花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

梅が咲き出しました♪

2010年12月27日 | 日常の日記

全国的に「クリスマス寒波」がやってきたようで、寒い年の瀬となりました
北国では雪の被害も出ているようですが、ブログ仲間の皆様の所は如何でしょうか?

そんな中、我が家の庭の「冬至梅」が一輪咲きだしました
去年はお正月が終ってからやっと咲いたのですが、今シーズンは12月に入っても暖かい日和が続き
早めに咲いてくれましたね

まさに名前の通り「冬至」の日(22日)に見つけて写した梅の花です。


25日に息子宅でファミリークリスマスを楽しみました。
サンタさんからのプレゼントや、じ~じとば~ばからのプレゼントに喜ぶ2人の孫の顔を見て
私たちも嬉しい一日でした。

クリスマスが終れば、いよいよ今年も残り少なくなり、慌しいお正月準備に突入ですが・・・
入院中の母のこともありますし、中々お正月モードに入れないでいます

何輪かほころび始めていた庭の「冬至梅」も、この2~3日の寒さで開ききっていません。
この一輪のお花が健気に冷たい風の中で咲いているのです。
可愛いですね


「冬至」の翌日の23日は朝から快晴で、ご覧のような見事な「赤富士」が見られました。

両親のことでは次々と難題が続き、心身ともにくたびれ果てた1年でしたが、
「何とか無事にお正月が迎えられように」と祈りました。


富士山の写真はいつも300mmの望遠レンズで撮りますが、夕景の富士山はこのレンズではボケてしまいます。

電線も絵になるとブログ仲間の地理佐渡さんの所で知りました。
標準レンズで撮った日の入り後の富士山です

夏には富士山の右側に沈んでいた太陽が、この季節は左側の箱根の山に沈んでいきます。
冬至が終った翌日のこの日から夕日は少しづつ富士山に近づいていくのですね。

いつかダイヤモンド富士が我が家から見えるかもしれません。
そんな期待を持って新しい年を迎えたいと思います。


         

NHKのドラマスペシャル「坂の上の雲。第二部」は26日の「広瀬死す」で終了しましたね。
第三部は来年の12月まで待たなくてはなりません。長いなァ~

「竜馬伝」は約1年の長帳場で、見なかった回もありましたが、
この「坂の上の雲」は一部の再放送も含めて全部見ました。
それも熱心に

日本が大政奉還で開国し、西欧に追い付けと、
まるで坂の上の雲を見るがごとく駆け上って行った時代のお話しです。

日清・日露の戦争を勝ち進み、朝鮮半島に進軍する足がかりを作り、第一次世界大戦後、
今度はあの忌まわしい「太平洋戦争」に突入していくわけですが・・・

秋山兄弟が活躍した明治の創成期の軍隊と、シナ事変から始まる昭和の軍隊では
「真摯な気性」と「武士道精神」の点で、全く違うように思われます。

司馬遼太郎のこの作品は「軍国主義を賛美している」という批評もあるようですが・・・
少なくとも当時の日本人は貧しくても「高い志」があった
それゆえ、日本は植民地化されずに済んだのです

今、坂の上から転げ落ちている日本を見るにつけ、「秀でた人材はいないのか」と情けなくなりますね。


主役のモックンは風格が出てきましたね。
そしてモックン演じる主人公秋山真之の先輩で親友でもある、
ロシアの人々にも愛され、「杉野はいずこ」という歌にもなった部下思いの勇気ある軍人
広瀬少佐役の俳優さんは誰?と気になっていました。

あの大きな体と声から舞台の方だろうと思ってはいましたが・・・
先日、NHKTVの「スタジオパークからこんにちわ」に生出演していたのをたまたま見てビックリ。
元水泳のオリンピック選手だったとは

早稲田大学を出てからオーストラリアに水泳留学、現地でミュージカル「レ・ミゼラブル」の舞台を観て感激し
水泳界を引退後、25歳で劇団四季の研究生からスタートしたそうです。

あの見事な体格はなるほど納得ですが、豪快な広瀬武夫とは全然違う
朴訥な素顔の藤本隆宏さんにしびれました

第一部では「サラブライトマン」が、そして第二部では森麻季さんが歌っている主題歌を
藤本さんはスタジオで、ソフトに歌いあげていました

HD 藤本隆宏 : Stand Alone ( 坂の上の雲 テーマ曲 )


サラブライトマンのミュージカル「オペラ座の怪人」のCDを、毎日熱中して聞いていたことがあります
あの澄んだまろやかな声が大好きなので、早速この主題歌「Stand Alone」のCDを買ってきましょう。

