塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

似通った生活環境による重圧

2016-03-31 00:51:04 | 日記
 昨日、ボリビア出身の女性と話をしました。

 お子さん連れの方で「ウルグアイの方ですか?」と尋ねると、ボリビアですよと答えてくださいました。

 「あなた、スペイン語がわかるのね」

 と笑ってくださいましたが、ここでひとつの認識が生まれます。

 僕が話しているのは拙いイタリア語ですが、色やごく簡単な単語はスペイン語を用いることがあります。

 ラテン語を頂点にイタリア語、フランス語、ルーマニア語、ポルトガル語派兄弟として認識されますが、なるほど言葉と生活習慣が似通っている南欧を目指す南米の選手が多い事。

 この点が垣間見えた気がしました。

 でも言葉が近いからと言ってすぐに馴染めるわけでもなく、例えば以下のブラジル代表選手たち

 ジエゴにアンデルソン(ポルトガル、FCポルト)
 フェリペ・コウチーニョ(イタリア、インテル)
 ロナウジーニョ(フランス、パリ・サンジェルマン)

 は最初の移籍の際、ブラジル・リーグとは異なる試合の展開だけでなく、似ているために馴染む手間がかからないと思われていた習慣に、適応するのに時間がかかりましたね。

 ロナウジーニョはバルサ、コウチーニョがリバプール、ジエゴがブレーメンと

 「ブラジルとは明らかにことなる世界」

 で素晴らしい活躍をしたこと。

 これらは偶然ではなく、むしろ適応しやすい環境のほうが選手に負荷を与える可能性があります。

 僕も馴染むのに時間がかかるほうなのですが、甲府に住んだときは簡単に馴染むことができたことを、よく覚えています。
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