すぐ次の11月分の「レ・ミゼラブル」観劇の日がやってきました。
この日の舞台は「帝国劇場」です。
前回は大雨の中を出かけましたが、今回は小春日和の気持ちのよいお天気に恵まれたので
「日比谷公園」を散策してお昼を食べてから観劇に向かいました。
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11月10日(火)、日比谷公園の木々はすでに「秋色」に染まっていました。
今年開園107年目の「日比谷公園」の木々はみんな大木です。
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大きなケヤキの木の下で、たくさんのビジネスマンがお弁当を食べていました。
こんな日は戸外で食べた方が気持ちが良いですものね
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みんな揃って同じ仕出し弁当の一団が・・・
公園内の「日比谷公会堂」で全国統一集会でもあったのでしょうか?
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こちらは日比谷公園のシンボル「大噴水」、28分間周期で24景が楽しめるそうです。
幕末までは松平肥前守などの屋敷地でしたが、明治時代に陸軍練兵場となり
その後「都市の公園」として計画、設計、造成された「日比谷公園」
日本初の「洋風近代式公園」として誕生し、平成15年に開園100年を迎えたようです。
・開園は明治36年6月
・面積は約16ヘクタール
・樹木数は 3.100本
ニューヨークの「セントラルパーク」には負けますが、都会のビジネス街の真ん中にあり
サラリーマンたちの憩いの場所になっています。
私も娘の頃はこのすぐ近くの職場に勤めていましたから、お昼休みなどよく通いました。
若き日の思い出の日比谷公園です。
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開園当時のデザインの幾何学文様がそのまま残る、洋風の第一花壇も日比谷公園のシンボルです。
ここではバラが楽しめるのですが、すでに終りに近くなっていました。
私の父の実家が、日比谷公園近くの新橋で小さな商家を営んでいました。
この公園は小さかった父の遊び場でもあったようです。
「日比谷公園で蝉取りをした」とよく言っていました。
三男の父は17歳で家を離れ、大學で「化学」を専攻して化学会社に勤め、地方の工場勤務が長かったのですが
40代後半で東京本社に戻った時、横浜に家を建てました。
晩年、両親と私と3人で我家近くのデパートで買い物中、迷子になった父を探して交番に駆け込んだ時
父はお巡りさんに「住まいは新橋」と言ったらしい。
「こんな横浜の郊外で新橋から来たお年寄りが迷子になったというので困っていた所です」
とお巡りさんに言われました
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人間歳をとり、状況の認知ができなくなっても、自分が子供の頃に育った「家」の事は忘れないようです。
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観劇前のお食事は日比谷公園内の「松本楼」でランチです。
2年前の秋バラの綺麗な頃、中学時代の友人のtomokoさんとここのオープンデッキで
お食事をしました。
先日も暖かい日和でしたので、外での席を希望しましたが、残念ながら満席・・・
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室内で前回と同じ様に昔懐かしい「洋食」を戴きました
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この後飲んだコーヒーは、小学生の時に初めて口にした苦味の有るコーヒーと同じ味がしました
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紅葉を眺めながらお食事が出来るオープンデッキはやはりステキです。
マウスオンでご覧下さい
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少し待てばここで食べられたのですが・・・
「腹減った
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夫と二人ではさして話すことも無く、サササ~と食べて終わりですものね。
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「石垣」が貴重な江戸時代の遺構として残っています。
日比谷公園のある場所は江戸時代は大名の屋敷地ですが、江戸城に登城するためには
見張り役人が警備する日比谷見附を通り抜けなければなりませんでした。
現在の日比谷交差点の辺りにあった日比谷見附は野面積み(のづらづみ)の石垣で
江戸時代初期の築造です。
石垣の周囲は濠になっていましたが、その一部を明治36年「心字池」として残しました。
唯一和風の風景が広がる場所ですが、この季節木々の剪定が行われ池に脚立が建てられていて
写真に撮る事は諦めました。
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「心字池」の周囲の松の向こうに、これから行く「帝国劇場」のあるビルが見えていました。
日比谷公園へは 日曜日に出かけましたよ。
もっとも午後からでしたが・・・
地下鉄の駅のそばにあるジュウガツザクラを見に行きました。
あいにくの曇り空でしかも陽が落ちてしまっていたので きれいな写真というわけには行きませんでしたが・・・
帝国ホテルのイルミも可愛かったです。
日比谷公園は樹齢を重ねた大きな樹がいっぱいあって いい雰囲気なので 時々ワンズを連れて出かけます。
中はすごく広いんですよね~
いろんな樹木や花が咲いていますよね。
松本楼もテラス席にはワンコもオーケーなのでよく行きました。
バラ終わっていましたか~?