そして主人の書斎の本棚には司馬遼太郎の「坂の上の雲」原作本が揃っていますので、
年が明けて、仕事を辞めたら、是非ユックリ読んでみようと思います。

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山手「西洋館」のクリスマス・その2

2010年12月23日 | 日常の日記

「イタリア山庭園」を後にして、「港の見える丘公園」方面に歩いて行くと
右手に立派な「山手カソリック教会」が見えてきます。

1862年にフランスの神父さんが建てた横浜天主堂が前身になっていて
鐘や聖母像は、初代のフランスから贈られた物をそのまま受け継いで使っているのだとか・・・


この慈悲深いお姿のマリア様は、フランス生まれのようです。


更に「港の見える丘公園」方向に進むと、左手の「元町公園」の手前の木々の間に
南欧風の建物が見えてきます。

「ベーリック・ホール」・フィンランドのクリスマス

イギリス人貿易商ベーリック氏の邸宅として、1930年(昭和5年)に建てられたスパニッシュスタイルの洋館。
戦前の西洋館としては最大規模の建物だそうです。

2010年のクリスマスのテーマは「森と湖の国フィンランドのヨウル・クリスマスウエディング」


冬の精霊たちが舞い降りるフィンランドのクリスマス 
森と湖の精霊たちからの贈り物がおりなす、幻想的なヨウルの世界をお楽しみください!
と謳っておりました。


サンルームの飾りつけはモダンです。

階段の上には織物のタペストリー寝室の飾りも温もりが感じられます

2Fの団らん室は青緑に彩られ・・・子供部屋も同じ色・同じ窓!


「エリスマン邸」・スイスのクリスマス
木造2階建ての白い洋館エリスマン邸スイス国旗と同じ白と赤の飾りつけです。

平成2年、元町公園に移築されたこの館は、近代建築の父、アントニン・レーモンドの設計で
大正15年(1926)にスイス人貿易商エリスマン氏の私邸として建てられました。

2010年のクリスマスのテーマは「白いクリスマス」
美しい大自然の国スイス。
雪の舞う冬、森や湖、村や都市に白い世界が生まれます。
雪をイメージのテーブルに家族と友人が集いクリスマスを祝います。

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内部の飾りつけの模様をnon_nonさんのソースをお借りして纏めました。
小さな画像にマウスオンでスライドショーをご覧下さい

スイスの風景をイメージし、窓の外の木々を意識して撮りました。

スイス国旗の赤と白にちなんでクリスマスの飾りも赤と白♪

10年前に歩いたスイスの雪の残る雄大な山々を思い出しました

館内にはカフェコーナーもあります。

眺めの良い席でコーヒータイム♪流石に歩き疲れてお腹も減りました。


洋菓子店「えの木てい」

元町公園前の洋菓子店ですが・・・
1927年に建築され、かつて外国人居留地だった山手に残る数少ない西洋館のひとつです。
(本当はこちらでお茶したかったのですが、一人で入る勇気はありませんでした)

古き良き横浜の雰囲気を今も漂わせているお店で、有名なスケッチポイントでもあるようです。


この季節、最後の紅葉が「絵」になっていますね

「山手・234番館」・ポーランドのクリスマス
えの木ていのお隣の山手234番館はほのぼのとした暖かみのあるクリスマスです。

2010年のテーマは「ショパンの国のクリスマス」

今年はポーランド出身の作曲家・ピアニストのショパン生誕200年だそうです。
「ピアノの詩人」といわれたショパンの曲が流れる、温かい家庭のクリスマスを味わいましょう。


素朴ながらも温もりが感じられる、愛らしい「ポーランド磁器」がとても気に入りました


気どらないファミリーパーティーには、この食器がピッタリですね。

落着いた中に温かみのある家族団らんのクリスマスが楽しめそう♪
照明のセンスも抜群です♪窓の外は雪のホワイトクリスマスなのでしょうね

こうして五つの「西洋館」を巡り、外人墓地の脇を下って「元町商店街」に出てから電車に乗って
母の待つ病院に向いました。

横浜市の「緑の協会」が運営している「山手・西洋館」は無料なのが嬉しいですね。

他にも2館の西洋館がありますが、今回紹介した中で皆様はどの国のクリスマスがお好みでしたか?
私はやはり最初に入った青と赤のインパクトが強烈な
「ブラフ18番館」のベルギーのクリスマスが特に印象に残りました。

