんがり屋根の「外交官の家」が移築復元されています。

「ブラフ18番館」はオーストリアのクリスマス
まず最初に現れるのが、ペパーミントグリーンが印象的な館(やかた)です。



靴を脱いで中に入ります。

主賓室のテーブルセッティングは上品な色でまとめられていてクリスマスツリーもシックで大人のムードです

9年前に来た時はブルーの印象が強くて、惹き込まれた思い出があります
あの時は「ベルギーのクリスマス」でしたねこちらです。(クリックすると見られます)



オーストリアと言えば「ハプスブルグ家」 それらを感じさせる置物が目立ちました。

マリア・テレジアが被った王冠と肖像画でしょうか?ご近所仲間と行ったウィーンの宮殿を思い出します

この日、私は一眼レフカメラを持ってきましたので、ゆっくり撮影したかったのですが、
何せ「ワンゲル」は先を急ぎます

与えられた時間は25分、ザックから大きなカメラを取り出す余裕はありませんでした

北ヨーロッパの住宅にはサンルームが多い廊下のピクチャーズウインドウからは大銀杏が見えている

この館は大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として1991年まで使われていたそうです。

重要文化財「外交官の家」はアメリカ合衆国のクリスマス
ブラフ18番館のお隣の一段高い所に建っているのが「外交官の家」



1910年(明治43年)に明治政府の外交官内田定槌邸として
アメリカ人建築家J.Mガーディナーの設計で渋谷区南平台に建てられた木造2階建
塔屋付のアメリカ・ヴィクトリア様式だそうです。

10年前にこのイタリア山庭園に移築されオープンした国の重要文化財です。



赤を主体とした飾りつけでしたが、リビングは灯りが暗くて満足な画像は撮れませんでした。
プレゼントはクリスマスツリーの周りに飾るのが正統派なのでしょうか?



アメリカのクリスマスは一年で一番大切なファミリーイベント
遠く離れていても家族や親せきが一堂に集まるそうです。

メリーゴーランドにあるような木馬が・・・子供部屋の赤は明るい「赤」でした

アメリカのオレゴン州はクリスマスのシンボルであるモミの木の産地なので
館内はモミの木の飾りで溢れていました。



オレゴン州最大の都市「ポートランド」は100年以上前からローズフェスティバルが行われていた街
室内にバラがたくさん飾られていました

広い寝室にはトイレ&シャワールームが完備し窓辺にはくつろぎのコーナー、この余裕がうらやましいです

西洋館巡りはすべての場所でスリッパに履き替えねばならない。
私は5~6回目なのに、この日は紐を結ばねばならないスニーカーを履いていって失敗でした。

集合が遅くなり慌てて飛び出すと、ブログ仲間でもある山小屋さんが待っていてくれた



「イタリア庭園」を後にして「山手教会」を外から眺め、横浜屈指の高級住宅地の中を
「港の見える丘方面」に進むと南欧風の建物のベーリック・ホールが現れます。

「ベーリック・ホール」はフランスのクリスマス
フランスでは12月に入るとお楽しみのマルシャドノエルが街中で開催され、クリスマスムードいっぱいになります。



イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、第二次世界大戦前まで住宅として使用された後
昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈されました。

その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として
使用されていたそうです。



当館の今年のクリスマス飾りのコンセプトは「花と花器と水のハーモニー」



フランスらしくてとても「シック」で大人の雰囲気です。

ピアノが置いてあるホールにはクリスマスツリーが飾られているがそれに続くサンルームはいつもと変わりありません

子供部屋やゲストルーム、寝室や書斎などのある二階部分もクリスマス飾りは見られずちょっと物足りませんでした。
9年前はもっと多くの飾付がなされていましたので、興味のある方はこちらをご覧ください
お隣の「エリスマン邸」は建て直しをするのか?、取り壊されていて残念

私たちは綺麗な紅葉がまだまだ残る中を「外人墓地~港の見える公園~フランス山」と歩き
山下公園をカットして「元町中華街駅」からみなとみらい線を一駅だけ乗り、「日本大通り」で下車・・・

黄金色に輝く銀杏並木の中を横浜公園まで歩いて進み、最後は桜木町に出て
リーダーが懇意にしている「中華料理」のお店で忘年会でした。
年内に(その2)を紹介する予定ですが、果たして???

決断しなければならない問題が「山」ほどあり、覚悟しなければならない事も抱え
その上この12月は忘年会と称する集まりも多々あって
(もっともこちらは大いに気分転換になりましたが

大掃除やブログの更新もせねばと焦りますが・・・
家にいると疲れが出てしまい、炬燵に入ってうとうとする日々が多い

まずは年賀状作成を仕上げて、25~26日には投函したいと思います。



コメント (20)
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母の祥月命日のお墓参りと、OL時代の仲間との食事会

2019年12月10日 | 日常の日記
日々バタバタしていて、気が付けば令和元年の師走も早中旬・・・
わが街横浜も12月7日(土)の早朝に初雪を観測したとか
季節は確実に秋から冬に移行しつつあるようですね。

弟と母の7年目の祥月命日の墓参り(12月8日)
前日の冷たいみぞれ混じりの雨の日と打って変わって、穏やかな日和に恵まれた日曜日
弟と実家のお墓参りに行ってきました。



鎌倉の円覚寺をご本山とした実家のお寺は私の住いから車で15分足らずの所にあり
私は年に二回のお彼岸(春のお彼岸は父の祥月命日とダブる)とお盆には必ずお墓参りに行きますが