咲いていたような???
都会の秋って感じがよく分かりますねぇ!!
この「大噴水」を見ると日比谷公園って
分かるなぁ。。。
この時期、オープンデキはイイですね。
それは知りませんでした。残念です!
ワンちゃんたちと時々訪れる「日比谷公園」ですか・・・
私は2年ぶりで歩きました。
とても気持ちの良い日で、行って良かったと思っています。
私たちは有楽町駅から歩いていきました。
バラはまだ形は残っていましたから
正しくは「終りに近かった」というところでしょうか?
アップに耐えるお花は見当たりませんでした。
「松本楼」はとにかく懐かしいですね。
私は時々寄ってランチを楽しんでいますが
主人は学生時代以来と申しておりました。
実に45年ぶりのようでした
この「大噴水」ですね。
昔はこの周りにたくさんの鳩がいましたが、今回は殆んど姿を見ませんでした。
この日は本当に暖かくて、半袖姿も多かったくらいです。
そんな中でのオープンデッキでの食事はとても気持ちが良さそうでした。
東京や横浜都心を歩くと、日本もヨーロッパ並のオープンデッキが普及した事に驚かされます。
今日は一転寒い一日でした。
こんな日は外より中の方が断然人気があった事でしょうね。
都会の雰囲気がとてもよく出ていてうっとりします。私の息子ももしかしたら木陰で休んでいるかもしれないな、なんて思いました。
レストランもおしゃれで何を食べても美味しいでしょうね。ご主人と二人でお出かけなんて感謝してくださいよ。大切な連れ合いさんですからね。
毎回のブログ記事から知らないことを沢山教えていただいています。
naoママさんの博識には頭が下がります。
日比谷公園は107年にもなるのですね。
東京の中心で東京の歴史をじっと眺め見守ってきたのですね。
日比谷公園には私も思い出があります。
私は広島で育ちましたが、叔母が東京新橋に住んでいて、時々遊びに上京して来ました。
小学生の時、朝一人で散歩に出て、あの近辺で迷子になりました。
右も左も分からない大都会、小学生の田舎者の私です。
でも一人で帰りましたよ。皆心配していましたが・・・。
ちょっと冒険月好きの女の子でした。
日比谷公園も行ってはいるが、何をしてたんでしょうか(笑)
皇居前広場も行って写真を撮ってはいるのだが、それっきりこれっきりで特に印象深いものはない(笑)
東京のど真ん中で江戸の様式と近代建築が入り混ざっており、見学するには色々あり過ぎて、地方のものはかえって落ち着かないのかも知れない。
ゆっくり見て回りたくても人の多さで疲れるのでしょうか。
いつも落ち着かない旅ばかりです。
今月、お孫ちゃんが生まれるのでこの所一緒に遊べません。
ですから突然インドァーに目覚めた主人と楽しんでいます。
が・・・
何しろセッカチな人なのでバタバタと慌しいです
息子さん、日比谷公園のそばにお勤めですか?
私も娘の頃、4年間、この近くの丸の内でOL生活をしていました。
日比谷公園、帝国劇場、松本楼と懐かしい!!!
とくに、帝国劇場は、まだ、若わりしころ、仕事で何度も裏側から出は入りしていた場所です。
今、少し元気になれた気がするので、まずは、体を慣らすのに、日比谷公園に出かけてみようかと本気で,思いましたです。
それらをカメラで写してきて記事の参考にしています。
決して私の博学ではありませんよ。
私もブログをUPするたびに勉強している感じです。
父の転勤先の北海道で私は生まれましたが
小学校入学の頃は東京に戻り、中目黒に住んでいました。
父の実家にいる祖母や従姉妹たちに会いに、1人で
チンチン電車に乗ってよく新橋まで行きました。
子供の頃の夢路さんと日比谷公園近くですれ違っているかも知れませんね。
夢路さんは広島ご出身ですか?
私は中学は新潟市、高校は山口県の徳山市(今の周南市)です。
高校時代、休日に何度か広島まで遊びに行きましたよ。