尚、明日・明後日のクリスマスにお出かけを計画している方はこちらを参考になさって下さい。

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山手「西洋館」のクリスマス・その1

2010年12月19日 | 我が街・横浜
今年もいよいよ残り少なくなってきました。
街はイルミネーションに彩られ、何処もクリスマスムードに溢れています。

今週は仕事が休みだったのですが、母の容態が悪く、山仲間との「忘年ハイキング」をキャンセルして

ひたすら家の大掃除と父のいる施設&母の入院している病院に通う日々・・・

流石に滅入って「気分転換をしないと持たないと痛感
晴天に恵まれた18日の土曜日、母の病院に行く前に「横浜・山手西洋館」めぐりをしてきました。

「ブラフ18番館」・ベルギーのクリスマス

JR[石川町駅」から歩いて5分の高台にある「イタリア山庭園」内に建つ、
ペパーミントグリーンが印象的なこの館は「ブラフ18番館」

大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として1991年まで使われていたそうです。


毎年この時期になると、各西洋館では「世界のクリスマス展」が開催され
それぞれに志向を凝らしたテーブルセッティングやクリスマスの飾り付けが楽しめます

2010年の「ブラウ18番館」はベルギーのクリスマスです。


お客さま用のダイニングテーブルはブルーで統一され、その中に輝くクリスタルのグラスが
いっそうゴージャスに引き立ちますね


応接室や団らん室から続くサンルーム・・・
当時はここに座ると「港」が望めたのでしょう。


家族が集う「リビング」も今年はブルーで統一です。

ゲルマンとラテンの融合した国ベルギーは、水(川・運河)によって発展しました。
水の都に相応しい色ですね。


「ブラフ18番館」の2010年のクリスマスはベルギークラシックスタイルをアールヌーボー(新しい芸術)にのせて、
館内を濃いブルーとボルドー(濃い赤)・プラチナに近いゴールド
そしてヒバのグリーン等を基調としたテーマカラーで演出したそうです。

小物の一つ一つにもセンスの良さが伺えますこちらは窓上の飾り・・・
ピクチャーズ・ウィンドウからは庭園の紅葉が・・・西欧はこうしてプレゼントの数々を飾るのですね


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2階は一転、鮮やかな赤の世界です
マウスオンでご覧下さい


テーブルキャンドルも赤
子供達のクリスマスパーティーに相応しい雰囲気ですね

庭園の皇帝ダリアも残っていて今年最後のバラも頑張っています
北ヨーロッパはホワイトクリスマスでしょうが温暖な地横浜ではまだバラが・・・

歩くと汗が出るほどに、暖かい日和でした。
雪国の方々から見れば信じられない明るさだと思います。

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昔ここにイタリア領事館があったのでこの名が付いたと言う「イタリア山庭園」からは
ベイブリッジとみなとみらい地区が良く見えました。
マウスオンでご覧下さい

見晴らしの良いこの「イタリア式庭園」の正面にはテラスがありお茶を楽しむことができます。
そしてそのすぐ目の前が「外交官の家」

「外交官の家」・ドイツのクリスマス

1910年(明治43年)に明治政府の外交官内田定槌邸として
アメリカ人建築家J.Mガーディナーの設計で渋谷区南平台に建てられた
木造2階建・塔屋付のアメリカ・ヴィクトリア様式だそうです。

去年の3月、このイタリア山庭園に移築されオープンしたばかりの国の重要文化財です。


2010年の「外交官の家」の催しは荘厳なドイツのクリスマスです。
ダイニングテーブルには、九谷焼のお皿と手作りのジンジャークッキーが並んでいました。

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童話「ヘンデルとグレーテル」に出てくるお菓子の家をイメージした作品も・・・
マウスオン・クリックでご覧下さい

裏側の窓は飴、屋根はクッキーとナッツが並びます。
子供たちが喜びそうな「夢」がありますね


ドイツのクリスマスはあくまでも本物の木の枝と葉っぱを使った自然流・・・


材料は裏の里山でも調達できそうなものばかりです。
これなら我が家の夫も作れそうですが・・・
日本の狭い家屋ではとても無理ですね。


ドイツには「ブッテンマンドル」という、日本の「なまはげ」と良く似た行事があるようです。


詳しくはこちらをお読みください

商業ベースになりがちな日本のクリスマスと違い、信仰に裏打ちされた「本物のクリスマス」
その準備は父親と子供たちが森からモミの木を切り出すところから始まります。
姉が妹にオーナメント(飾り)の作り方を教え、母親が自慢の料理に精を出す。

居間に広がる木の香りは何ともいえない安心感を醸し出すのでしょう・・・


ここ山手の「イタリア山庭園」では、23日と24日は日没から2000本のキャンドルが揺れ
暖かい飲み物が用意されるようですね。

私も時間を作って、横浜山手「西洋館」で本物のクリスマスを味わってみたいものです。
が~
今電話があって、お嫁ちゃんがダウンして救急車で運ばれたらしい
息子からSOSの要請が入り、それどころではなさそうです

「エジプト紀行」も佳境に入り、次はいよいよ見どころ満載の「ルクソール」ですが、
今回はちょっと休憩です。

この「世界のクリスマス」特集はあと一回続きますので、ご容赦くださいませ。

※結局、お嫁ちゃんは大事には至らず、お薬をもらって家に戻りました。ホッ




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エジプト紀行15・ルクソールへ(その2)

2010年12月15日 | エジプト紀行

昨日一昨日と冷たい雨が降りましたが、今日15日は穏かな日和となりましたね。

午前中に、借りている菜園の「里芋」を掘り起こしました。
今年の4月にご近所仲間と岐阜の根尾谷の「薄墨サクラ」を見に行った時に買った「里芋」を
畑に10個ほど植えましたが、それが5~6倍に増えました