車を手放した今年の秋はバスと電車の乗り換えで大変だったので
「墓参りに行く時は一緒に連れて行って」と弟に声をかけていました。



「12月9日がお袋の祥月命日だから、明日一緒に墓参りに行かないか」と彼から
12月7日の夜に電話がかかってきました。

関東南部は先週が最後の紅葉の見頃で、お寺にはその名残がまだ残っていましたよ



墓地に続く道も見事な紅葉が見られました。
そんな穏やかな中で弟とお墓を掃除し、お花とお線香を手向けました。

三回忌をしただけで七回忌はしていません。
「来年の3月はお父さんの七回忌、塔婆も古くなったからちゃんとやろう」と
姉の私は弟を諭しました。

7年前の当時の私の心境をマイブログで改めて読み直し、あれから私の状況がすっかり変化した事を思い知り
今でもリビングに飾ってある母の遺影は、今の私と同じ歳の画像(私が選んだ)と思い知り
しばし感慨に浸りましたこちらで心境記しています



午後からは「ランチをご馳走するから、近くのヤマダ電機の買い物に付き合って」と・・・
息子に頼んでいた事を弟に振りました(息子の具体的な反応がなかったのです)

プリンターが壊れて年賀状作成ができず・・・
ダイニングの照明が切れてペンダントライトでしのぎ、焦っていたのです。

弟はすべてに付き合ってくれて、夕方まで我が家でプリンターをPCに繋いでくれて
LEDに切り替えた新しい照明器具を取り付けくれました。

車があったら多分私は一人で行ったであろうお墓参り
車がなかったから弟と触れ合う機会が出来た!
PC関係は息子より、68歳現役サラリーマンの弟の方が頼りになる

小さな車を買おうかな?と迷っていた私、その気持ちが少し遠のきました。

OL時代の仲間との食事会(12月7日)
横浜に初雪が降った日は銀座の並木通りの「梅の花」でOL時代の仲間との食事会でした。
私を含めての1期生が3人、2期生が1人・3期生が1人・5期生が1人の計6人です。



上品な我々に相応しい()お豆腐料理で有名なお上品な場所での集合です。
去年までは年一回でしたが、皆歳を取りいつ何時参加できなくなるか分からない昨今・・・

いつも幹事をしてくれる同期のE子さんが「年に二回は会っておかないと後悔が残りそう」と
6月以来二度目の食事会でした。



全室個室の落ち着いた雰囲気の中で、共に青春時代を過ごした者同士
50年の歳月は髪の毛の量も色も変化し(カツラ着けてるわという仲間と総白髪にした仲間が居て)
私を含めて、6人中半分の3人は夫を見送ったお一人様・・・

まずは乾杯です。この日は寒かったので私は熱燗この日参加できなかった方々の情報を交換したり


思い出話に花が咲いたり、病院通いの話が出たり20歳の頃と同じように笑い転げた楽しい時間でした




美術館勤務だった我々に相応しい空間での2時間半の食事会
外はまだ冷たい雨が降っていましたが、その後も銀座通りの「ルノアール」でお茶しながら
更にお喋りは続きました。

同期のOL仲間と美術館へ(10月4日)
話は少し戻りますが、10月初めに同期の4人で独身時代に勤めていた職場に行ってきました。

夏の初めに「美術館50年史」というアルバムが送られてきた子連れでの同窓会に参加した若かりし頃の我々も載っている

ちなみに右の写真の左下、真ん中に写っているまん丸のベビーは生後八カ月の我が息子で
私がうつむきながら話している背広姿の男性は、館長の長男で後に社長&館長になったS氏です。

わずか3~4年しか勤めなかった我々にまでアルバムを送ってくれて感謝感謝ですね。



4~5年前に本屋大賞を受賞し、岡田准一主演で映画になった「海賊と呼ばれた男」のモデルが
私が短大を卒業して入社した会社の創始者で当時は会長でした。

「店主」と呼ばれていた会長は「仙厓和尚の禅画」の収集家で、古陶磁のコレクターでもありました。
昭和41年10月に、本社が入っている丸の内の帝劇ビルの9Fに「美術館」を設立し館長も兼任

私たち5人は石油会社に入社しましたが、なぜか?新しい美術館の一期生になったわけなのです。

あれから50数年が過ぎて、92歳になられたS氏は館長職を娘さんに任せて退任したとの情報を知り
私たち可愛がられた一期生の在京の4人がお菓子を持って挨拶に出向いた次第です。



「お昼を一緒に食べましょう」とS氏は私たちを隣のビルの「東京会館」に連れて行ってくれて
200gのローストビーフをご馳走してくださいました
まさに「エビタイ」ですね。

食後は渋谷・青葉台の旧店主宅「文化福祉財団へ」へ
朝家を出る時は凄まじい雨で、タクシーを呼んでも出払っていて
私はびしょ濡れになってバス停へ向かいましたが、午後からは晴れだしました

私たちは山手線で渋谷に出でて、タクシーで10分の旧店主宅を訪ねました。
ここに私たちと一緒に美術館で仕事をしていたA氏が居て、今回のアルバム制作時
我々の名前などを確認してくれたらしい・・・

今では一般公開されている旧店主宅です4人の館員が文化育成事業などに携わっています




周りをビルやマンションに囲まれた中で悠然と緑の中に佇む旧店主邸宅
広い庭を維持するのも職員の仕事のようでした。



館内にはこのような美術品も展示されています。

禅画や古唐津・染付を愛した店主宅はキンキンラした派手さはなく実にシックで落ち着いた「粋」なお宅でした




A氏との昔話に花が咲きましたが、4時過ぎには失礼して渋谷のカフェで4人でお茶して
用意したお土産などの清算し、ラッシュに揉まれて帰宅したらドット疲れました

娘時代は三ツ沢からトロリーバスで横浜に出て、ぎゅうぎゅう詰めの湘南電車で通勤していましたが
今ではもうラッシュに耐える体力&気力はないとつくづく感じました。


コメント (16)
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