4月下旬に堆肥を混ぜて植えただけ、特に追肥もしないでほったらかしでしたが・・・
お正月料理にたくさん使えそうです
「子孫繁栄」の縁起物ですものね。


この所の暖かさで、早生の冬野菜は育ち過ぎのようです。
大根は時々ドキッとするような形のものが出現しますね。

「これはハー君のフグリのようなのが付いているから彼にやれ」と夫が笑います
おっと、品の良さを心がけているわがブログには相応しくない言葉

ところで昨日は父の91歳の誕生日でした。

去年は施設の応接間を借りて賑やかに「卒寿」のお祝いをしたものです。

昨日、父のいる施設の応接間の前を通ったとき、1年前の元気だった母の姿を思い出し、
ちょっと心が揺れました。

先週、厳しい状況から脱したといわれ、気分的にはホッとしていましたが
母はまたまた高熱が出て肺炎を疑われています。

ケースワーカーさんが転院先の「療養型病院」を探してくれていますが、
今はそれどころではないようで、年内はこのまま今の病院で点滴治療となりました。


         

前回から再開したエジプト紀行、ご興味のある方は引き続きご覧下さい。


「コム・オンボ神殿」の見学を終え、
次は80km北にある「エドフ」の町を目指します。

ナイル川に沿って北に走るバスの右窓の向うに鉄道が見えました


エジプトの鉄道は、カイロを中心に北のアレキサンドリア、そして南のルクソール経由
アスワンまでの1本が南北に貫いて走っています(赤い線)

外国人観光客は、カイロからの夜行寝台列車「ナイルエキスプレス号」
南部にやって来る人々も多いようですが・・・
外国人が利用できる列車はこのナイルエキスプレスと一部の特定列車のみだそうです。

カイロからルクソールまでが9時間、更にアスワンまでは3時間半を要するとか・・・
(青く囲った都市が、今回私たちのツァーが泊まって滞在した街です)


本線から支線が分かれて、貨物列車がたくさん走っていました。

一帯はサトウキビ畑が広がっています収穫したサトウキビをロバが運んでいる
トラックも列車もサトウキビが満載!エドフの近くに製糖工場があるようです

モモちゃんの話だと、エジプト人の砂糖の消費量は一人/一年間に20kg~30kg・・・
エジプトは、中東最大の砂糖消費国であり、消費量の約3分の1を海外より輸入しているそうです。

「エジプトの料理やデザートは油と砂糖が多いので太ります。糖尿病も増えています。」

「僕は1991年にカイロ大學文学部日本語学科を出て、日本の明治大學に2年、留学しました」
「TVでおしんを観て憧れ、日本には4年いました」
とモモちゃんが自分の事を語り出しました。

「東京について新宿から宿舎のある多摩センターまでタクシーに乗ったら、あまりの値段の高さに驚いた」
「地下鉄に乗りたくて改札を入ったら、皆電車に向って走って行くので逃げるドロボーかと思った」

「日本は寒くて雨が多く、地震もあるし、皆いつも忙しそう・・・」
「お料理もサッパリしていて量も少ないので痩せます」

「エジプトに戻ったらいつも晴れていて、
今でなくても良いというユックリな気持ちの毎日」

「太り出したら、時々日本に行って痩せてきます」

「それからビックリしたのが友人と諏訪湖のホテルに泊まった時・・・」
「突然大砲の音が鳴り響き、戦争が始まったのかと思ってベッドの下に隠れました。花火の音だった」

漫談のようなモモちゃんのお話でした。

この日は、菊丸さんはじめ、バス内のトイレを使う人が増え始めました。
皆さん、お腹の調子は大丈夫ですか~

「エドフ」の町

ルクソールとアスワンの中間に位置する「エドフ」は、かって上エジプトの州都として栄えました。

大勢の若者が動く車にしがみついている光景にはビックリ
この日は若い人々の姿が多く(それも男ばかり!)、とても賑わっていました。


町には観光馬車が列を成していて、ナイル川クルーズの西洋人観光客が大勢利用していました。
このエドフの町の中に「ホルス神殿」があります。

「ホルス神殿」

ハヤブサの姿をしたホルス神に捧げた神殿で、エジプト国内でも最も保存状態がよい遺跡の一つと言われています。

現在残るこの神殿は紀元前237年に着工され2世紀かけて完成した壮大なものです。


巨大な「塔門」はルクソールの「カナルック神殿」に次ぐ規模です。

幅79m、高さ36mの塔門には王がホルス神と妻のハトホル女神に
捕虜のいけにえを捧げている様子が彫られています。


門の入り口の両脇には一対の「ホルス神像」が立っています。


塔門を入ると32本の列柱に囲まれた広い中庭に出ます。
そして正面が第一列柱室、奥には至聖所があります。


この入り口にも「ホルス神像」が・・・
太陽と天空の神「ホルス」はエジプト航空のマークでもお馴染みですね。

柱頭にはパピルスをモチーフにした装飾がそれぞれ少しづつ違っていて面白い♪

モモちゃんの即興劇を混じえての講義が始まりますホルスはハヤブサの姿をした神
プトレマイオス朝の歴史とホルスのあだ討ちの物語が刻まれています

外国の神話の世界は中々覚えられませんが・・・
ホルスはオシリスとイシスの子で、父はその弟セトに殺されます。

物語はホルスの復讐物語へと進みます。

母イシスとホルスの母子の愛情物語は、アスワンの島に浮ぶ「イシス神殿」で見ることが出来ました。
その時お勉強した「神話」をもう一度復習しましょう・・・

ホルスの妻のハトホルは、古代エジプト神話の愛と幸運の女神ですね。


塔門の外側にある列柱

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エドフの町の郊外でランチタイムです。
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい

この日のお料理は「ファッタ」という家庭料理だそうですが・・・
何やら昔食べたケチャップライスに良く似ていますね。
横に添えられた硬いお肉は一体何のお肉でしょうか?

バスの中でお腹が痛い!と言ってトイレに駆け込んでいた、親しくなったツァー仲間の女性に
「大丈夫?」と話しかけると
「仲間からアジアを旅行する時に必ず持参する下痢止めの薬をもらって飲んだら、大分良くなったわ」
「どうも、ホテルの朝食でイチゴを食べたのが原因みたい」と・・・

ちなみにこの薬の名前をお仲間の方から聞きました。
中外薬品(株)の「下痢止め」というお薬だそうです。
早速、メモさせて戴きました



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エジプト紀行14・ルクソールへ(その1)

2010年12月10日 | エジプト紀行

人口104万人が住むエジプト南部最大の都市・ダムで有名な「アスワン」のホテルから眺めた朝焼けです。

私たちが泊まった「モーベンビック・アスワンリーゾートホテル」はナイル川に浮ぶエレファンティネ島に位置し
ナイルの景観が素晴らしい・・・

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ナイル川の対岸には、アガサ・クリスティーが滞在し「ナイル殺人事件」を執筆した部屋があるという
「オールド・カタラクト」ホテルの古い建物も見えています。

反対側の西岸に目をやると砂漠が迫っています。
夕日が美しいらしい・・・
マウスオンでご覧下さい

エジプトで泊まったホテルの中では1~2を争う素晴らしいホテルでした。

お部屋も広く明るくて・・・近代的なリゾートホテルでした♪
ホテル前の船着き場から船に乗り対岸へバスに乗り換えて、ナイル川沿いを北上♪

この日のスケジュールは、バスで途中二つの神殿を見学しながら
アスワンから「ルクソール」へ向います。

ガイドのモモちゃんが改めて「サバヘー(おはよう)」と挨拶をし、私たちも同じ言葉で返しました。
旅も5日目、ツァーの仲間30人もだいぶ打ち解けてきました。


ノンビリとバスの車窓からアスワン郊外の朝の風景を眺めていると、モモちゃんが
「屋根の上に柱や鉄骨が出ている未完成の家が多いのが分りますか?」
と問いかけてきました。
画像右手の2階が茶色の家がそうですね

「モスリム(イスラム教徒)は4人の奥さんを持つことができます。」

「ですから奥さん一人だと一階、二人目は2階、3人居ると三階建てとどんどん上に伸ばしていきます」
「そのための準備の柱や鉄骨が上に出ているのです。」
「2階建てのあの家は奥さん二人の家ですね」

「へぇ~、イスラムの国に生まれなくて良かったわ」と私たち女は思いますが・・・

昔から多くの男が戦死したので、その未亡人を救済するための意味もあるそうです。
でも・・・
戦争のない時代に甲斐性のある男が4人の妻を持ったら、一人の妻も持てない男がたくさん出るでしょうね~

ちなみにモモちゃんは3人の奥さんと6人の子供が居るそうです。
「奥さん同士は仲悪いよ」と苦笑いをしていました。^

アスワン郊外の朝の風景・・・車窓から見た一日の始まりです。
1時間でコムオンボの町に到着日本の昭和時代を感じます


「コム・オンボ神殿」

普通の神殿は建物の中央に通路が1本あるだけなのに、この神殿には通路が2本あります。
塔門の入り口や至聖所も二つに分かれている二重構造です。

モモちゃんの「暦の読み方」の講義が始まります世界最古の10進法の数字が使われた暦!
古代遺跡の廻廊を歩きます今尚残る柱には見事な彫刻が!

「コム・オンボ神殿」はホルス神とワニの神であるソベク神のために建てられた神殿です。

うっすらと色彩が残る「中庭の列柱」です

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他にも医療器具のレリーフなどが目を惹きますね。
この頃から今と変わらない「外科手術」が行われていた様子なども刻まれていました。
マウスオンのスライドショーでご覧下さい

non_nonさんのソースも2月には使えなくなりそうです。
今の内にたくさん使わせていただきますね。いつもありがとうございます


ナイルにつき出たオリンポスの丘の上にに建つ「コム・オンボ神殿」は
プトレマイオス時代に建てられ、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に完成しました。

一見したところ、ギリシャのアクロポリスのような印象がありますね。


神殿が建つ丘を下っていくと、右手にナイル川が広がっていました。

アスワンからルクソールまで、バスで4時間のコースを、ノンビリ観光しながら
「豪華客船」で二泊三日で巡るナイルクルーズがたくさん出ています。
手前に接岸されているのがプールの付いたホテルのように大きな船でした。


         

乾燥したエジプトの画像のあとは、日本のお菓子「空也のもなか」をどうぞ・・・
渋い日本茶が合いそうですね。


OL時代の仲間からお土産に戴いた銀座のお菓子です。

父のところに持っていくと、ペロリと二つたいらげました。
母は全く食べられません

それでも抗生物質の点滴と、鼻からの高カロリー栄養の注入が効いたのか?
それとも母の底力か?

肺炎が良くなり、極度の貧血や栄養状態も改善され、母は危機的状況から脱しました。
問いかけると反応があります。

医師とは「延命治療はしない」と最初に申し合わせましたが、
気がついたら鼻からチューブが挿入されていました。(これって延命措置ではないのかしら?)

「鼻からだと病院でしか注入できないけど、胃ロウにすれば受け入れ施設も広がる」
と医師は言います。

このまま見殺しにするのも忍びなく、さりとて寝たきりで生き延びるのも酷なようなと
迷いますが・・・
父の待つ施設は「鼻からも胃からも、直接食物を注入しなければならない患者」は受け入れてくれませんので、
いずれにしろ次の受け入れ先を早急に探さなくてはなりません

お正月を前に、叉別の悩みに頭を抱えていますよ。

これからの老人は「自分の最後はどうあるべきか」を、
頭がハッキリしている内に、子供や兄弟に示しておく必要がありますね。




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豊富な日本のグルメ環境と「エジプト料理」

2010年12月06日 | 日常の日記
12月4日・我が家から見た早朝の「富士山」

12月3日早朝、日本を駆け抜けた低気圧がもたらした「嵐」は凄かったですね。
土砂降りの雨が朝の9時頃にはやんで晴れあがり、その後は半袖でもいいような暖かい陽気

そして翌日の4日は冷えて、朝から見事な「赤富士」が見られました

母は「一進一退」を続けています。
もう口から食べる事ができませんので、父のいる施設には戻れないでしょう

この地域の中核病院である今の入院先も、3週間以内には出なければなりません。
治る見込みのない老人や、長いリハビリを必要とする患者はケースワーカーさんの助けを借りて
次の病院を探さなければならないのです

人間、自分で好きなものを自由に口から食べられる事が如何に大事か

私は決してグルメ人間ではありませんが、今日は最近食べたお料理の画像をズラリと並べます。
(母にも食べさせたかった~)

四谷「オテル・ドゥ・ミクニ」

10月上旬、友人のマルさんに誘われて、四谷にある「オテル・ドゥ・ミクニ」
ランチに行ってきました。

あの有名な三国シェフが開いた、パリによく見られる小さなホテルを兼ねたようなフランス料理店です。
「学習院・初等科」の校舎脇の住宅地の中に静かに佇んでいるお店でした。

バターナッツカボチャのフリットカボチャの冷製ポタージュ・ミルクムース
銚子沖・金目鯛のグリエデザートは盛りたくさん

更に最後にコーヒーと焼き菓子が付きました。これで3000円です

このお店を利用した人には翌月末まで使えるクーポン券が配られ、それがあると
この3000円コース・お肉料理がもう一皿加わる5000円コースが利用できるのです。

マルさんはこの春に、アイスランドの火山噴火の影響で飛行機が飛ばなくなり
イタリアのミラノで3日間足止めされ、救援機で帰国した人です。

「あの時は心細かったけど、今考えると食事も美味しいミラノでもっとユックリ楽しめば良かったわ」
「現金がなくてもカードがあればどうにかなるしね~」
「ミラノだからそう言えるのよ。私の行ったエジプトの街で足止めくったら、先ず食べ物が合わずに悲惨だわ」

せっかくの有名シェフの創作料理をジックリ味わう暇がないくらいに、お話しに花が咲きました。

地中海料理「プティ・オリーブ」

上記の「オテル・ドゥ・ミクニ」でクーポン券をもらってきた私・・・
今度はご近所仲間に声をかけました。

4人の都合がついた11月30日
「ミクニでランチして、神宮外苑のイチョウ並木を歩き、クリスマスイルミネーションを見よう」
という計画です。
ところが予約後に母が入院し、父までが高熱で病院にかかる出来事が

仲間の一人が心配してくれて「四谷は遠すぎるわよ。お母様に何かあったらどうするの」と、
家の近くの地中海料理のお店でのお食事会に変更してくれました

サラダ&スープ&スペインワイン本場で食べた物より美味しいパエリア

他にタコのマリネやムール貝のチーズ焼きなどを頼み(写真を忘れた!)、白ワインを飲みながら
10年以上前にこの4人で行ったスペイン旅行を思い出し、話に花が咲きました。

両親のことで鬱積していた私の気持ちも、お陰で少し晴れました

「吉祥・銀座店」

朝方の「嵐」が通り過ぎた12月3日、銀座でOL時代の仲間との同期会がありました。

仲間には「母の様子次第では当日のドタキャンあり」での参加の意志を伝えていましたが、
母も「肺炎」が治まり、問いかけにも答えるようになったので、私は思い切って銀座まで出かけました。

並木通りの「三笠会館」前のビルの4Fにある、静かで落着いた雰囲気の日本料理店の個室で
1年ぶりに同期の仲間達と再会し語り合いました。

お食事はこの画像の他に麦とろご飯と香の物が付いて3000円です


食後はお向かいの「三笠会館」の一階ティールームに席を替え、ケーキセットでお話しは更に弾みます。

20歳で社会に出て、丸の内の会社の同じ部所で、その青春時代の一時期を共に過ごした同期の仲間達4人・・・
ツーと言えばカーと答える親しさと気安さがありますね。

10年前に未亡人になった人もいれば、最近ご主人にガンが見つかった人もいたりで
それぞれに人生の哀しさ切なさを味わっている60代ですが、この底抜けの明るさは何だろう

娘の頃と同じ様に、皆でシワも気にせず顔をクチャクチャにして笑い転げた5時間・・・
良い気分転換になりました。

私は手元に置いた携帯電話の緊急呼び出しがなくてホッとしました。

焼肉「おくう」
日曜日の夜は、孫達と一緒にワイワイ・ガヤガヤと焼肉です

そして昨夜は、息子一家と近くの焼肉屋さんで夕食を共にしました。
和牛の特選ロースは、ほっぺたが落ちるほどに美味しかった~

キムチやナムルも体に良くて、最後の〆は冷麺やクッパでした。

孫たち2人も元気で、幼稚園のお遊戯会も見せてもらいましたし・・・
私も母が入院した最初の一週間はパニクッていましたが、最近は病院に行く時間を毎日取りながらも、
いつも通りの生活を送っています。

先月は横浜中華街でのランチもありました。
こうして並べてみると、日本の食生活の豊かさに驚かされますね。

エジプト・アスワンでの夕食「エジプト料理のビュッフェ」

こちらはエジプト旅行4日目の、アスワンの街のレストランで戴いた夕食の風景です。

ブログ仲間のビオラさんがこの11月上旬に「エジプト旅行」をして、早速に「エジプト紀行」をUPしています。
その中に「毎日同じようなメニューの食事が辛かった」と書かれていました。

私も今年の1月下旬から10日間の「エジプト旅行」に行きましたが、
帰国後すぐに親の病院騒ぎが続いたりで、旅行記はカイロ郊外のピラミット群と、
南部のアブシンベル神殿を見学し、「アスワンン」に戻った所でストップしたままです。
(今までの紀行はカテゴリーの中のエジプト紀行で、14章まで綴っています)

ビオラさんと同じ様に「エジプト料理」はあまり馴染めないものでした。

最初に「モロヘイヤスープ」が配られますそれから各自でバイキング
エジプト料理の盛り付けですデザートはビックリするほど甘い!

日本人はエジプトの水が合わずにお腹を壊す人が続出するので、生野菜はナシです。
果物も皮のあるものだけ・・・

エジプトの代表的な鳩の唐揚げも食べましたよ。
エジプト料理の油は「動物油」を使うので、お腹を壊さなくても胃がもたれてしまう人が多いらしい。
そして1人あたりの1年の砂糖の消費量が日本人の20倍のエジプト
すべてのデザートが驚くほど甘い


でも、マンゴーの生ジュースはどこも美味しかったです

飲酒が禁じられているイスラム教徒の多いエジプトでは、アルコールを置いていないレストランもあります。
そういう時にはもっぱらこのマンゴージュースを飲みました。

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マウスオンでご覧下さい

ナイル川に浮ぶたくさんの島々にホテルや観光施設があるアスワンの街は、
アフリカの「ベネチア」と言っても良いほどに「船の移動」が一般化しています。

ホテルに船で戻り、同室のK子さんとアーケード街をウィンドーショッピングしてから、
タワーの上に登り、思いがけず明るくて近代的な「アスワンの街」の夜景を楽しみました


この10日間の「エジプト旅行」で、一番口にあって美味しかったのはホテルの朝食のビュッフェ料理です。
パンも美味しい

でも生野菜とカットフルーツは厳禁です。

今年も師走に入り慌しさが増してきましたが、エジプト紀行を仕上げていないのが心残りです

母に特別な変化がなければ、身の回りの歳時記を綴りながら、
合わせてエジプト紀行も再開したいと思いますので、宜しくお付き合いくださいませ。

コメント (28)
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紅葉の北鎌倉「円覚寺」

2010年12月01日 | 鎌倉散策

11月も今日で終わりですね。

今年の秋はそれなりに紅葉を楽しみましたが、
ピカピカのお天気の中で見ていないので、イマイチ満足感に欠けるものがありました。

母の入院騒ぎがあり、鎌倉の「紅葉」はもう諦めていましたが・・・
考えてみたら母のいる病院から鎌倉は目と鼻の先なのです。


好天に恵まれた昨日の月曜日(11月29日)、午前中は父の様子を見に施設に出かけ
昼には食事に戻る主人のお昼ごはん準備をして・・・

そして午後から母の病院に出向き、病院の駐車場に車を置いて、
電車で二つ目の北鎌倉まで行ってきました

病院の面会時間が午後二時からなのです。


北鎌倉駅で電車を降りて「円覚寺」側に出ると、すぐに燃えるような真っ赤なモミジのお出迎えです。
私が待ち焦がれていた「青空に映えるモミジ」です


鎌倉五山第二位の「円覚寺」は、弘安5年(1282)、執権北条時宗が宋から招いた
無学祖元(むがくそげん)を開山として創建された臨済宗の寺です。


ちなみに父がいずれ自分達が入るためにと準備した「お墓用の土地」のあるお寺の
ご本山がこの鎌倉「円覚寺」なのです。

<>

「円覚寺」の入り口の階段は西向きですから、午後からは太陽の光が眩しいくらいです
振り返って逆光の紅葉を撮りました。

階段のすぐ下を「横須賀線」が走ります。マウスオンでご覧下さい


登りきってもう一度振り返り、門越しの紅葉にカメラを向けていると
同じ様なショットを狙っていた中高年の男性が話しかけてきました。

「海蔵寺のサクラの紅葉が素晴らしかったから行って見るといいよ」と・・・
あそこは好いお寺だけど、遠くて歩かなければならないのが難点ですね。

私は母の病院に行くのが第一目的です。
鎌倉紅葉見物は、面会時間までの気分転換なのですから・・・


300円を払って中に入るとすぐに「山門」です。

時間によってモミジを照らす太陽の光の方向が違うので
紅葉を入れた「山門」の画像もその時々で難しいものがありますね。

この画像は真横から撮りました。


「居士林」と書かれた坐禅堂。
新宿区牛込に建てられた柳生家の剣道場で、同家の寄進により、昭和3年この地に移築されたそうです。

とても「絵」になる風情で、この前を歩くといつもカメラで写すのですが、
日の当たる紅葉風景は初めてで、難しいものがありました。

明るい所と暗い所の差が激しくて、コントラストが強すぎる画像になってしまうのです


まさに見頃の真っ赤な紅葉が続き、円覚寺の境内が燃えているようでした。


ピンカーンの中でのモミジのアップ・・・
もっともっと絞った方が良かったようですね。

お寺の建造物と紅葉のコラボを意識して写しました。
non_nonさんのソースをお借りしてスライドショーに纏めましたので
サムネイルにマウスオンしてご覧下さい

< < < < <

北鎌倉の「円覚寺」は、今まさに「紅葉」が見頃ですよ~
今週いっぱい楽しめるでしょうね


木漏れ日が白壁にモミジの影を映し出していました

快晴の中の「円覚寺」散策・・・
たくさんの「紅葉画像」を撮りましたのでデジブックに纏めました。
お時間のある方は、大型画面でご覧下さい。

デジブック 『紅葉の「円覚寺」』


こうして小一時間、「円覚寺」の紅葉を楽しんでから母の顔を見に行きました。
母の入院も今日で丁度1週間になります。

いつものように話しかけたら、母が目を開けて答えてくれましたよ~

「娘のnaoよ。判る?」と聞くと「判る・・・」と

先生のお話では「肺炎が治まり、炎症数値が下がった」とか
3日前から鼻からの「経管栄養」を注入しているそうです。
そのせいでしょうか?母の頬が少し赤みを帯びている感じがしました。

でも、一難去って叉一難
「片方の腎臓が詰まっているので、CTスキャンを撮ります」と言われ、
承諾の家族サインを求められました。

「貧血もひどいので、その原因を探るため」だそうで、
たとえ石やガンが見つかっても、積極的な治療は無理だとか。

父はとても元気で、明日の再診検査も大丈夫と楽観視していますが・・・
母はやはり深刻のようですね。

コメント (32)
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